《み言葉"余滴"》は礼拝説教の要約ではありません。説教とは別の角度からの視点でお届けするみ言葉を読んで黙想するためのものです。語られた説教は、「礼拝音声メッセージブログ・西大寺の風」・「旭東教会YouTube配信」でお聴きになれます。お覚え下さい。古いものについては容量の都合で随時削除しています。牧師は「読みもの」と「語るもの」とは本質的に異なるものと考えています。
《 み言葉 余滴 》 NO.295
2021年2月14日
『小羊キリスト まことの過越』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 12章13節~14節 13 あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、私はあなたたちを過ぎ越す。私がエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。14 この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。
モーセを通じて予告された10番目=最後の災いは、「エジプトの国中の初(うい)子(ご)が殺さる」という何ともいたましく、恐ろしいものでした。
しかし、この災いは、エジプトに暮らしていた人々の中で、ある明確な区別がなされます。イスラエルの民は、家の門の二本の柱と鴨居に、屠った一歳の「小羊の血」を塗ることによって災いが通り過ぎるという、不思議な道が示されました。
過酷な奴隷状態の中で苦しんでいたイスラエルの民は、エジプト脱出の旅を始めます。
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これを永遠不変の定めとして、今日(こんにち)に至るまで「過越(すぎこし)の食事」「過越(すぎこし)の祭」の形で引き継いでいる人たちがいます。それがユダヤ教の人たちなのです。
では、私たちクリスチャンはどうでしょう。神さまが命じられていることを、きちっと守らなくてよいのでしょうか。そんな不信仰なことで大丈夫なのか。
大丈夫なのです。
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アウグスティヌス(354~430年)という古代キリスト教を代表する神学者がおりました。アウグスティヌスの言葉に、「新約聖書は、旧約聖書の中に隠されており、旧約聖書は、新約聖書の中に現されている」があります。
これは出エジプト記の「主の過越(すぎこし)」と呼ばれる場面でも当てはまります。聖書にはひと言も「イエス・キリスト」が出てこないのに、イエスさまが隠されているということです。
毎週の礼拝で聖書朗読を大切にするのには理由(わけ)があります。聖書が開かれ、朗読されるときに、「小羊である主イエス・キリスト」のみ体が裂かれ、私たちが生きて行くための命が差し出されるからです。それが朗読されるみ言葉です。そこには、主の命の血が流されています。
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賛美歌には「神の小羊」を歌う曲が、思いの外たくさん出て来ます。たとえば、クリスマス前のアドヴェントに歌った「讃美歌21-240番 主イエスは近いと ③節」にはこうあります。
今こそ来られる 神の小羊
涙をぬぐって みもとに急げ
もう一つ、イースター・復活祭に向かうこの時期に歌う、「讃美歌21-314番 神の国の命の木よ ①節」はこうです。
神の国の 命の木よ。 あがないの 神の小羊
われらの罪 解き放たれる 救いの主よ
出エジプト記12章「屠られる小羊の血」の中に、「神の小羊であるイエス・キリストの血」を思い描くとき、「旧約」と「新約」のただ中に、一筋の道が見えてきます。私たちはその道を進んで行くのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.294
2021年2月7日
『 パウロにも届いた 「大丈夫」 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 18章9節~10節 9 ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。10 私があなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、私の民が大勢いるからだ。」
パウロの伝道の旅。それは私たちの人生の旅路に重ねてみると、考えさせられることが多くあります。
パウロの旅は、思い通り、計画通りには少しも行かないのです。それが彼の人生においてマイナスであったかと言えば、「いいえ、そんなことはない」「必要な回り道だった」と断言できます。
パウロには彼ならではの情報収集の仕方があり、伝道の旅を計画する上で、強い関心を抱(いだ)いていた都市があったのです。パウロは都市部の伝道を志していた人だと言われます。
例えば、ローマ帝国支配下にあるアジア州西海岸の首都・「エフェソ」には大いに関心があったはずです。けれども、第二回目の伝道旅行が既に終盤に差しかかっていたパウロは、未(いま)だ、政治・商業・ギリシア文化が栄えたエフェソにたどり着けません。
奮闘努力しながらも、第二回伝道旅行中のパウロが身を置いているのは「コリント」でした。
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独り、コリント入りしたパウロ。当時の世界の東と西を結ぶ都市伝道に大きな期待を抱(いだ)く一方、不安もありました。
知り合いも居ない、信者も居ない、生活の見通しも立たない、健康状態もよくない。いわば、「〈ないないづくし〉状態のパウロ」でした。
ところが、コリントでのパウロは、不思議な出会いを経験していくのです。まず、天幕作りという自分と同じ職業人のアキラとプリスキラがローマから追放されてコリントに居てくれたことで、意気投合できるクリスチャンを見いだします。最低限の収入も確保し寝食を共にしました。
さらに、しばらく離れて伝道をしていた愛弟子・テモテとシラスが、マケドニア州の「フィリピ」や「テサロニケ」の教会から献金を抱えて来てくれたことによって、腰を据えての伝道の基盤ができました。
安息日に行(おこな)っていたユダヤ教会堂での伝道に見切りを付けた直後には、何と隣家に宣教の拠点を得られるという備えもあり受洗者が与えられていくのです。
全ては「神のみ業」。「主は共に居られた」のです。
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受洗者が与えられ、コリントでの伝道の確かな手応えを感じ始めていたパウロ。
彼は程なく、幻の中で主のみ声を聞きます。それが、「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。私があなたと共にいる。」という約束でした。パウロはこの言葉で「百人力」を得ます。
彼は12弟子とは違ってイエスさまの伝道の様子を身近に見聞きした人ではなく、コンプレックスもあったと想像します。
しかし、今、形を変えて、マタイ福音書の最後28章20節で、復活の主イエスがガリラヤに戻ってきていた弟子たちに約束された、「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」というお言葉を受けたのです。
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私たちは、「そうか、自分は大丈夫なんだ」と思える言葉を無意識のうちに探し続けています。
主イエスを下さった神が、私たちの必要に対してそっぽを向かれるはずがありません。
パウロは後(のち)に、第2コリント書10章10節で、自分は「実際に会ってみると弱々しい人で、話もつまらない(人間だ)」と言われることがあると記します。
しかし、神さまはこのようなパウロを必要とし愛されるのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.293
2021年1月31日
『 いやしの共同体を生みだすために』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マタイによる福音書 4章23節 23 イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、み国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。
ガリラヤ湖の漁師として生きて来た、シモン・アンデレ・ヤコブ・ヨハネら4人。彼らは聖書の先生でもありませんし、弁が立つわけでもない。病人の手当もしたことがないのです。
イエスさまから、「私について来なさい」「人間の漁師にしよう」と言われて、従い始めてみたものの、「悔い改めよ、天の国は近づいた」ということを共に伝えるために、何をすればよいのか分かっていませんでした。
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4人は、イエスさまと共にガリラヤの各地を巡り歩きました。福音書記者マタイはこう告げています。「ガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、み国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。」と。
彼らは、間違いなくイエスと共に居たのです。
ユダヤ各地から、様々な痛みと悩みを抱えてる人たちがやって来ました。彼らはイエスさまがなさるその一切を、目を丸くしながら見守り続けたのです。
無力な彼らでしたが、見えてきたことがありました。それは、このイエスという先生は助けを求めてやって来た人を、一人の例外もなしに「受けとめようとされている」ということでした。
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讃美歌21-542番に『主が受け入れてくださるから』という曲があります。歌詞を記しますが、これを味わうと、主イエスによる宣教の土台にあるものが、「受け入れてくださること」だと気付きます。
■ 讃美歌 21-542番
① 主が受け入れてくださるから われら互いに受け入れ合おう。
共におられる主を信じよう、主に愛されたひとりとして。
② 日ごと苦しみ悩む時も 希望のみことば ください、主よ。
人を選ばず あるがままに 愛することができるように。
③ 受け入れられて新たにされ 生活の場に送り出され、
和解の食卓 共に囲み 交わす笑みこそ いやしのわざ。
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主がなさった「いやし」という言葉には、「世話をする、仕える、奉仕する」という意味もあります。
イエスさまは忍耐強くお世話をし、仕えてくださるお方なのです。まずもって、苦しんでいるその人や、病人を連れてきた人の話をよく聴かれたはずです。私たちも、その中の一人として、イエスさまに受けとめられて来たのです。
主イエスによる「傾聴(けいちょう)」が、人々との出会いの場になかったはずがありません。「傾聴」は「いやし」の始まりでした。今、私たちが「いやしの共同体=イエス・キリストの教会」になっていくためには、祈りつつ、「傾聴」の場をつくり出していく努力や忍耐も必要なのです。
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「受(ける)」と「愛」という文字を並べて考えてみましょう。興味深いことに気付きます。
それは「心」という文字が「受」の真ん中に置かれると「愛」が生まれるということです。
「心」が受け入れられている交わりに気付いた時、私たちは新しい人として生き始めます。end
《 み言葉 余滴 》 NO.292
2021年1月24日
『傷ものを用いて下さる神』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マタイによる福音書 4章12節~14節 12 イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。13 そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。14 それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
世の中、色々な広告が出ているものです。例えば、「家具のキズ物大市!」とか、「外箱傷あり商品につき大特価」というようなキャッチコピーが目に留まります。
「傷物」という言葉を幾つかの国語辞典で引いてみました。「商品価値の失われたもの」とか「傷があって不完全な物」というような解説があります。私たちは「傷物」という言葉を人ごととして通り過ぎることは出来ません。
果たして、イエスさまは「傷物」をどのように扱われるお方なのでしょう。ここでは、「ガリラヤ」をキーワードに考えて行きたいと思うのです。
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十字架の上で死を遂げられたイエスさまが、エルサレム近郊の墓に埋葬されてから三日目の日曜日、朝一番のことです。
そこへやってきたのはマグダラのマリアともう一人のマリアでした。二人は「天使」そして「手とわき腹に傷を持つ復活のイエスさま」ご自身から、弟子たちへの大切な言葉を託されます。それが、「ガリラヤへ行け。あなたがたは、そこで私と会うことになる」というものでした。
イエスさまが宣教の第一歩を明確に踏み出され、「悔い改めよ、天の国は近づいた」という第一声を上げられた場所は「ガリラヤ」でした。弟子たちの多くは「ガリラヤ」出身です。イエスさまがお育ちになったナザレも「ガリラヤ地方」にあります。このように、イエスさまにとって「ガリラヤ」という場所は極めて大きな意味があったのです。
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イエスさまが日常語として使っておられたヘブライ語で「ガリラヤ」は「ガーリール」と言います。「ガーリール」には「辺境」という意味もあります。
呼び名や歴史をさかのぼると、「ガリラヤ」は、アッシリアなどの近隣の大国に征服された歴史があることがわかります。つまり「傷」があるのです。
とりわけ、旧約の歴史書・列王記下の15章29節、「イスラエルの王ペカの時代に、(*B.C.735年頃)アッシリアの王ティグラト・ピレセルが攻めて来て、・・・・ガリラヤ、及びナフタリの全地方を占領し、その住民を捕囚としてアッシリアに連れ去った。」は忘れ難い、歴史に刻まれる事実でした。
そこから始まった異邦人の入植、人種と宗教の混合は「ガリラヤ」の地位を決定づけます。
そして、イエスさまがこのような「ガリラヤ」を出発地点にされたことは必然でした。マタイ福音書の最後に「だから、あなたがたは行って全ての民を私の弟子としなさい」という派遣の言葉が明記されていますが、「傷のあるガリラヤ」を起点としていることは福音の本質を表わしています。
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最初の弟子となったペトロも、当時の世界各地に福音の種蒔きをしたパウロも「スネに傷のある人」でした。
ひるがえって考えてみますと、私たちも疼(うず)くような「傷の自覚」を抱えている者であることに気付きます。しかし、消すことの出来ない傷があるからこそ、神さまの愛は染み通るのです。
教会は「自分は傷物だ」という自覚のある者たちを土台としているのですから不思議です。誰よりも、イエスさまご自身が十字架の上で「傷物」になって下さいました。end
《 み言葉 余滴 》 NO.290
2021年1月10日
『〈いなご〉と〈暗闇〉が
もたらしたもの 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 10章13節、22節~23節 13 モーセがエジプトの地に杖を差し伸べると、主はまる一昼夜、東風を吹かせられた。朝になると、東風がいなごの大群を運んで来た。・・・・・・22 モーセが手を天に向かって差し伸べると、三日間エジプト全土に暗闇が臨んだ。23 人々は、三日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立ち上がることもできなかったが、イスラエルの人々が住んでいる所にはどこでも光があった。
エジプトで過酷な奴隷状態におかれ、苦しみ続けていたイスラエルの民を解放するために立てられたのがモーセです。モーセには助け手として兄のアロンが与えられていましたが、二人の手に、いつも握られていたものがあります。それは「杖」でした。
出エジプト記10章では、8番目の災いである「いなご」、9番目の災いである「暗闇」がエジプト王ファラオに襲いかかります。これまでもそうであったように、ここでも、モーセが「杖」を手にして「地に」「天に」と差し伸べると、「神のみ業としての災い」が起こるのです。実はこの「杖」は、今を生きる我々にも与えられています。それは「祈り」であり「神の言葉に信頼して生きる」こと。即ち「信仰」です。
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神さまが準備され、モーセとアロンを通じて次々に起きた「災い」は、見方を変えるならば「裁き」を超えて、「神の愛」の現れなのです。
聖書を通じてそのお姿を現され、今も私たちに語りかけられる神さまは、実に「しつこくて、クドいお方」だと思うのです。私たちは「しつこい」とか「クドい」ことが嫌いです。しかし、「血」「蛙」「ぶよ」「あぶ」「疫病」「はれ物」「ひょう」という「災い」は、ファラオの目を覚ますために、神さまの方が忍耐されながら、心を深く痛めながらしつこく行動されていたのです。
ファラオにとってのイスラエルの民の存在は、自分の思うがままに出来るこの世的な富そのものでした。ファラオ。彼はこれを手放すことが出来ない生身の人間です。
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王として威厳を保ち、平静を装うことが出来なくなって来たファラオが見たのは何であったのか。出エジプト記10章の二つの災いを連続して読む時に、我々はある所に行きつきます。それは「領土全体にとどまったいなご」が「地の面をすべて覆いつくす」ことでもたらしたひとつのものです。
それは「闇」でした。
「いなごの災い」の描写には、「地は暗くなった」という、さり気ないひと言が添えられています。エジプト全土の作物、木々、緑が失われたことは衝撃だったに違いありません。
しかし、この時のファラオの心の奥底には、様々な意味での「闇」が浮かび上がって来たのです。「いなごの災い」に続いて、神さまが「暗闇の災い」を起こされたのは必然でした。
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高一の頃、大分市の田舎に暮らしていた私は、国鉄の駅(*JR・大在)から自宅までの2㎞の道を、オリオン座と北斗七星を見上げながら自転車をこいで帰りました。その空は濃い黒色でした。
当時、本格的な落ちこぼれだった私には、田んぼに広がる空は間違いなく「闇」であると同時に、その一方で、闇に輝く星は慰めだったのです。
ヨハネ福音書はその序章で、「命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている」と告げます。
「闇」はその全てが悪ではないようです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.289
2021年1月3日
『アキラとプリスキラに吹いた風』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 18章1節~3節 1 その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。2 ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、3 職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業は天幕づくりであった。
使徒言行録18章にはパウロが「コリント」にやって来た頃の興味深い姿が描かれています。当時の「コリント」は、イエスさまの時代の「ユダヤ地方」がそうであったように、ローマ皇帝の支配が及ぶ領地でした。「コリント」はいつもローマのことを気にする都市であると同時に、エフェソという小アジアの重要都市に向けての船が出る港があり、世界的に知られている交易地でした。ユダヤ人の会堂もありましたが、パウロの知り合いは皆無でした。
ところがパウロはそこで、「職業が同じだったので」と聖書が伝える「アキラとプリスキラ」というイタリアから来た夫婦と出会います。三人が意気投合して力を合わせてした仕事は「天幕づくり」でした。
「天幕づくり」は、「夜明け前に起き、日の沈むまで皮とナイフときりをもって労苦し、貧しさは言うに及ばす、寒さに凍え、腹を空かせ、みすぼらしい身なりでいた」と言われます。しかし、この仕事があったからこそ、三人は会堂以外の場所で、市井(しせい)の人々と出会えたのです。
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アキラとプリスキラは「コリント」の人ではなく、「ローマから逃げてきた人たち」ですが、元々は「黒海沿岸のポントス地方出身の人たち」でした。パウロは、彼らの家に住み込み、寝食を共にし、「天幕づくり」をしながら、とっくに空っぽになっていたであろう生活費を得ることが出来ました。
三人は工房で皮をなめし、天幕を縫いました。伝道の夢を語り合い合い、苦労を共にしたというわけです。このような出会いがあってこそ、パウロは少なくとも一年半以上、コリントにしっかりと腰を据えて伝道することが出来たのです。
アキラとプリスキラは、その後も聖書の所どころ、しかもコリント以外の町で姿を見せる、かなり筋の通った頑張り屋で勉強熱心なクリスチャンでした。しかし、パウロが彼らを探し当てたのではありません。プリスキラとアキラがパウロを求めたのでもない。神さまが実に不思議な形でご計画された出会いを、聖書はさり気なく告げているのです。
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別名「聖霊行伝」とも呼ばれるのが使徒言行録です。パウロは、その後誕生したコリントの教会の人たちに対して送った手紙の中で、「福音のために、私はどんな事でもする。私も共に福音にあずかるためである。」(第一コリント書9:23)と熱く記す一途な人でした。
しかし、人間の努力、一所懸命の種蒔きだけで福音の伝道や教会形成は出来ません。成長させて下さるのは神なのです。
アキラとプリスキラを遠く黒海方面からイタリアへと運び、さらに、ローマ皇帝の言葉により、コリントに送り、寄る辺もない町で不安の中にあったパウロと出会う「風」を吹き下ろされたのも、最初の人に「息」を吹き入れられたのも神さまでした。
その不思議な風を「聖霊」と呼びます。end
《 み言葉 余滴 》 NO.288
2020年12月27日
『 だから、あなたも大丈夫 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マタイによる福音書 2章1節~2節、9節 1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」・・・・9 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。
聖書の告げる主イエスによる「福音」。それは、読んで字のごとく「福」が聞こえて来るということなのですが、「福」は届いて当然の所に知らされたわけではありません。
そんなことがあるのか。それはどうなんだろう。そのように感じてしまう所に届く良き知らせ。それが聖書の告げる「福音」なのです。
ハッキリと申し上げるならば、罪深い者という烙印が押されている人が救われるのです。天国には絶対に入れないはずの人への良き知らせがある。驚くべきことが起こり始めます。自分たちは正しいと思っている者は腹が立って来ます。
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福音書記者マタイが告げるクリスマスの知らせが最初に届いたのは「東方の博士たち」でした。私たちはこの「東方の博士たち」を通じての「クリスマス物語」の始まり方に、あまりに慣れすぎてしまっているところがあるのではないでしょうか。なぜならば「東方」とは一般には異教の地を意味しているからです。
最初の人アダムとエバの息子はカインとアベルですが、創世記4章で弟殺しという人類最初の殺人を犯した兄カインは主の前から逃亡し、「エデンの東」の地に住みます。さらに進んで、「バベルの塔」という神に反逆する物語が展開する創世記11章でも、「東」は芳(かんば)しくない方角です。バベルの地に移動して来た人々は「東」から移動して来た人たちでした。
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飼い葉桶の幼子イエスを「東方の博士たち」が礼拝する出来事が起きてから30年余りが経過した時、イエスさまはご自身で伝道を始められます。
マタイ福音書4章でイエスの伝道の開始の様子が告げられますが、イエスさまが伝道を始められた場所は「異邦人のガリラヤ」でした。「暗闇に住む民は大きな光を見た」というのです。そこは「死の陰の地」でした。
「東」という言葉こそ使われませんが、都エルサレムとは対照的な場所であることは明らかです。そこでイエスさまが告げたことは「天の国」の到来でしたが、ガリラヤで最初になされたのは、四人の漁師たちを弟子とすることだったのです。
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太陽や月や星を観測し、時代や人生を占っていた博士たちのしていたことは、律法の書である申命記4章19節以下で、偶像礼拝に直結するものとして禁じられていました。
実に不思議なことなのですが、福音は禁じられていることを生業(なりわい)としていた「東方の博士たち」を用います。マタイが告げた「クリスマス物語」は、この福音書に初めて触れた人々にとって「躓(つまず)き=スキャンダル」でした。
しかし、私たちこそ、まさに、この福音に救われて行く者なのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.287
2020年12月20日
『 羊飼いたちの歌は続く』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 2章15節~20節 15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
二十歳を過ぎた頃、私はインドを旅しました。大きなリュックに、田舎の母から送られてきた何種類かの薬を詰め込み、カルカッタ(現在のコルカタ)、プーリー、バラナシ、アグラ、ニューデリーなどを汽車で乗り継ぎ、10日程掛けてぶらぶら歩く自由気ままな一人旅です。
ホテルの鍋洗いのバイトで稼ぎましたが、タイ経由のエジプト航空に乗る、格安航空券利用の旅でした。インドで泊まるのは一泊100円かそこらの予算で、ベッドの上に寝袋を置いて眠ったものです。ちょっと暑い国のイメージのあるインドですが、実は夜は冷え込み、セーターを着込んで過ごしました。
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世界で最初のクリスマス。つまり、イエス・キリストを礼拝する人となったのは「羊飼いたち」でした。
彼らが飼い葉桶の幼子を礼拝したのが真冬だったとは言い切れませんが、それでも彼らが寒空の元に過ごすのは日常でした。聖書の舞台において「羊飼い」の生きる場は、どの季節であっても昼間の暑さとは反対に冷え込みます。放牧する羊たちをねらう野獣の不安も尽きなかった。
だからこそ、「羊飼いたち」は寝ずの番をしたのです。
聖書の中の「羊飼いたち」の位置付けは様々な変遷があります。ダビデの詩編の代表作の23篇は、多くの人々に愛されている詩編の代表的なものですが、その冒頭に「主は羊飼い、私には何も欠けることがない。」とあるのです。
つまり「羊飼い」の地位は〈王ダビデ〉と深く結びつけられていることが分かります。あるいは、エゼキエル書34章11節以下に描かれる「羊飼い」は〈救いの牧者〉です。「見よ、私は自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。」という、慈しみ深い存在として認められていました。
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時が流れ、時代が移り変わって、イエスさまがお生まれになる頃。即ち、ローマ皇帝アウグストゥスがその支配をユダヤ地方まで広げていた時代の「羊飼い」の地位はどうだったか。
彼らは中心には居ない、周辺に置かれた者に過ぎなかったのです。ユダヤ教の「口伝律法」が記されている『ミシュナ』と呼ばれる書では、羊飼いは蔑(さげす)まされた存在で、「強盗や野蛮人」と同列に置かれていたのです。
つまり、端的に言うならば、彼らは「罪人」でした。ローマから求められた住民登録の対象からも外れていました。
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しかしながら、神さまが救い主の誕生の際に求められたのは、あら野で生きる「羊飼いたち」だったのです。
そして、誰よりも何よりも、イエスさまご自身が、ヨハネによる福音書10章において「私は良い羊飼いである」「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と語り始められるのです。ここに、聖書全体を貫く極めて重要なメッセージがあることに気付きます。
馬槽(まぶね)の中にお生まれになるイエスは、誰と出会い、誰を救い、誰と共に生きて下さるお方だったか。その答えが、最初のクリスマスで既に明らかにされていました。
飼い葉桶に見る主イエスの貧しさは、神さまからすると、どうしても、そうしなければならない愛の決断ゆえの出来事でした。
「羊飼いたち」は、歌いながら歩き続ける人、賛美する新しい人となったのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.286
2020年12月13日
『インマヌエルおじさん ヨセフ』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マタイによる福音書 1章23節~25節 23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。24 ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、25 男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。
婚約者マリアの結婚前の妊娠。しかも「聖霊」によって子を宿したという不可解な知らせはヨセフを硬直させます。何をどう考えればよいのか分からないのです。
聖書には時の流れの中で、いつ、どのように、ヨセフが婚約者マリアからそのことを告げられたのかについて記されていません。ヨセフとしては考えに考え、祈りに祈った末の行動だったのだと思いますが、いずれにしても、彼はマリアとの「縁を切る決断」をしたのです。
幾つかの聖書をみました。「彼女をさらし者にしたくなかったので」という翻訳が多く見えます。新共同訳では「マリアを表ざたにするのを望まず」とある。
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しかし、私はどうしても腑に落ちません。訳がまずいとか、間違っているということではないのです。その道の専門家の先生方が、これが最善として選び取った日本語の翻訳に、ケチをつけることなど出来ません。
とすると、私の思いはどこに行きつくのか。これが「正しい人ヨセフ」「神の教えを堅く守る人ヨセフ」の決断だとしたら、彼の「正しさ」とは一体何であるのか、ということなのです。
まだ10代の半ば位の娘だったマリアはどうなるのか、本当にヨセフは、マリアがこの先、未婚の母として子どもを産んで育てることなど出来るのだろうか、と考え込んでしまいます。
正しい人ヨセフを支えていたものは何であるのか。それは、ひと言でいうならば、「律法を忠実に守って生きて行く」という生き方でした。ところが、神さまが、イエス・キリストを通じて明らかにされ始めようとなさっている世界は、律法を忠実に守り抜くことの先にある世界とは違ったのです。
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深い眠りの中にあるヨセフに対して、神さまはこの後も徹底して「夢」を通して現れます。「夢」ですから一方的です。望んで見ることが出来る夢を私たちは経験したことがありません。
「彼は救い」という意味のある「イエス」という名の父親として生きよと命じられているのですが、「イエス」は当時のユダヤの人々に取って、決して珍しい名前ではありません。
しかしながら、「神われらと共に=インマヌエル」という、救いの中身がマリアの胎を通じて生まれて来る子に与えられる、という言葉を耳にしたヨセフは、立ち上がる切っ掛けを明確に得たのです。
彼は眠りから覚めます。それは律法からの目覚めでもありました。ぐいっと起き上がったのです。正しい人ヨセフに求められたことはただ一つ、眠りから目を覚まし、起き上がって、その声にひたすら従い続けることでした。「聴従」は信仰の基本です。
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ヨセフの姿を聖書の中ではっきりと見ることが出来るのは、ルカによる福音書1章41節以下で、イエスが12歳の時にエルサレムの神殿に一緒に連れて行かれた時に、「父」として描かれているのが最後です。
それ以降は、イエスの家族の中に、ヨセフの空気すら無くなっていきます。とても影の薄い人、という見方をする人もいますが、どうでしょう。
むしろ私は、ヨセフが「インマヌエル」という旧新約聖書を貫く大切なメッセージを受けたことを、その後の彼の人生の中で証しし続けたと考えるのです。ヨセフは余計なことは口にしなかった。
だから、彼が発した言葉は聖書にはひと言も記録がありません。けれどもヨセフは、大事な場面でひと言「インマヌエル」と語り続けた。それがヨセフの幸せであり使命でした。end
《 み言葉 余滴 》 NO.285
2020年12月6日
『 〈ナザレ〉のマリアによって』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 1章26節~27節 26 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。27 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。
半世紀以上前、私が卒園した大分県大分市大在村にあった幼稚園は、カトリックのちょっとこわいシスターが園長の幼稚園でした。「マリアさま、マリアさま」と《お歌》を歌っていたのを覚えています。
カトリックではイエスの母「マリア」は「聖人」です。もしも今私が、「マリア」と呼び捨てするのをカトリックの友人や親しい神父さまが聞いたら、悲しい顔をすることでしょう。
しかし、それでもなお私はここで、お告げを受ける「マリア」が、本質的には「私たち」であることを確認したいと思うのです。
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マリアに、処女のままの妊娠を告げたのは「天使ガブリエル」でした。
聖書を創世記18章までさかのぼりますと、最初の「み使い」の姿が見えます。100歳のアブラハムと90歳のサラに現れた「旅人たち」の話です。神さまがアブラハムに対して、「あなたは祝福の源となる」という約束をなさってから既に25年が経過していました。ついに、時が満ち、神さまは動き出されました。老夫婦に対して不思議なお告げがなされたのです。
創世記18章1節では、「主はマムレの樫の木の所でアブラハムに現れた」とあります。
ところが、「主」と紹介されたお方は、程なく「三人の旅人」に姿を変えます。さらに、創世記18章10節では、その三人の旅人のうちの一人が、「来年の今ごろ、サラには男の子が生まれるでしょう」と告げるのです。
その直後に、「年寄りの私に、そんな、馬鹿なことが」と、天幕の内側でひそかに笑ったサラに対し、「あなたは確かに笑った」と告げたのは「主」であったと書かれているのです。
続く、創世記19章の冒頭では、滅亡の町ソドムにたどり着いた旅人たちが「み使い」であった、と記されています。こうなると、「み使いは神に等しい存在」という考えが生まれて当然です。
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アブラハムとサラに対する「受胎告知」は、聖書の舞台を生きて来たユダヤの人々にとって、我々の想像以上に大きな意味があったはずです。彼らは律法の書のひとつである創世記を熟知しており、アブラハムの物語もよく知っていました。
イエスの母となるお告げをガブリエルから受けるマリアも、み使いと出会うアブラハムとサラの物語を知っていたのです。しかし、マリアは、まさか「はしため」の自覚を持つ自分のような者が、天使ガブリエルからお告げを受けるとは、本当に、これっぽっちも予想できませんでした。
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そもそも、天使ガブリエルが、新約の時代に最初に姿を現したのはエルサレム神殿に仕える祭司ザカリアのところでした。
ザカリアは義人として認められている一方で、神の祝福を受けていない人と周囲からは見られていた老人でした。長年連れ添った妻エリサベトとの間に子どもが与えられないという事実は、二人の恥であり、封印された悲しみだったのです。子沢山こそがその家系の祝福である、と考えられていた時代に、祝福の枠組みの外側に身を置いていた夫婦に神さまはガブリエルを遣わされました。
さらに、ガブリエルが、ガリラヤの寒村ナザレに暮らすマリアの元に姿を現したことも、実に不思議なことでした。
しかし、それは神さまにとって必然だったのです。アブラハムとサラへの受胎告知、そして、旧約と新約のつなぎ目に位置するところに身を置いていた、洗礼者ヨハネの親となるザカリアとエリサベトへの受胎告知の出来事は、そのいずれもが、マリアとヨセフへの受胎告知と、目には見えないけれど、一筋の道として繋がっていたのです。
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神さまが強い意志で貫き通そうとされる出来事は、いつの時代においてもスキャンダラスです。
主イエスのご生涯も、十字架と復活に至るまで躓きに満ちていました。しかし、不思議なことですが、この神さまのスキャンダラスなご計画の中にこそ、私たちは救いの物語を見いだすのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.284
2020年11月29日
『 予想通りがお好きですか? 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 1章5節~7節 5 ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアという人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトといった。6 二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。7 しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。・・・・・・
クリスマスの出来事は、人知を超えた全く思いがけない形で始まりを告げます。そのことが、ルカによる福音書では、「ザカリアとエリサベトの物語」を通じて明らかにされて行きます。
新約聖書の冒頭に置かれるマタイによる福音書が、アブラハムから始まってダビデを経て、イエス・キリストに至る「系図」から始まっていることは良く知られています。あのマタイの系図は、イエスさまに至るまでの救いの歴史を、とりわけ旧約聖書の出来事を重んじるマタイの視点で描いています。
一方のルカはルカで、旧約の律法に深い関わりのある夫婦を巡る驚きの出来事から物語り始めるのです。
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夫ザカリアはエルサレム神殿で仕えて来た祭司でした。神に最も近いところに身を置くことが出来ていた人です。そして、妻エリサベトは、当時の社会ではおそらく一目置かれていたであろう、アロン家の出身であることが告げられています。
ルカが記す、ザカリアとエリサベトを紹介する言葉は確かな事実でした。そこには、夫妻の長年の悲しみを告げる情報が置かれています。「二人とも神の前に正しい人で、主の掟と定めをすべて守り、非のうちどころがなかった。しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには、子供がなく、二人とも既に年をとっていた。」とあるのです。
彼らは旧約聖書の根底を支える「律法」に忠実に生きて来た「義人」でした。周囲の人たちもそれを認めていましたし、夫妻にも、落度のない真面目さについて、自負があったと思います。
それにもかかわらず、当時の彼らは、神さまの祝福から見放されている、と考えるしかない現実の中に身を置き続けてきました。子どもを授かることを祈っていた過去がありますし、祈ることをやめてしまってから随分時が経過したことも聖書から伝わって来ます。
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ザカリアが、一世一代とも言える特別な職務に仕えていた時に、天使ガブリエルから届けられた、「ヨハネと名付けることまで決められている息子の誕生」の知らせは、信じがたい話でした。そもそも、サドカイ派の一員であった彼の人生には、「天使」が存在してはならないのです。ザカリアの律法に対する誠実さの延長線上には起こり得ないこと。さらに、これまたサドカイ派が認めていない、「聖霊の働き」によって、年をとった妻エリサベトに子供が宿ることも、あり得ない、馬鹿げたことでした。
祭司ザカリアが、預言者イザヤの書55章9節の、「天が地を高く超えているように 私の道は、あなたたちの道を 私の思いは あなたたちの思いを、高く超えている。」というみ言葉を知らないはずがありません。
ところが、聖書に精通していたはずのザカリアがお告げを疑っているのです。「一体何によって、あなたが運んで来たお告げを信じられると言うのですか。証拠がなければ、とても信じることなど出来ません。年取った妻は、〈ばあさん〉以外の何ものでもないのです。」と。これが、神の前に「正しい人・ザカリア」の現実でした。ある意味、ほっとする話ではないでしょうか。
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パウロは、「義人はいない、一人もいない。」(ローマ書3章10節)と言いました。実に、「福音=よき訪れ」は、思いも寄らぬ仕方でやって来るのです。
その福音は、私たちに様々な変化を促します。「悔い改め」という変化も、渋々ではなく喜びの中で起こります。「石女(うまずめ)」という恥を伴う自覚を持っていた妻エリサベトも、福音によって、自由にされたのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.283
2020年11月22日
『 かたくなで 頑迷な人よ 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 9章33節~35節 33モーセは、ファラオのもとから退出し町を出ると、両手を広げて主に祈った。すると、雷も雹もやみ、大地に注ぐ雨もやんだ。34 ファラオは、雨も雹も雷もやんだのを見て、またもや過ちを重ね、彼も彼の家臣も心を頑迷にした。35 ファラオの心はかたくなになり、イスラエルの人々を去らせなかった。主がモーセを通して仰せになったとおりである。
プロ野球選手であれ、大相撲の横綱であれ、あるいは大統領でも、引き際は難しいのだな、と最近思うことがあります。凡人の私たち。「格好のよい生き方をしたい」とまでは思わなくとも、「往生際が悪い生き方」だけは避けたいなと、どこかで感じているものです。
ある国語辞典は、「往生際が悪い」ことについて、「悪いことをして追いつめられた時、その非を素直に認めようとしない。いさぎよく罪に服さない。」と解説します。
『出エジプト記』には、エジプトの王ファラオという人物の「往生際の悪い姿」が綿々と描かれています。ファラオは、神の民イスラエルを自分の思うままに奴隷として酷使し続けて来ました。底意地の悪さも並大抵ではないのですが、それでもファラオは、当時のエジプトでは神に等しい存在でした。
ところが、そんなファラオが、モーセとアロンの二人と向き合う中で、ある重要なことに気付くのです。それは、血の災い、蛙の災い、ぶよの災い、あぶの災いを引き起こした、主という名の神の存在でした。ファラオは、あぶの災いが襲いかかった時、恐れを露わにし、「わしのためにもお前たちの神に祈願してくれ」と頼み込む程でした。
しかし、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうファラオは、その舌の根も乾かぬうちに、心をかたくなにします。
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その後も、疫病の災い、腫れ物の災いが起こります。もはや打つ手がないことを悟ったファラオに対して、神さまは、さらに厳しい裁きを下されました。それが、「ひょうと雷と稲妻の災い」です。
その災いは、側近たちが、「王さま、エジプトが滅びてもよいのですか、どうか、お目をお覚まし下さい」と進言せずには居れないほどに、国中が荒れ果て、人の心も暮らしも著しく脅かされ始める状況を引き起こす力がありました。
ファラオは自分の非を素直に認めることが出来ない人でした。これまでの自分に固執します。自らが築き上げた体制や秩序が激しく揺さぶられ、崩れ始めているにもかかわらず、目が覚めないのです。
ここにいる人間ファラオは、モーセとアロンを通じて知らされる主の言葉や、主が起こされる災いを通じての出来事を目の前にしながら、意地を張り続け、態度を変えられません。
否、彼は幾度か変えたかに見える言葉を口にするのですが、喉元過ぎれば熱さを忘れる行動を続けます。「本当に馬鹿な王だ」と、私たちは思うのです。
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ここで私たちが心に留めたいのは、ファラオは自分と無関係の他人ではない、という点です。ファラオの頑迷さを聖書が描写し続けるのは、それ程までしないと分からないのが人間だからです。
大昔に、イスラエルの民が、ヒドイことをし続けたエジプト王に苦しめられたことを、歴史として学ぶための「お話」ではない。聖書は〈わが身を映し出す鏡〉なのです。
その聖書が、一貫して告げる神は、「ゆるし」のお方であると同時に、もう一つの側面をもちます。それは、「創造」の力をもつお方であるということです。出エジプト記9章の出来事には、その両面が垣間みえます。
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その主なる神さまの恵みにあずかるにはどうすればよいか。
道は一つ。主の言葉を信じ、受け入れ、従い始めることです。迷いも生じ、失敗もするでしょう。恥もかくはずです。
しかし、それでもなお、主のみ言葉に信頼して愚直に歩み続ける中で、いつしか、天地万有の造り主の愛が、私たちの傷口や破れ口に染みこんでくることを知るのです。
私は、使徒パウロの、「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」(第二コリント書5章18節)を思い起こします。end
《 み言葉 余滴 》 NO.282
2020年11月15日
『 アテネにて パウロの奮闘 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 17章23節~25節 23・・・それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。24 世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。25 また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。
アテネに入ったパウロ。彼は第二回の伝道旅行で、元々アテネに来たかったのかというと、どうも違うようです。
ギリシア第二の都市・テサロニケでのパウロの目覚ましい働きや教えに妬みを抱いたユダヤ人たちが、次の伝道の地ベレアまで押しかけてきてしまった。そういう事態に至り、身の危険を感じたパウロは、やむを得ず付き添いの人たちに導かれてアテネに入ったというのが実情です。シラスとテモテをアテネで待っていたのです。
この頃のパウロは次のような思いを既に固めていたはずです。
「自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスから頂いた神の恵みの福音を力強く証しする任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思わない」(使徒言行録20章24節)。
伝道することが彼の人生そのものでした。
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当時のアテネは世界の政治的な中心地でだったローマと違って、紀元前5世紀頃に活躍した哲学者・アリストテレスやプラトンといった人々によって広く知られていました。アテネには人口よりも数多くの偶像が町中に立っていたと言われます。
これは裏を返せば、人生の様々な経験に基づかない、頭の中だけの哲学による議論だけでは救いの確信というものを得ることができなかった、ということです。彼らはいつも不安だったのです。
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程なくパウロは、こんなアテネの人々の様子に憤りを感じるようになります。黙っていることができなくなるのです。パウロは初め、アゴラと呼ばれる広場で論議をしましたが、やがて、「アレオパゴスの丘」で説教を始めました。
アテネの人々は、「もしも自分たちがうっかり拝むことを忘れている神さまがあったらいけない」と考え、至るところに「知られざる神に捧げる」という碑を造っていました。まだ、自分たちが知らない神さまに失礼をして、バチが当たったりすることの無いように、と考えていたのです。
パウロの説教はアテネの人々の想像を超えたものでした。天地創造の神は、「人の手によって作り出される、金や銀や石による像とは全く異なる」ものであることを、心を込めて語るところから始まりました。
そして、主イエス・キリストを通じて示される神は、決して遠くに居られる神ではなく、探し求める者に必ず与えられることを明確に示したのです。
最終的に、パウロの説教がキリスト教の真髄ともいうべき〈復活〉に話が進んだ時、人々はパウロをあざ笑い始めました。「次の機会はもういらないよ」という意味がある、「いずれまた聞かせてもらおう」という言葉を口にして去って行ったのです。
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パウロのアテネ伝道は失敗に終わったのでしょうか。そうは思えないのです。
アテネでのパウロの働きを告げる使徒言行録17章の最後、34節にこうあります。「しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた。その中にはアレオパゴスの議員ディオニシオ、またダマリスという婦人やその他の人々もいた。」と。ここに私は、慰めと励ましを見いだします。
主イエスが歩まれた道を思い起こしましょう。イエスさまが大切にされたのは、突き詰めていうならば、一人の人との出会いでした。パウロはアテネで、そのような経験しているのです。
「ディオニシオ」「ダマリス」たちの存在は、その後のパウロの伝道の底力となった人たちではないか。「神のなさることはみなその時に適(かな)って美しい」。
そのことを思わずには居れません。end
《 み言葉 余滴 》
NO.281
2020年11月8日
『 洗礼者ヨハネとイエスによって
』
牧師 森
言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マタイによる福音書 3章1節~2節 1
そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、2 「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。
洗礼者ヨハネという人とイエスさまには似たところがあります。
二人の共通点の一つ目は、ヨハネとイエスは「聖霊」
ところが、洗礼者ヨハネの方は、うっかりすると、
ヨハネは、マタイ・マルコ・ルカ・
**************
ヨハネの母はエリサベトですが、
にも関わらず、彼は母エリサベトを通して生まれて来ます。
洗礼者ヨハネは、
ルカは1章76節以下でヨハネについてこう記します。
「幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。
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もう一つ、洗礼者ヨハネとイエスさまに共通することがあります。
二人がその時代の人々に、
イエスさまはどうだったのかと言えば、サタンの誘惑を退けた後、
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しかし、二人には明確な違いもあるのです。
洗礼者ヨハネはまるで修行僧が荒行をするかのような厳しさをもっ
一方のイエスさまは、
その中で、「悔い改めよ。天の国は近づいた」
大丈夫です。「悔い改めを生きる者」
《 み言葉 余滴 》 NO.280
2020年11月1日
『 わたしが私であるために 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 18章9節~10節 9 自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。10 「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。
たとえ話を通じて教えられるイエスさまが居られます。けれども、たとえ話と言いながら、たとえ話のように感じない程に現実味のある二人の人の神殿での祈りの姿が語られます。ひとりはファリサイ派の人でした。ちなみにファリサイ派は、旧約聖書を読んでもその姿は見当たりません。
聖書にサドカイ派と呼ばれる人が出て来ますが、彼らがエルサレム神殿を中心とすると特別な階級の人たちによって構成されていたのに比べると、ファリサイ派の人たちは庶民の中に暮らす人たちでした。福音書にはしばしばその姿が見えますが、使徒言行録以外では、ほぼその姿は描かれていません。
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例外が一箇所あります。イエスさまとの劇的な出会いを経て回心し、クリスチャンになった使徒パウロ。彼はファリサイ派の一員でした。彼は一度だけファリサイ派という言葉を使って自分自身を紹介しています。
フィリピの信徒への手紙の3章5節以下にこうあるのです。「私は生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。」と。
このパウロに通じる鼻持ちならない所がある様子が伝わってくるのが、イエスさまがたとえ話で語られたファリサイ派の人の神殿での祈りです。この人は神さまの前に立つ時、自信に満ちていますが、毒があります。
彼はこう祈りました。「神様、私はほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。」と。ファリサイ派の人たちは基本的には真面目な人たちなのです。しかし残念なことが、この祈りの中で浮かび上がって来ます。それは何かと言えば、人との比較の中で自分自身を確かめていることです。
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清水恵三先生という方が居られました。かつて旭東教会の祈祷会で学びましたが、この箇所についてとても興味深いことを記しています。先ずファリサイ派の人について語ります。私なりに少し表現を変えて記します。
「少なくともいい気になって、ファリサイ派の人を自分とは似ても似つかない他人であるような言い方はできない。礼拝厳守、生活を正しく、聖書を読み祈ろう。献金をし、奉仕をする。これは他人事では無い。もしもこのような人が私たちの教会にいたら、即座に役員選挙で、役員に選ぶに違いない。キリスト者は、必然的に、ファリサイ派となる危険をもっているのです」と。
ところが、清水先生は鋭い視点で続けられます。神殿の内側に一歩を踏みだすことをせず、遠くに立ったまま、目を天に上げようともしないで、胸を打ちながら『神様、罪人の私を憐れんでください。』と祈った徴税人の祈りを、即座に、我々の祈りにすることについてもこう警告を発しておられるのです。
「たしかに私たちの祈りも、このような徴税人のような祈りとなることを心の底で知っています。しかし、私たちが倣ってもよい祈りであるかどうかは別で簡単には言えません。謙遜なる傲慢、というものがあるからです」と。
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イエスさまのたとえ話。たとえ話のようでいて、たとえ話ではありません。ここに居る二人ともが私たちです。そして、ここに語られない私であることもあります。力を抜いて、身を置くことから始めましょう。end
《 み言葉 余滴 》 NO.279
2020年10月25日
『 神さまもきっと 大変です 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記8章14節~15節
14 魔術師も秘術を用いて同じように蚋(ぶよ)を出そうとしたが、できなかった。蚋(ぶよ)が人と家畜を襲ったので、15 魔術師はファラオに、「これは神の指の働きでございます」と言ったが、ファラオの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞かなかった。主が仰せになったとおりである。
漢字というものは不思議な面白さをもっています。「虫」に「工」という字を合わせると「虹」。それから「虫」に「見」を合わせると「蜆」。こちらは島根県の宍道湖(しんじこ)でとれるあれ、と申し上げると思い出すでしょう。「しじみ」です。どちらも〈虫〉ではないのに「虫へん」が使われます。
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ところで、出エジプト記には神さまがエジプト王ファラオに下される〈10の災い〉が連続します。8章にはその内2、3、4つ目の災いが連続して描かれており、いずれにも「虫へん」が使われるのです。「蛙」「蚋」「虻」ですが、皆さんはもうルビなしで読むことが出来るでしょう。「かえる」「ぶよ」、そして「あぶ」でした。
ちなみに10章の8番目の災いにも「虫へん」が使われます。佃煮にすることが出来る、ほら「蝗」です。読み方は、半世紀近く続くヒーロー・仮面ライダーのモチーフとも言われる「いなご」です。
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モーセとアロンという二人のリーダーは、一体何のため、なにゆえに、10もの災いを起こされる神さまに用いられて奮闘し始めているのか。少し遠目から考えてみましょう。
数ヶ月前、聖歌隊が賛美した讃美歌186番の「エジプトのイスラエルに」。歌詞のしょっぱなにこうあります。あの賛美歌の歌詞を思い起こすことは、出エジプト記の10の災いの出来事を考える上でも役に立ちます。以下、声に出して歌うことができますでしょうか。
エジプトのイスラエルに解放を! 苦しむわが民を解き放て!
行け、モーセ、告げよ、ファラオに。わが民を 解き放て!
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神の民イスラエルを苦しめるファラオ。ヤツは確かに非道な王であり悪人ですし、わがままの塊(かたまり)です。
しかし我々は、ファラオに対してくだされる様々な裁きは、一体何の力からの解放のためであるのか、という点を見極めておきたいのです。そうでなければ、出エジプト記でしばらく続く「災い」が、絵本の中の単なる不気味な出来事で終わってしまいます。
ファラオという存在、ファラオを通して振り下ろされる力。そして、ファラオという、じわりじわりと人間を苦しめる悪は、私たち人間を自由にさせない空恐ろしい力、そして罪の象徴に他なりません。
10の連続する災いをもってして、神さまがそのようなファラオに臨まれるのには理由があるのです。それ程までに、人間を不自由にし、がんじがらめにする力との戦いを、神さまご自身がなさる必要があるのです
。今日(こんにち)の私たちに当てはめて考えるために言い換えてみます。
我々の暮らしの中には、変えることの出来ない過去の失敗や心ない噂話によって、レッテル貼りによって、病によって、学歴や仕事、あるいは、親が発した理不尽な言葉によって苦しむ現実があるのです。
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奴隷状態に置かれているエジプトからの脱出を、自力でなすことが出来ない民のために、神さまは出動されました。ファラオはしつこいのです。ファラオの気持ちは気まぐれで、直ぐに考えが変わります。
まだ続くの?また同じことが?というような戦いです。神さまはそのような悪と戦わなければならない。
出エジプト記8章の虻(あぶ)の災いの場面では、「贖(あがな)う」という聖書全体を読む上での鍵となる語が出て来ます。「贖(あがな)う」とは「救う」ということですが、本当に出エジプト記だけで解決するのか、というと否なのです。
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「道であり真理であり命である」主イエス・キリストこそが、全ての縄目からの解放を下さるお方です。愛はさいごまで決して見捨てません。end
《 み言葉 余滴 》 NO.278
2020年10月18日
『 愛ゆえの〈非常識宣言〉』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マルコによる福音書 2章3節~5節 3 四人の男が中風の人を運んで来た。4 しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。5 イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。
主イエスがこの世にお出でになり、なそうとされたこと。そして、人びとに求められたことは何でしょうか。
今日のみ言葉は、16章まであるマルコ福音書が始まってから間もない2章の冒頭にありますが、「中風の人のいやし」の小見出しが付けられているこの場面を読み直してみると気付くことがあります。それは、直前までに連続して記されている「いやし」の出来事とは、明らかに位置づけが異なるということです。
私は、マルコ福音書が伝えようとしたことは、端的に申し上げるならば二つあると思います。それが1章で明らかにされた上で、本論に入るのがここでの出来事なのです。
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先ず、ひとつ目は、福音書の冒頭の1章1節において、福音書記者のマルコが記したことです。「神の子イエス・キリストの福音の初め。」とあります。
これは、私は「イエスというお方が〈キリスト〉であることを自分はキチッと書き始めますから、この福音書に触れるあなた方も、そのつもりでしっかり、覚悟をもって読み始めて下さい。読み進めるうちに忘れてしまわないようにお願いしますよ」という意味をもつ言葉だと受けとめています。
何が肝であるのかと言えば、イエスさまは偉人とか奇跡を行うお方などではない、という点です。あくまでも、〈キリスト〉=〈救い主〉なのです。
二つ目は、イエスさまの宣教の第一声がなんであったのかという点です。1章15節にこうあります。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」。
これが開口一番のイエスさまのお言葉だとマルコは伝えている。これら二つのことを心にとめながら、「中風の人いやし」の場面を読む時に浮かび上がって来る一本の道があります。それは、次のことです。
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ガリラヤ湖畔の町・カファルナウムでのことでした。外に人が溢れるほどに家が混み合う状態の中、イエスさまはみ言葉を語っておられました。
そこに、重い病で苦しんでいる人を、何としてもイエスさまの前に運んで行っていやして頂こう。そう考えて、病人を担架に乗せて運んで来て、あろうことか、他人の家の屋根を壊してまでして病人を合わせようとした四人をご覧になった時、イエスさまが見いだし、宣言されたものがあったのです。
「子よ、あなたの病はいやされる」ではなく、「子よ、あなたの罪はゆるされる」というものでした。
救い主であるイエスは、人間の病の奥底に秘められている罪、さらには、世がその人を罪に縛り付けている状態を見過ごしにはなさいません。
この宣言によって、ご自分が何者であるのかを暗に語っておられるのです。「私は医者ではない。救い主なのだ」ということをです。
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同時に、キリストであるイエスさまは、「悔い改めの歩み」を、いやしを受けた病人、運んで来た四人の人たち、居合わせた全ての人にも求められたのです。
イエスの「悔い改め」とは、当時の社会で当たり前に考えられていた、律法を完全に実行する仕方とは全く目指す方向が異なるものでした。それが、「イエスのことば=出来事を信じる」という仕方なのです。
善行や功徳を積むというのとは違います。息の長い方向転換が迫られます。
これは愛ゆえの危険な宣言でした。なぜなら、当時の社会で当たり前だと考えられていた主流の人々の常識を打ち破るものだったからです。
静かに思い巡らしてみましょう。主イエスはここでの宣言を無責任になさったのではありません。強い覚悟のある宣言と行動でした。すなわち、十字架の上での死を見すえてのことだったのです。もう既に、時は満ちておりました。end
《 み言葉 余滴 》 NO.277
2020年10月11日
『 ベタニア村のマリアの〈放蕩〉』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 11章1節~3節 1 ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。2 このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。3 姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。・・・・・・ 5 イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。
恥ずかしい話を最初にしておきます。
わたくし、ヨハネによる福音書が紹介する〈ベタニア村のマリア〉の大切さを、伝道者になってから随分たちますのにわかっていませんでした。福音書記者ヨハネが描こうとする〈ベタニア村のマリア〉についてあまりに不勉強だった。
新約聖書には少なくとも6人のマリアが登場します。中でも、〈イエスの母マリア〉と〈マグダラのマリア〉は、国語辞典でもふつうに紹介されているのです。
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言いわけのようなことを、もう少し続けさせてください。
いつ、どんなふうに私の心と頭に刻み込んだのか、もはやさかのぼることはできないのですが、ヨハネによる福音書の11章から12章の始めの方にかけて描かれるのは、「ラザロの物語」だと決めつけていました
。誰に教えてもらったのか、何かの文字が目にとまった記憶があるのか。過去にインプットした情報が邪魔してしまうのです。「あの人は○○をした人間です」と一度聞くと、それがよい事であろうと、悪い事であろうと、頭をよぎってしまうのにどこか似ています。
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重い病に倒れたラザロは、手のほどこしようもなく死んでしまいます。ラザロをめぐる話は刻々と進みますが、やがて彼は、主にある奇跡の復活を遂げるのです。
しかし、ここにあるのはラザロだけの物語ではない。もっと大きな視点で聖書を読む必要があることにようやく気付きました。
結論を申し上げるなら、イエスの十字架の死と復活という、神の栄光=神の救いのみ業を見るために、我々の目から鱗を落とすための出来事をヨハネは記すのです。
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ヨハネによる福音書は〈ベタニア村のマリア〉を何と言って紹介していたでしょう。
確かに、ラザロの姉妹であると言いますが、「このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である」という情報の方が大きいのです。
とは言え、〈ベタニア村のマリア〉がイエスさまの足もとにひざまづき、香油を注ぐのは11章ではなく、ラザロの復活後しばらくたってからです。
ようやく12章4節で「その時、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足を拭った。家は香油の香りでいっぱいになった。」とあるのです。
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12弟子のひとりで、後に、イエスさまのことを当局側に引き渡すイスカリオテのユダは、これ見よがしに「高価な香油の使い方は、他にもあっただろうに!無駄なことをして」とつぶやきます。
するとイエスさまは、「マリアのするままにさせておきなさい。私の埋葬の日のために、それを取っておいたのだ。」とおっしゃった。
つまり、「マリアのしてくれたことは無駄なんかではない。むしろ、永遠に記憶されるべきことである」と言われたのです。
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このマリアが成熟した人だとは申しません。
弟のラザロを葬り、悲嘆に暮れるマリアは、イエスさまの姿を見るなり足元にひれ伏して言います。
「主よ、もしここにいてくださいましたら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」と。これは、明らかに「もっと早く来て下されば」というつぶやきであり不満なのです。そして、このあとのマリアは、ただ泣くばかりでした。
彼女に足りないものを、姉のマルタや弟のラザロに散見するのです。
でも、肝心なのはそのマリアに対して主イエスは共感し、心震わせられたことです。
愛しておられる。主に愛されていることを知った人はなぜか浪費ができます。全てを注ぎ出す聖なる浪費のふたを、一度は開けてみましょう。end
《 み言葉 余滴 》 NO.276
2020年10月4日
『〈テサロニケ〉でのパウロ 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 17章1節~3節 1 パウロとシラスは、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケに着いた。ここにはユダヤ人の会堂があった。2 パウロはいつものように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、3 「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。
パウロの宣教旅行は海を越えてアジアからヨーロッパに入って来ました。
最初の伝道の地はローマの植民都市「フィリピ」でした。パウロにとってのフィリピは紫布商人の婦人リディアとの出会いや牢獄からの実に不思議な形での解放の経験などもあり、忘れ難いものであったはずです。
次に足を踏み入れたのが「テサロニケ」です。フィリピで一緒に投獄されたシラスや、年若いテモテと共にやって来たテサロニケは、女王のような美しい港町で華やかさがありました。
小型のローマを目指したフィリピとは異なる空気に包まれていて交易も盛んでした。特に、テサロニケはギリシア文明の影響を受けた明るい雰囲気に包まれた町だったようです。
人の多く集まるところでの都市型伝道を志していたパウロにとって、おそらく、福音伝道のやり甲斐を大いに感じる町。それがテサロニケだったと私は想像しています。
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フィリピにはユダヤ教徒の会堂はありませんでしたから、パウロは町の中心地を流れる川岸に出掛けて伝道していました。しかしテサロニケには、ユダヤ人たちが安息日になると集まって来る会堂がありました。
パウロにとってこれは好都合。向き合いやすいと感じる町だったはずです。なぜなら、パウロ自身が精通している「聖書」を土台にして自分の土俵で説教を展開させることが出来るからです。
もちろん当時の「聖書」とは、我々が言うところの「旧約聖書」のことです。パウロは余裕をもって語り始めたことでしょう。パウロがテサロニケを訪ねたのは西暦49年頃のことです。マルコによる福音書が完成するのは、それから20年程後のことになります。
パウロが記した手紙が新約聖書には幾つも納められていますが、「テサロニケの信徒への手紙の第一」は、50年代の前半、第二回宣教旅行の途上、このあと訪ねるアテネの隣町の「コリント」に2年近く滞在していた時に記された、というのが定説です。
ですから、この時の「テサロニケ」での伝道は、この先の宣教者パウロに大いに影響を与えていることがわかります。
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テサロニケのユダヤ教徒の会堂に居た人たちの中で、決して少なくない主(おも)だった婦人たちが洗礼を受けたようです。
ある英語の聖書では(*The English Standard Version)「not a few of the leading women(*リーディング ウーマン)」とあります。
「リーディング ウーマン(*leading women)」とは〈リーダーシップを発揮できる女性たち〉のことです。
この場面での中心的な事柄ではないかも知れませんが、初期キリスト教の世界にあって、女性たちの存在がここでも大きな意味をもっていることに気付きます。
「フィリピでのリディア」しかり、全ての福音書の中でイエスさまの十字架と復活の場面に登場する「マグダラのマリア」をはじめとする女性たちもそうです。
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私は時々、「福音は金太郎飴」だとお話しています。
パウロがテサロニケで語ったことも決して物珍しいことだったわけではないのです。旧約聖書において一貫して指し示されているのは受難のメシアであり、それはひと言にすると、「イエスこそがキリストである」というメッセージでした。
使徒言行録8章の終わりに登場するエチオピアの宦官(かんがん)。彼はエルサレムからの帰り道、フィリポの助けによってイザヤ書の説き明かしを受け、すとんと腑に落ちて受洗します。
聖霊降臨(*ペンテコステ)を経験したペトロも、説教の度(たび)に旧約にさかのぼってキリストを語ります。
伝道者はいつも同じ話しか出来ないのではなく、福音は金太郎飴のように、どこを切っても同じ顔をしているのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.275
2020年9月27日
『 ノアの箱舟から出エジプトを学ぶ 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 7章6節~10節
6 モーセとアロンは主が命じられたとおりに行った。7 ファラオに語ったとき、モーセは八十歳、アロンは八十三歳であった。・・・10 モーセとアロンはファラオのもとに行き、主の命じられたとおりに行った。
皆さんは創世記6章から9章にかけて描かれている「ノアの箱舟」の話をご存じでしょうか。そこでは一度読んだら忘れられない程、スケールの大きな物語が展開します。
神さまは、ご自身が創造された人間が、世に在ってあまりに悪いことばかりしている様子をご覧になって言われます。
「私は人間を造ったことを後悔する」と。「堕落と不法」が世に満ちている状態を、神さまは放っておくことができなくなります。そして、神さまは、「天の深淵の源を破り、窓を開き、大洪水を起こす」という決断をされたのです。
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40日40夜降り続ける雨により、造られた全てのものが大水に飲み込まれ拭い去られることになります。言われたとおりの洪水が起こるのです。
神さまは洪水を起こされる直前、世の滅びから免れる道を示すべく、一人の人に語りかけました。
それが「ノア」でした。ノアに神さまが命じられたのは「あなたは箱舟を造りなさい」というものでした。そして、「その箱舟が完成したならば、家族と共に箱舟に入り、生き延びよ」と言われたのです。
洪水が起こったのはノアが六百歳の時でした。ゼロを一つ取ると何か実感がわいてきますが、これはノアが十分に分別のつく年齢だったということです。
彼はひと言も口を開くことなく、命じられた通りのことをコツコツと続けました。脇目も振らず、少しの妥協もせず、周囲から聞こえて来ていたであろう、馬鹿にする声にも惑わされず、命じられた通りに箱舟を造り上げるのです。
ノアは「神に従う無垢な人」として登場しますが、同時に、「ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした」人だと記録されています。
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エジプトのリーダー「モーセ」は、ここまで紹介してきた「ノア」に、似ているところがあります。
それは、それぞれの時代に生きていた二人が、共にかなり歳をとっていた、ということです。ノアもモーセも、損得勘定のわかる年代に入っていますし、世の知恵というべきものも身につけていたはずなのです。
しかし、彼らがとった行動は、「主が命じられたとおりに行った」ということだけでした。出エジプト記では7章では、6節、10節、20節の3度、モーセとアロンが「神さまに命じられたとおりに行った人」だと紹介されています。
果たして、ノアとモーセに共通するこの事実は偶然の一致でしょうか。否です。違うのです。
聖書は単純で素朴なことを私たちに告げています。愚直に、馬鹿になって、「主のお言葉に従い続けてごらんなさい」と。
モーセは、ファラオに代表されるこの世の力の恐ろしさも、巧みさも知っていたのです。しかし、モーセはアロンと共に一つの道を生きる決心をしました。
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の先、モーセとアロン、そして同胞イスラエルが、目の前で見続けることになる〈ファラオに対する十の災いと紅海の脱出〉は、創世記6章の〈裁きとしての大洪水〉と深い所で一致する出来事であり、本質的には同じものです。主の裁きがこの世の力の代表のファラオにくだされる。
モーセとアロンは、「主の命じられた言葉の通りに」生きようとする人であることを学びましたが、面白いことに、彼らは皆、人生の途上で、極めて〈ざんねんな行動〉をとってしまう時があるのです。
神さまはそれも全てご承知の上で彼らをリーダーとしてお立てになり、約束の地への旅を始めようとされます。晩年のノアも、酩酊の末に裸をさらした人でありました。聖書はわざわざ、そのことを記している。
だから、私たちも、安心して恥をさらしながら、主のお言葉に従って行く者になるのです。神さま、感謝いたします。end
《 み言葉 余滴 》 NO.274
2020年9月20日
『〈実印〉をくださる神』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 6章2節~8節(途中・略) 2 神はモーセに仰せになった。「私は主である。3 私は、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主という私の名を知らせなかった。・・・・・・・・・8 私は主である。」
エジプト王ファラオの元で奴隷として苦しんでいた同胞イスラエルを救い出すために神さまがお立てになった人が「モーセ」でした。モーセが神さまのお声を聞いたのは80歳の時です。
そこから40年間にわたって、兄アロンの助けを借りながら、モーセはリーダーとして荒野の旅路の先頭に立って仕え始めるのです。しかし、エジプトからの脱出は簡単には始まりません。そもそもモーセは、成熟した信仰を持つ人ではありません。彼は、あれやこれやと理由を付けては神さまの召しを拒み逃げようとした人です。
エジプト王として世界に君臨しようとしていたファラオの前で、モーセは勇気を振り絞って神さまが命じられた通りに行動を起こしたのですが、直ぐに良い結果が出たわけではありません。
むしろ、ファラオが腹立ち紛れにとった政策により、同胞イスラエルの民は、ますます苦しい思いをし始めました。
イスラエルの民は腹を立て、落胆します。長年の奴隷状態からの脱出への期待が大きかっただけに、モーセとアロンは、同胞からの恨(うら)みを買うのです。
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モーセはモーセで、持っていきようのない気持ちを神さまにぶちまけます。それは、つぶやきを伴う〈祈り〉でした。
「私を遣わされたのは、一体なぜですか。あなたは何もしてくれないじゃないですか」と。
その時、神さまがお応え下さったのです。
しかも、神さまは〈実印〉を持ってきて約束を語り始められました。もちろん、神さまが本当に印鑑をもって顕れたわけではありません。しかし、〈実印〉と同じ効力を持つお言葉をモーセに聴かせるのです。
それが「私は主である」というお言葉でした。
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出エジプト記6章冒頭の神さまの言葉は、その「私は主である」という言葉を、初めと終わりに使い、サンドイッチのようにして挟んでいます。
「私は主である」というお言葉は、聖書全体でも限られた場所でしか使われません。とりわけ、この箇所では、神さまがどのようなお心を持って行動されるのかについて注意喚起するために、初めに〈実印〉、終わりにも〈実印〉を押して、モーセに対して固い約束を示されたのです。
さらに、「全能の神」という滅多に使われない言葉が初めに添えられる念の入れようでした。
神さまの性質を表される言葉は、「契約」「思い起こす」「導き出す」「救い出す」「腕を伸ばす」「贖う(あがなう)」「あなたたちの神」「導き入れる」「地を与える」などの連続によって示されます。
それを支えにして、モーセは勇気を出して語ろうと努力したのです。
しかし、恥の多い自分の過去を見つめるにつけ、彼は自分の語る言葉に確信が持てなくなります。それが6章後半で繰り返される、「私の唇には割礼がない」という言葉で表現されていたのです。
**************
神さまがお示しになる〈究極の実印〉とは何でしょうか。
それは、神の独り子として世に遣わされた、主イエス・キリストに他なりません。神さまはモーセを召し出す時、「私はおる、私はおる」と言われました。
私の理解では、「これまでもあなたと共に在り、今も共に在り、これからもあなたと共に在る者だ」という意味を持ちます。
やがて、新約において、主イエス・キリストによって、「インマヌエル=神われらと共に」という「ことば」に置き換えられ、〈神の実印〉として有効になったのです。
〈ぴょん〉と飛んでみない限り信仰を生きる道は見えません。モーセはいつの間にか〈ぴょん〉をした人です。
だから、約束の地への扉が開かれました。end
《 み言葉 余滴 》 NO.273
2020年9月13日
『おばあちゃん 何になりたい? 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 2章28節~29節 28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからです。
広告会社の製作者たちにとって、ラジオ広告は腕の見せ所が色々とあるそうです。確かに、30秒程で人の心を掴(つか)み取る世界は、なかなか奥深いものです。
私は、歯に衣着(きぬきせ)せぬ所のある大阪のABCラジオを好んで聴いていて、ある時間になるとCMに声を重ねて楽しむことがあります。実は、耳にする度(たび)にほんわかした気分になり、深い!と感心するCMがあります。
京都銀行・川柳劇場「おばあちゃん篇」です。落ち着いた声の男性が、ゆーっくりと、「おばあちゃん 何になりたい 孫がきく」というのです。
「おばあちゃん」が幼子に、「あなたは大きくなったら何になるかなぁ?」と聞くのではありません。逆です。
もしも私たちが、小さな子どもに「おばあちゃん、おじいちゃん 何になりたいの?」と尋ねられたどうでしょう。
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毎日新聞の「人生相談」は小さなスペースですが面白い欄だと思い、いつも楽しみにしています。
回答者の一人に、作家の高橋源一郎さんが居られます。高橋さんは、かつては競馬評論家もなさったり、ラジオのパーソナリティをしたり、結婚も五度なさって、人生経験豊富?な方です。少し前までは、キリスト教主義の明治学院大学で教授もされていました。
ある日、「なりたい職業のない高校1年生の娘のことで悩んでいます」という50代・女性からの相談がありました。
その答えを記された高橋さん。最終的にこう応えられたのです。「あなたは、今「なりたい」何かになっていますか。娘の心配をしている場合ではありませんよ。子どもに見せることの出来る生き方をしていますか?」と。
他人事(ひとごと)ではありません。それぞれに歳を重ねて来ている私たちは、果たして今、いずれ、全ての人に平等に訪れる死の時を念頭に置きながら、「こんな風にして死んで行きたい」という確かな希望、道程(みちのり)、明確な目標地点を思い描きながら生きているでしょうか。
これは、死の間際だけの問題ではありません。そこまでの生き方、志(こころざし)のありよう、一歩一歩が問われているのです。
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旭東教会では、礼拝の初めに『こどもさんびか 120番』を歌います。「主イェスの道を歩こうまっすぐに」と言うと思い出される方も多くなったかと思います。
あの賛美歌の後半の歌詞をご記憶でしょうか。こう書かれているのです。
「主イェスは 道です 真理です 命です。命の道を 歩こう 終わりまで」なのです。
私たちは何げなく声を合わせていますが、この歌詞の「終わりまで」とは、どんな「終わり」のことを言っているのでしょう。どうやら、こども向けの賛美歌だと決めつけてしまうのは間違いのようです。
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イエスさまはお生まれになってから間もなく、両親に抱きかかえられてエルサレム神殿に運ばれて来ます。
そこには〈シメオン〉という老人がおりました。シメオンは幼子イエスを、力の弱くなった腕から間違っても落としてしまうことのないように、しっかりと抱きしめます。そして、彼は歌い、祈るのです。
「今私は、確かに救い主を抱きしめました。これで安心して死ぬことが出来ます。イスラエルのために、万民のために、異邦人のために祈り続けて来ましたが、もう、いつでもどうぞお召し下さい」と。
シメオンの人生の終わりの目標はここにある。彼の人生は自己実現のためではありません。
人のため、即ちここでは、「イスラエル・万民・異邦人」のために待ち続けた彼は、今ここで本当になりたい自分に到達したのです。
神さまは彼を顧(かえり)みました。我々もみ言葉を抱きしめてシメオンになります。end
《 み言葉 余滴 》 NO.272
2020年9月6日
『 フィリピの牢獄にて 神さまの答え 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 16章25節~26節 真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。
アジアから今日(こんにち)のヨーロッパに渡ったパウロとシラスは、ローマ帝国の影響下にあった植民都市・フィリピで牢獄に放り込まれます。パウロはこの時の投獄も含め、伝道の生涯において幾度も牢屋に繋がれる人です。
使徒言行録20章22節以下には、こんな言葉が記録されています。
「そして今、私は、"霊"に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。ただ、投獄と苦難とが私を待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。」。
これが最後の伝道旅行を終えようとしていた頃に、パウロが実感していた思いでした。しかも、パウロはさらにこう続けたのです。
それは、〈もはや、恐れるものは何も無し〉と達観している言葉です。
「しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。」と。
実は、私はこのパウロの言葉を、献身の志(こころざし)を固め、神学校への入学を志願した頃、胸に刻み込んでいました。
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フィリピでの投獄の切っ掛けは、「悪霊に取り憑かれていた女奴隷の占い師」でした。女はパウロたちについて来て、「この人たちは神のお使いだよ。あんたたちに、どうしたら罪がゆるされるか、教えてくれるんだよ」と叫び続けます。
パウロによって悪霊を追い出された女は正気を取り戻しますが、女を通じて甘い汁を吸い続けてきた主人たちは、懐(ふところ)に金が転がり込むあてを失い、激怒します。
主人たちは、日頃から賄賂を贈って取り込んでいたのであろうフィリピの高官に、「このユダヤ人たちは、ローマの法律に反することばかり教えています」と訴えたのです。その結果、二人は何の取り調べも受けないまま裸にされ、鞭打たれ、牢獄に繋がれるのです。
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真夜中頃、パウロとシラスが牢屋の中で始めたことがあります。彼らは主に祈りを捧げ、賛美歌を歌い続けたのです。二人は、小声でただ祈ったのではありません。「イエスのみ名」を賛美したのです。
彼らの歌声は、牢に入れられていた全ての囚人たちの心に染み入りました。
そして、彼らの賛美を聴いて下さる神さまは、実に不思議な形で行動を起こされたのです。
この賛美の後から起こることは、〈これぞ、神のみ業です〉としか表現出来ないことの連続でした。主イエスが十字架の死を遂げられた時にも神殿の垂れ幕が裂け、大地震(おおじしん)が起こりましたが、フィリピの牢獄でも大地震が起こり、牢に入れられていた者たちの全ての鎖が解けたのです。
脱獄をゆるしてしまった、と直感した生真面目な看守は自害を決意しました。
ところが彼は、パウロとシラスに主イエスの救いの道を教えられ、それを信じ、家族と共に洗礼を受けてキリスト者となります。さらに、自らの家に二人を招き食事をしたのです。夜明け前のことでした。
その後、パウロらは、自分たちがローマの市民であることを高官たちに伝えると、「どうか、ここから出て行って下さい」と平身低頭での詫びを受けることになったのです。
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今を生きる私たちは、牢獄にこそ繋がれることはなくても、形を変えて縛られ続けている何かを抱え、柵(しがらみ)の中で生きています。
信仰を持っていても不自由があり、思うに任せないことを抱えています。治らない病気をし、人知れぬ苦労も続きます。
しかし、祈りつつ歌い、歌いつつ祈ることの幸いを大切にする生き方を、牢獄の中のパウロとシラスから教えられているのです。
神さまは全てご存じです。彼らに続こうではありませんか。end
《 み言葉 余滴 》 NO.271
2020年8月30日
『ゆるされて 生きる』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 8章10節~12節 10 イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」11 女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」12 イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」
信仰生活が長くなると、垢がつくというのか、鈍感になってしまう力がいつしか働いていることがあります。物語の結末を思い起こし、新鮮な心で聖書を読まなくなってしまうのです。
かつて、小見出しに「姦通の女」と付けられていたヨハネによる福音書8章冒頭の物語も、そのような場面の一つです。
現行犯で姦淫の現場でつかまえられ、エルサレム神殿に引きずり出され、恥と恐怖で身を震わせていた女は、人々から石を投げつけられての〈死〉を覚悟していたはずです。
私たちは初めてこの場面に触れたとき、イエスさまは、どうされるのだろう。女の人は助かるのだろうかと、はらはらドキドキしていたのではないでしょうか。
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そもそも、律法学者やファリサイ派の人たちが石で殴り殺したかったのはこの女ではなくイエスだったのです。ちょっと冷静に考えればわかることですが、姦淫は一人では成立しません。
ところが、ここには男の姿はないのです。いつも、イエスに歯がゆい思いをさせられていた人々にとって、騒ぎを大きくするには女の方が都合がよかったのでしょう。今度こそ、イエスをやり込める所を群衆に見せて憂さを晴らしたかったのです。
イエスさまは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言われます。
ここでイエスさまは、「姦淫の罪を犯した者」ではなく、単に「罪を犯したことのない者が」と仰ったのです。誰一人として女に石を投げつける者は居ません。それどころか、「年長者から始まって、一人また一人と、立ち去る」のです。
もしも私たちが野次馬として神殿に居合わせたとしても、うつむきながら立ち去ったことでしょう。
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見落としてはならないことがあります。一度は罪人(つみびと)の烙印を押されたこの女性は、イエスさまと一対一で向き合う時間を過ごした、ということです。
彼女は自分に罪がないとは思っていない。
私は最近、〈将棋や囲碁〉で勝負がついた時、「負けました」「(手は)ありません」と潔く頭を下げることを知りました。
クリスチャンとは、「私は罪人の頭(かしら)です」と認めることができる人のことです。礼拝ではみんなで一緒に賛美歌を歌い、心を合わせてお祈りをし、み言葉を聴きます。
しかし、その本質に於いて、自分一人だけで主の前に進み出て、罪を認め悔い改めることが求められているのです。
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オランダの画家・レンブラント(1606~1669年)が描いたこの場面の絵を見ますと、彼は「光と影の画家」と呼ばれるだけあって、〈光〉と〈闇〉のコントラストが実に見事です。
新共同訳聖書の区切り方では11節で終わっていますが、私は11節に続けて12節を読みたいと思いました。
なぜなら、「姦通の女」と呼ばれるこの女性は、「私もあなたを罪に定めない。行きなさい」のお言葉と同時に、「私は世の光である。私に従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」と宣言される主イエスと共に、自らの十字架を背負いながら歩き出した。そう考えるからです。
彼女はここで、スキップをしながら、軽い足取りで神殿を離れるのではありません。
しかしながら、イエスさまが自分の罪を担って下さることを確かに感じ取り、新しい人として歩みだしたのです。
闇を打ち破る光が勝利している。これは私たちの救いの物語です。これこそ、神の国の物語なのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.270
2020年8月23日
『 主とは一体何者ですか 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 5章1節~2節 1 その後、モーセとアロンはファラオのもとに出かけて行き、言った。「イスラエルの神、主がこう言われました。『わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい』と。」2 ファラオは、「主とは一体何者なのか。どうして、その言うことをわたしが聞いて、イスラエルを去らせねばならないのか。わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない」と答えた。
80歳の時、モーセは神さまからの召しを受けました。羊飼いとして生涯を終える覚悟をもっていたであろうモーセに対して与えられたのは、エジプトで奴隷状態で苦しみ続けてきた同胞イスラエルを、約束の地・カナンへと導き出すという使命でした。
モーセは120歳まで生きる人ですが、まだまだ、彼には積んでいくべき経験があり、成長があるのです。そのような人のことを老人とは言いません。新たな旅がここから始まろうとしています。
しかし、難題が待ち構えていました。エジプト王ファラオの存在です。絶大な権力を持ち、神として崇(あが)められていたファラオの前に、40年前までエジプトの王子のひとりであったモーセとて、簡単に立つことなど出来ないのです。
そんなモーセの助け手として神が備えられたのが、エジプトでの奴隷生活を経験してきた兄アロンです。モーセとは異なる苦労を知っているアロン抜きには、5章から始まるファラオとの会見の場も生まれませんでした。
**************
いよいよ、ファラオの前に立つモーセとアロンですが、彼らは単刀直入に神さまから示されたことを告げます。
「我らイスラエルの民は、これからエジプトから脱出する旅を始めます」などど口にしたわけではありません。
けれども、彼らがファラオに告げた内容は極めて重要な宣言とも言えます。モーセとアロンに深い知恵があったわけでも作戦があったわけでもないのですが、彼らはこういう意味のことを言ったのではないでしょうか。
「王さま、私たちには本物の〈主〉が存在するのです。その主の導きを信じ、礼拝する生き方を始めます」という内容です。現人神(あらひとがみ)を自認していたファラオにとって、実は、これほど挑発的な言葉はありません。
「我こそが〈主〉である」と考えていたファラオが、「〈主〉とは一体何者か」と口にした意味を、私たちはしっかりと心に留めておきましょう。
出エジプトにおいて、我々が見失ってはならない中心主題がここに示されているからです。
**************
思いのままに、自分の労力として酷使してきたイスラエルの民が、3日の道のりを行ったところで、「自分たちの主を礼拝したいのです」と言いだしたことに対して、ファラオという人は、他の誰も感じることがなかった恐れを直感します。だからこそ、彼は常軌(じょうき)を逸した命令を出すのです。
ファラオは、エジプトの経済政策を推し進めていく上で欠かすことが出来ないレンガ造りの多くを、イスラエルの民に担わせていました。にもかかわらず、レンガ造りに欠かせないワラを与えることをやめる命令を出します。その一方で、従来と同じ数のレンガを作れというのです。
憐れみに満ち、忍耐強く、慈しみに富む神さまとは正反対の姿を見せるファラオがここにいます。
暗闇の力を代表するファラオの恐ろしさは、今を生きる我々にとっても、人ごとではないのです。
ファラオとの戦いは、真(まこと)の神を神とする自由を奪い取り、そのことについて思い巡らすことを停止させる怖ろしいシステムとの戦いだからです。私たちの心の目は、自然現象を自由に扱われ、ファラオに対する裁きを示される神さまの不思議でストップしていてはなりません。
「私たちの主とは、一体何者なのか」。
神さまは実に不思議な形で、我々の人生の土台についての問い掛けをなさるお方なのです。
その神さまの愛に感謝しつつ、共に生きるために、私たちはこれからも礼拝を続けます。end
《 み言葉 余滴 》 NO.269
2020年8月16日
『〈ふる里〉を知る人の幸い』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 15章18節~20節 18 ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。19 もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』20 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
ふる里。そこは単に生まれ育った場所のことを言うのでしょうか。そうではないはずです。自分というちっぽけな存在が、はじめてそのままに受け入れられた所ではないか。
〈ふる里〉では理想の自分である必要もない。運動会の徒競走でビリになってもいい。人から認められるようになった所でもない。大失敗して恥ずかしい思いをしたにも関わらず、翌日には、いつの間にか同級生と〈おしくらまんじゅう〉をして大声を出して笑っていた。そういう場所。そこには安心がある。少しも格好をつける必要もない。
「自分には、もうふる里なんてありません」という方も居られます。私もそうだった。
でも、私たちは、いつだって、「ただいま」と言える場所を必要としています。「おかえり」の声を探している。
渥美清さんが演じるフーテンの寅さんが50作目まで生みだすほどに長続きしたのは、いつでも、しょうもないことばかりやっていた寅さんが帰る場所があったからだった。
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父の生前に、財産分与を願い出て旅立った弟息子は永住するつもりで遠い国に出発をした。「俺にはふる里なんて要らない。くそ真面目なあの兄貴に全部任せておけばいいんだ」という気持ちだった。何も恐れなかった。
ところが、時を経て、弟息子は金の切れ目が縁の切れ目という事態に直面します。友達だと思っていた人々はことごとく離れていき、もはや自分が頼ることが出来る人は一人も見いだせないのです。
ついには、聖書に描かれるイスラエルの人々が忌み嫌う豚の世話をし、豚の餌のいなご豆でいいから、何とか食べさせて欲しいという願いを持つに至ってしまう。
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行き詰まってしまった弟息子は、「ふる里に帰ることは出来ないか」「いや、とても無理だ」「でも、帰りたい」。そのような考えを心に抱いては眠り、また、思い直すのです。
〈アンビバレント〉という言葉があります。「好きだけと嫌い」という感情を同じ人間が抱くものです。
聖書には、そのような感情を抱く人間の姿がしばしば描かれます。イエスさまに話を聴いてほしい、助けて頂きたい。だけど、素直に近づけない。拒否すらしてしまう。
弟息子は、行ったり来たりの心の旅を経た末に、ついに、「父さんの前に立ったらこう言って謝ろう。召使いの一人になる覚悟をしっかり伝えよう」と決心します。ボロボロになりながらも〈ふる里〉を目指した。それは、正解でした。
彼が予想だにしなかったことが起こったのです。父親が走り寄り、そのままに抱きしめられ、宴会まで始まった。一緒に喜んでくれとすべての召使い達までもが招かれました。実に不思議な物語です。気に入らない人もいる。
しかし、これが〈天の国の物語〉なのです。〈神の愛の物語〉です。
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身を持ち崩した放蕩息子は、遥か遠くに〈ふる里〉を見ながら歩き続けました。見えないけれど心のうちに抱いていた〈ふる里〉があった。
人は、遠くを見ていると心落ち着くものです。幼い頃には水平線や地平線の向こうを思い描きました。それだけではない。夏空を見上げた。蟻たちがせっせと働き続ける穴の奥底に心を向けた。じいっと見つめながら私たちは息をしていた。
聖書に「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」とあります。クリスチャンとは、いつも〈ふる里〉を持ち続ける人のことを言うのです。
旭東教会もその〈ふる里〉でありたい。end
《 み言葉 余滴 》 NO.268
2020年8月9日
『 この〈パン〉を味わうために 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 6章47節~51節 47 はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。48 わたしは命のパンである。49 あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。50 しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。51 私は、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。私が与えるパンとは、世を生かすための私の肉のことである。」
皆さんにも、お気に入りのパンのお店とか、やっぱりこれだな、というようなパンがあるのではないでしょうか。
こども時代を、九州・大分県大分市の田舎の村で過ごした私は、小学生の頃〈三色パン〉という苺ジャムとアンとクリームが三等分にされたパンがあると幸せでした。今、100円が手のひらにあったら、西大寺・マルナカの〈メロンパン〉を選びます。
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ヨハネによる福音書6章において、イエスさまは五千人の給食の奇跡の後(あと)、ご自分が「パン」だと宣言されました。「私が命のパンである」「私は、天から降(くだ)って来た生きたパンである」と繰り返されたのです。
他にも、福音書記者ヨハネが描くイエスさまは、私は「世の光である」・「よい羊飼いである」・「よみがえりであり、命である」・「道、真理、命である」「まことのぶどうの木である」等と言われます。
イエスさまはこのようなお言葉で、ご自身が何者であるのかを考えさせ、伝えようとされました。
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しかし、それを耳にした人たちが直ぐに納得できたのかと言えば、答えは「ノー」でした。
特に「私はパンである」という宣言を、イエスさまが「永遠の命」と結びつけて語られたため、ユダヤ人の指導者たち、つまり律法学者たちを大いに刺激することになったのです。彼らは殺意を抱き始めます。
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歴史的にみてユダヤの人々にとって「パン」を下さるのは〈神〉の他にあり得なかったのです。
たとえば、バビロン捕囚を経験してしまうに至ったことを振り返り、荒れ野の40年と重ねて記したネヘミヤ記9章を通して考えることが出来ます。9章15節以下にこうあります。
「(神よ、あなたは)15 彼らが飢えれば、天からパンを恵み・・・・・・ 20(あなたは)あなたの優れた霊を授けて彼らに悟りを与え 口からマナを取り上げることなく 渇けば水を与えられた。21 四十年間、あなたが支えられたので 彼らは荒れ野にあっても不足することなく 着物は朽ち果てず、足もはれることがなかった。 」と。
森流に超意訳すると、神さまは天におられ、「一番苦しい時にも決して見捨てることなく、命の糧を必要な分だけ降(ふ)らせ続けるお方であったのに、ついついそのことをも忘れてしまって、本当にごめんなさい」と書かれています。
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世の中、一般において、神さまの「こうごうしさ」「神聖さ」とか、「貴さ」「厳(おごそ)かさ」とはどういうものであるのでしょう。
それは「近づきがたさ」であったり、「そう滅多なことではお目にはかかれない」ということが、昔も今も重要なことなのです。近しいお方である神など有難みが薄い。
ところが、神さまと一体であるイエスさまは、常識を打ち破る形でこの世にお出でになりました。
「いつくしみ深い 友なるイエスは」と歌う賛美歌にある通りです。私たちのことを「友と呼んで下さる主が」顕(あらわ)れたのです。
もはや神さまは、遙か天高くから、パンを降(ふ)らせることを、お止(や)めになりました。神は「〈パン〉である独り子イエス」を世に降(くだ)らせる決心をなさった。
最大の〈しるし=御業(みわざ)〉は主の十字架と復活ですが、私たちはその主の口から発せられる〈ことば〉を信じる者になりなさい、と招かれています。end
《 み言葉 余滴 》 NO.267
2020年8月2日
『 フィリピの紫布商人〈リディア〉』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 16章14節~15節 14 ティアティラ市出身の紫(むらさき)布(ぬの)を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。15 そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。
パウロは二度目の宣教旅行において〈都市伝道〉の夢を抱いていたのではないかと思います。キリストの福音を携え田舎よりも都会へ行きたい。そんな気持ちがあっても不思議ではありません。一回目の宣教旅行で訪れた地を再訪した後(のち)、パウロが最初に目指したのは「アジア州」でした。
様々な事情から推測するならば、その「アジア州」とは、地中海沿岸の国際都市〈エフェソ〉だったようです。エフェソの海の向こうには〈ギリシア〉のアテネ・コリントという大都市があることをパウロは知っていました。
しかし、パウロの願いは〈聖霊から禁じられ〉ます。神さまのみ心は異なるところにありました。
それならばと、次にパウロが訪ねたいと思ったのは「ビティニア州」でした。そこは黒海に面する今日のトルコ・イスタンブール方面で、325年にキリスト教の最初の公会議が召集されるニカイアも含まれる州です。
ところが、今度は「イエスの霊がそれを許さなかった」のです。
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二つ明確な〈否〉が示されたパウロは、先行きに不安を抱く中で「港町・トロアス」にたどり着きます。
彼はある夜、幻を見ました。「マケドニア州に渡ってきて、私たちを助けて下さい」と「一人のマケドニア人」の声を聴くのです。これこそ、神ご自身が〈我ら〉に示された〈道〉だと確信するに至ったパウロは、現在のヨーロッパ大陸へと向けて海を渡るのです。
私は、神さまがパウロに「マケドニア」を指し示されたのには深い理由(わけ)があったと考えます。
「マケドニア」は紀元前4世紀後半、アレクサンドロス大王によってその名が広く知れ渡り、エジプトやインド方面への遠征により広大な帝国を建設した国です。
しかし、その後没落したマケドニアは、パウロの当時、更に海の向こうのローマの支配下に置かれました。イエスさまの時代のユダヤ地方を、総督ピラトが目を光らせていたのと同じ構図です。
したがって、マケドニア州の中でも、ローマの植民都市の筆頭であるフィリピにパウロが導かれたのは、神の必然でした。フィリピにこそ、ローマ皇帝による力による平和ではなく、主イエスの福音が届けられる必要があったのです。
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フィリピで、高価な紫布(むらさきぬの)を扱う商いをしていた「リディア」。
彼女は、アジアの町・ティアティラからやって来て奮闘していた女細腕繁盛記の見本のような人です。生き馬の目を抜くような知恵をも用いて生きて行かなければならない現実がありました。
しかし、どんなに商売が上手く行っても彼女には本物の神が必要でした。日頃から神を畏れ、神を求める心を他の婦人たちと共にもっていたリディアの渇いた心に、パウロが告げたキリストの福音は染みこみます。
パウロからフィリピで最初に洗礼を受けたリディアとその家の者たちは初穂でした。こうして、クリスチャンとなったリディアたちは、〈家の教会〉と呼ばれる交わりを築く基(もとい)となっていったのです。
やがてフィリピの教会は、「私が福音の宣教の初めにマケドニア州を出た時も・・・・・・私の働きに参加した教会はあなたがたの他に一つもありませんでした」(フィリピ書4章15節)とパウロから言われるようになります。
福音の使徒パウロをその最期まで支え続けたのがマケドニアのフィリピの教会であり、紫布商人・リディアの存在だった。
リディアは主イエスの貧しさをパウロを通じて知り、紫布商人として、真実の美しさを生き抜いた人でした。end
《 み言葉 余滴 》 NO.266
2020年7月26日
『神さまのお役に立つということ 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 6章8節~10節 8 弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。9 「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」10 イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。
理性的で常識ある大人が、ヨハネによる福音書6章にある「パンの奇跡の物語」(ヨハネ福音書では「しるし」と呼びます)を読むと阿呆(あほ)らしくなるかも知れません。そんな出来事がここには記されます。
男だけでも5千人、女と子どもを合わせればその倍近くが集まっていたはずです。
夕暮れが近くなり、彼らが空腹を覚えていたその頃、弟子たちは焦り始めます。「イエスさま、もうそろそろお話を切り上げて皆を家に帰して下さい」と願う弟子たちを尻目に、イエスは構わず事を進めました。
ついには、少年が差し出した「二匹の魚と五つのパン=弁当」で皆が満腹したというのです。
「そんな馬鹿なことがあるか」と思いますが、今に至るまで、キリストの教会は主イエスによるパンの奇跡を深く感謝し、読み続けて来ました。
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その後(ご)の教会は、同じような奇跡を起こすことが出来たのでしょうか。
答えは「いいえ」であると同時に、「はい、形を変えて出来ました」というのが正しいかも知れません。
私たちが福音書を読んで見いだし、引き継いで行くことは何であるのか。
それは、福音書記者が伝えようとしているこの出来事を通じての意味、事の本質です。言い換えるならば福音なのです。
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とりわけ、ヨハネ福音書を通じて「パンの奇跡」を行う主イエスのお言葉に聴くとき必要なのは、広い視野でこの奇跡物語を読む心です。少なくとも、6章全体を意識しながら読むことが求められると思います。
イエスさまは6章27節で「朽ちる食べ物のためではなく、永遠の命に至る食べ物のために生きよ」と言われます。このお言葉の背後にある主のみ心は、群衆が口にしたパンによって満腹を覚えたとしても、人は数日後に誰もが必ず空腹を覚える、という思いです。
さらに6章36節以下で「神のパンは天から降って来て世に命を与える」「私が命のパンである」と言われる主のお言葉を聴いた人々は、「主よ、そのパンをいつも下さい」と言うのです。
このような物語の展開は〈ヨハネ福音書4章のサマリアの女〉が「私が与える水を飲む者は決して渇かない」というお言葉を聴いた時に、「主よ、渇くことがないように・・・その水を下さい」と叫ぶのと同じです。
「私のことばを信じる者は、永遠の命に至る恵みにあずかることが出来る。神の国に入り、生きて行く事が出来る」というイエスさまからの招きがここにはあるのです。
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ヨハネ福音書の五千人の給食の場面で鍵となる存在は〈少年〉です。
大人の常識で考えるならば、全く役に立ちそうにない一人分の弁当を〈少年〉が差し出した時、イエスさまはそれを祝福され、分かち合い始めた人々は全員が満腹しました。
それどころか、食事が終わった後に、残ったパンくずを集めるように命じられた弟子たちは驚きの事実に直面します。イスラエルの全部族を表している「十二の籠」が一杯になったのです。
私にもあなたにもここに登場する〈少年〉のように主の前に差し出すことが出来るものがあります。
それが、我々の小さな〈喜び〉〈つぶやき〉、〈悲しみ・痛み〉や〈恥〉であったとしても祝福されます。神の国の扉は、その招きを信じ応えようとする人たちのために、いつでも開かれているのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.265
2020年7月19日
『 信仰の力 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 4章18節~20節 ・・・・・エトロは言った。「無事で行きなさい。」19 主はミディアンでモーセに言われた。「さあ、エジプトに帰るがよい、あなたの命をねらっていた者は皆、死んでしまった。」20 モーセは、妻子をろばに乗せ、手には神の杖を携えて、エジプトの国を指して帰って行った。
モーセは複雑な事情を抱えながら生きた人でした。ヘブライ人(じん)(=イスラエル人)として生まれ、エジプトの王子の一人として育ち、40歳からは逃亡先でミディアン人として生きて来た人だからです。
しかし、それだからこそ、モーセはこの先、出エジプトという歴史的な出来事のリーダーとして歩み出すことが出来る人になったのかも知れません。そのようなモーセを神さまは必要とされた。召命を受けたのです。
モーセが「私はあなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である」「私はあるという者だ」(森流には「おる」「いる」の方が分かりやすい)と宣言される神と出会ったのは、シナイ半島の南方・「神の山ホレブ(=シナイ山)」でのことでした。
この時モーセは80歳。羊飼いとして〈杖〉を手にして生きていた時のことです。神は、エジプトで苦しみの叫びをあげ続けている同胞イスラエルを約束の地へ導き出す使命をモーセに与えたのです。
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不安と恐れを次々に口にするモーセに対して、神さまは様々な支えの手立をお示しになります。
とりわけ、とつべんで、口の重いモーセのために、神さまが〈兄アロン〉を遣わされることを知った時、モーセはほっとし、立ち上がる勇気をもてたようです。モーセは逃亡の地ミディアンに戻り、40年間世話になった義父エトロに挨拶しました。
そして「達者でな(*「シャローム」)」の言葉を受けた彼は、妻子をろばに乗せ、エジプトに向かって歩きだしたのです。
ここで注目したいのは、モーセが手にしていた〈杖〉です。
讃美歌 458番の1節に「信仰こそ旅路を 導く杖」という歌詞があることを思い起こします。マルコによる福音書に依れば主イエスが任命された12人の弟子たちが伝道旅行に出掛ける際にもつことがゆるされたのが、ただ一本の〈杖〉でした。
羊飼いだったモーセが手にしていた〈杖〉は、いつしか別の役割を担い始めます。神が共に居られることを示し続ける重要な〈徴〉だったのです。
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もう一つ、立ち止まって心に刻みたいことがあります。
それはある場所に宿営したモーセが神さまに殺されそうになったという事実です。その時、妻・ツィポラが、俊敏かつ強引にとった行動があります。彼女は〈火打ち石〉を手にして息子の包皮を切り取ったのです。
これは神の民イスラエルの男子ならば永遠の契約として必ず受ける必要がある〈割礼〉でした。
この時のツィポラには、「あー、やっぱり、あのことが災いを招いているのだわ。大変なことになってしまった。このままでは主人は死んでしまう」という思いが心の奥底にあった、と想像します。
モーセが出エジプトの指導者として同胞と共に歩み出す上で、彼らの息子が〈割礼〉を受けていないままでいることは、中途半端なままの信仰の姿を意味する端的な徴だったからです。
これが兄アロンと「神の山」で再会し、兄弟でエジプト王ファラオとの交渉に向かい始める直前の出来事だったことは、偶然とは思えません。
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旧約聖書において「信仰」という〈ことば〉は6度しか使われていません。詩編4回、イザヤ書1回、ハバクク書1回だけです。
しかし、ここに示されているのはまさに〈信仰の物語〉です。そして信じる者として生きようとしている我々の物語でもあります。
ヘブライ人(じん)への手紙11章冒頭のみ言葉を読みます。「信仰とは望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。昔の人たちは、この信仰のゆえに神に認められました。」end
《 み言葉 余滴 》 NO.264
2020年7月12日
『 無力な人のちから 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 4章50節~53節
50 イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。51 ところが、下って行く途中、僕たちが迎えに来て、その子が生きていることを告げた。52 そこで、息子の病気が良くなった時刻を尋ねると、僕たちは、「きのうの午後一時に熱が下がりました」と言った。53 それは、イエスが「あなたの息子は生きる」と言われたのと同じ時刻であることを、この父親は知った。そして、彼もその家族もこぞって信じた。
クリスチャンとして生きていると、時に、世の中にこのような声があることに気付きます。
「ここに書いてあることが現実に私の身の回りで起こるならば信じてもいいですよ。でも、こんなこと起こるわけがないじゃないですか。皆さん本当に信じてるんですか」と。
ヨハネによる福音書の20章29節で復活の主イエスは、12弟子の一人で、遅れて仲間たちの所に戻って来た疑い深いトマスに優しく語りかけます。「見ないで信じる人は幸いである」と。
私たちは何かの〈しるし〉を確認できたからクリスチャンになったのでしょうか。キリスト者の喜びとは、一体どういうものなのでしょう。
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ここには一人の男が登場します。カファルナウムの「王の役人」です。それは別の言葉にするならば「王家の人」です。「王」とはガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスでした。
彼はヘロデの威光によって権力が与えられている人です。王の名によって彼が命じるならば、おおかたどんなことでも自由に操ることが出来る立場にあったのではないかと想像します。
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ところが、彼は、このとき無力でした。いいえ彼だけではない。彼が仕えていたこの世の王ヘロデが無力なことも、この物語は暗示しているのです。
自分の愛する一人息子が死にかかっている。既に出来る限りの手を尽くしていた、そう考えて間違いないと思います。名医と呼ばれる人を呼び寄せて往診させたかも知れません。
しかし、彼は今、イエスにすがるのです。様々な思いを心に秘めてイエスのところにやって来た。そして願い出た。「息子が苦しんでいます。何とかおいで頂き、助けてください」と。
イエスさまは48節で「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と言われたことは見逃せません。
病気が治ったことを見て信じる信仰を〈世〉は持っている、ということです。しかし彼は引き下がりません。役人は「主よ、子供が死なないうちにおいでください」と言うのです。この役人の言葉には愛するわが子を思う父親の不安と愛が感じられます。
どれ程の間(ま)があったのでしょう。イエスさまから発せられた言葉はこれでした。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」と。役人はこの主のお言葉を何も言わずに受けとめ歩き出します。いいえ、生きていくのです。
男には信じ、委ねるしか道がなかった。彼はヨハネ福音書で描かれる最初の癒やしの出来事の証人です。それ程、特筆されるべき存在としてここに描かれているのです。
彼は〈しるし〉を見る前に、自分に語りかけられたイエスの言葉を信じて歩き続ける人となった。〈神の真実〉な出来事がそこに起こりました。
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表向き、この物語は奇跡物語として描かれているように見えます。死にかけていた愛する我が子の命が助かったという〈しるし〉について述べられているように見えるからです。
しかし、病気の癒しは、結果であって、ここでの重点は、イエスさまのお言葉の力とそこへの信頼、信仰に置かれている、と読みとるべきです。イエスさまの〈お言葉の力〉と〈神の真実〉が先行しているからです。そこに応答する人の上に〈しるし〉が伴いました。
主イエスが受けとめられたのは父親が己の無力さを認め、頼り、委ね切る姿勢でした。
幸いなことに、私たちは自分がいかに足りないものであり、無力であるかを知っているはずです。
私たちは「弱い時にこそ強い!」のです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.263
2020年7月5日
『これぞ神のみわざ』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 15章36節~40節 36 数日の後、パウロはバルナバに言った。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えた全ての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」37 バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。38 しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた。39 そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、40 一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。
使徒言行録15章の終わりから16章にかけては、主イエス・キリストの福音が海を越え、現代のヨーロッパ、当時のマケドニアに渡っていく前夜ともいうべき頃のことが記されています。
エルサレムでキリスト教会としての歴史に残る大きな会議が開催され、今後は律法にしばられず、ユダヤ人にとって絶対だった割礼も異邦人には求めないという決議がなされます。
「パウロとバルナバ」は、異邦人を中心として活発な活動を展開していたアンティオキアの教会に戻って来て会議の結論を報告します。
一同の歓喜と安堵の声を聞く中、彼らは思いも新たに、まだ見ぬ地への伝道の夢を語り合い、第一回目の伝道旅行で訪問した地への再訪計画を立て始めたのです。
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ところがこの時、パウロとバルナバの二人は激論の末、決定的な仲たがいを起こします。「慰めの子」とも呼ばれた温厚なバルナバはパウロを、陰に日なたに支えて来た人です。第一回目の伝道旅行の途中でその任務を放り投げエルサレムに戻ってしまった「マルコ」であっても、もう一度機会を与えて宣教旅行に連れて行くことを提案します。
ひょっとすると、バルナバには、「いとこであるマルコ」(コロサイ書4章10節)に対して、血肉を超えて、第一のものを第一とするべき姿勢に欠けているところがあったのかも知れません。
一方、かっかとしやすいところのあるパウロは、「マルコ」を決して認めることは出来ませんでした。その結果、バルナバはマルコを連れて故郷キプロス島での伝道に向かいますが、二人の姿は使徒言行録では消えていきます。
ところが、パウロが認めなかったマルコは、A.D.70年頃、『マルコ福音書』の執筆を始めることになるのですから不思議です。
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結局パウロは、エルサレム教会の信頼できる預言者であり教師であった「シラス」を伴い第二回目の宣教旅行を開始すべく北上します。シラスは、テサロニケの教会への二つの手紙で、いずれも発信人の二番目に「シルワノ」としてその名が記録されるよき働き人でした。
パウロら一行は、パウロの故郷ダマスコを経由し険しい山道を通り抜けてリストラに入ります。
使徒言行録14章8節以下にその記録がありますが、リストラには第一回目の伝道旅行で大変世話になったはずのクリスチャン「エウニケという婦人とその母ロイス」(第二テモテ書1章5節)が居りました。その家から、リストラ周辺の教会でも評判がよく、パウロが以前から心にかけていた「若者テモテを」伴い、海を越え、マケドニアでの伝道へと向かうことになったです。
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パウロは賜物豊かな伝道者でしたが、決してひとりだけで福音を担っていくことは出来なかったのです。「バルナバ・シラス・エウニケ・ロイス・テモテ」という人たち、否、前述の「マルコ」すらも抜きにしては、パウロの伝道は出来なかったことがわかります。
福音は〈だんだんと〉進んで行きます。だからこそ、私たちも、倦(う)むことなく飽きることなく、共に喜び共に涙しながら、仲間たちと福音伝道に励むのです。
晩年のパウロは、第二テモテ書4章16節で「ルカだけが私のところにいます。マルコを連れて来てください。彼は私の務めをよく助けてくれるから」と語っています。end
《 み言葉 余滴 》 NO.262
2020年6月28日
『 まことの礼拝への招き 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 4章23節~24節 23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。24 神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。
主イエスは、ユダヤ地方からガリラヤ地方に向かわれる時に、敢えてサマリアを通る道を選ばれました。それは回り道でした。
その頃のイエスさまが、既に12人の弟子たちと共に旅を続けておられたのかどうか、ハッキリとはわかりません。弟子たちはサマリア入りするイエスさまに対して、様々に思い巡らしていたのではないかと思います。なぜなら、イエスさまの時代のユダヤ人にとって、サマリアはいわく付きの地だったからです。
北王国イスラエルの首都であったサマリア。そこは紀元前720年頃、当時の超大国アッシリアからの侵略を受けた結果、ユダヤ人が最も嫌う混血が始まり、預言者たちからは偶像礼拝の罪が厳しく指摘されました。
かつては同胞だった人々から、「あいつらは我々とは似て非なる存在だ。同じに考えてもらっては困る」と言われるようになった過去をもっていました。
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ルカによる福音書の9章51節以下は、直訳ではイエスさまが「顔を固める」決意をもって十字架の待つエルサレムに歩み出した時に、弟子たちと共にサマリア入りする場面があります。
そこでは、弟子たちがサマリアの村人たちの態度に腹を立てて、「主よ、お望みなら、天から火を降らせ、彼らを焼き払うように願いましょうか」と言ったと書かれています。
続くルカ福音書10章では「善きサマリア人の譬え話」という、イエスの譬え話の中でも。とりわけ広く知られている譬えが語られることなどから、イエスさまの思いと弟子たちの思いに隔たりがあったことが読み取れるのです。
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サマリアとは一体どのような場所であるのか。
そのことを考える上で、私たちは一つ気をつけなければならない点があることを申し上げたいと思います。その一点とは、サマリアの女の物語は、一見すると、サマリアの女と呼ばれる固有の女性の抱える問題ばかりに目が行きがちだということです。
この人はイエスさまと向き合う中で、五人の夫がいたという複雑な過去と苦悩を抱える人であることが明らかにされて行きます。しかし、サマリアという町のもつ複雑な歴史について、彼女に責任はありません。女は自分の意思で、サマリアという地を選んで生まれたわけでもないのです。
実に、私たちの人生には、しばしばそのようなことが、つきまとっています。まとわりついて離れない、しがらみと呼ばれるようなものを、生まれながらに私たちは抱えて生きている。
そしてそこから自由になれない、脱出できないのです。ところが、イエスさまはここで思いもよらない道を語り始めます。
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それは「まことの礼拝」をささげることこそが、あなたがここから生きていくための真理の道である、というものでした。それは過去を抱え、罪人(つみびと)のレッテルを貼られている者が自由にされていく方法だからです。
「サマリアの女」は、渇き切っている何かを抱え、苦しみあえぐ私たちの分身です。私たちが礼拝を大切にする今を生きているのは、自らの選びによるのではなく、「私があなた方を選んだ」(ヨハネ福音書15章16節)と言われる主の招きによるものなのです。
私たちが礼拝において自分自身の「渇き」に気付き、そのことを素直に認め、イエスさまと出会う中で、「渇くことがないよう、その水を下さい」と叫ぶことから「まことの礼拝」は始まります。
やがていつか、私たちが、いのちの泉の源に変えられる日が来るのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.261
2020年6月21日
『こんな〈モーセ〉でも大丈夫!』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 4章10節、13節 10 モーセは主に言った。「ああ、主よ。以前から、また、あなたが僕に語られてからでさえ、私は雄弁ではありません。私は本当に口の重い者、舌の重い者です。」・・・・・・13 しかしモーセは言った。「ああ、主よ。どうか他の人をお遣わしください。」
寄留の地エジプトで奴隷として苦しみ続けていた同胞イスラエル(*ヘブライ人)を、〈乳と密の流れる約束の地・カナン〉へと導き出すための召しを受けたモーセ。この時の彼の心もちは実に複雑でした。
ヘブライ人として生まれ、3ヶ月の時からエジプトの王子のひとりとして育てられ、40歳でエジプトから逃亡。遠くミディアンにやって来たモーセも既に80歳でした。
この頃のモーセには同胞を導き出す自信の一欠片(ひとかけら)もありません。
かつて先祖たちに約束されたのと同じように、「私はあなたを守り導く、決して見捨てない」と言われても、「わかりました。それ程までの約束のお言葉を頂けるなら大丈夫です。安心いたしました」とはとても応えられなかったのです。
出エジプト記4章には主の招きを三度拒(こば)むモーセの姿が記されます。
三度というのは、聖書の中で象徴的な回数であり、決定的なものです。イエスさまご自身も十字架での死と復活の予告を弟子たちに向かって三度繰り返されました。そしてまた、イエスさまの筆頭の弟子を自認していたシモン・ペトロも、大祭司の中庭で、鶏が三度鳴く前に主を三度否(いな)んだことを思い出します。
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神さまは、ご自身がモーセと共にあり続けることの約束を〈徴(しるし)=奇跡〉を通して明らかにされます。
特に、モーセの〈杖を蛇に変え〉、また〈蛇を杖に戻される〉不思議な〈徴=奇跡〉には重要な意味が秘められていました。エジプトの王ファラオは神と崇(あがめ)られていましたが、そのファラオの王冠に「蛇」が刻印されていたのです。
ここで、モーセが蛇を自由に操(あやつ)ることができることは、彼がエジプトの王よりも上に立つことを意味するのです。
ところが、モーセはなお、主のお言葉に信頼を寄せることが出来ず、「私はもともと弁が立つ方ではありません。・・・・・・口が重く、舌の重い者なのです。」と言って逃げようとします。それだけでなく、「私よりも相応しい人がいるはずです。どうぞ、誰か他の人を遣わして下さい」と続けたのです。
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このとき、神さまはモーセに対して怒りを露(あら)わにされました。
しかし同時に、「あなたには、兄のアロンが居るではないか。彼はお前の助け手として、間もなくここにやって来る」という、神の備えを明らかにして下さったのです。
この時から40年を経て、モーセは「神の人」(申命記33:1)と呼ばれるような指導者となります。モーセには、明らかに足りないところがありました。そろどころか、神さまの招きから逃げ出そうとした人です。
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実に不思議なことに、神さまは足りないところがある人間を必要とされるのです。
使徒パウロも、「手紙は重みがあり力強いが、実際に会ってみると弱々しい」と(第2コリント10:10)と言われたという記録がありますが、我々の周囲を見まわしても完璧な人は一人もいません。心配りがよく出来る繊細(せんさい)さの裏返しは神経質に見えることもあります。彼はおおらかですね、というのは、いつもボーッとしていることかも知れないのです。
教会は「キリストの体」です。キリストのみ体なる教会には「弱く見える部分がかえって必要」なのです。
「私には弱い所がある」ことを素直に語ることが出来る交わりこそは、真実な教会となっていくために必要なことなのです。足りない者として命を賜った私たちへの福音がここにあります。
こんなことを堂々と言える場所が他にあるのでしょうか。いいえ、ここだけです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.260
2020年6月14日
『〈ニコデモ〉が決心した場所』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 3章3節~4節 3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」4 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
ひとりの男がイエスさまのもとを、夜こっそりと訪ねます。名は「ニコデモ」。ファリサイ派の律法学者です。彼はヨハネ福音書だけに姿が描かれています。律法の隅々まで知り尽くし、人並み外れて律法と先祖伝来の教えを厳格に守って生きてきた人でした。
ニコデモは国の中でも70人で構成される最高議会「サンヘドリン」のメンバーですから、社会の有力なリーダーですし、良く知られた人であったと思います。
もしもニコデモが、イエスを訪ねる姿が世に知られようものなら、それはスキャンダルでした。
ヨハネ福音書12章42節にこんな言葉があります。『リビングバイブル』ですと「ユダヤ人の指導者の中にも、イエスをメシヤと信じる者がかなりいました。ただ、ファリサイ派たちに会堂から除名されるのが恐くて、公に告白できなかったのです。」と訳されています。色々と察することができます。
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実はこのニコデモ。その夜、どんなふうにイエスさまの元から家に帰っていったのか記されていません。彼はイエスさまが言われた言葉を、その後、来る日も来る日も、ずっと考え続けたのではないかと思います。
例えば、「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことも分からないのか」とまで言われてしまった。ショックを受けないはずがありません。
でも、頭をガーンと打たれたように感じるのと同時に、彼は何か嬉しかったのではないか。「ニコデモ、あなたは分かっていないよ」とまで言って下さったイエスさまに対して、その厳しさ故の愛をどこかに確かに感じたのではないでしょうか。
なぜなら、この人はやっぱり本物だった。私のことを見抜いている。本当に知らなければならないことを分かって居られるのだ、と。
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どううしようもない人物としてニコデモは描かれているとは思いません。むしろ葛藤を抱えている。悩みながら生きている。踏みだしたいと思いながら躊躇がある。でも、やっぱりイエスさまに会いたい。じかに会って話を聴きたい。教えを請いたい。どうしたらよいのか確かめようとしたのです。
この姿は、まさに、ニコデモが私たちと遠くない人物だということです。
いつの間にか立ち去っていったニコデモが二度目に姿を見せるのはヨハネ福音書7章45節以下です。これまでも、彼は律法に対して一生懸命で、誠実に生きようとした人であるがゆえに、イエスさまがその日語られた言葉を思い起こしては、何かを考え続け、実行しようとしたのではないでしょうか。
ニコデモは、彼と同じユダヤ人の指導者たちにハッキリと言っているのです。「いいか、本人に会って確かめもしないで彼のことを犯罪者と断定してしまうのはよそう。それはまずいぞ」と。ニコデモは変わり始めていました。
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最終的にニコデモが、イエスさまの言われたことを第一として歩み出す決心ができたのはどこだったのか。
三度目にニコデモが聖書に登場するのは、イエスさまが十字架の上で最後に、「すべて成し遂げた」とひとこと叫び、頭を垂れて息を引きとられたイエスさまのご遺体を引き取りに現れた時でした。
ニコデモが新しくされて行く場所は十字架の下だったのです。
彼はもはや人の目から自由になりました。そこからニコデモは、新しい人として歩み出したのです。
私たちの教会にも十字架があり、その十字架のもとで礼拝をささげています。そこでなければ分からないことがあるのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.259
2020年6月7日
『 教会で総会が開かれるわけ 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 15章9節~10節 彼らの心を信仰によって清め、私たちと彼らとの間に何の差別もなさいませんでした。それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖も私たちも負いきれなかった軛(くびき)を、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのですか。
使徒言行録15章には、十字架と復活の主イエスが天に昇られ、約束の聖霊が降(くだ)ってから20年近くが過ぎた初期のキリスト教会の様子が記されています。小見出しには「エルサレムの使徒会議」とあります。
ペンテコステと呼ばれる聖霊の降臨によって初めて教会は誕生し、クリスチャンが生まれたのですが、「使徒会議」なるものを開く必要が生じていたようです。
当時のキリスト者、そして教会は、各地で色々と違いがあったのです。それぞれの教会で大切にしたいことへの思いも異なりました。
日本キリスト教団の教会が全国に1700近くありますが、たとえ、会堂の形が同じであっても、教会の空気も集う人々も、地域の事情もすべて異なることに通じています。
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初代キリスト教会には大きく分けて二つの流れがありました。念のために申し上げますと、これは決して大きな建物の教会があったという意味ではありません。あくまでも人々の集まりであり交わりが教会なのです。
一つは〈12使徒と長老たち〉を中心にする「ユダヤ人」によるエルサレムの教会です。彼らは旧約を熟知していました。そこには、イエスさまの直弟子やその周辺にいた人々が真ん中に居ました。ペトロや主の兄弟ヤコブです。
もう一つは、シリア州のアンティオキアに生まれた教会でした。アンティオキアはパウロとバルナバの第1回目の宣教旅行のスタート地点にもなったところです。パウロのようにユダヤ人も居りましたが、聖書の中で汚(けが)れているとされた「異邦人」と呼ばれる人たちが中心になっていた地です。
彼らは「律法」(旧約)を知らない立場であっても、クリスチャンとして生きて行くことができることを大いに喜び、世界各地への伝道を願っていた人たちでした。
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15章の最初の場面。
アンティオキアの教会にエルサレムの教会の中でも、〈割礼〉を重んじる保守派の人々がやって来て、不満を露わにして言うのです。
「異邦人が救われるには、モーセ律法の中でも、とりわけ我々が、先祖代々重んじて来た〈割礼〉を抜きにすることなどあり得ないぞ」と。
すると、アンティオキアの教会では激しい論争が起こりました。パウロやバルナバら一行はエルサレムに出向くことにし、主イエスが明らかにされた救いは、〈割礼が条件ではない〉ことを自分たちの伝道を振り返りながら明確に伝えたのです。
ここは絶対に譲れない一線だ、という思いがありました。
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これを聞いたエルサレムの教会の人々の中で、すっと立ち上がって話し始めたのがペトロでした。ペトロは自らの異邦人伝道の中で、失敗も驚きも経験して来た人です。そして目の前で異邦人にも聖霊が降(くだ)ったこと。救いは律法を守ることに依るのではなく、イエスを救い主と信じ告白して生きることこそが肝心なのだ、と証ししたのです。
ペトロの言葉に一同は静まりかえりました。その言葉の中に、有無を言わせない〈真理の道〉を見たからです。
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現代の教会でも、イエスを主と共に告白しながら、自分たちが大切にしているポイントの違いを認め合うことは大切なことです。
初代キリスト教会の人々は、結果的に地域ごとの教会の在り方について、その多様性を重んじることの大切さを確認することになったのです。これが最初の教会会議だと言われますが、このことは、我々の信仰生活に於いても形を変えて折々に問われるはずです。教会でも会議が必要な理由(わけ)がここにあるのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.258
2020年5月31日
『〈聖霊〉は神の愛の現れです』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 2章1節~4節 1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。4 すると、一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
*
聖霊の降臨(こうりん)。
それはある日突然、全く思いがけない事として弟子たちの身に起こったのではありません。主イエスからの明確な約束のお言葉が先にあったのです。
使徒言行録1章4節を見ますと「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。・・・・・・、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられる」というお言葉があります。こうして弟子たちは「聖霊という名の〈洗礼〉」を受けるのです。
さらに、8節を読みますと、天に昇られる直前のイエスさまが「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、私の証人となる。」と語っておられます。
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約束のお言葉を聴いた弟子たち。彼らはそれをどう受けとめていたのでしょうか。
使徒言行録の著者であり、ルカによる福音書を記したルカによれば、復活のイエスさまは40日の間お姿を彼らに見せたのちに天に帰られます。ペンテコステはそれから10日経った、復活の日から数えると50日目に起こるのですが、その頃の弟子たちのこころ模様はどうだったのか。
私は、日ごとに不安を大きくしていたのではないか、と思えてなりません。
その不安とは、「約束されたものが本当に来るのか、来ないのではないか」というものではありません。いくら何でも、ガリラヤの田舎者に過ぎない自分たちが、地の果てに至るまで福音を宣べ伝える者になることなどあり得ないという不信に包まれた不安ではないか。
つまり、主が残された最後の言葉を、弟子たちは、なお100%信じられなかったのだろうと考えるのです。
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ところが、神さまはイエスさまを通じて約束された聖霊を、決して信仰深くなったとは言えない弟子たちに送られます。
そもそも、50日と少し前に、イエスさまの前から逃げ出したのが弟子たちです。彼ら自身には力もなく、強い信仰もなかった。ただし、彼らは恥を抱えながらも一つになって祈りを合わせていました。聖霊はそんな弟子たちの上に降(くだ)ったのです。
そして、彼らは自分たちも驚くような不思議な経験をしたのです。それが、弟子たちみんなが聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした、という象徴的な出来事でした。
居合わせた人々は皆驚き、戸惑い、怪(あや)しみます。
「見ろ、話をしているこの人たちは、皆(みな)ガリラヤの人ではないか。」「一体、これはどういうことなのか」と互いに言い、「奴らはきっと、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って嘲(あざけ)ったのです。
聖霊降臨の出来事は、弟子たちの努力や研鑽に依るものではないことは明らかです。そして、この事態に一番驚いていたのは外ならぬ弟子たちだったのです。
ここには、いつも私たちに先立って行動して下さる神の愛があります。
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人が本当に新しくされていくのは、人知を越えた神の先行する愛に生かされ、ちっぽけな私が大切にされていることを知る時です。
聖霊は昔も今も変わることなく働きます。私たちはその聖霊なる愛に応えて生きて行きたい。教会とは、そのような人たちが集められ、共に生きる共同体です。end
《 み言葉 余滴 》 NO.257
2020年5月24日
『〈モーセ〉に約束されたこと 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 3章7節~10節(要旨)
主は言われた。「私は、エジプトにいる私の民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。それゆえ、私は降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地へ彼らを導き上る。今、行きなさい。私はあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」
出エジプト記3章と4章の前半は「モーセの召命」の場面として知られています。モーセはヘブライ人の子として生まれ、生後三ヶ月目からはエジプトの王子の一人として育てられた人です。それだけでなく、ひょんなことからエジプト人を殺害してしまい、40歳から80歳迄の間は逃亡者としてミディアン人として生きて来ました。モーセはミディアン人の妻と結婚し、ここで最善を尽くすことこそが我が人生だと考えていたはずです。
そのモーセは今、義父の忠実な羊飼いとして「モアブ」にいます。「モアブ」は聖書の中では「シナイ山」と同じ場所のことで、モーセが十戒を受ける場所でもあります。
彼はそこで、燃え尽きることのない不思議な柴に遭遇するのです。神さまにはモーセを通して成そうとしているご計画がありました。
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柴の間から聞こえて来たのは「モーセよ、モーセよ」という呼び掛けでした。「はい」と応えたモーセは、神さまから「苦しみと痛みの中にあるわが民の叫びを私は聞いた。もはや見過ごしには出来ない。行ってエジプトから解き放ち、乳と蜜の流れる地に導き出せ」という命(めい)を受けるのです。
しかし、モーセにとってこの命令は考えられないほどに危険で、何としても避けたいものでした。エジプトの王ファラオは、当然モーセの命を狙うに決まっています。イスラエルの同胞との信頼関係もありません。そもそも、そのような無謀な計画に、イスラエルの民が乗って来るはずがないのです。
ですから彼は「私は一体何者でしょう。ファラオのもとに行き、しかもイスラエルの人々を導き出すなんて・・・」と口答えします。しかし神は、彼の父祖アブラハム、イサク、ヤコブに対してそうであったように、「私は必ずあなたと共におり、決して見捨てない」という約束を明らかにされたのです。
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恐れを抱くモーセも必死です。「同胞イスラエルは、お前が出会った〈神の名〉は何だ。言えるのか。言えないだろう、と責め立てるはずです。」と応えます。
するとその時、神はご自身がどのような存在であるかを、実に特徴ある表現で告げたのです。それが「私はある、私はあるという者だ」というお言葉でした。これは、異教の神が、無力で、虚しく、結局は無いものに過ぎないことと、正反対の存在であることを意味しているのです。
私たちクリスチャンは、お祈りの時に〈主の御名(みな)によって〉祈ります。〈御名(みな)〉とは、主イエス・キリストが今ここにおられることを信じて祈ることを意味します。それと本質的に同じことがモーセに示されているのです。
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私は聖書の神が〈金太郎飴の神〉だと考えています。
モーセへのここでの約束は、マタイ福音書の一番最後にある「私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」というイエスさまが弟子たちに語られた約束と同じなのです。そもそもイエスは「インマヌエル=神我らと共に」のお方です。
モーセの心の内に計画があり、彼に力があったから事は動き出すのではありません。神さまが先なのです。やがてモーセは、燃え尽きてしまうことのない、この約束に支えられて一歩を踏みだします。同様に私たちも、この約束に支えられて、神の召し出しに応えて生きて行くことが出来るのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.256
2020年5月17日
『あなたは 何もかもご存じです』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 21章17節 17 三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」
ガリラヤ湖の岸辺90㍍程のところから声を掛けてきた人の「舟の右側に網を降ろしてみなさい」という言葉に従った弟子たちは、思いも寄らない程の大漁を経験します。
程なく、彼らはその声の主がイエスだったことに気付くのです。その時、裸同然だったペトロ(=シモン)は、わざわざ服を着て湖に飛び込んだのです。服を着ることで泳ぎにくくなることくらい漁師の彼は知っていたはずです。
しかしペトロはそうせずにはおれなかった。
「たとえ何が起こり、他の者がどうであろうとも、私はあなたのためなら命を捨てます」と断言していたのがペトロです。彼は他の弟子たちと自分は違うという自信がありました。
ところが彼は、本当にあっけなく崩れ落ちたのです。堅い「岩」を意味する「ペトロ」とイエスさまによって名付けられたのに、もろくも崩れ去った。ペトロ。彼は何とも人間味のある男です。
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そうであればこそ、ペトロという人間の深層心理として、イエスを見捨てて逃げ去った裏切り者である自分が、やはりどう考えても、イエスさまの前に裸で進み出ることなど出来ません。
己の恥を知る彼は、ありのままの自分をさらけ出す勇気など持てないのです。だから彼は服を着て湖に飛び込んだのではないでしょうか。
ペトロは岸辺でのイエスさまとの食事の時、食べ物の味がしなかっただろうと思います。
やがて恐れていたことが起こります。食事ののち、イエスさまは、ペトロだけをご自分のところに呼ばれて、三度、同じ言葉で問い掛けられたのです。「あなたは私を愛するか」と。
この「あなたは私を愛するか」という言葉は、三度、イエスさまのことを知らないと否んだペトロに対して、まるでイエスさまが意地悪をしているかのようにすら見えます。
しかし、そんなことはありません。
ペトロは「あなたは何もかもご存知です」と悲しみながら口にしたとありますが、これは信仰の言葉です。ここには、ペトロの罪の告白があります。そして、このペトロの告白の大前提として、イエスさまによる〈ゆるしの愛〉が秘められていたのです。
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私たちが、ペトロと向き合うイエスさまのお姿から示されていることがあります。
それは、イエスというお方は、こうでありたいと願った通りの生き方が出来る人を愛するのではなく、むしろ、それが出来なかった人、失敗してしまった人のことを愛して下さる、ということです。
もちろん私たちが、十字架と復活の主イエス・キリストから愛されていることを発見しても、自分の苦い経験、恥ずかしい過去、封印しておきたいと思うような情けない言動は消えませんし、変わるわけでもないのです。
けれども、そうであるにもかかわらず、主イエスにあって、すべてが変わるのです。
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教会に集う私たちが気をつけたいな、と常々思うことがあります。それは、ダメな自分をさらけ出せる場を大切に出来ているだろうか、という点です。
そのことを見失わないようにするには、いつも新鮮な心で、み言葉に誠実に聴き続けることなのです。私たちの土台は何を差し置いても聖書ですが、聖書は実に不思議なことに、創世記の初めから綿々と罪人(つみびと)の物語を記し続けるのです。
シモン・ペトロ。彼もまた立派な罪人でした。end
《 み言葉 余滴 》 NO.255
2020年5月10日
『 やっぱり〈 朝ごはん 〉 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 21章12節~14節
12 イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。13 イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。14 イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。
イエスさまによって12弟子として特別に立てられた人たち。どうやら彼らのうちの半分くらいは、ガリラヤ湖(ヨハネ福音書では「ティベリアス湖」)の漁師だったようです。
漁師の彼らを、なぜ、イエスさまが選ばれたのでしょう。召し出しの理由は聖書にはどこにも記されていません。そこにはイエスさまの〈自由な選び〉があったことは間違いないと思います。
12弟子ではありませんが〈使徒パウロ〉は第一コリント書1章26節以下にこう記しています。味わい深い言葉です。
「26 兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。27 ところが、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。」
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復活の主イエスは、弟子たちの前にそのお姿を現されたのはもう三度目だったという言葉は何とも興味深いものです。なぜなら、事程左様に弟子たちは、不信仰な者であり、信じているようでありながら、信じ切れていない。イエスさまのお言葉よりも、自分の力や経験を頼みにしてしまう傾向があることが明らかになっているからです。
三度、というのは聖書の中では、これ以上しても同じ結果になる、というような意味合いがあります。イエスさまは弟子たちの頑なさを承知の上で行動されているのです。
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人間とは一度思い込んでしまうと、何も見えなくなり、聞こえてこなくなります。聴き慣れた声、見慣れていたはずの姿が近くにあっても、彼らの目は閉ざされていて、イエスさまだとはわからないのです。
しかし、一つのことがきっかけで、彼らの心は和(なご)み始め、緊張がとけて、イエスさまの思いが、じわーっと染みこんでくるのを感じるのです。その一つのこととは何であったのでしょう。
それは食事でした。イエスさまはここで「パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。」というのです。実はこの仕方というのは、今日の私たちの教会生活と深く関係しています。
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讃美歌21-56番の歌詞をここにあらためてご紹介します。パンを裂くイエスさまが与えて下さるものは、何だと言われているでしょう。
1 主よ、いのちの パンをさき あたえたまえ、われらに
祈り求む ひたすら、主のいのちの みことば
2 ガリラヤにて 親しく パンを祝しし 主イエスよ
示したまえ、われらに 主のまことの みことば
ヨハネ福音書は〈しるしの福音書〉と呼ばれることがあります。
イエスさまがここで裂かれる「パン」は何の〈しるし〉であるのかと言えば、讃美歌にある通り「みことば」なのです。私たちは日ごとにみ言葉から頂くことを疎(おろそ)かにしてはなりません。真に健康的に生きていくためには〈朝ごはん〉が肝心です。
弟子たちはガリラヤ湖畔でイエスさまと共に頂いた朝食を生涯忘れなかったはずです。
生きる力、エネルギーを、私たちも朝ごとに主のみ言葉を頂くことから始めましょう。気が付いた時に人生が変わっています。end
《 み言葉 余滴 》 NO.254
2020年5月3日
『そこには〈テモテ〉が居た』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 14章19節~20節
19 ところが、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外へ引きずり出した。20 しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。そして翌日、バルナバと一緒にデルベへ向かった。
教会の迫害者だったパウロの回心が記されている使徒言行録9章15節に、パウロに洗礼を授けることになるアナニアが聴いた主の言葉があります。
「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らの前に私の名を運ぶために、私が選んだ器である。私の名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、彼に知らせよう。」(聖書協会共同訳・2018年)とあるのです。
パウロの使命は「異邦人伝道」でした。しかも、その伝道の歩みには〈艱難辛苦〉がついて回ることが、召しを受けたその当初から予告されていました。
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使徒言行録14章には、パウロがバルナバと共にシリアのアンティオキアの教会から送り出されて出掛けて行った〈第一次伝道旅行〉の中盤から終盤の日々が描かれています。
舞台は現在のトルコ。中でも、リストラという町に滞在中、これから先の伝道者パウロにとって、実に大きな意味合いを持つことになる「青年テモテ」との出会いが備えられていたのです。
第一次伝道旅行の終わり迄は、陰に日なたにパウロを支えていたのはバルナバですが、使徒言行録15章のエルサレムでの公会議を経て〈第二次〉の旅が始まろうとする時に、パウロとバルナバは、この先の伝道を誰と一緒に取り組むかについての話し合いで激しく衝突し、別々の道を歩き出します。
そのバルナバの代わり、いいえ、それ以上の存在となっていくのが、「青年テモテ」でした。
「テモテ」は、その後パウロが各地に送った書簡の差出人として連名でその名が記録されるようになる人物です。ただし、使徒言行録14章の時点では「テモテ」の姿は明確には出てきません。
しかし、第二次伝道旅行が始まって間もない16章の冒頭で、パウロはリストラに暮らしていた「テモテ」を伴って、ヨーロッパ伝道に赴(おもむ)くことになるのです。
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テモテとパウロの出会いは、パウロ自身が記したテモテへの手紙二 1章5節からひも解くことが出来ます。
私は早い時期にクリスチャンになったテモテの母エウニケと祖母ロイスという婦人たちの元に、パウロが住み込みで世話になったことが切っ掛けだったと考えます。
母がユダヤ人、父はギリシア人という複雑な家庭環境に育ったのがテモテでした。父の名が聖書に出て来ないのは早くに亡くなったからだと思われますが、パウロとバルナバというおじさん達は、テモテにとって頼もしく見えたことでしょう。
青年テモテは、リストラ周辺でイエス・キリストの福音伝道のために、まさに命懸けで日夜奮闘するパウロとバルナバの様子を、いつもドキドキしながら見守っていたことと想います。
パウロが生まれつき足が不自由な人を癒したこと、それにまつわる町中を巻き込む大騒動(おおそうどう)を静め、天地万有の創り主なる神についての説教などなど。年若く純真なテモテの心に、一つ一つが深く焼き付いたのです。
そして、石を激しく投げつけられて〈パウロは死んだ〉と誰もが思った場面で、傷みを負いながらもパウロがすくっと立ち上がったその時にも、テモテは他のクリスチャンに交じって立ち会っていたのです。
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リストラで迫害を受けた後(のち)も、パウロが少しも臆すること無く勇敢に伝道を続けたことは青年テモテの夢を大いに育みました。
大きな目で見てみると、パウロにとって第一次伝道旅行での神さまからの最大のプレゼントはテモテとの出会いだったことに気付きます。
使徒言行録には「聖霊行伝」の別名があります。全てを準備されたのは聖霊なる神です。
それと同じことが、私たちの信仰生活でも既に形を変えて起こっているのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.253
2020年4月26日
『 逃亡者〈モーセ〉の宝物 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 2章11節~12節,15節 11 モーセが成人したころのこと、彼は同胞のところへ出て行き、彼らが重労働に服しているのを見た。そして一人のエジプト人が、同胞であるヘブライ人の一人を打っているのを見た。12 モーセは辺りを見回し、だれもいないのを確かめると、そのエジプト人を打ち殺して死体を砂に埋めた。・・・・・15 ファラオはこの事を聞き、モーセを殺そうと尋ね求めたが、モーセはファラオの手を逃れてミディアン地方にたどりつき、とある井戸の傍らに腰を下ろした。
モーセという人のことを、皆さんはどの程度思い描(えが)くことが出来るでしょう。モーセについて国語辞典ではどのように解説されているかを見たいと思い『三省堂 スーパー大辞林』と『小学館 精選版日本国語大辞典』を調べてみました。以下は、二つの国語辞典を合わせてのモーセ像です。
【古代イスラエル民族の伝説的指導者であり預言者。紀元前14世紀頃の人。生地(せいち)エジプトで迫害に苦しむイスラエル民族の窮状から彼らを率いてエジプトを脱出。40年間の荒野(あらの)での放浪ののち、約束の地カナンへ導いた。この間(かん)シナイ山で十戒を授(さず)かり、ヤハウェとイスラエル人との「契約」を仲介した。】
**************
出エジプト記2章の後半には、人生の最後に「神の人」(申命記 33章1節)と呼ばれるモーセの40歳~80歳頃迄のことが描(えが)かれます。
エジプトの王ファラオによるヘブライ人(=イスラエル人)弾圧は、男の子の赤ん坊の殺害命令において極まります。丁度その頃、ヘブライ人の両親の元に生まれ、ナイル川に流された一人の男児がエジプトの王女によって拾い上げられます。それがモーセでした。
モーセはエジプトの王子の一人として宮廷で大切に育てられるのですが、何と彼の乳母(うば)は実の母だったのです。モーセは自分の体の中にヘブライ人の血が流れていることを知っていたはずです。
40歳の時(使徒言行録 7章23節)、同胞が重労働の中に置かれているのを視察に訪れたモーセは、エジプト人に激しく叩(たた)かれる同胞を助けるためとは言え、殺人を犯してしまいます。
のちに「十戒」を通して「殺してはならない」という律法を与えられることになるモーセにとって、これは十字架となります。そして、自分をコントロール出来ないモーセの未熟さを見るのです。
**************
ファラオの元から逃亡せざるを得なくなったモーセが〈着(き)の身着のまま〉でようやく辿り着いた地はエジプトから遥か遠い「ミディアン地方」でした。彼は程なく「祭司エトロ(別名レウエル)」の7人の娘の一人「ツィポラ」と結婚。それから40年間、ミディアンの地に暮らすのです。
父親像を知らないモーセにとって、義父となるエトロとの出会いは80歳からの「出エジプト」の40年間に活かされる大きな意味を持つ時になったはずです。
7人の娘たちへの接し方においてもそうでしたし、祭司という宗教家としての生き方を間近に見ることが出来たことは幸いでした。もう一つ見逃せないのは、出エジプト記18章の記録です。
訪ねて来たエトロから、リーダーとして先頭に立つための具体的な指導を受け、それに素直に従うモーセの姿があります。さらに、荒れ野で生き延びる逞(たくま)しさを身につけることは、エジプトの王子として宮廷で可愛がられているままでは到底無理でした。
**************
逃亡先ミディアン地方での40年間は、モーセの人生の中で無駄にはなりませんでした。それどころか、エジプト脱出の荒野の40年間のために命を捧げて生きていくための、掛け替えのない準備期間となったのです。
パウロは「万事が益となる」(ローマ書 8章28節)ということを自身の経験の中から悟り、晩年に書き記しましたが、モーセもそのことを実感した人だったはずです。
モーセは逃亡者です。けれども、遠回りはモーセを豊かにし、寄り道はモーセの厚みとなり、まわり道は彼の年輪を刻んだのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.252
2020年4月19日
『クリスチャン はじめの一歩』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マルコによる福音書 16章12節~15節 12 その後、彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿で御自身を現された。13 この二人も行って残りの人たちに知らせたが、彼らは二人の言うことも信じなかった。14 その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。15 それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。
教会以外の所でも「福音」という言葉を聞くことがあります。
もしも皆さんが、聖書を読んでみたい、学んでみたい、キリスト教を知りたいと思っている方から「福音ってなんですか?」と聞かれたら、どのようにお答えになるでしょう。クリスチャンとしてその準備は出来ているでしょうか。
**************
ある先輩牧師が、説教準備の最後には山谷省吾(やまやせいご)先生(1889年・明治22年生・新約聖書学者で牧師)が書かれた『新約聖書小辞典』(新教出版社)を開いて、自分の語ろうとしていることは間違いがないかを確かめることにしている、と記しておられます。
山谷省吾(やまやせいご)先生は、岡山の県北・勝山ご出身の方です。山谷先生、「福音」について、どのようにまとめられているでしょう。
『新約聖書小辞典』を開いてみました。
そこには、『(1)福音は「喜ばしい音ずれ」の意。神が人間の救いのために、イエス・キリストを通じて与えられた「よい知らせ」。イエスは神の国(支配)が間近に到来したこと・・・・・・を宣べ伝え、悔い改めてそれを信じ受けようと呼びかけた。』とあります。
果たして、マルコによる福音書の最後の最後となる今日の箇所、16章12節以下に於いて、福音、即ち、「喜ばしい音ずれ」・「よい知らせ」を、私たちは見いだすことが出来るでしょうか。福音を知るには何が必要なのでしょう。
**************
私は日頃から、人の語る言葉に力があって、説得力があるかどうかというのは、その人が本当にそのことを喜び、その言葉を生きているか、ということに掛かっているのではないか、と考えています。
復活の主イエスに出会った11人の弟子たちは、どうだったのでしょう。イエスさまはこうおっしゃった、とマルコによる福音書は記録しています。
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」と。
このイエスさまのお言葉を受け、息を吹き入れられた弟子たちは、確信をもって福音を宣べ伝え始めたのです。〈口だけの人〉ではなく、ちゃんと、語る言葉を生きる人になっていった。語る言葉に責任を持とうとした。
**************
マルコ福音書において、いったいイエスさまは、何と言って人々に福音を宣べ伝え始めたのでしょう。
振り返っておきたいのです。
1章14節以下に、「・・・・・・イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。」とあります。
大切なのは、「〈悔い改めて〉〈福音を〉〈信じる〉」ことなのだ、ということがわかります。
弟子たちが語り始める言葉に力が与えられていったとするならば、その理由は、彼らが「悔い改めて 信じる人になっていった」からではないでしょうか。
足りないことの多い弟子たちが本物になって行くのです。
**************
キリスト者にとって「悔い改め」と「反省すること、後悔すること」は似て非なるものです。自分が神の前でいかに不完全で不十分な存在であるかを正直に認め、告白することから「悔い改め」は始まります。
イエスさまは実に不思議なお方です。
不完全で信仰の足りない者たちを用いて下さいます。11人の弟子たちは、そのことに涙し、心から感謝しながら生きていったのです。
そこからクリスチャンが、教会は生まれました。end
《 み言葉 余滴 》 NO.251
2020年4月12日
『マグダラのマリアゆえに』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マルコによる福音書 16章1~2節、8節
1 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。2 そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。・・・・・・8 婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。
初代キリスト教会で語りつがれていった主イエスの受難と復活の場面に欠かすことが出来ない人。それが「マグダラのマリア」という女性です。
「マグダラ」というのは地名で、少し詳しい『聖書地図』があれば、ガリラヤ湖の地中海側、つまり西の方にある港町であることが分かるはずです。
福音書には、イエスさまに従っていた女性たちの名前が幾人も出てくるのですが、いずれの福音書においても常に先頭にその名前が出てくるのが、実は「マグダラのマリア」なのです。
その紹介のされ方は、イエスさまの筆頭の弟子であった「ペトロ」が、いつも「ヤコブ」や「ヨハネ」よりも先にその名が記されているのに通じるところがあります。
**************
スポーツの世界、例えばサッカーのJリーグで〈サポーター〉という言葉を日常的に耳にするようになりましたが、「マグダラのマリア」は、イエスさまや弟子たちの周辺で、かなり強力なサポーターのような存在だったのではないかと思うのです。
ルカ福音書8章の冒頭の記事を読みますと、マリアを含む女たちが生き生きと働いている様子が目に浮かびます。
「すぐそののち、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。」
**************
マグダラのマリアとは一体何者であるのか。
上でご紹介したルカによる福音書とほぼ同様の記録が、ここで私たちが読んでいるマルコによる福音書の16章10節にもあります。「このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である」とあるのです。
「七つの悪霊」とは、その数の通りの七つのひどい病を負っていたとか、一方(ひとかた)ならぬ苦労があったということではないはずです。
罪深さや汚(けが)れ、社会の中で明らかに仲間はずれにされているような事情があり、それは、ひとさまにそう簡単には言葉に出来ない、深い悲しみや傷を負っていたことをうかがわせます。
そのマリアが、イエスの復活の場面において、み使いと思われる若者と出会います。
彼女は「恐怖のあまり震え上がって逃げ出した」のです。しかしマリアは、恐ろしさや自分の理解を超えた事態に直面しながらも、復活の証人として、ペトロを初めとする男の弟子たちの元に出向きました。マグダラのマリアの一歩が無ければ、今日(こんにち)のキリスト教も存在し得なかったのです。
**************
神さまがマグダラのマリアを通じてお示しになっているのは、男よりも女、というようなお考えからではありません。
主イエス・キリストの神は、過去にどのような傷があろうと、恥があろうと、失敗があろうと、人の噂があろうとも全く問題にされないのです。どこかで、誰かから貼り付けられたレッテルや評価など、神さまの愛の元では、何の意味もありません。
キリスト者にとって大切なのは、十字架と復活の愛を我が身にまとい、新しく生きることに誠実であろうとする在り方です。問題はこれからのあなたなのです。そう信じて生きる人こそが福音を生きる人です。ハレルヤ!end
《 み言葉 余滴 》 NO.250
2020年4月5日
『ピリ辛 マルコ福音書に学ぶ』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マルコによる福音書 15章21~22節 21 そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。22 そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った。
主イエスは、ご自身の「受難(じゆなん)と死と復活」について初めて予告された時に、群衆や弟子たちに言われたことがあります。ユダヤ地方最北の町・フィリポ・カイサリア地方でのことでした。それは、「私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい・・・・・・」(マルコ福音書8章34節以下)というお言葉でした。
筆頭の弟子を自認するペトロはその直前に「あなたがたは私を何者だと言うのか」と問われ、「あなたは救い主です」と告白します。イエスのことを「救い主」と告白する者にとって「自分の十字架を背負って従う」という、大きな責任と自覚が求められていることが、前後の文脈からも伝わって来ます。
**************
果たして私たちは、イエスさまが言われる「自分の十字架」というものをどれほど正しく認識しているのか、時には、立ち止まって考えてみる必要があります。
往々にして私たちは、本来ならば自らが負う必要も無い重荷、あるいは、自分には元々責任のない重荷。それが人生の中の「自分の十字架」になってしまってはいないでしょうか。あなたは大丈夫でしょうか。
**************
我々はここで、よくよく考えてみなければなりません。「イエスの担った十字架」は、一体、なぜ重くなったのか。鞭打たれ、弱り果ててしまって、体力の限界を超えたことから感じられた重みだったのか。
違うはずです。
その重さとは何よりも「私とあなたの罪の重さ」なのです。この事実を、私たちはいつの間にか、都合よく棚上げにしてしまいます。それがイエスさまを苦しめている。本当ならばその重い十字架は、イエスに従い続ける覚悟をもっていた弟子たちが負うべきものだったはずです。
けれども、弟子たちはいない。私もあなたもいない。
結果的には、イエスの十字架を負うことになったのは「アレクサンドロとルフォスとの父で〈シモン〉というキレネ人」でした。
〈シモン〉はイエスさまのことを直接には知らない人です。福音書は突如、無関係な人が現れて、イエスの十字架を負うことになったと告げるのです。ここには、とりわけ弟子たちのあり方について厳しい眼差しをもつとされる、福音書記者・マルコの祈りがあります。
**************
現代ドイツの代表的な新約聖書学者に、ペーター・ランペ先生という方がおられます。
ランペ先生は2017年10月、東北学院大学に招かれてマルコ福音書について講演されました。その様子が大学ホームページにも公開されており、少し難しいですが、大変興味深い内容ですのでご紹介します。
ランペ先生は、講演「マルコによる福音書 ―十字架のキリストに従う者への福音書 ―」の中でこう指摘されました。
「マルコ福音書は読み手にとって不愉快な書物です」と語られます。さらに「マルコ福音書はイエスの言葉と行いを伝えるだけの書物ではなく、当時の教会のあり方、ひいては、現在の教会のあり方に対して批判的な視線を向けている」と続けられたのです。
マルコ福音書は全部で16章の小さな福音書です。しかし、小粒でもぴりりと辛(から)いところがあるのです。
弟子たち、そしてマルコに関係する当時の教会、さらに現代を生きる私たちは、「無かったことには出来ない恥や傷を持っている」ことを率直に認める信仰が求められているのです。
主イエスに従って生きる私たちには「己の〈罪ゆえの〉十字架を負う」厳しさも時には必要ではないか。それとも、いつでも、あまーい神さまがお好きですか?end
《 み言葉 余滴 》 NO.249
2020年3月29日
『そして〈ピラト〉の名は残った』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マルコによる福音書 15章11~15節
11 祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。12 そこで、ピラトは改めて、「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」と言った。13 群衆はまた叫んだ。「十字架につけろ。」14 ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。15 ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
妙な言い方かも知れませんが、ポンテオ・ピラトという人は、イエスの母マリアと並ぶほどに、キリスト教会の中では有名人です。なぜなら、私たちが毎週の礼拝で告白している『使徒信条』の中で「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ」と、口にし続けているからです。
ピラトは実在の人物でした。少し大きめの国語辞典でもその名は解説されます。たとえば『精選版 日本国語大辞典』(小学館)には「ローマ領ユダヤの第五代総督(在位 26~36年)イエス・キリストを裁く裁判で、無罪を認めながらユダヤ教徒の圧力で十字架刑とした。生没年不詳。」とあります。
**************
妙な言い方かも知れませんが、ポンテオ・ピラトという人は、イエスの母マリアと並ぶほどに、キリスト教会の中では有名人です。なぜなら、私たちが毎週の礼拝で告白している『使徒信条』の中で「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ」と、口にし続けているからです。
ピラトは実在の人物でした。少し大きめの国語辞典でもその名は解説されます。たとえば『精選版 日本国語大辞典』(小学館)には「ローマ領ユダヤの第五代総督(在位 26~36年)イエス・キリストを裁く裁判で、無罪を認めながらユダヤ教徒の圧力で十字架刑とした。生没年不詳。」とあります。
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実は、ピラトはイエスに対して罪を見い出せませんでした。ユダヤの総督としてユダヤ人の信仰の問題には踏み入らない、中立の立場に立とうとしていた男です。
ローマ人の彼にはユダヤ人の信仰心などわかるはずがありませんし、理解したいと思う気持ちなど、さらさらありませんでした。
そんなピラトが恐れたものがあります。彼にとって奥さんも恐い存在だった(マタイ福音書27:19)ようですが、彼が恐れたのは神でもなく、真理でもありませんでした。
ユダヤの指導者たちにそそのかされ、たきつけられた「群衆」の存在でした。同時にピラトは〈ユダヤ人の指導者たち〉のイエスに対する恨(うら)み・ねたみ・恐れの力にも押され続けます。
そしてついに「群衆を満足させようと思って、バラバを釈放し」イエスを十字架に送るのです。
**************
ドイツにファシズム政党であるナチス、そしてヒットラーを生み出したのは誰だったのか。それはドイツ国民自身だったという歴史があります。ヒットラーは1919年にナチスに入党し2年後には党首となりますが、ナチス政権は当時の民主的な選挙で圧倒的な支持を得て誕生します。
確かにヒットラーは独裁者と呼ばれ、対外侵略を強行して第二次世界大戦を引き起こしました。しかし彼は突如として登場したのではなかった。独裁者や権力者の背後には、それを動かす民衆・国民が存在しています。
歴史は時と場所を変えて繰り返されるもの。今を生きる私たちは大丈夫でしょうか。
ピラトが罪人であることは確かなのです。けれども、ピラトを動かす力が、果たしてどこから生まれていたのかについて、静まって考える必要があります。イエスを憎み、邪魔者だと感じた悪魔的力がイエスさまの時代にも確かに存在した。その悪の力は〈民衆〉を取り込み〈群衆〉に変えて行きます。
祭司長たちの〈そそのかし〉に乗って「十字架につけろ」「バラバではなくイエスを」と連呼する〈群衆〉の中に、ちらちらと見える顔を想うのです。
**************
群衆心理というのものは恐ろしいものです。一人では出来ないことが群衆の中だと出来るようになる。皆が集まって紛れ込んでいると、自分は目立たないと思い込み安心してしまいます。
しかし、福音書は私たち一人ひとりの罪を見逃しません。鳥瞰(ちょうかん)という言葉がありますが、高い所からしか見えないものがあるのです。
十字架の上におられるお方はどなたでしょう。苦しみながら、あなたを極みまで愛し抜かれるキリストがおられます。end
《 み言葉 余滴 》 NO.248
2020年3月22日
『 鶏の鳴き声は ずっと聞こえた 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マルコによる福音書 14章70~72節 70 ・・・今度は、居合わせた人々がペトロに言った。「確かに、お前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから。」71 すると、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「あなたがたの言っているそんな人は知らない」と誓い始めた。72 するとすぐ、鶏が再び鳴いた。ペトロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」とイエスが言われた言葉を思い出して、いきなり泣きだした。
ペトロは三度、「そんな男は知らない」とイエスを否(いな)みました。「あなたのためなら命を捨てます」・「たとえ、ご一緒に死ななければならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」とオリーブ山で力を込めて誓ったのは、いったい何時間前のことだったでしょう。
それは心底からの言葉でした。そうであったからこそ、他の弟子たちがゲッセマネから逃げ出し、エルサレムの、とある場所で息を潜め始めた時にも、ペトロは大祭司の中庭にまでついて来ました。遠く離れていたけれども、それでも彼は「主に従う」心を失っていなかった。イエスを愛していたのです。
**************
ところが、どうしたことか。ペトロは自分の身を守るために、師(し)であり主であるイエスさまから、すーっと離れ始めます。大祭司の中庭に身を隠す場所などありませんから、顔を覆(おお)うようにして、出口付近に身を置いたのです。いつでも逃げ出すことが出来るように。しかもペトロは、「呪いの言葉さえ口にした」というのです。
「もしも、自分が嘘をついているのなら呪われてもいい」という意味以上に、ペトロは「あんな奴は地獄にでも行け、とイエスを呪った」と読み取れる言葉がそこでは使われています。
そうです。サタンはイスカリオテのユダだけに入っていたのではなく、ペトロにも入っていたのです。だからイエスさまは「あなたは、メシアです」と告白したペトロに対して、「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」と厳しく戒められたことがありました。
**************
聖書引き継ぐ形で、聖者・殉教者たちの列伝を描いたヤコブス・デ・ウォラギネという、1230年頃のカトリックの大司教が書いた『黄金伝説』という本に、ペトロについて記す次のような言葉があります。
「(彼は)いつでも一枚の布を胸に入れていて、しょっちゅう溢れ出る涙を拭った。というのは、主のやさしいお言葉と主のお側にいた時のことを思い出すと、大きな愛の気持ちから涙を抑えることが出来なかったからである。さらに、自分が主を否認したことを思い起こすたびに、はげしく嗚咽(おえつ)した。そのようによく泣いたので、彼の顔は泣き濡れて、ただれたようであった・・・・・・。ペトロは暗いうちに、鶏の鳴き声と共に起きて祈り、それから、いつも激しく泣いていた・・・・・・」(『黄金伝説 2』平凡社ライブラリー、『ペトロ』川島貞雄著・清水書院 参照)
**************
鶏の鳴き声を最後に聞いたのは、皆さんは、いつ頃のことでしょう。
ペトロは大祭司の中庭で聴いた鶏の鳴き声が一生涯ついて回りました。ローマ皇帝ネロの迫害によって殉教したと言われるペトロですが、エルサレムでもカイサリアでも、ガリラヤでも、いつも鶏の声がつきまとったのです。
ペトロは、「私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のため、また福音のために命を失う者は、それを救う」という主のお言葉を、生涯かみ締めながら、悔い改めの人生を生きて行きました。
私たちも、せめて受難節・レントの時には、そのような苦しみを刻印する努めを負う覚悟が必要なのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.247
2020年3月15日
『 〈裸〉の付き合いをしよう 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マルコによる福音書 14章50~54節 50 弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。51 一人の若者が、素肌に亜麻布(あまぬの)をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、52 亜麻布(あまぬの)を捨てて裸で逃げてしまった。
弟子たちは確信をもって語りました。
「イエスさま、他の人がどうであろうと、私は、あなたとご一緒に死ぬ覚悟は出来ております」と。エルサレムの町にほど近いところにあるオリーブ山でのことでした。
しかし、イスカリオテのユダに引き連れられた一群が近づいて来た時に何が起こったのか。
聖書は告げています。
「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」と。
「皆」ですから、シモン・ペトロもその中に居たはずです。でも、ペトロは一度は踏み留まります。距離を置いてではあるけれど、大祭司の屋敷の中庭に入り、何食わぬ顔をして火に当たり始めるのです。
**************
ところがその直前に、マルコ福音書には、ある人物の姿が描かれているのです。
「一人の若者が、素肌に亜麻布(あまぬの)をまとってイエスについて来ていた。人々が捕らえようとすると、亜麻布(あまぬの)を捨てて裸で逃げた。」と。
彼は「裸で逃げだした」のですが、「裸」という語には当然〈衣服を着けていない〉という意味があります。
しかし、原文を調べてみると、この語にはもう一つ別の意味があることに気が付きました。それは「裸の種つぶ」という意味です。
私はとても興味深い語だと思いました。逃げだしたこの若者は、実は福音の〈種つぶ〉として、重要な役割を果たしているのではないか、と。
**************
創世記2章では、エデンの園で、蛇=サタンの誘惑を受け、食べてはならないと言われていた木の実を口にしたアダムとエバが〈裸〉であったと告げられています。
自分たちが〈裸〉であることを知った彼らは、いちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆い、神の顔を避けて木の間(このま)に隠れます。しかし、罪を犯した二人は、木の間(このま)に隠れ続けることは出来ませんでした。
足音をさせながら近づいて来られた神は言われるのです。「あなたは、どこにいるのか」と。
アダムは答えました。「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。私は〈裸〉ですから。」と。
**************
新約聖書・ヘブライ人の手紙4章13節にも〈裸〉が出て来ます。
そこには、「神のみ前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には〈裸〉であり、さらけ出されているのです。この神に対して、私たちは自分のことを申し述べねばなりません。」とあります。
このみ言葉は、大祭司であるイエスさまが、どのようなお方であるのかが語られる直前に置かれています。
直後に続く、慈しみに満ちたみ言葉をご紹介します。
「この大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点に於いて、私たちと同様に試練に遭われたのです。だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜(じぎ)にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」とあるのです。
**************
私たちは「裸のつきあいをしよう」という言葉を使うことがあります。「包み隠さず、あるがままで」という意味のある「赤裸々(せきらら)」という言葉も知っています。
しかし、裸であることが求められるのは、人付き合い以前に、誰よりも、何よりも、神のみ前に於いてなのです。
〈神さまと裸のつきあい〉が出来てこそ、私たちは本物のクリスチャンになれるのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.246
2020年3月8日
『 過ぎ越さなかった〈杯〉 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マルコによる福音書 14章40~42節
40 再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。彼らは、イエスにどう言えばよいのか、分からなかった。41 イエスは三度目に戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。42 立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」
ゲッセマネという地名はクリスチャン以外でも知っている方が居られる場所かも知れません。
たとえば、『精選版 日本国語大辞典』では次のように解説されています。「エルサレムの東方、オリーブ山西側のふもとにある園。イエス・キリストが背教者ユダの導くユダヤ人に捕えられる直前に、最後の祈りをささげた所と伝えられる。」とあります。
確かに、間もなく、イスカリオテのユダと一群がゲッセマネの園にやって来ます。けれども、福音書は、ユダだけが裏切ってしまうのではないことを私たちに告げています。
ペトロの離反予告の場面では、他の弟子たちも口を揃えて、「たとえ御一緒に死ななければならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言ったと記録されています。
しかし、ことは単純ではありません。彼らは心の底から、最後まで主に従おうと思っていたはずだからです。
**************
ペトロ、ヤコブ、ヨハネの三人だけがゲッセネマネの祈りの場面で、特にイエスさまに伴われて行きますが、あくまでも、この三人は他の弟子たちを代表する存在としてここに描かれているのです。そして、彼らは共通してこう描写されます。「弟子たちは眠っていた」と。この場面で特徴的なのは、「目を覚ましていられない」弟子たちがここに居ることです。
出来事の文脈を確かめるために、少しだけさかのぼり、マルコによる福音書の13章3節を見てみましょう。
そこには「イエスがオリーブ山で神殿の方に向いて座っておられると、ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが・・・」とあります。主はエルサレムに来られるといつもここに身を置かれたのです。
その文脈の中でイエスさまが口にされた教えの締めくくり、13章37節には「あなたがたに言うことは、すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」とあります。もう一度記します。「目を覚ましていなさい」とあるのです。
これは、「すべての人」に向けて語られた主のお言葉です。私どもが見て見ぬ振りをしたり、聴かなかったことにすることはゆるされないお言葉です。
**************
カトリック教会の司祭に幸田和生(かずお)神父さまという方が居られます。1995年にNHKラジオで『こころをよむ 新約聖書 マルコによる福音書』という番組を担当されました。
その時のテキストに「イエスは神が書いたシナリオを演じる役者ではありません。生身のイエスは、苦しみや死を避けたいと願います。その自分の必死の願いを神にぶつけます」と書かれています。
これを読んで改めて気付かされたこと。それは、イエスというお方が、実に不思議な救い主だということです。主イエスは、弱くはかない弟子たちに一緒に祈ってほしかったのです。目を覚まして一緒に祈る者を求めておられた。
弟子たちと共に囲まれた「過越の食事」の時、主は〈杯(さかずき)〉を高く上げられました。杯に注がれるのは、ご自身が十字架の上で流される血だと分かって宣言されたのです。
ところがイエスさまは、ここでなお、み旨ならばと口にされながら、「この〈杯〉を私から取りのけてください」と祈られたのです。
**************
しかし、主イエスの杯は過ぎ越されなかった。それは、神さまがイエスの祈りを聴かれなかったからです。「神は微動だにもせず」(矢内原忠雄)だったのです。
実に、主イエス・キリストを通じての極みまでの愛が、ここに明らかにされています。
あなたは、今、目を覚ましていますか?end
《 み言葉 余滴 》 NO.245
2020年3月1日
『 〈過越の食事〉と〈主の晩餐〉 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マルコによる福音書 14章22~25節
22 一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」23 また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。24 そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。25 はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」
主イエスが弟子たちに準備するようにと願われた「過越(すぎこし)の食事」は、奴隷状態からの解放を成し遂げた〈出エジプト〉の救いと恵みを記念するものです。従って、ユダヤ人にとって極めて大きな意味をもつものでした。それは「永遠に守るべきもの」として律法に定められています。
ですから、この日、イエスさまだけが過越の食事を囲もうとしていたわけではありません。エルサレムのあちこちで小羊が屠(ほふ)られ、過越の食事が祝われていましたし、過越の食事は今日(こんにち)でもユダヤ教徒が大切にし続けているものです。
12弟子の一人で金庫番とも言われた〈イスカリオテのユダ〉は過越の食事の直前に祭司長たちにイエスさまを銀貨30枚で引き渡す約束をしました。その後ユダは、何食わぬ顔をして食事の席に着くのです。主イエスが十字架の上で命を落とされる金曜の午後3時を目前にした、木曜の夜のことでした。
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弟子たちはその過越の食卓で、イエスさまの口から発せられたお言葉に驚き、肝がちぢんだのです。
それが「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人が・・・私を裏切ろうとしている」というものでした。彼らは顔を見合わせながら「まさか私のことではと言った」と記録されています。
なにも〈どきり〉としたのはユダだけではありません。弟子たちは皆、心の奥底の、人には決して見せられないところで、何かあったら逃げ出してしまうかも知れない自分を意識しました。
事実、イエスさまは過越の食事の直後、筆頭の弟子を自認するペトロに対して、「あなたは今日、今夜、鶏が鳴く前に、三度私のことを知らないと言うだろう」と予告されますが、ペトロはもちろん、他の弟子たちもまた、大慌てで主イエスの言葉を打ち消したのです。ユダの裏切りだけが主イエスの死の原因ではない。切っ掛けに過ぎません。
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新約聖書は「New Testament(ニュー テスタメント)」と呼ばれます。直訳すれば「新しい契約」となります。
主はこの食卓において〈旧い契約〉を破棄し、〈新しい契約〉の成立を一方的に宣言されたのです。イエスを救い主と信じる者たちが、二度と過越の食事をする必要がなくなる道筋が明らかにされました。
エレミヤ書31章31節以下に、「見よ、私がイスラエルの家・・・・・・と新しい契約を結ぶ日が来る・・・・・・即ち、私の律法を彼らの胸に授け、心に記す」「わたしは彼らの神となり、彼らは私の民となる」「私は彼らの悪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。」とあります。
その預言の成就の時が、主イエスの十字架の死を目前にしたこの時だったのです。「律法を彼らの胸に授け、心に記す」は、出エジプト記20章以下で、モーセを通じて与えられた「十戒=律法」が「二枚の石版に刻まれたこと」と深く関係しています。
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この食卓で裂かれたパンと杯(さかずき)に、主イエス・キリストの十字架を通しての神の愛が凝縮されています。
この日の「過越の食事から後(のち)」は、イエス・キリストこそ我らの神の小羊であることを深く心に留める「主の晩餐=聖餐式」を大切に守り続けることによって、神の愛を私たちは心に刻み続けます。
聖餐式でパンが裂かれ、杯がかかげられ、分かち合われる度(たび)に、私たちの信仰のまなこは開かれ、人は新しくされ続けているのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.244
2020年2月23日
『 引き上げられた人 モーセ 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 2章8節b~10節 8 ・・・・・・王女が頼んだので、娘は早速その子の母を連れて来た。9 王女が、「この子を連れて行って、わたしに代わって乳を飲ませておやり。手当てはわたしが出しますから」と言ったので、母親はその子を引き取って乳を飲ませ、10 その子が大きくなると、王女のもとへ連れて行った。その子はこうして、王女の子となった。王女は彼をモーセと名付けて言った。「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから。」
80年後に、イスラエルの民がエジプトでの奴隷状態から解放される時、神さまによって召し出され、指導者として立てられるのがナイル川の畔(ほとり)で拾い上げられる「男児=モーセ」です。
その名は彼の父アムラムと母ヨケベドによってつけられたものではありません。皮肉なことに、その名付け親は、イスラエルの民を抑圧していたエジプト王ファラオの娘でした。
アムラムとヨケベドは、ファラオによってエジプト全土に発令された「ヘブライ人の家庭に生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め」という恐ろしい命令をかいくぐり、3ヶ月の間は、生まれて来た男児を育てようとしたのです。
しかし、とうとう限界の時がきます。お乳を求めて大声で鳴き続ける元気な男児を隠し通せるわけがありません。ついに彼らは、可愛い我が子を、ノアの箱舟と同じようにしっかりと防水加工を施した籠に入れ、祈りを込め、全てを主に委ね、ナイルの畔(ほとり)にそっと置いたのです。
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神さまは実に不思議な形で一家にみ手を差し伸べられます。
両親から、「せめて、籠(かご)が見えなくなるまでお前が見守っておくれ」と頼まれていたのがモーセの姉ミリアムでした。
機転を利かせたミリアムは、水浴びに来たファラオの娘がパピルスの籠の中の男児を見過ごしに出来ないことに気付くやいなや、「この子にお乳を飲ませることが出来る女について、わたくしには心当たりがございます」と申し出たのです。その乳母(うば)とは、モーセの実の母・ヨケベドでした。
こうして、水の中から引き上げられた男児は、ヘブライ語で「引き上げた」という意味のある「モーセ」と名づけられたのです。
イスラエルの解放のリーダー・モーセが、ナイル川から引き上げられた人物であることは、私たちの救いに結び付くことなのです。救いのひな型がここにあるからです。
イスラエルの解放のリーダー・モーセが、ナイル川から引き上げられた人物であることは、私たちの救いに結び付くことなのです。救いのひな型がここにあるからです。
例えば、創世記37章以下に登場したヨセフは、兄たちに井戸に放り投げられましたが、思いも寄らぬ形で、通りがかりの隊商たちによって引き上げられたことを思い出します。イスラエルの民も葦の海から引き上げられます。そしてまた、来たるべき時が来ると、私たちの事も含まれているこの世が、救い主イエス・キリストによって救い出されるのです。
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もしも、私たちが全てのことを自分の力でやり遂げようとして、もがいたり、溺(おぼ)れそうになることがあるとしたら、そのあり方を変えてごらんなさい、という促しがここにはあります。
アムラムとヨケベドは、手放すことが出来る信仰の持ち主でした。彼らは決して成りゆきに任せたのではありません。もっとも大切なものを、自分たちの手を放して神さまの手に委ね移したのです。「なるようになれ」と諦(あきら)めるのとは似て非なるものです。
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ヘブライ人への手紙は「信仰によって」と綿々と記し始める11章の冒頭でこう記します。
「信仰とは望んでいる事柄を確信し見えない事実を確認することです。昔の人たちはこの信仰のゆえに神に認められました。信仰によってこの世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かる」と。
私たちが、目には見えない掛け替えのない宝に心を向ける生き方へと導かれるのは、自分の無力さを深く自覚する時です。
私たちは弱い時にこそ強いのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.243
2020年2月16日
『 男は〈羊の門〉をくぐった 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 5章2節~9節 2 エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。3 この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。5 さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。・・・・・・ 8 イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」9 すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。その日は安息日であった。
ヨハネによる福音書の特徴の一つに、主イエスによる「私は○○○である」という定型句による自己紹介があります。「私は命のパン」、「私は世の光」、「私はよい羊飼い」、「私はよみがえりであり、命」、「私は道、真理、命」、「私はまことのぶどうの木」等がよく知られています。
あまり目立ちませんけれども、「私は羊の門である」(10章7節)というお言葉があるのです。直後に「私は門である。私を通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける」(10章9節)と続きます。さらに主イエスは、「私はよい羊飼いである」(10章11節)と語られるのです。
見落としてはならないのは「私が来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」(10章10節)というお言葉と、「よい羊飼いは羊のために命を捨てる」(10章11節)とはっきりと宣言されていることです。
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ヘロデ大王の時代のエルサレム神殿。当時のエルサレムを推定する地図を見ると、入口は「羊の門」しかありません。先ほど見た、イエスさまによる自己紹介「私は羊の門である」(10章7節)というお言葉と重なります。その「羊の門」から200㍍程の所にあったのが「ベトザタの池」でした。
ベトザタの池は、5つの回廊を中心に、様々な病で苦しんでいる人たちが横たわっていました。
当時、口伝えや過去の伝説として、「水が動いたとき、真っ先に水に入る者は、どんな病気にかかっていても、癒される」と聞いて集まって来ていた人々でした。
その中に、38年もの間、孤独を覚えながら病気で苦しんでいたけれども、主イエスに出会い、主が発せられた言葉に信頼して行動した時に、癒された人がいました。イエスさまは男にこう言われたのです。「起きよ、汝(なんじ)の床(とこ)を取り上げよ、且(か)つ歩め」(永井直治訳)と。
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その日は「安息日」でした。
イエスさまがなさったことは何でも無いことのように見えますが、決してそんなことはありません。当時のユダヤの社会、そして神殿を守っている人々に大きな衝撃を残すことだったのです。律法を無視するかのように「安息日」に行動しているからです。
それどころか、イエスさまは、「私は羊の門である」という宣言をしてしまう。あるいはまた、「人の子は安息日の主である。」(ルカ6章5節ほか)と宣言されます。どれもこれも、命懸けの行動なのです。
敵対する人々はざわめき、迫害を企てます。イエスは逮捕され、救い主=キリストであるがゆえに、羊である私たちの救いのために、十字架に向かって進まれるのです。
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癒されたこの人は歩き出しました。もちろんその行動は、主イエスから求められていたことです。
さらに、もう一つ、普通の人ならわざわざ神殿に抱えていったりしないものを男は抱えていた。それが「床(とこ)」でした。彼の家財道具一式=人生です。この人の行動は非常識なものであり、それは律法に違反する行動でした(ネヘミヤ記13:19)。
でも、それでよかった。
男がくぐったのは、エルサレム神殿の入口である「羊の門」のようでありながら、命の道を歩き出すための「主イエスという羊の門」だったのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.242
2020年2月9日
『〈お産婆さん〉になれますか?』
牧師 森
言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 1章19節~22節 19 助産婦はファラオに答えた。「ヘブライ人の女はエジプト人の女性とは違います。彼女たちは丈夫で、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」20 神はこの助産婦たちに恵みを与えられた。民は数を増し、甚だ強くなった。21 助産婦たちは神を畏れていたので、神は彼女たちにも子宝を恵まれた。22 ファラオは全国民に命じた。「生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め。女の子は皆、生かしておけ。」
エジプト記1章には〈ウイットに富む〉二人の「お産婆さん」の姿があります。間違って使ってはいけませんので、「ウイット」という言葉を国語辞典で引いてみました。
一番詳しかったのは『新明解国語辞典』です。「気まずさや相手の無神経な言動、攻撃的な態度などをやんわりとかわして、その場の空気を和らげたり 自分に有利な情勢をもたらしたりする、気のきいた言葉や、しゃれがとっさに出せる才知。機知。」とあります。
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お産婆さんのひとりは「シフラ」と言います。シフラには「美しい」という意味があります。もうひとりは「プア」と言い、「輝かしい」という意味があるようです。エジプトの王ファラオは、この二人の助産婦に「お前たちがヘブライ人の女の出産を助けるときには、子どもの性別を確かめ、男の子ならば殺し、女の子ならば生かしておけ。」と命じました。
しかし、二人の助産婦はファラオとは正反対の「神を畏れる人たち」でした。彼女たちは機転を利かせてファラオにこう言ったのです。「ヘブライ人の女はエジプト人の女性とは違います。彼女たちは丈夫で、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」と。
人を畏れず、神を畏れた彼女たちは、その後も、今まで通りに出産の手助けの仕事を続けました。だからこそ、エジプトに暮らすヘブライ人たちの間では、相変わらず男の子の誕生が続きました。間もなく姿を見せる「モーセ」も、こうして無事に生を受けた人だったのです。
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ここには、立ち止まって、思い巡らす必要がある女性たちの姿があります。「シフラとプア」の二人はエジプト王ファラオに対して、牙(きば)をむいて力で向き合ったのではありません。細腕の女たちなのです。
しかし、彼女たちは、この世の神として讃(たた)えられる者に対して、信仰に立つ知恵によってしたたかに闘い、悪の象徴とも言える王の企てを阻(はば)みました。
旧約聖書の箴言1章7節に「主を畏れることは知恵の初め」とあります。また、新約聖書の使徒言行録5章29節に、初代キリスト教会を形作る働きを始めたペトロらが語った言葉として、「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」とあったことを思い起こします。
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元来、お産婆さんというのは、産みの苦しみのただ中にある人の傍らにいて、手を取り背中をさすりながら励まし、新しい命の誕生を助ける存在であるはずです。
男女に関わりなく使われる言葉に、「産婆役を果たす」というものがあります。新たな事業を起こしたり、組織を作ったりする時に、「産婆役を果たした」というのです。表(おもて)に出て来ないのが産婆役です。
私たちもまた、何かの働きのために、産みの苦しみのただ中に身を置く人々と共にあって、その働きを支える使命を託されているはずです。
イエスさまはマタイによる福音書5章の「山上の垂訓」の中で言われます。「あなたがたは地の塩である」と。塩は姿を消して溶け込んでこそ役目を果たせます。
今の時代も、神を畏れぬファラオが牙(きば)を隠し、形を変えて、神の民であるキリスト者、教会の足元を狙っています。彼らの言いなりではなく「神を畏れる者」として、「天にその名が刻まれる」働きに仕えてまいりましょう。end
《 み言葉 余滴 》 NO.241
2020年2月2日
『 恩返しを始めた人 パウロ』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 13章42節~44節 42 パウロとバルナバが会堂を出るとき、人々は次の安息日にも同じことを話してくれるようにと頼んだ。43 集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神をあがめる改宗者とがついて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みの下に生き続けるように勧めた。44 次の安息日になると、ほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た。
使徒言行録は28章まであります。その中盤に差し掛かろうとする中で、主役がこれまでのイエスさまの直弟子である「ペトロ」から、イエスさまに従って伝道旅行をしたことすらない「パウロ」へと変わっていくのが使徒言行録の13章です。
もう少し言葉を添えるならば、これまでのユダヤ人としての名前である「サウロ」から、世界に通用しやすいギリシア語の名である「パウロ」に完全に切り替わって行くのも使徒言行録13章です。
さらに、福音宣教の舞台も、エルサレムから北へ600㎞程の所にある「シリアのアンティオキア」から、現在のトルコ共和国「ピシディアのアンティオキア」に変わります。様々な意味で、変換点にあるのが使徒言行録13章であることがわかります。
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実は、新約聖書に多くの手紙を残しているパウロが、初めて語り始めた時の説教が克明に記されているのが使徒言行録13章です。会堂に詰め掛けていた人々は、パウロの説教を聴き終えると口々にこう言いました。
「お願いだパウロさん。しばらくはここに居るんだろ。次の安息日のここでの説教も、もう一度、きょうと全く同じ話でいいから、ぜひとも聴かせてくれないか。」。私は伝道者になってから、こんなこと、一度も言われたことがありません! それ程までに、この時のパウロの説教は人々に衝撃と感銘を与えたのです。
それは、煎じ詰めて、わたし流に翻訳して申し上げるならば、「よい人間になるために、律法の教えの元でどんなに努力して頑張ってもダメだ。それでは朽ち果ててしまう。しかし、死を打ち破り、復活なさって、永遠というものを我らにお示しくださったイエスを救い主として信じるならば違う道が示される。」 というものです。
それだけじゃありません。
「信じることだ。あなたの人生を自分の力ではなく、イエスの言葉、導いて下さる出来事に信頼してお任せするならば、一人の例外もなく、異邦人であっても救われるんだ。義とされるのはなぁ、律法を守ることじゃない。十字架に架かられて死んで葬られたのに、甦られたあのお方を救い主と信じることだ」というものだった。
私たちにとって聴き慣れた内容かも知れません。けれどもこれは、当時の人々にとって極めてスキャンダラスな言葉だったのです。
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一週間後、同じ話を準備していたであろうパウロとバルナバの元に、町中の人々がやって来ます。その人たちは、彼らに賛同する人たちばかりではありません。むしろ激しく迫害する力が襲いかかります。
しかし、パウロとバルナバは少しもへこたれません。むしろ勇敢に語り続けたのです。とりわけパウロの支えとなったのが、「私は、あなたを異邦人の光と定めた。あなたが、地の果てにまでも、救いをもたらすために」というイザヤ書49章6節の預言が、我が身を通して起こっているという喜びだったのです。
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パウロは自分がどれほど愚かしい人間であるかを知っていました。「サウル、サウル、なぜ私を迫害するのか」(使徒言行録9章4節)とイエスさまから言われたことを忘れるはずがありません。
それなのに、神さまは自分のような者を用いて下さるご計画をもって居られることに応えたかった。
「恩返し」という言葉はキリスト教や教会になじまないかも知れません。しかしパウロは、キリストのために命懸けで「恩返し」しようとしているのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.240
2020年1月26日
『 それ、私じゃないですか』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マタイによる福音書 20章13節~16節 13 主人はその一人に答えた。『友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。14
自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。15 自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』16 このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」
私が伝道者を志して神学校に入学したのは1989年4月でした。もう31年前になります。
その半年程前から、私は日本聖書神学校の入学試験に備えて、付け焼き刃だとわかっていましたが、会社勤めからアパートに帰ると勉強をしていました。過去の入試問題集を手にし、だいぶ焦っていました。こんな難しい問題、俺に出来るわけないやないか、という感じです。
そんな中、「イエスの譬え話」だけは、どうやら毎年に近い位に出題があるようだということに気が付いて、自分でも読めそうな本を〈銀座の教文館〉というキリスト教書店で見つけてきました。
実際、私が受験した年の試験にも「イエスの譬え話」は出題されたのです。どう答えたのかは忘れましたが。
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ところがです。受験勉強のために学び始めた「イエスの譬え話」。実は、少しも易しくありませんでした。筋書きを暗記できそうなものを幾つか捜し出して、何とかかんとか答案に書くことが出来そうな、辻つま合わせの準備はしましたが、正直なところ、よく分からないことが多いのです。
その理由が今はわかるようになりました。
なぜなら、イエスさまの語られる譬え話は、非常識だったり、そりゃおかしいでしょ、という結末になることがしばしば起こるからです。ですから、イエスさまの譬え話を直に聞いていた人々は、腹をたてました。その行きつく先が十字架上のイエスの死でした。
地道に、コツコツと真面目に努力して、先頭に立っている者は、それ相応の報酬をもらえる、というのなら誰もが納得したでしょう。
ところがイエスさまは、「後にいる者が先になり、先にいる者が後になる」と仰ったのです。実ににけしからん話がここにはあるわけです。ここでの「ぶどう園の譬え話」。早朝6時くらいから働いている人と、夕方5時からのたった一時間しか働かなかった人が、皆と同じ一日分の賃金を受け取ったのです。
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でも、ここには深いわけがあります。イエスは賃金の支払いの仕方について教えておられるのではありません。「天の国」に入る基準は、この世の価値観とは違う物差しによることを教えて下さっているのです。
あんな奴、天国に入れるはずがない、という人をイエスさまは不思議なことに天国に入れようとされます。あんな奴は、どこに居て、どんな顔をしているのでしょう。
それが問題です。
周囲を見渡してみましょう。あんな奴が目に付きます。おかしな人、ひどい人。結構多いような気がします。さらにまた、いかにも正しいことを言うようで、不平ばっかり言う嫌なヤツ。人には気付かれないようにしているけれど、すぐに人をうらやんだり、妬んだりする。この人、あの人、どこかで見たことがあります。誰かによく似ています。
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聖書はわが身を映し出す鏡なのです。
私じゃないですか、「ぶどう園」で腹を立てているこの人は。私じゃないですか、「ぶどう園」で一時間だけ働いた人は。
福音書記者マタイが記録したイエスさまの宣教の第一声は、「悔い改めよ。天の国は近づいた」でした。「悔い改め=方向転換」は、明日することでも、来週になったらすることでもありません。
幾度でも、今ここで、すぐに始めることが出来ます。これは、本当に有難いことなのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.238
2020年1月12日
『 神さまだけに出来ることを』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎創世記 50章17節~21節
17 ・・・・・・どうか、あなたの父の神に仕える僕たちの咎を赦してください。」これを聞いて、ヨセフは涙を流した。18 やがて、兄たち自身もやって来て、ヨセフの前にひれ伏して、「このとおり、私どもはあなたの僕です」と言うと、19 ヨセフは兄たちに言った。「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。20 あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。
創世記による説教を月に一度程のペースで講壇から語り始めて5年。今回が最終回となります。
創世記49章の終わりから50章の始めに掛けて記されているのは、ヤコブの死と埋葬でした。この場面を読む時、生きとし生けるもの全て、ひとりの例外もなしに、やがて直面するのが「死と埋葬」であることを知りたいと思います。
つまり、ここには〈我が人生の物語〉が隠されていますし、〈わたしの家族の物語〉が見いだされるのです。
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ヤコブの死後の一切を取り仕切っているのは11番目の息子ヨセフでした。エジプト王ファラオからの絶対的な信認を得て総理大臣を務めているヨセフが葬儀の先頭にいます。
それに続いて、エジプトの宮廷の元老や、長老の姿もあります。そして、ヨセフにエジプトで与えられた家族、さらにそのうしろに、ヨセフの兄弟たちがぞろぞろと続いている様子が描かれています。その葬儀はエジプトでも稀にみる程に荘厳であり、盛大でした。
このような中、落ち着かない気持ちになり始めていたのがヨセフの兄たちでした。彼らがヨセフに対して犯した愚行やたくらみをヨセフは赦していないのではないか。父ヤコブが守ってくれていたあれやこれやが無くなり、急に不安になって来たのです。彼らは話し合いました。そして意見がまとまった。
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兄たちが人を介して行ったのは、先ずは父ヤコブの言葉を引き合いにして何とかわが身を守ろうとするものでした。
その上で彼らはこう伝えてもらいました。「お願いです。どうか、あなたの父の神に仕える僕たちの咎を赦してください。」と。
ヨセフは答えます。『リビングバイブル』で記します。「そんなにこわがらないでくださいよ、兄さん。 私だって神様じゃないんですから、さばくの罰するのと大それたことなんかできません。」と言ったのです。
続けてヨセフはこう言いました。それは〈いのちのリバイバル・覚醒〉の出来事が起こっている、ということなのです。
それが、「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に〈変えた〉」というみ言葉が実質的に意味していることでした。神に依らなければ出来ない変化が起こっています。ヨセフという人間が慰めを示しているのではない。神さまが主人公です。
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おしょうさんと小僧さんではありませんが、キリスト教会にも信仰の問答を大切にする伝統があります。
この場面から示されている福音を『ハイデルベルク信仰問答』に当てはめてみました。どうなるでしょう。
問2 この〈慰め〉の中で〈喜びに満ちて生きるため〉に、あなたはどれだけのことを知る必要がありますか。
答 三つのことです。
第一に、どれほどわたしの罪と悲惨が大きいか、
第二に、どうすればあらゆる罪と悲惨から救われるか、
第三に、どのようにこの救いに対して感謝すべきか、ということです。
創世記は最終章の50章で、「あなたがたが出会うべきは神である」ことを告げています。
神さまにしか出来ないことを、どうぞ考えてみて下さい。end
《 み言葉 余滴 》 NO.237
2020年1月5日
『ペトロさん お疲れさまでした』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 12章7節~12節 7 すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。・・・・・・11
ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」12 こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。
使徒行録12章の冒頭にまず登場するのは、ヘロデ大王の(*マタイ福音書2章参照)孫にあたるヘロデ・アグリッパ一世という政治家です。彼はエルサレムに生まれていた初期キリスト教会を弾圧するのですが、そのことを大喜びするユダヤ教徒達が存在したことが語られています。
ペトロ・ヤコブ・ヨハネという、12弟子の中でも〈三羽がらす〉の内、ヤコブが殺される、という残念な記事もあります。その直後にはペトロが三度(みたび)捕らえられ、牢屋に繋がれるのです。
そして12章の最後の方では、ヘロデ王の権力が地中海沿岸北部の町に及んでいて、彼の言うことを大人しく聞かないとまずいぞ、と悟った人々の、「ヘロデ・アグリッパさまは、我らの神だ」という叫びが続くのです。
しかし神さまはそのことを少しも喜ばれず、裁きを下される状況が描かれています。
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これらの記事の間に置かれているのは、牢獄の鎖に繋がれたペトロが、み使いによって助けられ、鎖から解き放たれ、ペトロを思って祈っていた人々のところに姿を見せる経緯です。ペトロだけでなく、初代のエルサレムの教会を神さまが顧みて下さることが伝わってくる内容と言えます。
ペトロの存在に明確にスポットライトが当たるのと同時に、実は、この直後に、ペトロは伝道の第一線から姿を消します。
入れ替わりで前面に出てくるようになるのが、あの「パウロ」です。この時点ではまだ「サウロ」と呼ばれていますが、12章のおわりにある「バルナバとサウロはエルサレムのための任務を果たし、マルコと呼ばれるヨハネを連れて帰って行った。」という説明の言葉によって、異邦人伝道の新しい幕が開かれることになるのです。
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最後ともいえるペトロの活躍の様子について、私たちは少し冷静になって立ち止まり、ご一緒に思い巡らしておきたいと思います。
この使徒言行録12章に記録されているペトロの様子は、少しの華々しさがあるようにも見えますが、だからといってペトロ自身が、イエスさまに代わって癒やしのみ業をなすとか、大胆に説教するというようなことはありません。
むしろ、ここにいるペトロは徹底的に受け身の人です。捕らえられ、牢屋に入れられる。そして鎖に繋がれていた彼は、み使いの存在を疑いながらも立ち上がります。「帯を締め、履物を履きなさい」と言われればその通りにしますし、「上着を着て、ついて来なさい」との声にも従順に従うのです。彼は、ほっぺたをつねって「夢か?」というような思いも抱(いだ)いていましたが、目の前の門が開き、一人になった時、ハッと気がついたのです。
「今、初めて本当のことが分かった。主が・・・・・わたしを救い出してくださったのだ」と。そして、祈りながら待っていてくれた教会(*マルコと呼ばれたヨハネの母マリアの家)のみんなの所に行くのです。
**************
ここに描かれているペトロは聖人などではなく、むしろ久しぶりに私たちも倣えるペトロです。
特に「今、初めて本当のことが分かった」とペトロが口にした言葉に私は深く共感します。
「わしも、ようわからんまま、ここまでやって来たんだけどなぁ」というような、ペトロの本心が伝わって来るのです。
私たちは、しばしば鈍い者のままであり続けています。でも、どうやら神さまは「それでもよし」として下さるようなのです。感謝。end
《 み言葉 余滴 》 NO.235
2019年12月15日
『 み翼のもとに生きた人 ルツ 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルツ記 2章15節~16節
15 ルツが腰を上げ、再び落ち穂を拾い始めようとすると、ボアズは若者に命じた。「麦束の間でもあの娘には拾わせるがよい。止めてはならぬ。16 それだけでなく、刈り取った束から穂を抜いて落としておくのだ。あの娘がそれを拾うのをとがめてはならぬ。」
ルツ。彼女はマタイによる福音書1章のイエス・キリストの系図に出てくる女性の名前で「タマル」「ラハブ」に続く三番目の人です。「ルツ」という名前はクリスチャンの女性の名前としてよく使われることでも知られます。例えば、内村鑑三の長女のルツ子などもそうです。
ルツのことを考える上で心にとめておきたいのは、ルツはモアブ出身の「異邦人」だということです。士師の時代、ベツレヘムを襲った飢饉のため、夫と共にベツレヘムから死海の東岸・異邦人の地モアブに逃れて来ていたエリメレクとナオミ夫妻の長男と結婚したのがルツでした。
しかし、義父が亡くなり、続いて夫にも先立たれます。モアブの地からベツレヘムに帰る義母ナオミに従って生きて行くことを決心したルツは、個人的な知り合いなど居ないベツレヘムで、落ち穂を拾いながら、義母を一所懸命に助けるのです。
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実は、そのようなルツの姿が明らかにしていることがあります。それは、彼女が「律法」の保護の元で生きようとしている人であることです。「律法」には弱い立場に置かれている者を顧みる重要な教えがあるのです。
ここでは、旧約に収められている律法の中から、「聖なる者となれ」という見出しが付けられているレビ記19章9節以下をご紹介します。
「穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。ぶどうも、摘み尽くしてはならない。ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。わたしはあなたたちの神、主である。」。
ルツを助け守ったのはこの律法でした。
ルツは、この教えのもとに生きることに対する深い信頼をもって生きようとしていた人なのです。そのような人間像を思い浮かべることが大切です。
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程なく、ルツはボアズという温厚な男性に出会います。ボアズはルツが嫁いでいった一族の親戚筋に当たる人でした。
注目したいことがあります。ボアズはもちろん努力もしていたでしょうし、当時の
ベツレヘムにおいて、リーダーシップを持つ素晴らしい人間で、一目置かれていたことは間違いありません。
しかし、彼は単にいい人、人格者だからということでルツの前に姿を現した人物ではないのです。彼の生い立ちに少し注目します。
前回、イエス・キリストの系図に登場する女性として学んだ「ラハブ」という人がおりました。イエスの系図には《遊女ラハブ》とは記されていませんが、ヨシュア記においても、新約聖書の書簡においても、彼女は《遊女ラハブ》と紹介されます。
しかしそんなラハブが、信仰の人であり、義と認められた人だとされているのです。そして、やがて《遊女だったラハブ》が結婚したサルモンという男性との間に生まれたのが、ここに登場する「ボアズ」でした。「ラハブの息子ボアズ」と「ルツ」の出会いは、神さまのご計画なのです。
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置かれている場、生かされている場で、誠実に忠実に、とにかく必死になって生きようとする人を、神さまがお見捨てになるはずがありません。
私は「ルツ」という人の生き方を通じて倣うべき素朴な事実に、そのような大前提があると感じています。
主イエス・キリストに聴き従う生き方も、お言葉に深い信頼をもって生きることから始まりますし、馬鹿がつくほど一所懸命であろうとすることも、同じように極めて重要なことなのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.234
2019年12月8日
『救いの道 ラハブによって』
牧師 森
言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨシュア記 2章13節、15節 13 父も母も、兄弟姉妹も、更に彼らに連なるすべての者たちも生かし、私たちの命を死から救ってください。」・・・15 ラハブは二人を窓から綱でつり降ろした。彼女の家は、城壁の壁面を利用したものであり、城壁の内側に住んでいたからである。
ラハブ。彼女はイエス・キリストの系図の中に名前が出てくる4名の女性の中の一人です。「タマル、ラハブ、ルツ、マリア」がその4人ですが、ユダヤの王ダビデとの間にソロモンを産む「バトシェバ」は「ウリヤの妻によって」と紹介されているだけで、実は名前は出てきません。
ラハブのことはヨシュア記2章1節で明確に「遊女ラハブ」と紹介されています。にもかかわらずラハブは、キリストであるイエスと切っても切れない関係にある人物であることを、私たちはしっかりと受けとめたいと思います。
はたして、ラハブとは聖書の中でどのような意味を持つ存在なのでしょう。
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舞台は聖書以外の資料から歴史的にも確認されているエリコという古代の大都市です。ラハブはエリコに暮らす人で、エジプトの奴隷状態からの脱出をはかり、荒れ野の40年の旅路の最終段階に入ったイスラエルの民が約束の地カナンに入ることが出来るようになる為の決定的な切っ掛けをつくった人です。
彼女は、モーセの後継者としての任命を受けたヨシュアが送り込んだ二人の偵察者(スパイ・斥候)を、機転を利(き)かしてかくまい助けました。
私たちは「遊女」と聞くだけで「とんでもない女だ」と決めつけてしまうところがあります。しかし、よくよく聖書を読んでみると、彼女には「父親も母親もいますし、兄弟も姉妹もいた」と書かれているのです。
つまりラハブは、古代都市エリコの中にあって、家族を養うためにおそらく宿屋の主人として働き、やむを得ない事情を抱えながら「遊女」として生きていた人なのです。けれどもラハブは、もしも律法にだけ照らし合わせるならば、罪人の烙印を押される存在であり、当時の社会に於いて軽んじられていた人でした。
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聖書が伝える福音の奥深さ、面白さ、不思議はこういうところにあります。神さまはラハブのような存在を決してないがしろにはしないのです。むしろ、ラハブのような存在を慈しみ、そして用いながら、救いの道を明らかにしようとされるのです。
例えば、ルカ福音書8章の冒頭にこのような描写があります。そこには、女性たちのたくましい姿があります。
「イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。」
イエスの宣教の旅において必要とされたのは当時の社会で周縁(しゅうへん)に置かれていた女性たちでした。同様に、その糸口となる存在がラハブだったなのです。
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新約聖書のヘブライ人(じん)への手紙11章の冒頭に「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」とあります。
そして、ラハブについてヘブル書は11章31節でこう告げるのです。「信仰によって、娼婦ラハブは、様子を探りに来た者たちを穏やかに迎え入れた。」と。
「信仰」をもって生きるとは、自己実現を目的として生きることとは全く違います。
私たちは神さまのみ心を知り尽くしてはいません。知り尽くしていないからこそ、生きていく楽しみがあるのです。「あー、やっぱり思った通りだった」という人生ではなく、まだ見ぬ、神の国を求める道を共に歩むのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.233
2019年12月1日
『救いの道 ユダとタマルによって』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マタイによる福音書 1章1節~6節
1 アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。2 アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、3 ユダはタマルによってペレツとゼラを、・・・・・・6 エッサイはダビデ王をもうけた。
新約聖書に4つある福音書の始まりはそれぞれに大変個性的です。
『マタイによる福音書』は「系図」を用いるという方法で良き知らせを書き記し始めるのですが、こんな名前の羅列に、どのような有難みを見いだせば良いのか、いささかどころか、大いに戸惑いを覚えるのが私たちです。
キリスト教信仰を土台にして『氷点』『塩狩峠』『道ありき』等を記された三浦綾子さん(1922-1999・日本基督教団 旭川六条教会の会員でした)という作家が居られました。
私が自力で聖書を読み始めようとした20代の半ば頃、東京・銀座の教文館というキリスト教書店で手にした本の一つが三浦さんが書かれた『新約聖書入門 ―心の糧を求める人へ―』(光文社)でした。
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三浦綾子さんは『マタイによる福音書』を紹介される中でこう記されています。
【私たち日本人が「織田信長、明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康」と羅列されただけで、それが天下をとった順であり、一人一人の性格や、事件やエピソードを鮮やかに思い起こすのに似ている。】と。
なるほど、三浦綾子さんのこの言葉を心の片隅に置いてみると、マタイによる福音書を最初に耳にした人たちは、「アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、」と聴いて、「ほう、それで」という気持ちになったのだろうな、ということを推測することが出来ます。
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マタイが記した〈イエス・キリストの系図〉は創世記38章と深く結び付きます。その中の「タマル」は、創世記の最重要人物であるヤコブの四男「ユダ」が息子のために探してきて、嫁入りした女性でした。
ところが、タマルの夫は神の裁きを受け、長男、そして再婚した次男も死にます。正確に言うならば神さまに命を取り上げられるのです。
本来ならばタマルは三番目の息子と再婚すべきでしたが、義父ユダに疫病神扱いされ、故郷に送り返されます。彼女はひとり孤独に待ち続けることになりました。
いつまで経っても呼び戻されないタマルは、一族の嫁として、当時の最も大切な務めである子どもを生むために、思いもよらぬ行動を起こします。それは、一人の女性として、引き裂かれるような呻吟(しんぎん)が伴う一大決心でした。娼婦になりすまし、舅(しゅうと)から子種を得て、義父ユダの子を宿すのです。
こうしてタマルは、「ユダはタマルによってペレツとゼラを」ということばによって、イエス・キリストの系図に記録される双子の母となるのです。
創世記38章26節には、義父ユダが「私よりも彼女の方が正しい」と自身の罪の自覚を告白したことが記録されています。この「ユダ」と「タマル」の二人共に、救い
主イエス・キリストの〈系図〉に欠かせない人物として名が記されました。
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信仰の書であり救いの恵みが明らかにされてる『聖書』はタダの本とは違います。
人が生きていく途上で経験してきたスキャンダルを包み隠さず記すのです。
他人に胸を張って語ることなど出来ない恥や過去と傷を抱え、心の奥底に封印している私たちが今ここに居ます。
『聖書』はそのような私たちの存在を明確に肯定します。だからこその〈福音〉なのです。
本当に有り難いこと。消えない傷は、イエス・キリストが全て負われました。end
《 み言葉 余滴 》 NO.228
2019年10月14日
『アンティオキアに 教会が生まれた』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 11章23節~26節 23 バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。・・・・・・25 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、26 見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。・・・・・・このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者(別訳=クリスチャン)と呼ばれるようになったのである。
使徒言行録2章に記される「聖霊降臨=ペンテコステ」の出来事は、キリスト教会を誕生させた、人知を越える神さまのご計画の現れでした。
そもそも、イエスさまご自身がユダヤ地方で活動された当時は「キリスト教」も「キリスト教会」も存在しませんでした。福音書を読むと、ペトロ、ヤコブ、ヨハネをはじめとする12人の弟子たちは、イエスさまに叱られながらも、一生懸命に行動しました。
でも、彼らは福音書の中で「クリスチャン」(新共同訳では「キリスト者」です)とは呼ばれていません。彼ら弟子たちは「使徒」として、イエスさまの元から派遣されることはありましたが、彼らの身の置き所は、カファルナウムやエルサレムにあった「集会所」ではなかったのです。
弟子たちが戻ってくる場所は、いつもイエスさまの所でした。
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実は聖書には「クリスチャン」という言葉は、全部で3回しか出てきません。聖書原文のギリシア語では「クリスティアノス」と書かれていますが、辞典を調べてみますと、この語は「キリスト」に「ティアノス」というラテン語の語尾が付いたものであることが分かります。
「ティアノス」には「・・・・に属する者」という意味があるのです。つまり「クリスチャン」とは「キリストに属する者」というのが語源というわけです。
そしてその「クリスチャン」が現れる最初の箇所が使徒言行録11章26節です。「クリスチャン」は自ら「私はクリスチャンです」と名乗ったのではなく、人々から揶揄(やゆ)される意味合いを込めて呼ばれた〈あだ名〉でした。
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その「クリスチャン」の姿が認められるようになったのは、12弟子たちイエスを直に知る人々が本拠地を置いていた「エルサレム」ではなく「アンティオキア」だったのです。当時の「アンティオキア」は「ローマ」や「エジプトのアレキサンドリア」に次ぐ都会で、交通の要衝(ようしょう)でした。
そこはユダヤ人からすれば異邦人の〈るつぼ〉というべき地で、エルサレムからは600㎞程離れたところでした。でも「クリスチャン」と呼ばれて〈からかわれた人々〉は、後(のち)のパウロが、世界各地への伝道を始めるための拠点となる信じる者の群れを「アンティオキア」に自主的に形作り始めていたのです。
12使徒が居なくても、福音は進展し始めました。いったい、アンティオキアのクリスチャンを根底で支えた力とは何だったのでしょう。
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エルサレムの教会から遣わされたバルナバからは、「揺るがない心をもって身を捧げること」「これと決めたら、周りの者が何と言おうとも、貫き通す強い覚悟を持ちなさい」と教えられました。
そして、その「バルナバ」がタルソスまで捜しに行って連れて来た「パウロ」との二人三脚の働きや助言には大きな意味があったに違いありません。しかし、アンティオキアの人たちも人の子です。限界があるし、ふらつくこともあったはずです。
何より大切なのは、神さまご自身のご計画であり、神さまの思いです。人の頑張りには限界があります。だからこそ、クリスチャンは歌い、祈るのです。
「主は約束を かたく守り、終わりの日まで 導かれる。
私はここに 誓いを立て、主よ終わりまで 従います」
(讃美歌-510-④)end
《 み言葉 余滴 》 NO.227
2019年10月13日
『 主に従う 嬉しい生き方とは 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 16章23節~25節 23 ・・・金持ちは陰府でさいなまれながら目を上げると、宴席でアブラハムとそのすぐそばにいるラザロとが、遥かかなたに見えた。24 そこで、大声で言った。『父アブラハムよ、私を憐れんでください。ラザロをよこして、指先を水に浸し、私の舌を冷やさせてください。私はこの炎の中でもだえ苦しんでいます。』25 しかし、アブラハムは言った。『子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。
ここには〈ひとりの金持ち〉が登場します。彼は死後、盛大な葬式を出してもらった様子です。しかし、そのあと天国には入っていないのです。世にあって何一つ困ることもなかった大金持ちのはずですが、彼の手には天国行きの切符は与えられなかった。皮肉な話です。
今、彼が居る場所。それは、明らかに天国とは反対の苦しみを味わう陰府(よみ)と呼ばれる所でした。このお金持ちは、地上でなしてきた何かが問題とされているのです。
生前、贅沢をし過ぎたことの罰を受けている、というのではありません。ヒントはこの金持ちと対比される形で登場する病弱で貧しい人ラザロとの関わり合いのようです。その点において、大いに問題あり、ということなのです。
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旧約聖書のレビ記19章18節に「自分自身を愛するように隣人(りんじん)を愛しなさい。私は主である。」というみ言葉があります。
金持ちは、いつも自分の家の前に横たわっていたラザロに対して、積極的に手を差し伸ばすことをしませんでした。「お前がパンくずを食べたいのなら拾って食べよ」という冷たさが描写の中にあります。彼にとってラザロは人間の数の内に入っていませんでした。隣人の対象になり得ない存在だったわけです。
ところが、彼が死んで陰府(よみ)に下ったとき驚(きょう)愕(がく)します。いつも自分の家のパンくずを拾いに来ていたあのラザロが、ユダヤ人にとっての信仰の父であるアブラハムの膝(ひざ)の上に抱(だ)かれ、よしよしされて、嬉しそうにしている姿を遥か遠くに見たのです。その距離感と断絶の淵は彼がそこに入ることが出来ないことを明確に告げています。思いもよらぬ、大逆転が起こったのです。
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イエスの「たとえ話」には大きな特徴があります。そこには重大な秘密が隠されています。それは「神の国」とはどのような所なのかを明らかにする為のものであり、この世の一般常識や知恵を身につける為のものではないということです。
何かを分かりやすく学ぶ為の「たとえ」とは根本的に違います。むしろ、読者への問いかけがあるのです。
ここでのある金持ちとラザロの「たとえ話」を聴かせたい人々は、直前にイエスを嘲笑っていたファリサイ派の人々です。彼らは律法に忠実ではあったかも知れません。
しかし、イエスさまが隣人となって、ゆるし、愛し、共に生きようとされた人々を
完全に拒否していた人たちでした。だからこそ、ユダヤ人のルーツをさかのぼって考える時の最重要人物である、信仰の父=アブラハムを通じての警告、すなわち「悔い改め」への促しがあるのです。
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マタイによる福音書の25章31節以下に、形は全く違いますが、内容的には今日のたとえ話と大変よく似た〈天上での裁き〉の場面が描かれています。
福音書記者マタイは天国で栄光の座に着く者について「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことである」と告げています。最も小さい者とは、今日のみ言葉ではラザロのことです。
隣人(りんじん)となる生き方は、いつでもどこでも始められます。
「主に従うことは なんと嬉しいこと」と賛美する人は、今日、何かが問われているのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.226
2019年10月6日
『逃げ出した人へ 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎創世記 47章8節~9節
8 ファラオが、「あなたは何歳におなりですか」とヤコブに語りかけると、9 ヤコブはファラオに答えた。「私の旅路の年月は百三十年です。私の生涯の年月は短く、苦しみ多く、私の先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません。」
聖書は興味深いことを告げる書です。
〈逃げ出した人〉が用いられるのです。ここではヤコブがそうですが、モーセもペトロも逃げ出した人です。逃げ道を準備されたのが神さまなのであり、逃げた場所にも神さまは居られるのです。
ただし、逃げ出した先で苦労がなくなるとは言っていません。でもそれでも、逃げるのもありですよ、と告げてくれるのが聖書です。
ここに登場しているヤコブは、アブラハム、イサクに続く族長です。ヤコブは石を枕にしながら旅を続けました。なぜ石を枕にしたのかと言えば、彼は逃亡した人だからです。石を枕にして野宿せざるをえなかった。そうなったのは、父イサクと双子の兄エサウを、母リベカと共にあざむいたことが切っ掛けでした。どう聖書を読んでも、彼はずる賢く逃げ出した人なのです。
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ヤコブは逃亡先の〈伯父(おじ)ラバン〉のもとで一所懸命に働きました。しかし今度はヤコブが伯父(おじ)からだまされるのです。結婚問題も絡んで、ヤコブは20年もの間ラバンに仕えたのち、再びヤコブは脱走したのです。
次に待ち構えていたのは、自分に恨みを抱いている兄エサウとの再会でした。殺されることも覚悟したヤコブでしたが、兄との和解が備えられていました。
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そんなヤコブが、まさに晩年というべき時を迎えています。20数年前、最愛の息子ヨセフを失ったことを悟ったヤコブは、死にたいと思いました。生きていることの意味を見失います。
しかしそれでもなお、ヤコブは不思議と生きて来たのです。あの石を枕にして寝た時に見た夢の中で神は約束されました。「見よ、私はあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、私はあなたを守り、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」
そして、思いも寄らぬ形で、エジプトの総理大臣として生き延びていたヨセフと再会を果たしたのです。
その直後、ヤコブはエジプトの王ファラオと初めて向き合った時、こう聞かれました。「あなたは何歳におなりですか」と。
ヤコブは答えます。「私の旅路の年月は百三十年です。私の生涯の年月は短く、苦しみ多く、私の先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません。」と。
百三十年が短いわけがありません。これは「私の人生。あまりに多くのことがあり、百三十年があっという間でした。」という意味なのです。
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パウロは「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(コリントの信徒への手紙 一 10章13節)と記しています。
この言葉に重みがあるのは、パウロにも耐え難い試練があり、罪もあり、何より、彼も逃げ出した経験をもつ人だからです。
それだけではない。逃げ出した人に与えられるものがありました。それは不思議にも信仰なのです。
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私は「信仰こそ旅路を」(讃美歌21-458)という賛美歌を愛しています。
「 信仰こそ旅路を 導く杖 弱きを強むる 力なれば・・・ 」
私も幾度も逃げ出しました。しかし神は、弱い者に信仰を下さったのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.224
2019年9月22日
『 ペトロの言葉に
人々が静まったわけ 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 11章1節~4節、18節
1 さて、使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人も神の言葉を受け入れたことを耳にした。2 ペトロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちは彼を非難して、3 「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」と言った。4
そこで、ペトロは事の次第を順序正しく説明し始めた。・・・・・・18 この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。
この場面。とても興味深いことが起こっています。12弟子の中でも筆頭格の「ペトロ」が伝道旅行に区切りを付けてエルサレムに戻って来たのですが、かなり厳しく批判されているのです。何が起こったのか。
ペトロがエルサレムに戻って来る直前にあったのは、ローマとの往き来ゆえに、エルサレムなどよりも重要な地中海沿岸の都市カイサリアに駐屯する、コルネリウスという百人隊長とその家族や部下たちが、聖霊を受け、それを確認したペトロが洗礼を授けた場面でした。
実におめでたいこと、喜ばしいことが起きていたはずです。ところが、ペトロは「お疲れさま」「よく頑張りましたなぁ」というねぎらいの言葉ではなく、ケチをつけられたのです。
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エルサレムには、12弟子たちの他にも、「十字架にかけられ、復活し、天にのぼられたイエスこそが我々の救い主である」と公に言い表すようになった人たちの群れがありました。
元をたどれば、彼らはユダヤ人でしたし、その自覚は当時も変わらなかったと思い
ます。しかし彼らは、伝統を重んじるユダヤ教徒とは袂(たもと)を分かつ決断をしたのです。ペトロの説教に触れ、ある時には三千人もの人たちが洗礼を受けて仲間に加わりました。彼らはユダヤ教「イエス・キリスト派」位の気持ちでいたのかも知れません。
しかしそれにしても、初代キリスト教会の、特に「エルサレムの教会」の中には、まだ解決されていない重要な問題があることが露呈しているのです。
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とりわけ、エルサレムのキリスト教徒たちが乗り越えきれなかったのは、ユダヤ人がユダヤ人であるために外すことの出来ない「割礼」の問題でした。ペトロを批判する人たちは「あなたは割礼を受けていない者たちのところへ行き、一緒に食事をした」と言って非難しました。
これが、エルサレムに誕生した初代キリスト教会の現実だったのです。何と心の狭い人たちなのだろうか、と思いますが、実のところ、イエスさまや12弟子が罪人や徴税人たちと一緒に食事をしている時に非難していた、ファリサイ派や律法学者たちの批判の言葉と、本質的に何も変わらないのです。
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本田哲郎神父さまが翻訳された聖書の11章の大見出しは、「ペトロ、エルサレムで、差別的な正統派キリスト者の姿勢をあらためさせる」とあります。これは大変面白いのですが、足りない点もあるように思います。
私はこの時のペトロのどこに力があったのかが気になります。無論、聖霊が異邦人にも降(くだ)ったという事実があったことは極めて意味のあることでした。
しかしこの時、相当にかたくなだった人たちの心にペトロの言葉がストンと落ちたのは、何よりペトロ自身が、変えられていった当事者だったという事実があるからではないでしょうか。
もっとハッキリ言うならば、ペトロは決して大説教家などではないのです。何度も恥をかき、悔い改めを生き続けている張本人だったからこそ、彼の言葉には真理の力が宿っていました。end
《 み言葉 余滴 》 NO.223
2019年9月15日
『 人生の目的を明確に 』
牧師 森 言一郎(モリ
ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 14章12節~14節 12 また、イエスは招いてくれた人にも言われた。「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。13 宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。14 そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。正しい者たちが復活するとき、あなたは報われる。」
ここでイエスさまが言われた内容は、文字をただ読むだけならばとても簡単なことです。
「宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。」とあります。宴会への招待は、社会的に弱い立場の人を優先しなさい、というものなのです。
讃美歌566番に「むくいを望まで 人に与えよ」「みむねのまにまに ひたすら励め」とあります。私の大好きな讃美歌です。
ところがです。私たちは、自分でも気が付かないうちに見返りを期待してしまうのです。あるいは、恩に着せてしまう。「あの時、せっかくあれだけのことをしてあげたのに、ちっとも・・・・・・」というような思いを実にしばしば抱いているのです。
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教会づくりという視点から考えるとき、食卓で語られたイエスさまのたとえの中には、その奥義が示されていることに気が付きます。
イエスさまは、ここにご自身を食事に招いてくれた「ファリサイ派」の人々の閉鎖的な生き方を悲しんでおられます。もっとハッキリ言うならば、間違いを指摘しておられるのです。ここでのお言葉は彼らへの警告でした。
実は、ここで注意が必要なことがあります。ファリサイ派の人々の生き方が、いつの間にか、私たちの在りようと重なってしまっていないか、という点です。
「ファリサイ」とは元来「分離された」という意味があります。民衆の生活から自分たちを離し、奴らと自分たちは違うと考える意識が、彼らの交わりを閉鎖的にしていったのです。
その高慢さが、今の私たちの教会の交わりの中に、いつの間にかはびこってしまってはいないか。大丈夫でしょうか。
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気心の知れた交わりに生きることは安心で安全です。しかし、教会は親密な交わりを形作りつつも、閉じられた場であってはならないのです。なぜなら、イエスさまご自身が開かれたお方だったからです。イエス・キリストの教会は、閉じられた心のままでは本当の教会とはなり得ません。
ここでは、神の国の扉を開くために必要な奥義が示されています。「宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい」とイエスさまは言われました。この招きの心を生きようとするとき、わたしたちの信仰の本気度が問われます。
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ズバリ伺います。
あなたの人生の目標は、今どこにあるでしょうか。自分の思いを実現させようとするのが人生の目的ではありません。「自己実現」の反対はどのような生き方でしょう。人のために生きることでしょうか。それも間違いではありません。
でもキリスト者には人生の目標が明確に示されています。み心を生きて行くことです。それが最高の幸せなのです。
ここでの「宴会」とは「神の国」のことです。死んだら入れる場所ではなく「教会」のことであり、教会生活の中心にある「礼拝」のことなのです。ここには、この世の強者の論理は微塵もありません。
あるのは、小ささであり弱さです。そして、神のみ業はあなたを必要としながら広がって行きます。end
《 み言葉 余滴 》 NO.222
2019年9月8日
『 〈家族〉の復活 』
牧師 森 言一郎(モリ
ゲンイチロウ)
◎創世記 45章25~28節 25 兄弟たちはエジプトからカナン地方へ上って行き、父ヤコブのもとへ帰ると、26
直ちに報告した。「ヨセフがまだ生きています。しかも、エジプト全国を治める者になっています。」父は気が遠くなった。彼らの言うことが信じられなかったのである。27 彼らはヨセフが話したとおりのことを、残らず父に語り、ヨセフが父を乗せるために遣わした馬車を見せた。父ヤコブは元気を取り戻した。28
イスラエルは言った。「よかった。息子ヨセフがまだ生きていたとは。わたしは行こう。死ぬ前に、どうしても会いたい。」
七年にも及ぶ大飢饉が襲いかかったことが切っ掛けで、再びエジプトに食糧を求めてやって来たヤコブの息子たち。彼らは青天の霹靂(へきれき)とも言える劇的な仕方でヨセフとの再会を果たしました。
そしてエジプトでの暮らしの保証を約束するファラオは、カナンの地での暮らしに「未練を残さないように」(創世記46:20)と言って、彼らを父ヤコブの元へ送り出します。
しかし、末の弟のベニヤミンを除く10人の兄たちの心は晴れません。それもそのはずです。兄たちはエジプトの隊商たちにヨセフが連れて行かれたことを知っていたのに対して、父ヤコブはヨセフは死んだものだと思い込んでいるのです。だからこそ、ヤコブは末息子ベニヤミンを可愛がりました。
**************
人生とは複雑であり、人間も複雑な存在だと思います。嬉しいけれど辛いのです。
130歳になる父ヤコブに、よい知らせを携えて行く旅路であるはずなのに、彼らは沈痛な面持ちでカナンに向かって歩いているのです。その原因は何かと言えば、ほかならぬ〈罪〉でした。
創世記45章後半において、〈罪〉の問題が誰にもわかる形で記されているわけではありません。それどころか、そんなことは何も記されていないようにさえ見えます。
正にこれが、私たちの人生ではないでしょうか。罪の問題と真っ正面から向き合うことを抜きにして、私たちの道は開かれないのです。
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戻って来た息子たちが父に先ず報告したのは、「ヨセフがまだ生きています。しかも、エジプト全国を治める者になっています。」というものでした。
けれどもこの言葉は、きっと父は飛び上がって喜ぶだろう、というお気楽な予想の元、語られたものではないことを踏まえるべきでしょう。
彼らには覚悟がありました。今できる限りの誠実さをもって父に向き合うしかない。もはや隠し立てをすることもない。恵みの中、自分たちが罪人(つみびと)であることを認めている。いざとなれば父に対して、どのようなことでも答える覚悟があった。
ルカ福音書15章の放蕩息子の帰還に重なるものがあります。
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報告を聞いたヤコブも人間です。今さらそんなことをどう信じればよいのか、表情は固まりました。笑顔などなかったのです。
しかし、父ヤコブは、結果的には息子たちにその罪の内容の逐一を語らせなかった。ヤコブはここで、息子たちに対して怒りの感情を露(あら)わにしませんでした。
私は思います。
父は息子たちを赦そうとして忍耐し努力しているのです。おそらく、息子たちのひと言ひと言の中に、心底の悔い改めを感じ取っていた。
「元気を取り戻した」(原意は「リバイブした」「覚醒する」)ヤコブは「よかった」と言います。「それで十分だ」という意味の語です。
私は、息子たちの報告に対する赦しの意味が含まれていると感じるのです。ゆるした父には、新しい命の息が吹き込まれています。
これはヤコブの「復活」の時でした。そしてこの「復活」は、〈共に生きる家族の復活〉の時だったのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.221
2019年9月1日
『 毎日が日曜日なのだから 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 13章10~21節 10 安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。11 そこに、十八年間も病の霊に取りつかれている女がいた。腰が曲がったまま、どうしても伸ばすことができなかった。12 イエスはその女を見て呼び寄せ、「婦人よ、病気は治った」と言って、13 その上に手を置かれた。女は、たちどころに腰がまっすぐになり、神を賛美した。14 ところが会堂長は、イエスが安息日に病人をいやされたことに腹を立て、群衆に言った。「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。」
聖書の中で「会堂長」というと、よく知られている人物の名前を思い出します。〈ヤイロ〉です。12歳の愛娘(まなむすめ)をイエスによみがえらせてもらった会堂の管理者です。
おそらく、カファルナウムの人物で、その仕事は律法の教師とは違う立場で、会堂での礼拝の祈りや聖書朗読や説教をする人を選んだりすることであったと思われます。
他に、子どもたちの教育、旅人のもてなしもする。会堂の果たすべき大切な日々の役割が支障なく進むように、いつも心配りをする人でした。会堂はまるで現在の教会のようです。
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人間というのは先入観に左右されるものだと改めて気付かされたのは、ルカによる福音書13章に姿を現し、イエスさまにかなり厳しく叱られることになる「会堂長」の姿を通じてでした。
私が説教の準備をしながらしばしば経験するのは「恥ずかしながら・・・ようやく気が付いた」ということです。実は私、新約聖書に登場する「会堂長」は、そのほとんどがイエスという存在に対して好意的な態度をとるものだと思い込んでいました。
ところが違いました。イエスさまが18年間も腰を伸ばすことが出来なかった婦人の癒しをなされたにも関わらず、「会堂長」はイエスさまに悪態をつくのです。
いいえ。彼の立場からですと、自分たちの生活、人生の土台となっている〈律法〉に基づく正当性を確信をもって語っているだけなのです。
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会堂長は言いました。「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。」と。
この言葉の背景を整理しておきましょう。先ず、出来事の冒頭に出てくる舞台設定となる「安息日に、イエスは会堂で・・・」という言葉が鍵なのです。特に「安息日」が問題です。
そもそも「安息日」の原点はどこにあるのでしょう。その聖書的な起原は二つあります。一つはモーセの「十戒」にあるのですが、ここではもう一つをご紹介します。
それは、聖書の初め、天地創造の場面です。創世記2章の冒頭に〈神さまご自身の安息〉の様子がこう記されています。
「2:2 第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。3 この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。」とある通りです。
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万物を創りだされたのが神さまであり、間違いなく私たち一人ひとりの創り主です。
自力では回復が不可能な状態になってしまった人間、立ち止まることを忘れている者、罪の縄目に絡みついてしまって身動き出来ない人を、創造の主は、見捨てるようなお方であるはずがありません。
私の最愛の絵本に『たいせつなきみ』(原題「You Are Special(ユー アー スペシャル)」作:マックス・ルケード)があります。
傷だらけになった木彫りの人形・パンチネロ。彼は丘の上の家のエリという、木彫り人形造り職人を訪ねた時にこう語りかけられます。「毎日お前が ここへ来てくれることをねがって まっていたんだよ」と。
主イエスはたとえ何曜日であろうとあなたが教会に帰ってくることを待っておられます。お言葉を下さり、手当をなさる。
それが私たちの救いです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.220
2019年8月25日
『 コルネリウスに聖霊が降るわけ』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 10章24~33節
24 次の日、一行はカイサリアに到着した。コルネリウスは親類や親しい友人を呼び集めて待っていた。25 ペトロが来ると、コルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝んだ。・・・・・・33
それで、早速あなたのところに人を送ったのです。よくおいでくださいました。今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです。」
初代キリスト教会の発展、福音の伸展を伝えているのが使徒言行録ですが、ここに登場する〈コルネリウス〉の控えめであるけれど、堅実で誠実な姿は、私たちに少しの押しつけがましさもなく、たいせつな事を教えてくれているように思うのです。
そもそも、カイサリアに駐在する〈百人隊長〉と言えば、他の町でその務めを果たしている〈百人隊長〉に比べて、相当に重い責任が与えられていたと思われます。なぜなら、カイサリアは、地中海を渡ってローマに向かうのに、一直線の所に位置するからです。
〈コルネリウス〉の生活振りについて最初に伝える記事は、使徒言行録10章2節に「信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。」とあります。
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使徒言行録を記したルカは、彼にとっての第一部であるルカ福音書の7章で、〈コルネリウス〉と同じように〈百人隊長〉としてカファルナウムで働いている男が、部下の癒しのためにイエスさまに救いを求める場面でこのような言葉を紹介しています。
〈百人隊長〉はこう言うのです。「7:7・・・ひと言おっしゃってください。そして、私の僕(しもべ)をいやしてください。8 私も権威の下(もと)に置かれている者ですが、私の下(もと)には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」
部隊を率いる者として、上からの命令には絶対に服従する生き方をしているのが〈百人隊長〉であることがわかります。彼自身も、上官からのひと言を受ければ、命を掛けて生きて行く覚悟をつねにもっている人なのです。
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しかし、生身の人間として、場合によっては命を差し出す覚悟をもって最前線に進み出なければならない彼ら兵士には、自分を支えてくれる、絶対的な何かを求める、否、欲すると表現すべき心があったはずです。
たくさんの言葉である必要はありませんでした。究極的には、み子イエス・キリストという〈いのちの言(ことば)〉としてこの世にお出でになったお方の〈ひと言(こと)〉があれば、自分は生きて行けるのだ、という気持ちをもっていたのです。
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私は〈コルネリウス〉に惹(ひ)かれるところがあります。彼には家族や部下たち、つまり、一緒に暮らしを分かち合っている人々との対等な関係の中で、はるばるやって来たペトロの話を誠実に聴こうとする空気を感じるからです。
それは一朝一夕(いっちょういっせき)で身につけたことではない、と思います。部下の命を、家族の暮らしを、命懸けで守り抜くためには、彼自身を支える確かな、堅固(けんご)なものが必要だったのです。
〈コルネリウス〉の、「今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです。」という姿勢は、私たちが神の言葉を聴く姿勢を整えるために見倣うべき模範です。
〈聖霊〉は、このような形で神の言葉を切実さと期待と祈りをもって待ち望む者に与えられました。
〈コルネリウス〉。後(のち)に彼は軍人を退役し、ごく平凡に生きる一般の人になってからもなお、その生き方は少しも変わらなかったに違いありません。end
《 み言葉 余滴 》
NO.219
2019年8月18日
『 一番の〈ワカランチン〉はだれ』
牧師 森 言一郎(モリ
ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 10章33~34節
33 ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、34 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
主イエスは十字架での磔(はりつけ)による死が待ち受けるエルサレムに向かって進み出されるときに表情を変えられました。その様子が、ルカ福音書の9章51節で「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた」と記録されています。「決意を固める」とは「顔を固める」という意味の言葉です。
ガリラヤ近郊での宣教活動を終えられたイエスさまのお心があきらかにされている〈節目の記事〉なのです。
ところが、イエスさまはエルサレムに向かう前に「サマリア」という地に対して深い思いを抱いておられることを弟子たちに教えようとされます。遣いの者たちをわざわざ「サマリア」へ送るのです。遣いの者たちは「サマリア人たち」に歓迎されませんが、イエスさまからすると、そうなることは織込み済みでした。何としても遣いの者を「サマリア」に送る必要がありました。
**************
ヨハネによる福音書4章に見る「サマリアの女」との出会いを既に知っているはずの弟子たちですが、彼らはこの時、怒りを露わにします。12弟子の中で、おそらくペトロに次ぐ立場にあり、雷の子たちと呼ばれることもあるヤコブとヨハネは、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼ら(=サマリア人)を焼き滅ぼしましょうか」とまで言うのです。
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元々「サマリア」は、ダビデ・ソロモンと続いた統一王国の分裂後、オムリ王によって設立された北王国イスラエルの難攻不落の首都でした。アッシリアによって侵略された「サマリア」は、異邦人との混交・混血が政略として進みます。そのことが複雑に絡み合い、イエスさまの時代、純潔を重んじるユダヤ人は異邦人以上に「サマリア人」を嫌悪したのです。
そのような歴史をイエスさまの弟子たちも知っていました。ですから、「そらみたことか。イエスさまは、時々、お考えが甘くなることがあって困ったものだ。」と思ったとしても不思議ではないのです。ところが、イエスさまはそんな弟子たちを静かに戒められます。弟子たちは大いに不満だったでしょう。口をとがらせる弟子たちの顔が行間から浮かんできます。
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聖書を読む時に私たちは色々な意味で、背景とか文脈というものを考えることがとても大切です。「善きサマリア人」の譬え話をイエスさまがなさったこの場面では、どのような文脈を知る必要があるのでしょう。
譬え話を聴いているのは「先生、何をしたら永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」という質問をした「律法の専門家」だけであるかのように見えます。
けれども、それは落し穴です。
福音書記者のルカはひと言も触れていませんが、譬え話を通じて学んで欲しいのは、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、彼ら(=サマリア人)を焼き滅ぼしましょうか」と叫んでカッカしていた〈弟子たち〉でした。
最も身近に居る彼らにこそ、イエスさまはご自身の思いを知って欲しかったのです。
ルカは少し先の17章でも、10人の重い皮膚病の人たちの癒しの記事の中で、癒された者のうち、一人イエスの元に戻って来て神を賛美したのは「サマリア人」だったと記録します。
**************
わたしたちは、イエスさまが「サマリア」や「サマリア人」にこだわられた理由を、少しも差し引くことなく、学び続ける必要があります。
弟子たちのこと、律法学者たちを他人事(ひとごと)として眺め、イエスさまの決意を封印し、「ワカランチン」のまま、呑気(のんき)に過ごしていてよいわけがありません。end
《 み言葉 余滴 》 NO.217
2019年8月4日
『 あなたの〈ぴょん〉を求めるイエス 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 6章26節~29節 26 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。27
朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。父である神が、人の子を認証されたからである。」28 そこで彼らが、「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と言うと、29
イエスは答えて言われた。「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である。」
5つのパンと2匹の魚による給食の奇跡が行われたことで、人々のイエスに対する期待は高まります。
しかしイエスさまは、しばらくの間、身を隠すようにしてお過ごしになっていたようで、「先生、一体、いつここにお出でになったのです」という群衆の言葉が聖書には記されています。
その時、イエスさまが答えられたお言葉は、少し謎めいていますが、「はっきり言っておく。・・・・・・朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。」というものでした。
「働きなさい」というお言葉を聞いた人々は思ったのです。どんな善い業を積み重ねればよいのか。一体、何をどれだけ続ければよいのだろうか、と。だから彼らは質問します。「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」(28節)と。私たちもそこに居合わせたなら、同じように考えるかも知れません。
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英語で恐縮なのですが、ヨハネによる福音書6章28節を、わかりやすい英語を使う「ニューインターナショナルバージョン」(NIV)という翻訳で読んでみましょう。まず、群衆がイエスさまに問いかける言葉です。
「 What must we do to do the works God requires ? 」とあるのです。
興味深いのは新共同訳では「業」とされている語に、この英語訳では[複数形]を意味する〈s〉(エス)を語尾に付けて、「works」(ワークス)としている点です。
「私らぁ、あのこと、このこと、どれだけ続けて頑張ればよいのでしょうなぁ?」という思いを抱いていることが十分に伝わってきます。
それに対して、イエスさまがお答えになったのは29節です。ご紹介します。
「 The work of God is this : to believe in the one he has sent. 」とあり、「work」(ワーク)には〈s〉(エス)はありません。[単数形]なのです。
**************
では、ただ一つ、イエスさまが私たちに求められることは何なのでしょうか。
イエスはお答えになりました。「神がお遣わしになった者を〈信じること〉、それが神の業である。」(29節)。英語では「 to believe in the one 」と書かれています。イエスさまのお答えは〈信じること〉だけなのです。
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私たちの人生途上で求められる、本当に大切なことは、その殆どすべてが目に見えないものです。「愛」「真実」「信頼」「正義」「友情」「信仰」。あるいは、「息」や「空気」すらも見えませんし、触れることもできません。
12弟子の中で、ただひとり、復活のイエスとの劇的な出会いに乗り遅れた〈ディディモと呼ばれるトマス〉は、イエスさまから「あなたの手を伸ばし、わき腹に手を入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(ヨハネ福音書21:27)と語りかけられました。
私は思います。
キリスト教の信仰には、あなたの〈ぴょん〉が必要なのだと。end
《 み言葉 余滴 》 NO.216
2019年7月28日
『〈偏食をやめたペトロ〉に倣う 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 10章10~15節 10 ペトロは我を忘れたようになり、11 天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。12 その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。13
そして、「ペトロよ、身を起こし、屠って食べなさい」と言う声がした。
福音というものは、イエスさまご自身が活動された、ガリラヤ地方やユダヤ地方だけに留(とど)まっていて良いはずがありません。復活の主イエスは、初代のキリスト教徒たちによる〈異邦人伝道〉を願われたのです。だからこそ、「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子としなさい」(マタイ福音書 28:19)と命じられました。
さらに、聖霊の降臨によって、「地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒言行録 1:8)ことを約束されたのです。
ユダヤ人と口も利かないような仲だった〈サマリアの地〉に福音を届けたのはフィリポでした。さらにフィリポは、荒れ地の〈ガザ〉でエチオピアの宦官(かんがん)に福音を解き明かしました。宦官は〈異邦人〉です。続いて用いられていったのがペトロでした。ペトロは主のみ手に導かれながら、〈リダ〉〈ヤッファ〉を経て〈カイサリア〉という地中海沿岸の大きな都市に福音を届けます。
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カイサリアではコルネリウスというローマ帝国の「イタリア隊」の百人隊長とその家族との出会いが待っていました。彼らも〈異邦人〉です。
しかしペトロには不十分なことがあったのです。それは悔い改めでした。そのために備えられていたのが、食べたこともない物が布に乗って飛んで来て「これを食せよ」という主の声を聞く出来事だったのです。
祈るために屋上に上がったペトロは、「我を忘れたような状態になった」とあります。「脱魂状態」。あるいは「忘我(ぼうが)」「気をうしなえるような心地」というような訳の聖書もあります。彼自身が望んでこうなったのではありません。すべては聖霊の導きでした。
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実は、このような状態になったのはペトロだけではなく、もう一人、パウロも同様の経験をしていたのです。
使徒言行録もおわりが近くなる22章17節以下のエルサレムの兵営での弁明の場面で、パウロは、「わたしは・・・神殿で祈っていたとき、我を忘れた状態になり、主にお会いした」と語ります。そして最後に、復活の主イエスによって、「行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わす」と命じられているのです。
二人が自分自身をコントロール出来ない状況に置かれたのは偶然かと言えば違います。彼らに必要だったのは自分の力ではない。むしろ、力に満ち満ちたペトロやパウロとは反対の状態なのです。彼らに必要だったのは上からの力=聖霊でした。
聖霊に押し出される中、先ずは最初期の〈異邦人伝道〉をペトロが担い、その後の〈異邦人伝道〉をパウロが引き継いで行ったのです。
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ペトロは脱力状態の中「身を起こして、あらゆる獣(けもの)、地を這(は)うもの、空の鳥を屠(ほふ)って食べよ」と主に命じられましたが、実際に彼がそれらのものを口にしたのかどうか、聖書は関心をもっていません。なぜなら、ここでの問題は食べ物ではないからです。
ペトロはイエスさまから、「恐れることはない。今から後(のち)、あなたは人間をとる漁師になる」(ルカ5:10)というお言葉を受けて立ち上がったところに、信仰者としての原点があった人です。
そのペトロが、イエスさまの直弟子(じきでし)として、初代のキリスト教会の中でも重要な役割をここで果たし始めています。
異文化、異教徒、異民族への使徒として、生い立ちも人生の価値観も全く違っている人々、すなわち〈異邦人〉の元へ裸で飛び込んでいく生き方を、ここから本格的に始めるのです。
聖書の中で私たちが近しい気持ちを抱く人物として第一にあげるのはペトロです。ここにいるペトロからも、私たちは倣うべき多くを示されています。end
《 み言葉 余滴 》 NO.215
2019年7月21日
『 主イエスが待って居られること 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 5章4節~8節
4 話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。5 シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。6
そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。・・・・・・8 これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。
ガリラヤ湖の漁師であったシモン・ペトロ。彼が「恐れることはない。今から後(のち)、あなたは人間を獲る漁師になる」というお言葉を受けて、イエスさまに従って行くことになったのは、上の、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」という告白の直後のことです。
いいえ、ペトロだけではありません。ヤコブとヨハネという仲間二人と兄弟アンデレもイエスさまに一緒に従って行くのです。そのきっかけは、何(なに)であったのか。
彼らの身に起こったのは、露ほども予想していなかった大漁でした。イエスの言葉に従った時に、思いも寄らない大漁を経験してしまったのです。それは驚きや、喜びを超えて、恐れを抱かざるを得ない出来事でした。
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当時、彼らの暮らしているガリラヤ湖の辺りで、イエさまの噂は日に日に広がり始めていました。ペトロの姑(しゅうとめ)が熱病で苦しんでいるのを助けてくださったのもイエスさまでした。
さらには、ペトロの家に、人びとが病気で苦しむ者を連れて来ては癒しがなされるのを見ていたのです。
この朝も、群衆がイエスさまに押しよせて話を聞こうとしていたのに、ペトロにとって結局は他人事(ひとごと)だった。夜通し苦労して漁をした彼らは、網を洗って次の漁に備え始めていました。ありふれた日常を続けようとしていたのです。
ところがです。さまざまな経緯があったにせよ、とにかく、ペトロはイエスさまに言われるままに網を投げてみた。すると、大変なことが我が身に起こったのです。長年漁師として生きて来たけれど、前代未聞の大漁でした。
これは、我が身に降りかかってきた幸いでした。普通、災いが降りかかってくるのですが、幸いが生じてしまった。この時、彼らは素直に喜んだのかと言うと違った。喜べなかったのです。恐れたのです。大いに畏れた。
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この時、ペトロらが心の奥底で感じていたことがあったのです。
そして、この場面で漁師たちを代表する形でそのことを口にしたのがペトロでした。ペトロは嘘偽りない言葉を口にした。それが、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」という言葉だった。
私たちは、ペトロの「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」という〈罪の告白〉とも言える言葉を、なぜだか自分には無関係な言葉として通り過ぎてしまう。
自分はペトロと違うよ、とあなどってしまう。自分は、もう少しまともだと思っているところがある。違いますか。
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この物語を通じて聖書が伝えている〈ことの本質〉は何か。
それは、人の罪深さを超えて示される、神のみ業の底力です。
私たちは強いられる形で〈罪の告白〉は出来ません。けれども、いつも喜び、祈り、感謝する心をもって我が身を振り返るならば、計りがたい恵み=大漁の経験を、既に与えられていることに気付くのではないでしょうか。
その恵みに目を開かれる人こそが、〈罪の告白〉〈不完全な自分自身の認識〉へと導かれて行くのです。必要なのは、み言葉を聴いて、半歩でも踏みだすことなのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.214
2019年7月14日
『 創世記44章の主人公 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎創世記 44章12~17節 12 執事が年上の者から念入りに調べ始め、いちばん最後に年下の者になったとき、ベニヤミンの袋の中から杯(さかずき)が見つかった。・・・・・・・とヨセフが言うと、16 ユダが答えた。「ご御主君に何と申し開きできましょう。今更どう言えば、私どもの身の証しを立てることができましょう。神が僕(しもべ)どもの罪を暴かれたのです。この上は、私どもも、杯が見つかった者と共に、御主君の奴隷になります。」
ヨセフが“銀の杯(さかずき)”を最愛の弟であるベニヤミンの荷物の中に潜ませるように命じた理由が、聖書に記されているわけではありません。
しかし、ただひとつ明らかなことがあります。神さまは、ヨセフを通して働いて居られる。兄たちが、本当に悔い改めの心をもっているのかどうか。そのことについて、神さまご自身が誰よりも一番確かめたかったのです。
**************
20数年前、ヨセフの兄たちは、ヨセフを妬(ねた)み、殺そうとまで考えました。結果的に殺しはしなかったものの、通りがかりのエジプトに向かう隊商たちにヨセフを売り払います。ヨセフを亡き者とした。
ところが、大飢饉をきっかけにして、彼らは自分たちが犯した事の重大さを思うようになりました。何かが起こる度に、兄たちは未解決のままの罪に苦しむようになった。
忘すれようとしても、ふとしたときに脳裏をかすめるもの。それが罪です。自分の力で振り切ろうとしても、あるいは、何か楽しいことを考えたりしていても、心は紛れもしないし、苦しみが大きくなって戻ってくる。闇がある。
「神が僕(しもべ)どもの罪を暴かれた」とユダが感じたのは、良心の呵責(かしゃく)にとどまらず、神に裁かれている、と感じるようになったからです。神に問われていることをいつも考えるようになった。どこかで解放され、自由になりたいと、心の奥底で求め始めていた。
兄たちは、ヨセフを売ってしまったのですから、ヨセフがどこへ行ってどうなったのかは、知りようがありませんでした。つまり、取り返しのつかない罪を抱えていたことになります。生涯、この苦しみを負い、隠し続けるしかない。そのように心の奥底で考えていたのです。
**************
ところが、きょうの場面では、ユダは兄弟を代表して、できる限り率直に、自身の苦しみ、父を思う苦しみを言葉にしています。ユダは、神さまが罪に対して、徹底して自分を取り扱われていることをハッキリと感じています。罪があるときにそのままで良しとされるのが神ではありません。
しかも、とりわけユダは、創世記38章に記録されている、息子の嫁タマルとの関係も含めて、そう考えざるを得ないことに気づいていた。そこから逃れられないことを悟ったとユダは言っています。そう告白することができたのは彼自身の信仰ではない。神が準備されていた筋道。神の摂理なのです。
**************
罪が露わにされず、贖(あがな)われないままであることは、私たちに裁きがあるということです。それが紛(まぎ)れもない事実なのです。それゆえに、キリストは十字架にかかられ、人が償(つぐな)いきれない罪に対する裁きを身代りに受けられたことに私たちは救いを求める。そこに愛を見い出すからです。
そのイエス・キリストを通しての赦しを、わが事として信じる時、悔い改めに生きる新しい人として生かされて行く道が示されます。ヨハネ福音書3章16節以下のみ言葉を思います。
「16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」とあります。
ここには朽ちることのない約束がある。創世記44章の主人公は、この世にみ子を遣わされた神さまなのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.211
2019年7月7日
『 もしも私が忘れても 』
牧師 森 言一郎(モリ
ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 15章3~10節 3 そこで、イエスは次のたとえを話された。・・・・5 そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、6 家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。・・・・9
そして、見つけたら、友達や近所の女たちを呼び集めて、『無くした銀貨を見つけましたから一緒に喜んでください』と言うであろう。10 言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」
人生、誰かに捜されていたことに気付いた時の〈喜び〉はひとしおです。私たちがいかに人生の迷路に陥りやすく、脇道にそれた末に、自力で戻れなくなってしまう存在であるのか。戻ってきたいと考えたとしても、それが本当に出来にくいこと。主イエスはよくご存知でした。
私たち、もう、誰も捜しに来てくれない、と思うことがあるのです。でもイエスさまはまことの羊飼いとして、私たちをその目の届く処(ところ)に置いて下さろうとされます。
ルカによる福音書15章には、主イエスによる3つの譬え話が置かれています。これはマタイ・マルコ・ヨハネによる福音書とは明らかな違いがあるルカの大きな特徴です。しかも、その内容は首尾一貫したものとなっています。ここでは取りあげていませんが、ルカ福音書15章11節以下の「放蕩息子とその兄の譬え話」でもそうですが、その結論は共通しているのです。
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すなわち「よき知らせ」とは、失っていたものを「見つけて」ここに連れてきましたから、「一緒に喜んでください」というものです。
人は身動きできなくなったらどうなるのでしょうか。よりによってこんな所に落ちるなんて、ということがなぜか私たちの人生にはある。声を出しても誰にも届かず、光を見いだせない所に生きることがある。失敗なんてするはずない、と思い込んでいた自分も過去にはいた。
ところが、そうはいかない。
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北九州市に居られ、ホームレス支援の働きに長年仕え続けて来ている【奥田知志(おくた・ともし)牧師】(日本バプテスト連盟・東八幡キリスト教会)が記された書(『もう、ひとりにさせない―わが父の家にはすみか多し―』・いのちのことば社)の中に、こんな一節があります。
【現在の教会に赴任した時、大石さんという女性がおられた。寄る年波で物覚えが極端に難しくなっていた。ある日この大石さんが献金の祈りに立たれた。
・・・・・・・・・「神様、じつは私は最近どうも物忘れをしているようです。みなさんのご迷惑になっていないか、とても心配です。」「神様、このままだと私はいつか神さまのことも忘れてしまうのではないかと、とても不安になります。」深刻な祈りの言葉に礼拝堂は静まりかえった。
・・・・・・しかし、大石さんは最後に絞りだすように、こう付け加えられたのだ。「しかし、神様。もし私があなたのことを忘れても、あなたは決して私のことをお忘れになりません。だから私は生きていけます」】
と。
大石さんは、どんな時でも捜しに来てくださるキリストを信じている。
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もしも、イエスの譬え話を読み解けたとしても、福音が他人事(ひとごと)である限り、私たちは、よき知らせとしての聖書の出来事を、共に喜ぶことは出来ない。何という悲しむべき人間の「性(さが)」でしょうか。
「さが」とは、幾つかの国語辞典を総合すると「人の力で左右できない本性。また、もって生まれた宿命。自分の力ではどうすることも出来ない、生まれつきの性質やめぐりあわせ。」となります。
どこの誰も、この物語に無関心で居(い)続けることが出来ません。私たちには、救い主であるイエスさまが必要なのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.210
2019年6月30日
『 会堂長ヤイロの恩人 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 8章47~50節 47 女は隠しきれないと知って、震えながら進み出てひれ伏し、触れた理由とたちまちいやされた次第とを皆の前で話した。48 イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」49 イエスがまだ話しておられるときに、会堂長の家から人が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。この上、先生を煩わすことはありません。」50 イエスは、これを聞いて会堂長に言われた。「恐れることはない。ただ信じなさい。そうすれば、娘は救われる。」
ヤイロという男がどのような人物であるのかについて、福音書は簡潔に伝えます。
まず彼は、シナゴーグと呼ばれる会堂の責任者であることがわかります。そこはユダヤ教徒の礼拝場所であり、裁判や青少年の教育の場でもありました。「ほれ、ヤイロさんがなぁ・・・」というだけで、ガリラヤ近郊では、彼にまつわる話がすぐに広まっていく立場の人でした。
もう一点。
どうやら一人娘ではなかろうか、と想像される子どもが、12年前に与えられたこと。目に入れても痛くないほど大切に育ててきたにも関わらず、何の病(やまい)か、瀕死の状態となり、もはや万事休すという、彼ら夫婦にとっては、耐え難い悲しみと苦しみの中におかれていたこともわかるのです。
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イエスさまの時代の12歳というのは、今の私たちが考える12歳とは随分違いがあると考えた方がよいかも知れません。ひと言で言うなら、大人に近い感がある。イエスの母となるマリアは14,5歳でナザレの大工のヨセフのいいなずけとなり、やがて結婚をしたのだろう、と言われます。
おそらくどこの親でも思うように、娘の将来を祈りつつ過ごしていたヤイロ夫妻にとって、自分が代わってあげられるものならばという気持ちをもちながらも、それは叶わない。娘は妻に任せ、ヤイロは意を決してイエスの元にやって来て、なりふり構わずひれ伏したのです。「娘を助けてください」と。
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泣き女・泣き男と思われる人々がヤイロの家に大勢やって来ました。彼らは盛大に泣いて、悲しみを演じる人たちです。その人数の多さは、ヤイロという人の社会的な地位の高さを、間接的に読者に伝えています。
しかし、ペトロ、ヨハネ、ヤコブの三人を連れてやって来たイエスは、真顔で言ったのです。「泣くな、娘は死んだのではない。眠っているのだ」と。
その言葉を耳にした途端、彼ら泣き女・泣き男たちは、顔を見合わせて大笑いし始めます。聖書は「人々は、娘が死んだことを知っていたので、イエスをあざ笑った」と告げます。この、嘲笑う人々の存在は、十字架刑に処せられる直前の群衆のそれと、何ら変わらないのです。
それでは、ヤイロの信仰の程度はどうだったのかと言えば、彼は、イエスさまに来てはもらったものの、「泣くな、死んだのではない。眠っているのだ」という言葉を信じて居なかった。だからこそ娘が起き上がった時に、「両親は非常に驚いた」のです。
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のちに、この日の出来事を、ヤイロが目を閉じて静かに思う時、彼にとっては、イエスさまによる愛娘(まなむすめ)の救いの出来事以上に、12年もの間、出血が止まらず苦しみ続けてきた女の存在が脳裏に焼き付いていたのではないでしょうか。
女は群衆にまみれてイエスさまに後ろからそっと近づき、そのことが知られると、恐れながらも進み出てひれ伏し、全てをありのままに話し、救いの宣言を受けました。ヤイロはその場面に立ち会ったのです。
「私は12年の間・・・」とイエスに告げた女性にとっての12年間は、ヤイロが娘と共に生きて来た12年と同じ歳月(としつき)です。
だとするならば、ヤイロにとっての恩人はイエスさま以上にこの人だったのかも知れない。ヤイロは律法を重んじる人でしたが、女の生き方から、もっと多くを学んだのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.209
2019年6月23日
『 ペトロ 革なめし職人シモンの家へ』
牧師 森 言一郎(モリ
ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 9章40節~43節
40 ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって、「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。41 ペトロは彼女に手を貸して立たせた。そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。42 このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。43 ペトロはしばらくの間、ヤッファで革なめし職人のシモンという人の家に滞在した。
エルサレムに現れた「サウロ」(=のちの「パウロ」)。彼はダマスコでの復活の主イエスとの出会いを通して示された救いの福音を、喜びと感謝をもって大胆に語りました。
その姿に触れた12弟子の筆頭の「ペトロ」は驚きました。いいえ、それ以上に大きな刺激を受けたことでしょう。
「サウロ」は正統派のユダヤ人として、幼い頃からガマリエルという律法の先生のもとで訓練を受けた人物です。さらに、親から相続したとはいえ、ローマの市民権まで持っていますから、都会的なところもあったはずです。
ガリラヤ出身の漁師だった「ペトロ」からすると「とてもかなわない、凄い男」だったのです。ただし「サウロ」はイエスさまの直弟子ではありません。
一方で「ペトロ」は、イエスさまの側(そば)で弟子としての訓練を受けて来た者としての誇りがあります。大いに発奮する機会を得たのです。主のお言葉を実践できるのは、自分たちのような直弟子しか居ない、と考えたはずです。
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地中海に面する町ヤッファはペトロが「タビタ」を生き返らせた町として知られます。タビタは「婦人の弟子」と紹介されるのですが、これはとても珍しいことです。そのようなタビタを頼りにしていたのが〈やもめたち〉です。
夫に先立たれ、社会で弱い立場に置かれていた女性たちにとって、タビタのように親身になってくれる存在は安心の源であり支えでした。だからこそ「タビタ」は「ペトロ」を通じて生き返る必然がある存在だったのです。
主イエスを礎(いしずえ)とする初代の教会が、寄り添い、福音を届けるべき人とはどのような存在なのか。聖書はそのことを私たちに知らせようとしています。主イエスが居られなくても、癒しの業を行うことが出来るようになった偉大な弟子「ペトロ」というのが、聖書の中心メッセージでは決してないのです。
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なぜ、そのように言い切ることが出来るのか。ヤッファ、あるいはその直前に訪ねた町リダでの「ペトロ」による〈奇跡〉に中心があるならば、「ペトロ」はさっさと別の町に移動して、再び奇跡を行うはずです。
しかし「ペトロ」は、なおヤッファに留(とど)まるのです。しかもその留まり方は「住むこととなれり」(永井直治訳)という、腰を据える必要のあることでした。一体「ペトロ」がヤッファでなすべきことは何だったのでしょう。
神さまはヤッファに暮らす「革なめし職人シモン」を用いて、「ペトロ」の訓練を始められるです。おそらく「ペトロ」は「ぜひ我が家に滞在して、この地で厄介者扱いされている自分らの存在を知って下さい。他にも色々とお話したいことが・・・」と頼まれたのです。
当時、獣の皮を剥ぎ、悪臭と血にまみれながら仕事をする人々は、隅っこに身を置かざるを得ない底辺に生きる人たちでした。「ペトロ」の滞在が長期に及ぶことも神の必然でした。
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本田哲郎神父さまによる翻訳の聖書(*「小さくされた者たちの言行録」・新世社)では、9章1~31節迄は「パウロの回心」の見出し。9章32節以下のリダやヤッファでのペトロの働きからは「ペトロの回心」の見出しが置かれます。
使徒言行録の著者ルカは、「悔い改め」に重点を置いて福音の進展を記しました。「パウロとペトロ」二人の回心から学ぶこと抜きに「私たち」のこれからもあり得ないのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.208
2019年6月16日
『
気がつけば そこは天の宴(うたげ) 』
牧師 森 言一郎(モリ
ゲンイチロウ)
◎創世記 43章30節~34節
30 ヨセフは急いで席を外した。弟懐かしさに、胸が熱くなり、涙がこぼれそうになったからである。ヨセフは奥の部屋に入ると泣いた。31 やがて、顔を洗って出て来ると、ヨセフは平静を装い、「さあ、食事を出しなさい」と言いつけた。・・・・・・34
そして、料理がヨセフの前からみんなのところへ配られたが、ベニヤミンの分はほかのだれの分より五倍も多かった。一同はぶどう酒を飲み、ヨセフと共に酒宴を楽しんだ。
F.B.マイアーという1874年生まれの牧師がイギリスに居られました。マイアー先生の聖書人物伝は定評があり、私の書棚にも何冊か並んでいます。
その中で『奴隷から宰相(さいしょう)へ』(1979年・いのちのことば社)という書名で訳されているのが、原題・『JOSEPH(ヨセフ)』という本です。一体、どんなことが書かれているだろうか。気になって、先ほど、開いてみました。
「前書き」には、「私が初めて書いた聖書人物伝はヨセフについてであった。それ以来、私にとってヨセフの生涯は特に魅力のあるものになった。彼に本来備わっている美しさのためだけでなく、その生涯はやがて、全ての人を照らすまことの光を強烈に指向(しこう)しているからである。」とあります。
本当にそうだなぁ、と思います。創世記37章から展開する壮大なスケールの「ヨセフ物語」の奥深さというものを、最近、説教する度に感じていたからです。
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聖書が、私たちに最終的に指し示そうとしているのはどのような世界なのでしょう。
結論的に申し上げるならば、それは「神の国」であり「天の国」なのです。聖書は、誰もが“そこ”へ無条件で行けるとは言っていません。果たして“そこ”には、どのようにしたら辿(たど)り着けるのでしょうか。自由に出入りするために準備出来る切符があるのか。実は、ヨセフ物語の42章~43章にかけての出来事の中に、その“扉”が見えるのです。
とりわけ42章34節でヨセフが、「ただし、末の弟(=ベニヤミン)を必ず連れて来るのだ。そうすればお前たちが・・・正直な人間であることが分かるから、・・・自由にこの国に出入りできるようにしてやろう」と言った、と書かれている箇所。
ここでの「この国」を「天国」に置き換えて考えると、創世記43章の物語の舞台が、ある時代の、ある家族だけの、遠い昔の物語には見えなくなります。
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ヨセフは決して神さまでもイエスさまでもありません。高ぶるところだって明確にあった人です。しかし、彼自身に自覚がなかったとしても、ヨセフは間違いなく、神さまの器として用いられている人なのです。
ヨセフを通して次第に明らかになり始めているのは、家族同士の和解の問題でした。神さまの前で、嘘いつわりのない正直者になるために、一人の例外もなく、登場人物はぎりぎりの所に身を置くことになるのです。
実に不思議なことですが、これこそ、神を信じる者、神を畏れる者となるために、なくてはならない、人生の勘所(かんどころ)である。私はそのように伝えたいと思います。
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食べることの危機が襲いかかったヤコブを父とする一族は、身にまとって隠していた様々なものを脱がされていきます。生身の人間が、人間であるがゆえのズルさも、情けなさも、悲しみも、涙も露呈していくのです。
自分のことばかり考えている人が、気が付いてみると、少し変わり始めています。人のことを考えているようでいても、突き詰めて行くと自分本位に過ぎなかった者が、神の国の食卓で、力をぬいて輪になって座るようになる。
私たち。正直者になろうとしてなれるのではありません。神の摂理(せつり)の元に置かれていることに、ハッと気付く恵みが、今の私たちにも必ずあるのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.205
2019年5月26日
『〈サウロ〉から〈パウロ〉への道』
牧師 森 言一郎(モリ
ゲンイチロウ)
◎使徒言行録9章26節~30節 26 サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。27
しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。28 それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった。29 また、ギリシア語を話すユダヤ人と語り、議論もしたが、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。30
それを知った兄弟たちは、サウロを連れてカイサリアに下り、そこからタルソスへ出発させた。
少し大袈裟かも知れませんが、ここでの〈サウロ〉、のちの〈パウロ〉がいなければ、今の私は存在しなかったのだなぁ、と最近思うのです。
とりわけこの数ヶ月、礼拝説教のために使徒言行録9章を必死になって読み進める中で、かなり明確にその事実に気づき始めました。それはパウロを尊敬しているとか、パウロが大好き、というのとは違います。
パウロはある面において私のお手本なのです。なぜならば、パウロは多くの人に支えられて、助けられて伝道者として立ち上がり、用いられていった人だからです。
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実に恥ずかしい経験ですし、果たしてあの頃から、いったい自分はどれほど成長できたのだろうか、と考えてしまうことがあります。
私は40年前の19歳になろうかという頃、ある仕事の場で、上司から、「こらぁ、森。お前はなぁ、自分を中心に地球が廻っていると思うなよ。この馬鹿野郎!」と厳しく叱られたことがあるような人間なのです。
どんな文脈の中でそう言われたのか、もう忘れてしまいました。でも19歳という年齢を言い訳には出来ない言葉だと時々思い出します。罪深さとはそういうところに浮き彫りにされている。今振り返ってみてしみじみ感じます。
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サウロがダマスコに向かう途中で、突然、天からの主イエスの声を聞いて地面に倒れて起き上がったあと、彼は一人で歩けませんでした。一緒にダマスコに向かっていた〈人々〉に手を引いてもらって歩き出したのです。
目が見えなくなったサウロが身を寄せたのは〈ユダの家〉でした。この〈ユダ〉という人が、どんな人なのかは全く分かりません。とにかく、サウロがそれまでの人生で経験したこともないような、目が見えない中で世話をしてもらったのです。
さらに、そこに姿を現したのが〈アナニア〉でした。〈アナニア〉はパウロ誕生のための助産婦役を果たした、と言われることがあります。確かにサウロは〈アナニア〉から洗礼を受けています。
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それだけではないのです。
ガラテヤ書の1章によれば、サウロは3年の間アラビアに身を隠しています。そこでも〈誰かが〉彼を助けてくれたのは確実です。その後、ダマスコに戻って来たサウロは、命からがら〈弟子たち〉の手を借り、籠に乗せられて城壁づたいに逃げ出し、イエスの直弟子やその家族たちが中心になっていたエルサレムの教会に向かいます。
ところが、そこでも〈バルナバ=慰めの子〉と呼ばれたキプロス島出身のヨセフに取りもってもらって、辛うじて、エルサレムの使徒たちと話が出来るようになりました。当時のサウロは周囲の人から信じられていなかったし、怪しまれました。
さらに、エルサレムでも暗殺計画が彼の耳に入るようになり、今度は〈心配した使徒たち〉がサウロを連れて海辺の町・カイサリアに向かい、船で、故郷タルソスに送り出したのです。のちに、わざわざタルソスまでサウロを探しに来てくれたのも、先程の〈バルナバ〉という具合です。
〈サウロ〉、のちの〈パウロ〉。この人は、一体どれだけの人に助けられて伝道者、キリスト者、いや、人間になったのだろうか。他人事(ひとごと)ではありません。end
《 み言葉 余滴 》 NO.203
2019年5月12日
『 どうしても 必要なのです 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎創世記 42章18節~23節
18 三日目になって、ヨセフは彼らに言った。「こうすれば、お前たちの命を助けてやろう。わたしは神を畏れる者だ。19 お前たちが本当に正直な人間だというのなら、兄弟のうち一人だけを牢獄に監禁するから、ほかの者は皆、飢えているお前たちの家族のために穀物を持って帰り、20 末の弟をここへ連れて来い。そうして、お前たちの言い分が確かめられたら、殺されはしない。」彼らは同意して、21 互いに言った。「ああ、我々は弟のことで罰を受けているのだ。弟が我々に助けを求めたとき、あれほどの苦しみを見ながら、耳を貸そうともしなかった。それで、この苦しみが我々にふりかかった。」・・・・・・・・・23 彼らはヨセフが聞いているのを知らなかった。ヨセフと兄弟たちの間に、通訳がいたからである。24 ヨセフは彼らから遠ざかって泣いた。
ヨセフは複雑でした。22年前に、自分を殺そうとした揚げ句、助けを求めたのを無視した兄たちに対して、仕返しをしたかったのではありません。恨みつらみから復讐をたくらんだのでもないのです。あるいは、全てのことを見通すことが出来る人間としてここにいるのでもない。
ヨセフには素晴らしい賜物がありました。けれども、ヨセフは決して神さまではありません。確かなことは、彼を通じて神が働いておられるということです。神の摂理と言いうることです。神さまはヨセフを通じて、10人の兄たちに対して問いかけるのです。「あなたたちに、今、真実はあるか」と。
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遠路はるばる、エジプトに向かい始めたヤコブの息子たち。父ヤコブから「いつまで愚図愚図(くずくず)しているのだ」と促され、人々に交じって身を隠すようにしてエジプトに向かいます。彼らの唯一の目的は食糧だったはずです。ところが彼らは、本当に思いもよらない壁にぶつかったのです。
それは、ヨセフの兄たちだけの問題ではないのです。人が生きて行く上で、避けて通ることがゆるされない。もっというならば、キリスト教信仰の真髄かも知れません。
それは〈罪〉の問題でした。そのことを、彼らは背後で働かれる神さまから教えられようとしています。実に、ヨセフは神の器でした。
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兄たちは目の前のパンで困っていました。父を安心させるためにも穀物が欲しかった。でも、神さまから見れば、本当に受けなければならないのは食物による栄養だけではなかった。人はパンだけで生きる者ではありません。神さまからの養いを受けるために必要なことがあったのです。
人はどんなに食べ物に満たされていても、心に引っ掛かる罪を抱え続けていると、
必ずどこかで行き詰まります。罪は時を経れば自動的に消えて行くようものではない。自分の力ではどうしても解決できないのです。
それだからこそ、神が先立たれて、私たちに促して下さる悔い改めに気付き、神の赦しに与(あずか)ることです。罪の赦しなしには生きて行くことが出来ないのが生身の人間なのです。だから、聖書は罪の苦しみからの解放を指し示してくれる。
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通訳がいなくても、兄たちが交わすひそひそ話までわかってしまうヨセフ。
彼は兄たちから離れ、部下たちにも気付かれないように涙します。ヨセフが泣いたのは、兄たちが罪を見つめ、その愚かさに気付き、互いに黙っていられなくなり、自分たちの罪を言葉にし始めた時でした。この場面を足早で読み過ごしてはならない。立ち止まり、深く静まることが求められています。
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涙する一人のお方を思い起こします。いいえ、涙にとどまらない。究極的には血を流し、いのちを投げ出されるお方、主イエス・キリストです。神さまのご計画が人知を遥かに越えていることを告げる物語は続きます。end
《 み言葉 余滴 》 NO.202
2019年5月5日
『 愛はすべてを完成させる 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 24章40節~46節 40 こう言って、イエスは手と足をお見せになった。41 彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。42 そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、43 イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。44 イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」45 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、46 言われた。
復活の主イエスが、弟子たちが身を隠していた部屋の真ん中にお姿を顕(あらわ)された時に語られたのは「あなたがたに平和があるように」というお言葉でした。
イエスさまはガリラヤ訛(なまり)の言葉を使っていたはずです。実際にそのような想像力をもって福音書を翻訳されたのが、カトリックの一信徒である山浦玄嗣(はるつぐ)さんによる『ガリラヤのイエシュー』(イー・ピックス出版)です。
この場面、イエスさまが実に表情豊かなお方としてお出でになったことを《ト書き》のような形で表現されています。[朗らかに]と括弧を付け、「やい、友よ、心静(こゴろしず)がにな!」と訳されるのです。恐れに畏れていた弟子たちに、傷ついた手足を見せられた時も[楽しそうに]と書き添えておられます。
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この時の弟子たち、本当は飛び上がらんばかりに嬉しいのです。でも、どうしても目の前にいる人が主だとは信じられなかった。顔を見合わせながら疑います。すると、イエスさまは「此処(こゴ)に何が食う物が(ものァ)あっか?」と[ニコニコ]しながら言われたと『ガリラヤのイエシュー』にはあるのです。
直後に、一切れの残り物であったであろう焼き魚が差し出されると、イエスさまが「ムシャムシャとお食べなさった」と訳されているのも見事です。
〈食べる〉という営みは、人間を日常の世界にグイッと引き込む力があります。実にさり気なく、弟子たちを思(おも)ん量(ぱか)られた主イエスの愛が浮かび上がるのです。いいえ、弟子たちが全く気付かないうちに、彼らの心に愛が染みこみます。
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こうして、弟子たちの恐れを取り去り、緊張を解きほぐされた上で、イエスさまは旧約聖書全体がご自身を指し示すものであることを、丁寧(ていねい)に解き明かされました。弟子たちの心にみ言葉がストンと落ちます。
「聖書を悟らせるために彼らの心の目を開かれた」とありますが、聖書の原文を調べると、この時の弟子たちの心は、ただ単に熱く燃えていただけではないことがわかります。
理知的・理性的に、み言葉を聴く心が与えられたのです。それは、なくてはならないものでした。なぜなら、自分自身の罪をも客観的に認める心が彼らにはどうしても必要だからです。弟子たちの伝道はここから始まります。そして、私たちの福音宣教の旅もここから始まるのです。
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パウロは、コロサイの教会に向けた手紙の3章で、「あなたがたは、キリストと共に復活させられたのだから・・・」(1節)「古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け・・・」(9-10節)と促したあとに、「これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させる絆(きずな)です。」(13節)と記しています。
パウロは罪人の頭であることを正直に認めることが出来る人でしたが(第1テモテ書 1章15節)、キリストの愛を知る人でもあったとも言えます。
手と足に深い傷を負われたイエスさまが、朗らかに、楽しそうに、ニコニコしながら私たちと共に食卓を囲んで下さるのが礼拝の場なのです。
何という恵み、何という喜び。これより深い愛は他のどこにも探してもありません。end
《 み言葉 余滴 》 NO.200
2019年4月21日
『 朝まだきの出来事 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 24章4節~9節 4 そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。5 婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。6 あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。7 人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」8 そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。9 そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。
十字架の上で死を遂げられたイエスさまのお姿を遠くから見守っていた婦人たちは、安息日が終わるのを待ち続けました。彼女たちは皆、イエスさまがガリラヤで活動しておられた頃から従って来た人たちです。
女たちは、あまりに悲しい死を遂げられた主のご遺体に、せめて、香油と香料を注ぎたいと願いました。安息日の終わった日曜日の朝まだき、急いで墓に向かいます。この時間帯、足もともおぼつかないほどに暗かったはずです。
やがて、女たちは見るのです。アリマタヤ出身の議員であるヨセフたちが、確かに、イエスさまをお納めしたはずの墓の前の石が動かされているのを。墓の中は空っぽで、まるで抜け殻のように、亜麻布が残っているだけでした。
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途方に暮れる女たちの背中は限りなく小さくなっています。それでなくとも、イエスさまの死の現実に触れ、生きていくための命の火種を自分の中に見いだせなくなり、茫然自失状態でした。肩を落とし、言葉を失い、ぼんやりしていたであろう女性たちの姿が目に浮かぶようです。
同時に、そのさまは、私たちがそれぞれの人生の途上で経験して来た、他人には決して説明することなど出来ない〈とある状況〉と重なるのです。
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墓に現れた二人の人は、「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」と告げます。
女たちに求められたのは、生き方の方向転換でした。「甦りの主は、あなたたちが捜している方向には居られない」と言うのです。
さらに注目したいのは〈受難と復活の予告についてお話になったことを思い出しなさい〉という二人の言葉を聴いたあとの婦人たちの様子です。彼女たちは「イエスの言葉」を思い出すのです。
しかし、その言葉とは、単なる単語でも、ただのお話でもありません。正にそれは〈み言葉〉でした。だからこそ、女たちは、11人の弟子たちの所に急いで向かい、一部始終を伝えるのです。「私たち、思い出したの・・・・」と。これは神の出来事でした。
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弟子たちの中で、女たちの言葉を聴いて立ち上がり、墓に向かって走りだす人が、一人だけおりました。シモン・ペトロです。
彼は激しく泣き崩れながら大祭司の中庭を出ていった時に、「私を三度知らないと言うだろう」とイエスさまが預言されたお言葉を〈思い出した〉人でした。
女たちが「私たち、思い出したの・・・」と語る言葉に触れた時、ペトロは、朝の光に向かって走りださずにはおれなかったのです。
〈み言葉〉は新しい出来事を生み出します。復活は、机に座って、誰かに教えられて学ぶものではありません。悩みながら歩き、立ち止まり、時に後戻りする中で、復活の出来事を経験していくのです。
そして、気が付いた時に、信じる者には、信仰の言葉が与えられています。
人生の途上で〈思い出す〉主の〈み言葉〉こそ、私たちを立ち上がらせてくれる希望の源なのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.198
2019年4月7日
『 私はどこにいるのか 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 23章13節~18節
13 ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、14 言った。「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。15 ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。16 だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」。†18 しかし、人々は一斉に、「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫んだ。†17(底本に節が欠落 異本訳)祭りの度ごとに、ピラトは、囚人を一人彼らに釈放してやらなければならなかった)
今年のレント・受難節は、十字架に磔(はりつけ)にされる道を黙々と進まれる主イエスの愛をルカによる福音書から学んでいます。み言葉をあらためて読んでいて、浮かび上がって来るものを感じました。
それは〈ポンテオ・ピラト〉という人に関わることです。ピラトはいささかお気の毒な役回り、立場に置かれていたのだな、という思いが深まったのです。思い当たったのは、礼拝の中で毎週告白している『使徒信条』です。私たちはこんな風に告白するのです。ちなみに、人物の名前はマリヤとピラトだけが出てきます。
「・・・・・・主は聖霊によりてやどり、処女(をとめ) マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐(ざ)したまへり、」
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親として子どもの成長、育てるのには責任がある。そう考えるのはごく普通のことです。成人。あるいは学校を卒業し、社会人として勤めに出始めるとなれば、ホッとするのが人情というものです。孫が可愛いのは究極的には責任を負わなくてもいいからかも知れません。
使徒信条はキリスト教の歴史をさかのぼっていっても、意義深い告白文であるのは確かです。しかし、あえて申し上げるならば、私たちキリスト者にとって、責任逃れをするにはとても都合が良い内容でもあるのです。なぜなら、ポンテオ・ピラト一人を悪者にしておけば、私たちはとても楽なのです。
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上に抜粋しているみ言葉には、ポンテオ・ピラトの他に、どのような人の顔が見えるでしょうか。【祭司長たち】【議員たち】【民衆】がいます。【ヘロデ】の名前も出て来ます。「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」と叫ぶ【人々】もいます。
ピラトは、自分の身を守るために、騒動が、これ以上大きくならないようにと、限られた時間の中で懸命に頭を回したのです。
ピラトにとっては、妻からの「あの正しい人に関係しないでください。その人のことで、私は昨夜、夢で随分苦しめられました。」(マタイ福音書27章19節)も相当大きな影響があったことでしょう。
でも、それでも、どうしてもピラトについつい目が行きます。そして、いつしか私たちはほっとするのです。犯人捜しが終わるからです。
〈私〉ではなく〈ピラト〉がこれ程までに優柔不断だから、主イエスは苦しみに耐えながら殺されていくのだ、と。
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イースターの朝、主イエスの復活を心からお祝いし、その喜びを深く豊かに知るにはどうしたらよいのでしょうか。簡単なようでなかなか難しいことです。
少しのヒントになるならばと思うのは次のことです。「ポンテオ・ピラトのもと」にいて、ピラトを動かし、イエスを「苦し」ませたのは誰だったのかを見つめ直すことです。
信仰は人に紛れていては、いつまでたっても本物になりません。誰も居なくなった礼拝堂で、ひとり十字架のキリストを見上げましょう。
闇があります。しかし、光が射す朝が来るはずです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.197
2019年3月31日
『 ペトロの福音 わたしの福音
』
牧師 森 言一郎(モリ
ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 22章59節~61節 59 一時間ほどたつと、また別の人が、「確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから」と言い張った。60
だが、ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴いた。61 主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。62 そして外に出て、激しく泣いた。
世の中にはこういう言葉があります。「あの方は敬虔(けいけん)なクリスチャンらしいですよ」。この言葉、少し言い換えると、こんな風になると思います。「彼ほど、キリスト者らしいキリスト者は見たことがないです」と。
いったい、「敬虔(けいけん)なクリスチャン」とか、「キリスト教徒らしいキリスト教徒」というのはどんな人のことを言うのでしょう。
神に仕えるがごとく、人に仕え、いつも愛をもって人にやさしく接し、質素で贅沢をすることもない。誰に対しても配慮が行き届いている・・・・素晴らしい人。
もしも、そのような人になることを目標とするのが教会であるとしたならば、私たちは世間に顔向け出来なくなります。敬虔(けいけん)なクリスチャンは、どこに居るのでしょう。
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日本の伝統的な倫理観が言わしめるものなのかも知れませんが、私たちは、どこかで、「いいか、これだけは言っておくぞ。人さまに笑われたり、迷惑を掛けるような人間になったらいかんぞ」という言葉を耳にしたり、心の奥底で似たようなことを意識しながら生きてきたように思います。
ところがです。宗教改革者として知られるマルティン・ルターはこう言ったのです。「キリスト者よ、大胆に罪を犯せ。大胆に悔い改めて大胆に祈れ。」と。
ルターが、いつどこで、どのように語ったのか私は知りませんでしたので、ルターの研究者として知られる日本福音ルーテル教会の賀来周一牧師が、「大胆に罪を犯せ」という説教の中で語っておられるのを確認しました。
これは、ルターが「クリスチャンとは何者であるのか」ということについて、断固たる確信を持っていたことを示すものです。すなわち、「キリスト者とは罪人(つみびと)なのである」ということに、最後は行きつくのではないでしょうか。
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12人の弟子の筆頭としての自覚をもっていたシモン・ペトロ。彼は主イエスが「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた言葉を、鶏の鳴き声を聞くと同時に大祭司の中庭で思い出します。直後にペトロは、泣き崩れながらイエスに背を向け立ち去るのです。
ペトロがこの主のお言葉を思い出したのは、果たしてその時だけだったのでしょうか。
私は思うのです。もしかすると、鶏の鳴き声が聞こえる、朝ごとにだったのかも知れません。辛いこと、悲しいこと、涙したこと。私たちはその過去をいとも簡単に忘れ去ることができるほど単純ではないからです。
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しかし同時に、ペトロは、「シモン、シモン、・・・・・・わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ福音書22章32節)とイエスさまがそれ以前に語って下さったことを、それ以上に、幾度も、思い出し続けたのではないか。そして、その日一日を感謝して生きて行こうとした。
人はそのように受けとめ、そのお言葉をかみ締めることで楽になり、主イエスにあって救われている、と信じる存在なのです。そのような身勝手がゆるされているし、携えて行くべき福音がここにある。
敬虔(けいけん)なクリスチャンとは、神の言葉を、時に大胆に、自己本位に信じ続ける一徹者(いってつもの)だからです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.196
2019年3月24日
『 魔が差した人 その救い 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 22章3節~6節、23節 3 しかし、十二人の中の一人で、イスカリオテと呼ばれるユダの中に、サタンが入った。4 ユダは祭司長たちや神殿守衛長たちのもとに行き、どのようにしてイエスを引き渡そうかと相談をもちかけた。5 彼らは喜び、ユダに金を与えることに決めた。6 ユダは承諾して、群衆のいないときにイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。・・・・・・23 そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた。
皆さんは「心の中に悪魔がはいったように、ふと悪念を起こし、思いもよらない出来心を起こしたこと」はないでしょうか。これは「魔が差す」という言葉を『精選版 日本国語大辞典』で引くと出てくる解説です。
もう少しだけ、言葉を追いかけてみましょう。「悪念」に近いなぁと思う日本語が「邪念)」です。私たち、冗談半分で「俺なんかいつも〈邪念〉だらけですよ」と言うことがあります。
ならばと思い、「邪念」を『明鏡国語辞典』で引いてみました。すると、「① 悪事を行おうとする、よこしまな考え。邪心。」「② 心の迷いから生じる不純な考え。雑念。」と出て来るのです。
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イスカリオテのユダの姿が見えます。裏切り者の代名詞として広く知られる人です。
そのユダに、ルカによる福音書4章でイエスさまを荒れ野で試みたのち、いったん姿を消していたサタンが入ります。過越祭と呼ばれる除酵祭の準備でエルサレムはいつもと違う空気の中にありました。
そんな中で、イスカリオテのユダは、ふと悪念を起こし、何を血迷ったか、思いもよらない出来心を起こしたというのです。イエスさまの弟子であるならば、そんなことは決してあってはならない行動なのですが、人生の師として従い続けて来たイエスさまのことを、銀貨30枚で売ってしまいます。
マタイによる福音書27章3節以下の描写によるならば、イエスさまに死刑の判決が言い渡されようとする頃、ユダは我に返り、深い後悔の念を抱き、悔い改めの行動を取ろうとしました。
銀貨30枚を祭司長たちや長老たちに返そうとしますが、相手にされません。やがて彼は、自ら命を絶ちます。
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イエスさまのことをいつ「引き渡そうか」と考えていたユダですが、彼はイエスさまの弟子として召し出されて以来、ずっと、裏切りの時を待ち続けていたのか。
いいえ、決してそんなことはないはずです。彼は彼らしく12人の中でたいせつな役割を果たし続けて来たに違いない。
ヨハネによる福音書13章29節には「金入れを預かっていた」のがユダだという情報もあるのです。これは、弟子たちの中で信頼される立場に身を置いていたことを意味するのではないでしょうか。
私はユダの姿を見る度に、実に複雑な思いを抱きます。他人事(ひとごと)とは思えないのです。彼は罪の告白をしようとする人だった。そうしたかったのです。その場所を知らなかった。
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いつまで経っても迷いもあるし、道を外れることもある。邪念も邪心もあるのが私たちです。魔が差したことだって、人生一度ならずあるはずです。
ルカによる福音書15章に、愛着のある放蕩息子の譬え話があります。彼は言いました。「お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。」と。息子は死にません。生き返った。宴会が開かれた。ゆるされているのです。
ユダは、私たちを立ち止まらせるためにどうしても居なければならない捨て石だった。のちに最後の晩餐と呼ばれるようになる食事の席で示されたのは、神の国の奥義です。
ユダは今、天国でその食卓を囲んでいると信じたい。end
《 み言葉 余滴 》 NO.195
2019年3月17日
『 最後の譬え話 あなたにも愛が見えます 』
牧師 森 言一郎(モリ
ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 20章12節~15節 12 更に三人目の僕を送ったが、これにも傷を負わせてほうり出した。13 そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。私の愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』14 農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』 15 そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。
最近私は、聖書を読んでいて感じることがあります。それは、聖書という書に〈慣れは禁物〉だということです。あるいは〈速読も要注意〉だと思っています。
会社勤めをし始めた20代前半の頃、今では誰の影響を受けたのかわかりませんが、速読とか多読を身につけないといけない、という情報を、どこかで自分の内側にインプットしてしまったのです。
神学校に入学し、牧師になるための研鑽を始めた時にも、本を速く、たくさん読まなければ、一人前の牧師になれないと思い込んでしまったのです。今ではそれは間違いだったと気付きました。むしろ必要なのは「遅読」です。
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私たちは、この「ぶどう園の譬え話」を読む上でも、ゼロから素朴に聴く準備をした方がよさそうです。なぜなら、ここには、随分ひどい話、恐ろしいことが記されているからです。
「袋だたき」「侮辱(ぶじょく)」「傷を負わせてほうり出す」「殺し」等など。私たちがこのような暴力的な内容に、いつしか慣れっこになってしまっているとしたらそれこそ大問題です。ぶどう園を舞台にしたイエスさまの譬え話を読む上で大切にしたい視点があります。
それはこの譬え話が、イエスさまによって、「いつ、どこで」語られたのかを、冷静に踏まえておくことです。他の多くの譬え話と同様、近くには祭司長や律法学者たち、そして弟子たちがいて、イエスさまの譬え話を聴いていたのは変わりはないのです。しかし、明確な違いが一つあります。
それは、子ろばに乗ったイエスさまが、12人の弟子たちと共にエルサレムに入場された後(あと)の話であることです。
さらに、もう少し読み進めると、ゴルゴタの丘の上での十字架の受難を目前としている、ということに大きな意味があることに気付きます。ぶどう園の譬え話は、イエスさまによる遺言が含まれているのです。私たち、目を覚まして聴く必要があります。
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主人である神さまは、ぶどう園そのものを意味する農夫たちのもとに三人の僕(しもべ)を送ります。彼らは主人の代理人ですが、それぞれに暴力をふるわれます。この僕(しもべ)とは旧約の時代に活躍した預言者たちのことです。農夫たち=イスラエルの民は、僕(しもべ)をないがしろにするのです。ここに至って、ついに、神さまは独り子をぶどう園に送る決断をされたのです。最愛の独り子とはイエスさまのことに他なりません。
これは神さまによる、驚くべき決断です。普通ならば、一番大事な子どもは、ぜったいに手放したくないですし、側(そば)に置いておきたいものです。それなのに、主人は危険を顧みずに独り子をぶどう園に送られました。そこで起こるのが、跡取り息子の死なのです。それがキリストの十字架の出来事でした。
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人の心の闇、そして、世の罪があります。イエスさまは、ぶどう園の譬え話の解決策を、どこでどのように示そうとされているのか。この箇所だけを読んでいても答えは見いだせません。
福音書は十字架のイエスの死と復活抜きには終わりません。愛はそこに立っています。イエスを見捨ててしまった者の人生の仕切り直しはそこでだけ可能です。そこに立ち続ける人は、神さまの愛に生かされていくのです。end
《 み言葉 "余滴" 》 193号
2019年3月3日
『 アナニア・サウロ そして私 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 9章10節~12節 10 ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。11 すると、主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。12(サウロは)アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。
アナニア。少なくとも私にとっての彼は、全く目立たないノーマークの人でした。私は『使徒言行録』を何度も読んだはずなのに、正直に申し上げて、恥ずかしながらアナニアに注目したことがなかったのです。
ここではまだ「サウロ」ですが、のちの「パウロ」は、アナニアがどんな人なのかについてこう語っています。「ダマスコにはアナニアという人がいました。律法に従って生活する信仰深い人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人の中で評判の良い人でした。」(使徒言行録22章12節)と。
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つまり、アナニアはある時期まではサウロと同様、「律法にかなった真面目で信仰のあつい人」だったはずなのに、ユダヤ教徒からキリスト教徒に変わっていった人、ということになります。
ダマスコに向かっていたサウロたちにとって、正にアナニアのような輩(やから)こそが、懲らしめてやらなければならない裏切り者でした。神に見捨てられ、裁かれるべきとんでもない奴らの代表格がアナニアだったのです。
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では、一方のアナニアにとってのサウロはどうだったのか。これもまた、とんでもない輩(やから)でした。神さまから、「アナニアよ、サウロの元に行け。」と命じられた時に、彼には直ぐに従えない葛藤がありました。
だからこそ、「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。・・・」と精一杯の抵抗をしめしたのです。「よりによって」という思いが先立った。
しかし、アナニアの脳(のう)裏(り)には、幻の中で語りかけて来た主イエスの「彼は祈っている」とのお言葉が既に焼き付いていたのです。この箇所、聖書の原文通りに忠実に訳すと、「〈視(み)なさい〉彼は祈っている」となっています。
つまりイエスさまは、「アナニアよ、あなたはそこに進み出て行って、サウロに出会わない限り、わからないことがあるのだよ」と言われているのです。確かに私たち、聴くのと視(み)るのとでは違うことをどこかで経験しています。
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サウロの待っている「ユダの家」にたどり着いたアナニアは、目の前に座っている小さく見えたサウロに一体何を視たのでしょう。
そしてまた、アナニアに手を置いて祈ってもらったサウロは、目から鱗(うろこ)が落ちたのち、目の前に居るアナニアに何を視たのでしょう。私は想うのです。〈それぞれのかたわらに、主イエスが立って居られた〉のではないか、と。
二人には共通していることがあります。それは、幻の中で主の声を聴き、形は何であれ、み声に従って「起き上がった」「立ち上がった」ということです。彼らは全てを理解してそうしたのではありません。
キリストのみ業にあずかる世界は、立ち上がり、従い始めた者にこそ、やがて見えてくるものなのです。言葉で説明できるような薄っぺらいものでもない。だからこそ、主に従うことは、真(しん)に豊かで、奥深いものなのです。end
《 み言葉 余滴 》190号
2019年2月10日
『 パウロに見えるようになったもの 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 9章1節~8節 1 さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、2 ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。3 ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。4 サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。・・・・・・・・・8サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。
ここで「サウロ」と呼ばれている人。この人は新約聖書の中で「パウロ」として広く知られる人です。幼少期からファリサイ派の厳格な教育を受けた人間で、その学識、知性は群を抜いていた、と言われます。
サウロはクリスチャンと呼ばれはじめていた人々を、迫害する働きの旗振り役だったようです。サウロが聖書の中で初めてその姿を見せるのは、使徒言行録7章の終わりで、ステファノという初代キリスト教会の熱心な伝道者の死の場面です。パウロはステファノの殺害を指揮していたのです。
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サウロは、ステファノが、その死の間際に、迫害する者のために執りなしの祈りをするのを間近で聴きました。相当な驚きを覚えていたはずです。ステファノが死に行く場面は、サウロの心に深く焼き付いたことでしょう。忘れたくても忘れられないほどにショックを受けたのです。ある種の〈恐ろしさ〉を、クリスチャンと呼ばれる者たちに感じたのではないでしょうか。
サウロはイエスさまの十字架の場面に立ち会っていませんが、十字架上で罪人たちのために執りなしをされたイエスの姿とステファノはピタリと重なったのです。そして、クリスチャンの底力を知ってしまった。だからこそ、いよいよ必死になって、キリスト教徒迫害に息を弾ませたのです。
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のちにパウロとして知られることになるサウロは、ステファノの殉教の死を忘れることが出来たでしょうか。私は否、だと思います。ダマスコに向かう途中、復活のイエスから「サウロよ、サウロ」と呼びかけられたイエスさまは「光」の中からそのお姿を顕されました。
いいえ、姿は見えません。聞こえて来るのは声だけでした。この時、サウロは既に見ることが出来なくなっているのですが、サウロにはこの〈見えない時間〉が必要だったのではないか。私はそのように想像しています。
目から鱗のようなものが落ち、見えるようになるサウロ。彼に見えるようになったのは、「罪人の最たる者、罪人の頭である」という自分の姿でした。サウロの恥と弱さの自覚こそ、クリスチャンに求められることなのです。
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私は牧師として、毎週説教の準備をいたします。説教の準備というのは、聖書に聴き、行間を思い巡らし、そこから一筋の道を見つける作業の繰り返しです。
日曜日が近づくと、私は「どうか、確信を持って福音を語ることが出来ますように」と祈るのですが、次のような瞬間が来ると本当に安心します。それは「見えた」という瞬間です。裏を返せば、その瞬間が来るまで、私には伝えるべき道、指し示し、分かちあうべき道が見えないのです。
私たちの目には「鱗(うろこ)のようなもの」が直ぐに貼りついてしまうようです。だからこそ、光であるイエス・キリストとの出会いによって、幾度でも鱗(うろこ)を落として頂く必要があります。その経験によって私たちに見えるようになるものは何でしょうか。〈恐れることなく〉み言葉を求め続けたい、と願います。end
《 み言葉 余滴 》187号
2019年1月20日
『 フィリポ、宦官、そしてパウロへ 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 8章26節~28節、30節 26
さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。27 フィリポはすぐ出かけて行った。折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、28 帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。・・・・・・38
そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。
ここにはフィリポの姿が見えます。
逃げるようして向かったサマリアにおいて、彼自身も想像できなかったほど豊かに用いられます。しかし、サマリアに留まり続けることは、主のみ心ではありません。
次に、主がフィリポにお示しになったのは「ガザへ下る道」でした。そこは荒れ野です。フィリポは迷うことなく立ち上がりお招きに応えました。
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ガザはアフリカにも通じる地中海沿岸の地です。フィリポはそこで、初期のキリスト教会が異邦人伝道へと向かう上で極めて重要な出来事となる、エチオピア人の女王に仕える〈宦官〉に福音を宣べ伝えるのです。
フィリポ自身、この時まだ気付いていませんが、彼はパウロの先駈けとして豊かに用いられているのです。それどころか、ここでのフィリポと宦官との出会いがなければ、イエス・キリストの福音はユダヤという地を超えて、ヨーロッパやアジア諸国、アフリカへと進展することはなかったでしょう。
そもそもフィリポは、初代のキリスト教会の中でお世話係として立てられた人ですし、七人の仲間たちと共に、その道で頑張ろうと思っていた人でした。神さまは、人の思いを遥かに越えた道を示されることを知らされます。
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フィリポが出会ったエチオピア人の宦官はどうでしょう。彼はユダヤの都エルサレムを訪れ、神殿での礼拝をと願ったものの、異邦人である自分、そして、宦官である我が身を思う時に、約束の地エルサレムには、こころ落ち着く自分の居場所は見いだせなかったのではないでしょうか。
ナザレのイエスを巡るエルサレムでの一連の出来事についての〈断片〉を聞いていた宦官は、エチオピアへの帰り道、どうしてもあきらめることが出来ないまま、イザヤ書53章を悩みながら読んでいました。
しかし、ついに宦官は、聖書の手引きをしてくれるフィリポを通して、イザヤ書53章にある苦難の僕の物語の、もう少し先にある福音の解き明かしに触れたはずです。
イザヤ書56章3節にこうあります。
【3 主のもとに集って来た異邦人は言うな 主は御自分の民とわたしを区別される、と。宦官も、言うな 見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と。】。
このイザヤの預言が、イエスさまにおいて成就したことを宦官が知った時、彼はもはや何も迷うことはありませんでした。宦官はフィリポから洗礼を受けクリスチャンとなったのです。
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使徒言行録9章で劇的な回心をするパウロは、のちに、ガラテヤの教会に宛てた手紙の3章でこう語りました。
【26 あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。27 洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。28 そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。】と。
フィリポ、宦官、そしてパウロは、確かな線(LINE)で繋がっています。end
《 み言葉 余滴 》175号
2018年10月14日
『 風に吹かれて散らされて 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 8章1節~8節 1 サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。2
しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。3 一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。4 さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。5 フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。
いつもながら聖書が伝えていることは面白くもありますし実に不思議です。じっくりと読んでいると、書かれていることが決して「当然でしょ」「やっぱりね」という内容ではないことに気付きます。聖書を読むことに慣れっこになることはもったいないですし、要注意です。
使徒言行録の8章、いえ、それ以前の6章、7章を含めて知らされている重要な情報があります。当時の世界各地に向けてイエス・キリストの福音を運んで行く切っ掛けをつくったのは誰だったのか、ということです。
「先生、そりゃパウロでしょ、ここではまだサウロと呼ばれているけれど」という声が聞こえてきそうです。
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確かに、キリスト教というものが成立するために果たしたパウロの役割はあまりに大きいのですから、それは正しい答えです。でも、ここでパウロ以前に活躍するのは〈フィリポ〉という人でした。パウロはまだ迫害者に過ぎません。
私たち。ここで活躍する〈フィリポ〉という名をしっかり記憶したいと思います。イエスさまの12人の弟子の中にも〈フィリポ〉という名前がありますが、そのフィリポとは別人です。
ここに登場する〈フィリポ〉は、もともとは、エルサレムの初代キリスト教会の中で、日常生活の具体的なこと、言わば信者のたちのお世話係7人のうちの1人でした。
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もう少し正確に言うと〈フィリポ〉は「散らされた人」でした。或いは「逃げ出した人」「逃げ出さざるをえなかった人」だったのです。そんな彼が安全な場所を求めて逃げ出した場所が〈サマリア〉でした。
当時のユダヤ人にとって、ユダヤ教と異教との混合がなされていた〈サマリア〉という地は差別と軽蔑の地に他なりません。そんなところにユダヤ社会の迫害者も追いかけて来ませんでした。そこで用いられたのが、お世話係の〈フィリポ〉だったというわけです。
彼は〈サマリア〉で一所懸命に伝道します。しばらくしてから、12使徒のペトロとヨハネが姿を見せますが、〈サマリア〉伝道は〈フィリポ〉抜きには一歩も進まなかったのです。
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不思議なこと、そして感謝なこととも言えますが、神さまは〈逃げ出した人〉を用いられるのです。聖書の中の幾人もの逃亡した人たちが、いつしか、大切な働きに仕える人へと召し出されていくのです。
創世記では兄を裏切ったヤコブがそうでした。出エジプト記では同胞を苦しめる者を殺害したのはモーセです。命の危険を感じたモーセは40年間の逃亡を続けます。12弟子の筆頭ペトロ、いいえ、それどころか12弟子はみんな、イエスのもとから逃げ出したのです。〈フィリポ〉も逃亡した人でした。
逃げるが勝ちとまでは申しません。人間、逃げ出さざるを得ない場面を生きることがあります。夜逃げするかのように雲隠れすることだってあるのです。
しかしそこには、〈神さまからの風〉=〈聖霊〉が吹いている。その風にしっかりと吹き飛ばされることが、二度とないチャンスになるのかも知れません。あなたも一度、風に吹かれて飛ばされて、散らされてみませんか。end
《 み言葉 余滴 》172号
2018年9月16日
『 〈ラザロ〉を必要とする神 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 11章1節~6節
1 ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。2 このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。3 姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。4
イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」5 イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。6 ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。
ヨハネによる福音書11章、そして12章のはじめに収められているのは「ラザロの物語」です。マタイ・マルコ・ルカという他の福音書には見られない、ヨハネ福音書だけの独自のものです。福音書記者ヨハネという人は「ラザロの物語」に対して、特別な思いを抱いていたはずです。
少し先の12章12節では、イエスさまは子ろばに乗って〈十字架の待つエルサレムへ入城〉されます。その後イエスさまによる弟子たちの〈洗足・告別説教・祈り〉が、ヨハネの筆によって丁寧に描かれます。ヨハネは〈受難と復活の前〉に、ラザロを巡る出来事だけは何としても記録したかったのです。
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ラザロはマリアとその姉妹マルタの弟で、その名前の意味は「神は助けられた」というもの。
興味深いことに、ラザロはひと言も語らない人としてここに登場します。したがって、ラザロの人柄や性格についても、とうぜん私たちにはわかりません。おそらく、イエス・キリストの福音の出来事を伝える上で、そんなことは、どうでもよかったのです。
ラザロのことを紹介する記事として繰り返されているのは、ラザロが「病気」であり「病人」だということです。ヨハネはラザロのことを「病んでいる人」として紹介します。
何よりもラザロはイエスさまによって〈復活〉させられる人です。つまり、ラザロは死ぬのです。生きる力を完全に失う人でした。このようにラザロは、徹頭徹尾、弱く、小さな者としてここに居ます。
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このようにして「ラザロの物語」を少し遠くから眺めてみると、ひとつの事実に気付かされます。
それは「ラザロ」という人物は、マルタとマリアとは対照的な存在だということです。せわしなく働くマルタ、イエスさまの足もとに高価な香油を注ぐことが出来たマリアとも違います。
ラザロは自らの力で何もできないのです。復活の出来事と深い関わり合いの中でラザロが登場すること。これも偶然ではありません。もちろん、甦(よみがえ)りの時も、ラザロ自身には何の力もありませんでした。ラザロは神に委ねることしか出来ない存在なのです。それは、決して否定的な事実ではありません。
むしろ、そのラザロの持つ無力さこそ、ヨハネ福音書が目指した「あなたがたが、イエスは神の子であり、〈救い主=キリスト〉であることを信じる」(ヨハネ20章31節)ようにするために、どうしても必要なことでした。だからこそ、私たちは「ラザロの物語」から大切な何かを感じるのです。
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右往左往する人々とは違いラザロは何と静かな人なのでしょう。彼のことについて聖書が他に何も告げていないことから想像すると、実際ラザロは言葉数が少ない人だったのです。
物語の冒頭「マリアとその姉妹マルタの村、ベタニア」という表現も、ラザロが数に入っていない感があります。
〈復活〉の出来事がなければ、キリスト教信仰は成り立ちません。誰かのために命を捧げて死んで行った偉人はイエスさま以外にも存在します。
しかし〈復活〉は別です。ラザロが復活の証人であることの意味はことのほか重いのです。神さまはラザロをお選びになった。ここに神の愛があります。end
《 み言葉 余滴 》 157号
2018年6月3日
『 失敗という名の〈たまもの〉 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 4章32節~35節 32 信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。33 使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。34 信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、35 使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。
讃美歌第2篇188番に『きみのたまものと』で始まる素敵な曲があります。私はある頃まで、この賛美歌は「青年の歌」だと思い込んでいました。確かに1節には「きみのたまものと 若いちからを」とあります。
でも2節には「きみのたましいを すべてささげて 神のわざのため つとめいそしめ」とあるのです。若者だけの賛美歌にしてしまったらもったいないかも知れない。そんなことをふと思います。「たまもの」とはいったい何なのでしょう。「たまもの」はもちろん神さまからのものなのですが・・・。
少し余談めいたことですが、平仮名で「たまもの」と記すのと漢字で「賜物」と記すだけでも随分印象が変わります。
「命」と「いのち」、「魂」と「たましい」、「心」と「こころ」の違いに通じるものがあります。188番は「きみのたまもの」と平仮名で歌詞が書かれているので好感を持てます。いえ、実はそこには「たまもの」を考える上で深い意味があるのかもと感じるのです。
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使徒言行録4章が描くのは初期キリスト教、あるいは、原始キリスト教と呼ばれる時代の「教会」の様子です。
ところが、使徒言行録4章の段階では「教会」という言葉はまだ一度も使われないのです。おそらく、この頃から、だんだんと「教会」らしくなり始めたなぁ、ということを著者のルカは(『ルカによる福音書』の著者と同じ人)意識していたと思います。
ここには、なんだか、気前よくというか、潔くというのか〈どーーーんと献金している人たち〉の姿が描かれていて、本当にみんながそうだっのかしら、俺にはこんなこと出来ないなぁ、と少し心配になるほどです。
さらに、4章の終わりには「慰めの子」として紹介される「バルナバ」と呼ばれていた「ヨセフ」というキプロス島出身の人も、持っていた畑を売り払い、その代金を使徒たちの足もとに置いた、と紹介されます。
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わたしがこの場面で一番大切にしたいと考えるのは、【信者の中には、一人も貧しい人がいなかった】という初代教会の人々の様子です。彼らはお金で困ることがなかった、と聖書が伝えているとは思えません。
むしろ、そこには、お金とは違う価値観、豊かさがあったのではないでしょうか。しかも、それは共有しやすさがあったり、分かちあいやすいものではなかったかと想像するのです。果たしてそれはどのようなものでしょうか。
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成功談というのは、大して人の為にならないものです。ペトロら使徒たちが、積極的に確信をもって語ることができたのは、自分たちのうまくやった経験ではないはずです。彼らの宝は〈挫折であり失敗〉だった。
教会は〈失敗という名の「たまもの」〉を抱えながら生きている者たちの集いです。これこそ財産です。失敗したことのない人が身近に居られるでしょうか。いいえ一人も。
教会には誰もが証しできる〈失敗という名の「たまもの」〉があり〈貧しい者はない〉という恵みが秘められているのです。end
《 み言葉 余滴 》 142号
2018年2月11日 主日礼拝からの"余滴"
『 ご飯に生玉子の交わり 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 2章42節~18節
42 彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。43 すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。44 信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、45 財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。46 そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、47 神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。
聖霊の降臨によって生まれたもの。
それは教会でした。しかし、その教会とは十字架がかかげられた建物としての教会ではありません。
初期のキリスト教徒たちにとってクリスチャンとしての自覚が生まれてくるために大切にしていたのは、聖書の説きあかしを聴き、交わりを持つこと、パンを裂くこと、祈ることでした。それが行われていた場所は「家の教会」だったのです。
教会というものは、会堂が立って生まれるのではありません。つらいことも、悲しいことも分かちあえる交わりがあるかないか。いつでもそこに帰って来られると思えるかどうか。
そのことがクリスチャンにとって肝心なのです。
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初期のキリスト教会が生まれようとしていた時、たくさんの受洗者が与えられていたことが記録されています。
【ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。】というのです。
けれども、冷静に考える必要があります。【三千人】の人々がクリスチャンとなったからと言って、一同が集まって一緒に過ごすことなど出来ません。
だからこそ、少人数の家庭的な交わりというものがとても大事なひと単位となるのです。
私の想像ですが、ひとつのグループの集まりは10人前後だっただろうと思います。それ以上の人数では、心を開いた交わりは持ちにくいのです。心の通い合う小さな交わりは信仰の深まりの鍵なのです。
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振り返ってみると、私が20代の半ば頃に洗礼を受け、クリスチャンとしての成長の場が与えられた場所となったのは、母教会である東京の銀座教会での毎週火曜・朝7時から行われていた「早天祈祷会」でした。
〈証し〉が毎週あったのも本当に貴重な経験となりました。
さらに楽しみだったのは、聖書の学びとお祈りが終わったあと、場所を移して、10人と少しの方たちとテーブルを囲んで頂いていた朝食です。6畳ひと間の独り暮しの身に、その家庭的な空気はとても心地よい時間でした。
ご馳走が並んでいたわけではありません。おみそ汁だって、チューブの味噌を絞り出しお湯を注ぐ永谷園のものでした。ご飯に生卵や納豆。そんな食事だったのです。不思議なことに、その時の余韻は今でも思い起こせます。
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銀座教会の礼拝出席は300人を少し超えるほどの日本基督教団では大規模な教会の一つです。わたしはその数を自慢したいのではありません。
大切な分かち合いが、早天祈祷会の中に、そして、その後の食卓の小さな交わりにありました。いのちの言葉を語って下さるキリストを中心とする交わりには、自ずと力とぬくもりが生まれてくるのです。
そのような分かち合いの場を産み出し続ける努力。心底、やり甲斐があると思うのです。end
《 み言葉 余滴 》 119号
2017年9月3日 主日礼拝からの"余滴"
『 毒麦も大切な理由(わけ) 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マタイによる福音書 13章28節~30節
28 主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、29 主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。30
刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」
芸能界には〈毒舌タレント〉と呼ばれる方たちがいます。最近ではマツコ・デラックスさん、松本人志さんなどがそうかも知れません。
番組を見ている人たちが、「いやぁねぇ」「まったく」等と思いながらも、彼らの〈毒舌〉は“視聴者が言いたいことをズバリ言ってくれる”から人気なのです。
でも、少なくともわたしは、彼らの言葉に隠された愛を感じます。
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イエスさまはここで「毒麦」の譬えを語られます。
譬え話とはいえ〈毒〉が出てくるなんて穏やかではありません。「毒水」「毒米」だったら少しは緊張するかも知れません。
イエスさまのお言葉それ自体に〈毒〉はなく、むしろ〈毒〉に触れつつ、おわりまでの愛を語ろうとされるのです。
聖書の中で「毒麦」はサタン=悪魔の働きによるもの。反対に「良い麦」はイエスさまが蒔かれた種から育ったものとして読むべきものです。
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実は、わたしたちキリスト者も、時に〈毒〉のある言葉を語ることがあります。
神を賛美するその口から〈毒〉を発する。それが人間です。
イエスさまによる「毒麦」の譬え話とは、そのような〈この世〉の実情が前提になって語られる〈天の国〉の譬え話であることを心にとめましょう。
肉の思いに満ちた〈この世〉と、イエスさまが指し示したいと願っておられる〈天の国〉とは違うのです。
ですから、ここで示される譬えの真理というものは、世間一般に通用する倫理的な教えではありません。
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わたしたちは「善は急げ」という言葉を知っています。
「よいことをするのに躊躇するな、機会を逃さず直ちに実行すべし」ということです。いかがでしょう。
「善は急げ」に反対する方は稀ではないでしょうか。
譬え話の中の僕(しもべ)たちも「善は急げ」と考え、直ぐに行動に移そうとします。
【行って毒麦を抜き集めておきましょうか】と。しかし主人は言うのです。【(良い麦も毒麦も)両方とも育つままにしておきなさい】と。
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人が生きて行く途上で起こる〈人生=畑〉での難題、課題というもの。
その根の深さに驚くことがあります。実に複雑に絡み合っています。表面的なことだけを片付けても、根本的な解決策にならないことばかりです。
イエスさまの示された仕方は、〈毒〉のあるものだけを直ちに抜き取るような方法ではありませんでした。
なぜなら、わたしたちが育てようとしている何かは、根っこの部分で良い部分と悪い部分が絡みついているからです。
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ここでの良い麦・悪い麦と同じように、我々の信仰も本物と偽物が表裏一体になっていことを認めざるをえません。
だからこそイエスさまは仰います。
「あなたが慌てて解決しようとするのではなく、信じる者として、わたしにさいごまで任せよ」と。
謙遜と柔和、悔い改めの心をもって、その時に備える生き方を始めましょう。明日からでありません。
今、直ぐにです。end
《 み言葉 余滴 》 97号
2017年4月2日 主日礼拝からの"余滴"
『 ごめんね ユダ 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マタイによる福音書 27章3節~5節
3 そのころ、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、4 「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。5 そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。
北島三郎さんが歌った『帰ろかな』という歌があります。永六輔さん作詞、中村八大さん作曲です。久しぶりに聴いてみました。
昭和40年・1965年の歌ですから、私が幼稚園児の頃です。
そんな私ですら、「帰ろかな 帰るのよそうかな」の繰り返しの部分をハッキリ覚えています。
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イスカリオテのユダ。裏切り者の代名詞です。
この人さえいなければ、イエスさまのご受難の頂点、十字架の死はなかったのでしょうか。
私は、「ユダさん、あなたは確かにイエスを引き渡した張本人だよね。サタンがあなたに狙いを定めて入りこんだんだ。でも、でも、でもね、あんただけが悪者じゃないよ」と言いたくなってしまいます。
蜘蛛(くも)の子を散らすように逃げて行ったほかの弟子たちはどうなのよ。奴らは何をしていたんだ、と思わないではいられません。
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パウロは〈神の家族〉という言葉を『エフェソの信徒への手紙』で語っています。
【あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり・・・そのかなめ石はキリスト・イエスご自身】(エフェソ書 2:19-20)
〈神の家族〉。教会生活を続ける私たちにとって鍵になる語の一つです。
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ユダの裏切りやイエスさまのご受難に直面した時、共に歩んできた弟子たちの心には、〈神の家族〉としての〈アイデンティティー〉は無かったのでしょうか。
〈アイデンティティー〉という言葉。
少しむつかしいですが、たとえば『新明解国語辞典』では、「自分という存在の独自性についての自覚」と説明されています。
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神に選ばれ、イエスさまに召し出され、世にはない特別な恵みとあわれみに生かされて来た弟子としての自覚はどこに?
助け合い、赦し合い、認め合いながら生きるのが主の僕だったのでは? と問いたくなります。
ユダは祭司長たちの処(ところ)ではなく、まず、労苦を共にしてきた〈神の家族〉である弟子たちの処(ところ)に戻ることは出来なかったのでしょうか。
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悲しいかな、弟子たちは世にある生身の人間でした。
彼らにはまだ〈神の家族〉の自覚を持てず、自分のことだけしか考えられなかった。取り返しの付かないことをしたユダが、帰る場所をつくり出せなかったのです。
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でも、そんな彼らが、主イエス・キリストの十字架と復活、そして約束の聖霊の出来事を経て、初めて「お帰り、ユダ」「つらかったな。本当にごめんな」と言える人に変えられて行く。
そこに〈神の家族〉は誕生するのです。
私たちも〈神の家族〉としてゆっくりと深まって行きたい。
そのためには、互いの弱さと罪人としての自覚、告白が求められるのです。end
《 み言葉 余滴 》 73号
2016年10月2日 主日礼拝からの"余滴"
『 待ち続けた人 ラザロ 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 11章43節~44節
43 こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。44 すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。
ラザロの復活の物語。
ヨハネによる福音書のひとつのクライマックスを迎える場面です。
続く12章から、イエスさまはエルサレムに入場され、弟子たちの裏切り、裁判、十字架刑、そして復活と続くのです。
ラザロはエルサレムまで3㎞程のところにあるベタニアに暮らしていました。マルタとマリアという姉妹がいます。
ラザロの復活が語られる場面であるにもかかわらず、物語はマルタとマリア、そして弟子たち、さらには群衆を中心に展開します。
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イエスさまとラザロ、そしてその姉妹との関係について福音書記者ヨハネはこう伝えています。
【イエスは、マルタとその姉妹(=マリア)とラザロのことを愛しておられた】(11:5)。
【わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。】(11:12)。
主に〈愛され〉、〈友と呼ばれる〉親しい交わりの中にあることがハッキリと伝えられているのです。
ところが、イエスさまは【主よ、あなたの愛しておられる者(=ラザロ)が病気なのです】(11:3)と伝えられても直ぐに行動なさいません。その理由は不明です。
とにかく、神の時が来るまで待たせるのです。時間にして96時間。丸4日でした。
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聖書が伝えるラザロという人は、ひと言も口を開かない人です。
ラザロの役割は、徹頭徹尾、受け身です。彼は登場した時に、既に重病で床にあり、自分では何もできず、マルタとマリアの看護、あるいは介護を受けるだけでした。
死んでしまった後はなおさらです。布に包まれ葬られます。そしてラザロは、復活の時にも何も言葉を発しない。彼の体をグルグル巻きにしていた布をほどいたのも周囲の人たちでした。
つまりラザロは完全に受け身の人なのです。もっと言うならば、彼は受け身であるところから出発する以外にはない、無力な存在でした。
よくよく考えてみると、彼は信じて待ち続け、任せて委ねるしかないのです。
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自らの力や思いから弱さゆえに自由になり、イエスさまに信頼し、待ち続けるところから信仰を持つ人になった。
それがラザロでした。神さまはラザロのような存在を通して復活の出来事を起こされたのです。
これこそ神さまのご計画です。
わたしたちにもラザロに倣う道があります。力を抜いてラザロに学びましょう。
やがてラザロはイエスに敵対する人々から命をねらわれる程に、その存在を通して証しを始めるのです(12:10)。end