2017年8月18日(金)№ 129『 旧約聖書を学ぶなら オススメはこれ 』

旧約聖書のみならず、と言えるのですが、聖書物語を読んでから、ふつうの「聖書」を読み始めますと、いっそう理解が深まるのではと思うのでございます。
旧約聖書のみならず、と言えるのですが、聖書物語を読んでから、ふつうの「聖書」を読み始めますと、いっそう理解が深まるのではと思うのでございます。

今週の写真、先日の日曜日の朝、9時10分~55分に行った「キリスト教基礎講座」で紹介した本です。

 

このブログの最後に丁寧にご紹介しています。

 

キリスト教基礎講座の時間。

 

わたくし(牧師のもりでございます)が信頼する伝道熱心な先生の〈ノート型のテキスト〉に従って、教会に来はじめて間もない方も、昔から来ている方も、ご一緒に、ちょっぴり深く、しかも楽しく学べる時間をもっています。

 

木曜日の祈祷会の前半の時間には、聖書そのものをじっくり学ぶ、いわゆる〈聖書講義〉を行っています。でも、キリスト教基礎講座ではそれはしていません。

 

もちろん、聖書がわかるようになるためのお話はたくさんありますが、聖書味読、というような時間とは違うのです。

 

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聖書というもの。間違いなく、世界中で一番発行部数の多い書物です。

 

でも、その中身がどんなふうであるのか。新約だけでなく旧約聖書を一人で読み始めてみて、「内容がよくわかりました」と言われる方に、少なくともわたしは、出会ったことがありません。

 

よく頑張った方でも、出エジプト記の20章までは、すごくおもしろかったですと言えるかも知れませんが、「レビ記」あたりで読む意味がわからなくなります。そして。だんだん迷路に入って行き・・・・・・ということが多いのでは、と思うのです。

 

もちろん、かく言うわたくしも、何がなんだかわからない頃が長くありました。

 

でも、それでは悔しいし、特に、神学校の受験前にはせめて一度は聖書全巻を読破しなければ、神学校なんてそもそも入れてもらえないのでは、と思いつつ、慌てていたのを思い起こします。

 

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このたびのキリスト教基礎講座では、もちろん、S先生のテキストに沿ってのお話もいたしましたが、わたしが参加者にお勧めしたのは、いわゆる「聖書物語」と呼ばれる書物の助けを借りる方法です。

 

旧約全巻の流れが直ぐに分かる人は居りません。それでまず、聖書の大筋を知って頂くにはどうすればいいのか、ということを考えてみますと、「聖書物語」を先に読んでおいてから、旧約の一巻一巻をゆっくり読み始める仕方が、わたし的にはぜったいお勧めなのです。

 

なーんだ、子ども向けの本ですか?そんなのは勘弁して下さい、と思われますか。

 

でも、本当に馬鹿に出来ないのが、世にある多くの聖書物語です。何より、牧師の説教も、格調高さを感じるような語り口でよく分からない話をすることの方が簡単なのです。

 

故・井上ひさしさんが、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」と語られたことにも通じます。

 

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牧師であるわたくし自身が、このような聖書物語によってどれ程助けられてきたか、わかりません。

 

今でも時々開いてみることがあります。

 

自分の頭の整理にもなりますし、聖書を物語る、ということは説教の原点ですので、頭の中が整理されるだけでなく、聴き手の心に届きやすい言葉や表現についても考える切っ掛けとなるからです。

 

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もう一つついでにと言ってはなんでございますが、定番中の定番かも知れない、故・榎本保郎先生の名著『旧約聖書一日一章』にもお世話になって来ました。

 

これを傍らに置いて、旧約聖書を3章くらいずつ読むのも、良いものだと思います。

 

神学生時代に当時の校長先生による説教演習に近い時間を持っていたとき、同級生が指導教授からの「黙想が足りない」という指摘を受けた時にこう言いました。

 

「出来ないッスよ。せいぜい、おれらに出来るのは、榎本保郎先生の一日一章から考えるくらいしか・・・」と口にしたことが忘れられません。

 

話は戻りまして、とにかく、やはり写真にあるような聖書物語を手にされた方がいい、と今は考えているのです。その後で、旧約聖書とじっくり向き合って頂けると、概ねの筋が先に分かっているわけですから、理解度がぜんぜん違います。

 

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もう一つ少し違う角度からお話いたしましょう。

 

実に、福音書をはじめとする新約聖書を理解する上で、旧約聖書の面白さや勘所を押さえているか居ないかは、決定的な違いがあるのです。

 

何しろ、イエスさまご自身が、旧約聖書を聖書として読んでおられた方ですし、イエスさまが福音書を書かれたわけではありません。

 

例えば、富士山山頂を目指すことをイメージしてみましょう。

 

いきなり七合目辺りまでヘリコプターで運ばれたとしたら、確かに楽な部分があります。時間も相当短縮されるのです。

 

でも、それは登山の面白さの大半を捨ててしまっているのと同じです。登山口の辺りまで車でやって来る方法をとったとしてもです。

 

やはり、基礎と申しますか、土台と申しますか、山裾の美しさや入り組んだ道を知って居てこそ、山頂付近に達した頃の喜びの度合いが違って来るわけです。

 

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恥ずかしながら、のお話を少しばかり記します。

 

振り返って見ると、伝道者として駆け出しだった頃のわたくし。正直申し上げると旧約聖書から逃げたい、という気持ちをもっていたのです。

 

だからこそ、旧約からの説教に取り組みました。決してそれだけが理由ではありませんけれども、自らに言いきかせていたものです。旧約、きゅうやくも、キュウヤクから、と。説教者としても本当に勉強不足、力不足だったなぁと思います。

 

イザヤ・エレミヤ・エゼキエルなどの大預言書、その他の小預言書を一節一節ていねいに学び終えたのは、身体をこわしての休養中のこと。次の任地に備えて有り余る時間があったので、ようやく向き合えたというのが正直なところなのです。

 

ちなみに、旧約聖書の中の福音書と呼ばれることのある「詩編」の本格的な学びは、今、旭東教会の祈祷会でやっております。ようやく詩編60篇代に入りましたが、気合いを入れて150篇までというのはわたし自身、伝道者になってこれが初めてです。たのしみつつ、苦労しつつの現在進行形です。

 

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神さまのなさることは、みなその時に適って美しいなぁ、と思うことが、キリスト教基礎講座のある日には不思議に起こります。

 

8月13日(日)の10時15分からの主日礼拝の説教の中で、キリスト教基礎講座で語ったことに数度触れることになったからです。語り出す前にはそういう展開になるとは思いもしませんでした。説教の準備メモにも当然なにも記していません。

 

偶然そうなったのか、と言えば、そうではないと思います。神さまからすると必然なのです。そして基礎講座に参加されていた方の説教の理解度は、相当奥深いものになったのではと思います。

 

なぜなら、40分程前に、キリスト教基礎講座で聴いたことが、思いがけず、創世記19章のみ言葉を理解するときに証明されていったはずだからです。

 

お時間がありましたら、礼拝音声メッセージ・「http://kyokuto-words.seesaa.net/」の説教ブログで、8月13日の説教を聴いて頂けると何かを感じられるはずです。さいごの最後にどんでん返し的なことが語られます。

 

不思議だなと感じるところには、既に、神さまが働いておられます。はい。

 

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おしまいに、上にある写真の本の中で、特にお勧めを紹介しておきましょう。

 

1)『聖書物語365話』(斎藤寿満子訳)
*わたしの手元には〈同盟社版〉がありますが、講談社の文庫版が存在するはずです。誰かのところにいって、今見当たりません。訳者はわたしのたいせつな先生のお一人「寿満子先生」です。この本があれば、旧約聖書の大筋は必ずわかるようになります。

 

2)『はじめての聖書 1 旧約篇 古くからの約束』(こぐま社)
*これも素晴らしいです。簡潔ですが、決してあなどれないです。新約篇もあります。

 

キリスト教基礎講座の中では、他にも、あれこれと、わたし自身が取り組んで来た、旧約聖書の読み方についてのお話しております。

 

どうぞ、どなたでも参加できる講座ですので、興味のある方は、これから仲間入りして下さいね。ご一緒できる日が来ることを楽しみにお待ちしています。

 

なお、旭東教会では、おひとりお一人のご都合に合わせての、入門講座、聖書の読み方の講座も臨機応変に随侍行います。教会が初めての方、聖書を読んだことのない方も心配なくお問い合わせ下さい。それではごきげんよう。end