《 み言葉 余滴 》は、礼拝説教の要約ではありません。45分位ある説教を文字にまとめることは森牧師の場合、そもそも無理です。「余滴」は、説教とは別の角度からの視点でお届けするみ言葉です。
《 み言葉 余滴 》は、説教では語らなかったけれど、準備していたことも少しずつ交えながら、再構成しているものです。読みやすさ、わかりやすさを大切にしています。
なお、礼拝で語った実際の説教は、「礼拝音声メッセージブログ・西大寺の風」・「旭東教会YouTube配信」(いずれもclick!)でお聴きになれます。
《 み言葉 余滴 》 NO.405
2023年4月30日
『ローマに向かう船上で 嵐の中の信仰』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 27章18節~20節 18 しかし、ひどい暴風に悩まされたので、翌日には人々は積み荷を海に捨て始め、19 三日目には自分たちの手で船具を投げ捨ててしまった。20 幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた。
使徒言行録27章は、パウロが願い求めていたローマに向けての旅がようやく動き始めた時のことが記されています。
少しさかのぼって思い出すならば、22章17節以下で、第三回の宣教旅行を終えてエルサレムに戻ってきた時、パウロは既に命を狙われている立場にありました。
そもそも、ヤコブをはじめとするエルサレムのキリスト教会の人たちからは、労(ねぎら)いの言葉はひと言もなかったのです。
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エルサレム神殿で逮捕されてからのパウロには自由がありませんでした。群衆の前での弁明、ユダヤの最高法院での裁判がありました。カイサリアに移送されてからは、ローマの総督フェニックスとフェストゥスの元で軟禁状態となり、「2年」(24:27)の時が流れます。26章の最後のところではユダヤの権力者であったヘロデ・アグリッパ王が現れます。しかし、パウロは論破しました。
パウロを支えていたのは、神さまがエルサレムの兵営に閉じ込められた夜に現れ、「パウロ、勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」(使徒23:11)とのお言葉があったからだ、と言っても過言ではないと思います。他の囚人と共に移送される身でした。パウロは皇帝に上訴したがゆえにローマに向かうのです。
けれども、彼には希望があった。生きて成し遂げなければならない「使命」(*ミッション)がありました。
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船に乗り込んだ時、パウロには数人の仲間が共にいたことがわかります。27章冒頭に「私たちがイタリアへ向かって船出することに決まったとき」とあるのです。「私たち」とは使徒言行録の著者ルカ、テサロニケ出身のアリスタルコ、さらには、パウロの右腕として活躍していたテモテが共に居たのではと思われます。
乗り込んだ船はローマに向けて少しも順調に進みません。とりわけ、リキア州のミラで乗り換えた船は直ぐに、「風に行く手を阻まれ」(27:7)ます。断食日を過ぎた、秋から冬に向かう地中海は航海を避けるべきでした。
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旅を重ねて30年の経験があるパウロは、いつしか、海の情報にも詳しくなっていたようですが、誰も彼の言葉に耳を傾けません。危険を承知でローマに向かい始めた船は、クレタ島付近でエウラキロンと呼ばれる猛烈な風に激しく揉まれ始めます。
カウダという小島付近では、ついに自力航行できる状態ではなくなりました。「機具をゆるめて流されるまま」(27:17・田川建三訳 参照)となり、ついに、一行「276人」(27:38)は、大切な積み荷を海に投げ込んで船を軽くしなければ沈没してしまう状況に置かれたのです。
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パウロは落ち着いていました。「助かる望みは全く消え失せようとしていた」時にも希望を失いません。船酔いでヘロヘロになっている人々に、「大丈夫だ」ということを一人立ち上がって語りました。
本当はパウロも絶体絶命のピンチなのです。けれども彼は、インマヌエルの主と共に生きていた。これは私たちの希望です。end
《 み言葉 余滴 》 NO.404
2023年4月23日
『 腹が減った
何か食べる物はあるか?』
牧師 森 言一郎
◎ルカによる福音書 24章41節~43節 41 彼らが喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっているので、イエスは、「ここに何か食べ物があるか」と言われた。42 そこで、焼いた魚を一切れ差し出すと、43 イエスはそれを取って、彼らの前で食べられた。
福音書記者ルカが伝える「その日」はとても長い日曜日でした。「その日」とは、のちに「イースター」としてお祝いする起源となった日です。
よみがえりの主イエスは、エルサレムの、とある部屋に集まっていたで弟子たちが話をしているところにお姿を現されます。イエスさまが語りかけたお言葉は、「あなたがたに平和」だったと聖書は告げます。イエスさまがお使いになったお言葉はヘブル語ですから「シャローム」というひと言だったはずです。これはユダヤの人々が、今も昔も、誰もが、当たり前に日常的に使う言葉です。
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弟子たちには聞き覚えのある声ではありましたけれども緊張が走ります。彼らは身を固めるのです。「亡霊」と思ったようです。
すると次にイエスさまは「手と足をお見せになった」というのです。ヨハネ福音書ではトマスに対して、「あなたの指をここに当てて、私の手を見なさい。あなたの手を伸ばし、私のわき腹に入れなさい」と言われています。
弟子たちは目の前にいるお方が、十字架の主であることを悟るのです。でもそれでも、「喜びのあまりまだ信じられず、不思議がった」のです。
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様子をご覧になったイエスさまが求められたのが「食べ物」でした。そして、イエスさまに差し出されたのは「焼いた一切れの魚」でした。
彼らの前に突然現れたお方は、むしゃむしゃだったか、ペロリかは不明ですが、喜んで魚を食べられます。固唾(かたず)を呑んで見守っていた弟子たちの緊張は、このとき既に解けていました。罪人の友となって宴(うたげ)を共にされるお方がそこに居られます。何とも愉快な場面であり、愛に包まれた時がそこにはありました。
イエスのよみがえりを受け入れられなかった弟子たちの前にあった壁はこうして消えていったのです。ここには「人間イエス」が居られます。
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イエスさまはそのようになさったあとに、「聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて」語られるのです。食べることが先にある順番はとても大切です。食べることを重んじられるイエスさまのなさり方は、今の私たちの教会生活にも結び付くものだからです。
「同じ釜の飯を食う」経験は私たちの関係を不思議な形で変えるものなのです。キリスト教会が愛餐を重んじることは、実に聖書的な在り方なのです。心の目が開かれるために「一切れの魚」を食されるイエスが必要だったのです。愛餐やお茶会、大事にしたいものです。
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聖書を解き明かされるイエスの言葉の中で重みを特に感じるのは「罪の赦しを得させる悔い改め」が語られることです。
ルカ福音書の4章ではイエスさまが〈最初〉の説教をナザレの会堂でなさった時、ご自分が世にお出でになった理由を「見えない人が見えるようになるためだ」と語られると同時に、「解放と自由」が宣言されます。
そこでの「解放と自由」は今日の箇所で「赦し」と訳されている語と同じ言葉(*「アフェシス」)なのです。
ルカ24章にはイエスさまの〈最後〉の教えが記されていますが、「赦し」が語られる中で、「救いの主イエス」の愛が浮かび上がります。
弟子たちが胸を張って生きて行くことが出来るようになる道が、実に不思議な形で備えられていたのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.403
2023年4月16日
『 どこに立ち帰りますか? 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 24章25節~27節 25 そこで、イエスは言われた。「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、26 メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」27 そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、御自分について書かれていることを説明された。
私たちは人生という名の「旅」を続けています。誰にも「旅」があるのです。旅行かばんを持たなくても「旅」を続けてきたのです。今もその途上にあります。
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ルカによる福音書24章にはエマオに向かう二人の旅人が描かれます。ひとりはクレオパ、もう一人は無名の人です。二人は「弟子」だと紹介されています。ペトロたち12人だけが「弟子」だったのではありません。たとえば、ルカ福音書10章では72人が任命され伝道旅行に派遣されています。
聖書を読むとき、私たちはいつも「あなたとイエスは、どのような関係にあるのか」という問いがあることを自覚する必要があります。「我に従い来たれ」とのお声掛けを受けて立ち上がったあの日の私たち。「弟子」としての自覚をもつことが聖書を読む上での大前提ではないでしょうか。
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マグダラのマリアや他の女たちが、イエスは墓には居られないということ、そして、イエスさまの甦りを告げた時、二人の弟子たちにも動揺があったと思います。
でも彼らは、復活を信じられなかった。「たわ言」だと思ったのです。彼らの目は「遮られ」ていました。イエスと共に生きる旅に自分たちで見切りを付けてしまった。
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エルサレムを離れて向かったのはエマオでした。自分たちの「家」がそこにあったのです。何より他に行くあてがない。そこに戻るしかないと決め込んでしました。
だから、イエスさまが近付いて来て一緒に歩き始められても、それがイエスだとは気付きません。二人は大きな声でよくしゃべりました。論じ合う程に熱く話をしていたのです。
エルサレムの隠れ家に身を潜めていたとき、誰もがうつむいて黙っていたのですから、その反動かも知れません。興奮冷めやらない中、「六十スタディオン」、文語訳聖書が「三里」とした道を歩き始めました。
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熱く話し合いながらも、その表情は「暗かった」二人に、見知らぬ人として近づいて来たイエスさまは語りかけます。「やり取りしているその話は何のことですか」と。
するとクレオパは、「まさか、あなただけはエルサレムで起こったあの出来事をご存じないのか」と話し始めます。イエスさまは彼らの思いを上手に引き出していかれます。
「どんなことですか」という続く問い掛けに、おそらく、小一時間は続いたであろうナザレのイエスに対する希望と失望、無念が吐き出されます。
嘘をつくつもりなど無かったのですが、イエスが十字架の上で死んで葬られたことの責任は、「祭司長たちや議員たち」にあると伝えたのです。
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記憶は嘘をつく、と聞いたことがあります。私たちは自分に都合の良い物語を、巧みに紡いで語る習性があるのです。自分のことは棚上にしてしまいます。
ここでは、イエスさまが十字架につけられたのは、主を見捨てて逃げ出してしまった過去を持つ「弟子」たちの罪のゆえでもあったことは、ひと言も語られません。
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イエスさまが「ああ、何と物分かりが悪く心が鈍いのか」と嘆きつつも、「聖書全体」から「弟子」たちに語られたのには理由(わけ)があります。
聖書こそ、私たちの立ち帰るべき原点だからです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.402
2023年4月9日
『〈ナンセンスな人〉で行こう 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 24章9節~11節 9そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。10それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいたほかの女たちであった。女たちはこれらのことを使徒たちに話した。11しかし、使徒たちには、この話がまるで馬鹿げたことに思われて、女たちの言うことを信じなかった。
*2019年発行 聖書協会共同訳より
キリスト復活の最初の証人となったのは女性たちでした。どのような人たちだったのでしょう。
特にその人物像が想像しやすいのは「マグダラのマリア」です。彼女はルカによる福音書8章の冒頭で「七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア」と紹介される人物です。それだけではなく、彼女の周辺には「悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち」が居りました。
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つまり、イエスさまの弟子たちは女たちのことをよく知っていたのです。ここに登場する11人。私の推測ですが、自分たちのことは棚に上げ、彼女たちを見下していた可能性があると思います。
だから、身を隠していた部屋に女たちが息を弾ませて飛び込んで来て、イエスさまの墓が空っぽであることについての「一部始終」を話すのを聞いた時、「たわごと」だと思っても不思議ではありません。
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気になるのは「馬鹿げたこと」と訳されている言葉です。
一番多い日本語の聖書の訳は「たわごと」です。他に「愚かな話」(口語訳)「まるでくだらない」(田川建三訳)「冗談のよう」(塚本虎二訳)などもあります。
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私はふと、英語では何というのだろうかと確認してみたくなって調べてみました。『Today's English Version(TEV)』や『New International Version』(NIV)の翻訳では「nonsense・ナンセンス」という言葉が使われていました。
実はこの「ナンセンス」という言葉。私自身、昔、苦い思いをした言葉なのです。「そんなの、ナンセンスでしょ」と一笑に付された忘れられない経験があります。
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良い機会だと思って「ナンセンス」を国語辞典で調べてみました。すると国語辞典は驚くほど饒舌(じょうぜつ)でした。
「まともに取りあげる価値がない」「知能・理解力が低い」「実際にありそうにない、通常の論理を踏み外したこと」「ダメなこと」「相手の言い分を頭から否定しようとする時に発する言葉」というのが「ナンセンス」の意味だというのです。
これ、極めて興味深いことでした。
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なぜなら、私たちの信仰の書である『聖書」は「ナンセンス」に満ちた書だからです。
創世記1章では天地創造が七日間で行われたとあります。イエスの誕生を告げるルカによる福音書1章の受胎告知の場面では、天使ガブリエルがマリアに現れて、「私はまだ男の人を知りませんのに」という女性に対して、神の子が宿ることを告げます。マリアは恐れましたが、「お言葉どおりこの身になりますように」と受け入れたのです。
さらに、「ナンセンス」な知らせは、世の片隅に生きていた羊飼いたちにも天使によって届けられます。「ダビデの町ベツレヘムに行け。あなたがたのための救い主がお生まれになった。そのみどりごは、飼い葉桶の中に寝ている」と続いたのです。
私たちはこの出来事を、どこかで「ぴょん」して信じました。だからクリスチャンになったのです。
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復活の命を生きる人とは、神さまからの「ナンセンス」な知らせに「ぴょん」して歩みだす人のことです。
もう一度、馬鹿になって、福音を信じる人として生きて行きたいと思うのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.401
2023年4月2日
『 ピラトのもとで暴かれたこと 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 23章20節~24節 22 ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」23 ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。24 そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。
イエスさまの時代、ユダヤ地方はローマ帝国によって治められいました。「すべての道はローマに通ず」と言われたのはよく知られるところですが、当時ユダヤはローマの圧倒的な力によって支配されていました。
ユダヤの総督として遣わされていたのがポンティオ・ピラトでした。彼の在位は26年~36年だったという確かな記録があります。使徒信条の中で「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と出てくるあのピラトです。
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過越の祭はユダヤ教の三大祭りの一つですから、都エルサレムには神殿に詣でる多くの人々が世界各地から集まって来ました。普段はカイサリアという港町に暮らすピラトは、過越祭でにぎわうエルサレムが平穏無事であることを願っておりましたが、その役目柄エルサレムに身を置いている必要があったのです。
とりわけ祭りの時には処刑されるような犯罪人を恩赦する権限をもっていましたから、その出番を待っていた頃でもあったと思います。ピラトのもとには、ユダヤ地方の様々な情報が整理して届けられていたはずです。当然、ナザレのイエスについてもよく知っていたのです。
まだ夜も明けきらぬ頃に、ユダヤ当局側の責任者である祭司長と民衆がイエスを引き連れて、裁きを求めて押し寄せてきます。彼らが要求するのは、ローマの処刑の中でも極刑の十字架刑でした。ピラトは身構えます。
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ピラトは、イエスに罪を見いだせないことを知っていました。福音書記者ルカはそのことを、何度も繰り返して記します。「どんな悪事を働いたというのか。取り調べたが、この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。」というのです。
しかし、イエスのナザレ会堂での最初の説教が行われた時から、機会をみて命を奪わなければ、ユダヤが混乱する一方だと認識していた祭司長や律法学者たち、そして長老たちは、民衆を扇動しながら、十字架刑に処す判決を下すことを求め続けます。
ついにピラトは人々の声に流されるようにして自らの判断を捨て去り、保身のために十字架刑を命じることになったのです。神を畏れず、人の声を恐れた結果でした。
我が身を守ることで必死だったピラトの頭をよぎり続けていたのは、ローマ皇帝ティベリウスの顔であり、「あなた、これ以上面倒なことに関わるのはよして。私、悪い夢を見たのよ」と伝言してきた妻の顔だったのです。
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筆の持ち方は異なりますが、4つの福音書はいずれもピラトのことを丹念に描きます。ユダヤを治めるためにローマから遣わされたはずのピラトは、いつしかイエスを抹殺したいユダヤの人々に利用され始めるのです。
この裁きの場面には人間の罪があぶり出されます。民衆がイエスを心底憎んでいたのかと言えば、否だと思います。しかし煽動された人々は「イエスを殺せ」と連呼します。この「イエスを殺せ」の大合唱は、ローマに抑圧され、思うに任せない暮らしを強いられ、うっぷんの溜(た)まっていたユダヤの権力者たちと民衆の、最大の憂さ晴らしの機会となっているのです。
創世記1章の「混沌」と「深淵」があります。人間の罪がピラトを通して暴(あば)き出されました。end
《 み言葉 余滴 》 NO.400
2023年3月26日
『 ペトロという岩の上に 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 22章61節~62節 61 主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度私を知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。62 そして外に出て、激しく泣いた。
讃美歌21-197番「ああ主のひとみ」は日本の賛美歌の名曲だと思います。
私はルカによる福音書の22章54節以下に描かれる、大祭司の家の中庭でのペトロが「激しく泣く」姿を読むときに、どうしても歌いたくなります。
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ところで、ご覧のように62節の「そして外に出て、激しく泣いた」はとても短い節です。「激しく泣く」ペトロを通じて考えるために、新約聖書の原文のギリシア語を辞典で確かめてみました。
確かに「激しく」という意味はあります。しかし、「激しく」=「号泣」だけかと言うと、そうではないのです。
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現代の新約聖書学者で、世界的にも第一線を歩み続けておられる田川建三先生は「苦く泣いた」と訳しておられます。珍しい翻訳です。
また、明治18年生まれの無教会派の伝道者塚本虎二先生は「さめざめと泣いた」としました。「さめざめ」を明解国語辞典で引くと、「涙を流し声を忍ばせて泣き続ける様子」と解説します。いずれも日本語の表現として奥深さを感じます。
私たちは「おいおい」「おろおろ」「おんおん」「わんわん」「うるうる」泣いたことがあります。誰しも、色んな涙を経験して生きて来たのです。泣かない人は居りません。だからこそ、この箇所をすーっと読み進んではいけない。
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弟子たちによってユダヤの当局者側に引き渡されたイエスさまは、大祭司の家の横にある最高法院での尋問を受けておられました。イエスさまはペトロが、今、どこで、何をしているのかということをご存じでした。
福音書記者ルカは、ペトロが泣き崩れたその時のことを、「主は振り向いてペトロを見つめられた」と記します。
これはコロサイ書4章14節が告げる「医者」であったというルカらしい繊細な眼差しと言えるかも知れません。冒頭でふれた「ああ主のひとみ」の賛美歌は、②節で「よわきペトロを かえりみて、ゆるすはたれぞ、主ならずや」としました。ゆるしの愛がそこにあるのです。
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22章31節以下の段落に記されていますが、イエスさまは、ペトロがご自身のことを三度否むことになることを予告しておられました。
その時にペトロは、「しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」という言葉を聴いていたのです。
ペトロは即座に、「牢屋に入っても死んでもよい覚悟があります」と力強く口にした。そのときのことを、ペトロ自身、忘れるはずがありません。この後も共に生きていく他の弟子たちも聞いておりました。
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ペトロという名前には「岩」という意味があります。本名ではありません。でも、イエスさまはそのように呼びたかったのです。
ヨハネ福音書1章42節には「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。」とあります。
マタイ福音書16章18節には、「私も言っておく。あなたはペトロ。私はこの岩の上に私の教会を建てる」とあるのです。
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ペトロは頑強な「岩」ではない。「ひび割れ、裂け、崩れ落ちる岩」です。
イエスさまは、その上に教会を建てると約束されました。この主イエスの愛抜きには、私たちも、教会も存在し得(え)ないのです。end
※神さまに導かれて、400号をお届けできて感謝です。8年かかりました。今後の在り方を、ちょっと考え中です。(もり)
《 み言葉 余滴 》 NO.399
2023年3月19日
『神の小羊 最後の過越』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 22章19節 19 それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与えられる私の体である。私の記念としてこのように行いなさい。」
今も昔も、ユダヤの人たちは祭を大事にします。そうすることによって、先祖が生きて来た歴史を心に刻み、信仰を継承することができるからです。
ここには「過越祭」のことが記されています。季節は春、3月末頃のことです。
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エルサレムに入場されたイエスさまは、弟子たちと共に「過越を祝う」準備を命じられました。
「祝う」とは「過越の食事を通じて」という意味でもあります。ただ食べるだけではありません。定められた詩編を読み、祈り、その時だけの食べ物を口にするのです。酵母の入っていない薄っぺらい種入れぬパン、春の野菜、奴隷の労働と結び付くものなど様々です。
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過越の起源は出エジプトにあります。神さまが災いをイスラエルの民には下されないで過ぎ越された時のことを「過越の食事」を続けることによって想い起こし続けなさい、と命じられたのです。
出エジプト記12章は「主の過越という小見出し」が付けられている大切な箇所です。中でも12章24節以下には「あなたがたはこれを永遠に守らなければならない。約束の地に入ったあとも、この儀式(食事)を守らなければならない。」とあります。
だから、ユダヤの人々はイエスさまの時代も、今も、過越の食事を大事に守り続けるのです。
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大切なのは、「災いが過越す」という出来事が、一体どのようにして起こったかということでしょう。なぜなら、正にそのことが、イエスさまがここで「過越」について新しい意味を示される、根底・土台としてあるからです。
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回り道のようになりますが、確認しておきましょう。
神さまは、イスラエルを苦しめるエジプト王ファラオに対して「十の災い」を下されましたが、その最後が、人間から家畜に至るまでエジプト中の「すべての初子を撃つ」(出エジプト記12章12節)というものでした。
その際、神さまは不思議なことをイスラエルの民に命じられます。二本の柱と鴨居に子羊の血を塗っておきなさいと教えられたのです。
イスラエルの民はそれを実行しました。それゆえイスラエルの民の上を、災いは通り過ぎていったのです。英語で「過越」は「Passover・パスオーバー」と言われるのも納得です。
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イエスさまは、12人の使徒たちと共に過越を祝い始めました。
ところが途中から、ユダヤの人々が伝統的に用いて来た式文を踏み外す言葉を口にし始めたのです。「パンを裂き」ながら「これは私の体である」と言い、忘れることのないように記念として食べ続けなさいと言われます。
さらに、「杯」をかかげながら「これはあなたがたのために流される、私の血による新しい契約である。」と続けられました。その杯を飲むごとに想い起こすべき事があると言われたのです。
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弟子たちは、その場では正しい意味など分かりませんでした。しかしやがて、十字架の上の主イエスの「死」を知り、「復活」の主イエスと再会する中で、彼らの信仰の眼(まなこ)は開かれていったのです。
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ルカ福音書24章は、日曜日の夕べ、エマオに向かう旅人二人に近づいて来て一緒に話をし、歩き続けた旅人がイエスだと気付いたのは、共に宿に泊まり、食卓を囲み、パンが裂かれた時だった、と告げます。
教会が「食卓」を重んじる原点がそこにはあるのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.398
2023年3月12日
『ぶどう園に送られた 愛(まな)息子』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 20章14節~15節前半 13 そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』14 農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』15 そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。
イエスさまが「ぶどう園の農夫の譬え話」をなさるのには深い理由(わけ)がありました。
「5W1H」。「いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのよう」に語られたのかを踏まえながら聖書を読むことが出来ると、この場面の理解が深まりますので、やってみたいと思います。
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先ず、「いつ(When)」のことかと言えば、十字架のご受難が待ち受けるエルサレム入場直後です。
2番目に「どこで(Where)」については、エルサレム神殿でのこと。3番目に「誰が(Who)」は言うまでもなく救い主であるイエスさまです。イエスさましか語ることが出来ないとも言えます。
4番目の「何を(What)」は、大事な跡取り息子の死です。それも随分酷い死に方です。さらに5番目の「なぜ(Why)」については、ここで語ることによって、この後、ご自分の身に起こることについての預言的な意味が明確になるからです。
さいごに「どのように(How)」かと言えば、敵対する律法学者や祭司長たちが「自分たちへの当てつけだと気付く」ような形である、と申し上げられます。イエスさまは準備万端整えて語っておられるのです。
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旧約聖書を丹念に調べると浮かび上がってきますが、「ぶどう園やぶどうの実」というものは、私たちが考える以上に、神の民イスラエルにとって身近なものでした。
ここでのぶどう園の「主人」とは「神さま」のことであり、「ぶどう園」とは正統的なユダヤの人々にとって「自分たちそのもの」です。
そして、収穫の時期を迎えているぶどう園の「農夫たち」とは、神の国の豊かな実りを自分たちのものとして特権的に受け取りたいと考える「指導者」なのです。けれども、彼らは、旧約の預言者たちの言葉に対して、うなじを硬くした王たちと同様、悔い改めることが出来ない愚か者たちでした。
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主人である神さまが最後にぶどう園に遣わされたのは、神の国の一切を任せられる存在である独り子・イエスでした。譬え話の中では「愛する息子」とありますが、その息子は、ぶどう園の外に放り出されて殺されてしまいます。
イエスさまはエルサレムの中心地で十字架刑に処せられるのではないのです。城門の外の「ゴルゴタ」=「されこうべ」という意味を持つ不吉な場所でした。ゴルゴタでのの死が暗示されているのが「ぶどう園の農夫の譬え話」なのです。
この譬え話の「主人」は、身勝手な農夫たちに対して「裁きを下すお方」だと言われています。聖書の神は、常に裁きを携えているお方であることを見落としてはなりません。それが旧約の神さまなのです。
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裁きの宣告で終わったかに見える譬え話です。
しかし「放り出された息子」は「捨て石」であるにもかかわらず「隅の親石」となるのです。「石ころ」に過ぎない者が「救いのために無くてはならない隅の親石となる」とは、神のなさる不思議な仕方です。
福音書記者ルカは、イエスさまがこの譬え話を「民衆」に語り始めたと冒頭で告げていますが、弟子たちは復活のイエスのゆるしの愛にふれた後(のち)、自分たちのために語られた譬え話であることに気付いたのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.397
2023年3月5日
『 何の勲(いさおし)もない私に 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 10章33節~34節 33 ところが、旅をしていたあるサマリア人(じん)は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、34 近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
のちに、「善きサマリア人の譬え話」と呼ばれるようになるお話をイエスさまが律法学者になさる場面です。エルサレムからエリコに下って行く道でのこと。追いはぎに襲われ、瀕死(ひんし)の重傷を負った人が居りました。
ところが、神の言葉=律法に忠実なはずの「祭司」も「レビ人」も行き倒れた人を無視して通り過ぎます。しかし、サマリア人は違いました。手を差し伸べ、寄り添い、介抱するのです。
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サマリアのことが最初に聖書に出てくるのは旧約の「列王記」です。
ソロモン王の時代から半世紀程が過ぎた紀元前870年代の北王国イスラエルでのこと。列王記上の16章の後半からサマリアの負の歴史が克明に記録され始めます。元々サマリアは、北王国イスラエルの首都の名前でしたが、やがて、パレスチナ中部の地域名を意味する言葉として用いられるようになります。
そこには、サマリアに異教の神バアルの祭壇が築かれます。さらに、紀元前721年には隣国アッシリアの侵略によって陥落する様子が描かれます。サマリアには各地から異邦人が移住してきて、ユダヤ人にとって忌むべき雑婚が始まるのです。
地理的にはユダヤ人と同じ地域に暮らす民が、血族的にも宗教的にも、もはや、「神の選びの民」ではなくなりました。
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そのような歴史の積み重ねの中ユダヤ人とサマリア人との交流は完全に途絶えます。サマリア人の側も、「我々はユダヤ人とは同族ではない」と主張するようになっていきます。ヨハネ福音書4章のサマリアの女とイエスさまの出会いの場面を読みますと、サマリア人のユダヤ人険悪の様がはっきりと示されています。
律法学者からすると、追いはぎに襲われた人を助けた立派な人がサマリア人であることは、決して認めたくない話の展開でした。
イエスさまからの、「あなたは、この三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うのか」という問いに対して、彼らは口が裂けても「サマリア人です」とは言いたくない。それ程までに、ユダヤ人はサマリアに関連して複雑でこじれた感情を抱えていました。
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しかし、立ち止まって考えてみると、このような軋轢(あつれき)、断絶、憎しみというのものが、我々の人生の中には形を変えて転がっていることに気付きます。
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祭司やレビ人が無視して通り過ぎた〈行き倒れの無名の人〉に、深い憐れみをもって臨み、これ以上のことができる人は居ないだろう、という程の愛をもって救ってくれたのがサマリア人だとイエスさまは語られました。
突きつめて申し上げるならば、サマリア人の姿で救いの手を差し伸べたのはイエスさまだと読むことが出来ます。
この譬え話は単なる道徳ではありません。イエスさまからすると、命がけのお言葉でした。一方の律法学者は、イエスに対して、「この男を生かしておくのは危険だ」との思いを深めることになったのです。
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なにゆえ、イエスさまはこのような危険なお話をなさったのか。答えは、全ての人に救いを届けたいからです。それが御心(みこころ)でした。
誰からも見捨てられ、死にそうになっている旅人をイエスさまは見過ごしにはなさいません。愛は命懸け。傷つきながら御心を成就なさるのです。
何の勲(いさおし)もない私たちは、その愛に救われています。end
《 み言葉 余滴 》 NO.396
2023年2月26日
『 自分の十字架を背負って 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 9章22節~23節
22 次のように言われた。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」23 それから、イエスは皆に言われた。「私について来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。
12人の弟子たちは、空腹の五千人を満腹にする奇跡を目の当たりした直後に、イエスさまからある問い掛けを受けます。
「群衆は、私のことを何者だと言っているか」「それでは、あなたがたは私を何者だと言うのか」と。弟子の中で筆頭格のペトロは即答しました。「神からのメシアです」と。
ペトロが答えた「メシア」とは、「油注がれた者」というのが元来の意味ですが、同時に「キリスト=救い主」という意味があります。やがてこのことは、この世に明らかにされるのですから、ペトロの「メシアです」という答えは正しいのです。
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弟子たちは見誤っていました。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」という、いわゆる「受難予告」の言葉が、自分たちの問題として語られ始めることに気付いていません。
時間的にさほど先のことではない、二回目の受難予告が記録されるルカによる福音書9章44節には、「人の子は人々の手に引き渡されようとしている」とあります。イエスさまを「引き渡す」のは他ならぬ弟子たちでした。もう既に、裏切りが予告され始めているのです。
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イエスさまは「受難と復活」を予告するお言葉を口にされました。これは深い祈りをもって準備されたお言葉でした。
ただし、「ご自身の十字架の上での死」が語られているわけではありません。私たちは福音書の最後の出来事を承知していますから「十字架」を思います。
でも弟子たちの頭には、イエスさまが十字架の上で死を遂げられるなどとはこれっぽっちもないのです。
しかし、「自分について来たい者」に求められることがありました。初めに言われるのは「自分を捨てること」です。短い言葉ですが私たちにとって難題です。
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続いて語られたのが、「自分の十字架を背負って、私に従いなさい」というお言葉でした。
教会の案内版などを作ろうとする時に選ばれるみ言葉の最有力候補に、マタイによる福音書11章28節の「疲れた者、重荷を負う者は、だれでも私のもとに来なさい。休ませてあげよう」があると思います。慰めに満ちた言葉です。荷が軽くなるのです。
ところが、ここでイエスさまが言われたのは、助けられ、軽くなりたいと思っている人が、少し緊張したり、考え込むかも知れないお言葉なのです。それが、「自分の十字架を背負って、私に従いなさい」でした。
でも、これこそキリスト教信仰の真髄なのです。
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私たちは、「自分の十字架を背負って従う」というお言葉こそ、キリストの救いにあずかるためには外せないものであり、自覚が求められることを知りたいと思います。そして、ある種の覚悟をもちたいのです。
私たちはイエスさまによって重荷が軽くなることだけを求めがちです。しかしイエスさまは、私たちが自分自身の「罪」から目をそらすことをよしとはなさらないのです。
「自分の十字架」は、時に背負い切れないと感じるものですが、イエスさまが私たちに出来ないことを求められるはずがありません。受難節の今、キリストの僕としての責任をあらためて考え直したいと切に願います。end
《 み言葉 余滴 》 NO.395
2023年2月19日
『聖なる者として隣人を愛す生き方 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎レビ記 19章1節~2節、18節
1 主はモーセに仰せになった。2 イスラエルの人々の共同体全体に告げてこう言いなさい。あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。・・・・・・・ 18 復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。
十字架のご受難が待ち受けるエルサレムでイエスさまは律法学者から問われました。それは、「あらゆる掟(律法)のうちで、どれが第一でしょうか」という問いでした。マルコによる福音書12章28節に、イエスさまのお言葉がこのように記録されています。イエスさまは旧約に基づく二つのお言葉を口にされます。
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第一は、申命記6章4節~5節より、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」という戒めでした。先ずは、「神を愛すること」について語られたのです。
しかしそれだけでは終わりません。第二に、レビ記19章18節を引用しながら、「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。」と教えられたのです。「神を愛すこと」に加えて、「自分と隣人」が語られています。
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私はここに、「父・子・聖霊」ならぬ、「神・自分・隣人」の「三位一体」を見るのです。イエスさまが求められる愛は、「神・自分・隣人」という三方向に向けられる「愛」であることを心にとめましょう。「愛」は、上にも、内にも、横にも向かいます。
出エジプト記に続くのが、ここでイエスさまが二番目に触れておられる「レビ記」です。レビ記では大変多くの戒めが、基本的には祭司に向けて示されています。そしてこの19章では「隣人」との関わり合いについて語られます。
特に、「隣人」についての教えは祭司だけに向けられていないことは明らかです。レビ記全体の中心主題は「聖なる者」として生きることですが、「聖(きよ)く」生きるために「隣人」への愛を誰もが重んじることが不可欠だと言われるのです。
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ただし、当時のユダヤ人にとっての「隣人」には、異邦人や罪人が含まれていないことを事実として踏まえなければなりません。「ユダヤの人たちにとっての隣人」とは「同胞」「友人たち」「仲間たち」だけだったのです。
いつ、どのような形で、隣国から敵が攻め入ってくるかも知れない状況の中で、内向きな「隣人同士」が結束が深めることは大きな安心であり力でした。
イエスさまが罪人の友となられ、罪人と食事をし、けがれを身に帯びて罪の烙印を押されて生きて来た者に対して救いの手を差し伸ばされたのと対照的です。
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神殿において、特別な使命を身に帯び、神に仕えることが出来たのは「祭司」だけでした。貧しい者には準備できないような、高価な「犠牲(いけにえ)」=「献げ物」が不可欠でした。
しかし、イエスさまがゴルゴタの丘の上の十字架の上で、ご自身を神の小羊として捧げられたことによって、もはや、いかなる捧げ物も不要になったのです。イエスさま犠牲(いけにえ)となってくださることによって世界が変わりました。
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「大祭司であるイエス・キリスト」を語っているヘブライ人への手紙の4章16節に、「だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜(じぎ)にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。」とあります。
み前に進み出る礼拝を大切にする生き方がこのみ言葉に集約されています。深く自分自身の罪を認める時、その恵みの深さが身にしみて来ます。end
《 み言葉 余滴 》 NO.394
2023年2月12日
『 パウロの
〈私のようになって〉の真意 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 26章27節~29節 27 アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います。」28 アグリッパはパウロに言った。「僅かな言葉で私を説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか。」29 パウロは言った。「言葉が少なかろうと多かろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが。」(聖書協会共同訳より)
時は西暦60年近く、ユダヤの王はヘロデ・アグリッパ2世でした。ユダヤ総督フェストゥスの元で軟禁状態にあったパウロを、アグリッパ王が妹のベルニケと共に訪ねた場面です。使徒言行録26章にはアグリッパ王に対するパウロの「弁明」という小見出しがありますが、実際は、パウロが渾身の力を振り絞って語りきる「説教」であり「証し」でした。
パウロは既に2年以上の軟禁状態にありましたが、祈りつつ確信をもって語るパウロの語り口は清々しく感じる程です。使徒言行録は次の27章からローマに向かって船出するパウロが描かれます。
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実はこの度、パウロの説教を繰り返し読んでいて気付いたことがあります。パウロには権力者たちに対して少しも「こびること」「おもねること」「へつらうこと」が無いのです。そしてこの姿勢こそは、イエスさまがその宣教の生涯において貫かれたことではないか、と感じたのです。
イエスさまは弟子たちの働きを認め、お誉めになることはあったでしょう。お叱りになることもあったでしょう。でも、相手の出方を見ながら下手に出たり、ましてや「ごまをする」ということは、決してなさらないお方だったことに思い至ったのです。
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パウロの説教の最終盤に、心にしっかりと刻みつけておきたい言葉があります。それは、「王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。」という言葉です。
ここでパウロが確信をもって語った、「すべての方が、私のようになって」という言葉を、私たちはどのように読めばよいのか。
一見すると、ごう慢にすら見えるのが「私のようになって」という言葉です。果たして彼の真意はどこにあるのでしょう。
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答えは、パウロがダマスコ途上で経験した劇的回心を語った後に記されているイエスさまからのお言葉の中にありました。
新しい人として起き上がることを促されたパウロは、イエスさまから次のことを命じられます。これはパウロだけに命じられているのではなく、私たち自身の課題であり重荷です。
ですから私たちも、「奉仕者・証人」として世に遣わされる者となり、「真理を見抜くための目を開き」「闇の中に光を見出させ」「悪の支配からの回心」「信ずることによる救い」を宣べ伝えるのです。
イエスさまが宣教の第一声で語られた、「時は満ち、神の国は近付いた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコによる福音書1章15節)ということを私たちも生きること。誰に対しても、いつも変わらぬ態度で証しすることが肝心なのです。
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悔い改めて福音を信じる生き方とは、一世一代の覚悟をもって始めるような大事業を言うのではありません。
「悔い改め」とは「方向転換」です。
一歩目は、全ての人が例外なしに、小さな一歩から始めるのです。あなたの一歩を身近な所で踏みだしましょう。end
《 み言葉 余滴 》 NO.393
2023年2月5日
『 イエスの宣言を今日信じる 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 4章18節~21節
18 「主の霊が私の上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、/主が私に油を注がれたからである。主が私を遣わされたのは、/捕らわれている人に解放を、/目の見えない人に視力の回復を告げ、/圧迫されている人を自由にし、19 主の恵みの年を告げるためである。」20 イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。21 そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。
この場面、実は、新しい時代の幕開けがさり気なく始まっていることが告げられています。
場所はイエスさまの故郷「ナザレ」です。「いつもの通り」イエスさまがユダヤ教の会堂を訪れた安息日のことでした。先ず、ここでは、場所が「ガリラヤ」の「ナザレ」であることに大きな意味があります。
そもそも、当時の人々にとって「ガリラヤ」は重みのある所なんかではありません。ガリラヤは歴史的に見て見下されている場所であり、特に都エルサレムに比べると異邦人との接点が多くあり、汚れに満ちた土地柄でした。
また、「ナザレ」という地については、ヨハネによる福音書1章46節で、やがてイエスさまの弟子となるナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言い放っているような地だったのです。
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朗読された聖書はイザヤ書61章。特に1節~2節の「主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである」という箇所にスポットライトが当たります。
イエスさまは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と「宣言」されたのです。ある英語の聖書では「come true today」とあります。預言が本当のこととなったという意味です。
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ちなみに、ルカによる福音書の24章に復活の主イエスが肩を落としていた弟子たちと出会われるエマオ途上の出来事の直後、同じ「実現する」という言葉が使われるのです。
「私についてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」(ルカ24:44)とあるのです。
つまり、ナザレの会堂でのイエスさまの宣言は、イエスによる「十字架と復活の出来事」があって、初めて実現するということです。聖書の言葉の「実現」は命がけなのです。
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もう一つ、注目しておきたいことがあります。それは「今日」という言葉です。
ルカによる福音書では、私たちに大変馴染みのある場面で「今日」という言葉が使われます。
先ず2章11節のイエスの誕生が御使いたちによって羊飼いたちに告げられる場面にこう記されます。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」とあるのです。
さらに、19章の徴税人ザアカイの物語にも「今日」があります。
「イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」と言われるのです。
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福音が福音として力を持つために求められていることがあります。
それは、主イエスの宣言を「アーメン」と単純素朴に、しかも、やがていつの日かではなく、「今日」受け入れることです。
信仰の旅路の始まりには、あなたの「ぴょん」が必要なのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.392
2023年1月29日
『 向こう岸に 誰と渡るのですか? 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マルコによる福音書 4章35節~39節 35 その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。36 そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。37 激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。38 しかし、イエスは艫(とも)の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、私たちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。39 イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。
イエスさまはからし種が不思議な成長を遂げるという神の国の譬え話をなさった後に、ガリラヤ湖の舟を目の前に、十二人の弟子たちにこう語られました。
「向こう岸に渡ろう」と。おそらく「向こう岸に渡ろう」というお言葉は、彼らの予想を超えたものだったはずです。
人間というもの、どこかで、自分に都合の良いストーリーを思い浮かべたり想像しているものだからです。彼らの期待は裏切られました。しかも、まだ、互いによく知り合っていない弟子たちです。自らの弱みを仲間たちに見せるわけにも行きません。全てを捨てて従って来た者もいるのです。
彼らは言葉もなく舟に乗り込みます。
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そこにはガリラヤ湖を知り尽くしている者も居りました。シモン・ペトロ、その兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネらは漁師でしたから、「向こう岸」に何があるかをよく知っていたのです。
どれ程の時間が経過したのかわかりませんが、やがて、ガリラヤ湖特有の突風が吹き下ろしてきました。これはガリラヤ湖の漁師たちにとっては予想できたことです。
しかし、この嵐は単なる変化の激しい空模様を意味するのではない、深い意味があります。イエスさまと共に生きようとする者、信仰生活を送っている者にも実にしばしば「嵐」が襲いかかるのです。この事実をしっかりと押さえておきましょう。イエスさまと共に生きるからと言って、いつも穏やかな凪(なぎ)の人生ではないのです。ところが、イエスさまはこの嵐の中、船尾(艫)でぐっすりと眠りについて居られました。
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この時、彼らは何をしたのでしょう。
十二人の弟子たちは必死になって叫んだのです。「先生、私たちがおぼれても構わないのですか」と。これは叫びを超えて「祈り」だと読むべきでしょう。危険極まりない嵐の中で、彼らは無我夢中で叫び求めたのです。
ここには、私たちが目を開いて知るべき大切なことがあります。それは、嵐の中で木の葉のように海の上で舞う舟に、イエスさまが共に乗船して居られるということです。イエスさまは逃げも隠れもしない。私たちの恐れをご存知の方なのです。
私たちの叫びを聞いて居られる。だから、風を叱り湖に向かって、「黙れ、静まれ」と仰った。イエスさまは、その言葉をもって、風と波を制することが出来るお方なのです。
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神さまは私たちの戦いを知っていて下さいます。いつまで経っても助けが来ないではないかと思うようなことが人生には起こるのですが、神さまは私たちを見捨てたりはしません。
イエス・キリストは私たちと共に乗船して居られる。その事実を心に刻んで生きて行くことが出来るならば、向こう岸へ向かう舟の上で、これが私の進む道、という覚悟をもてるはずです。
「神われらと共に=インマヌエル」の約束は、私たちの人生の嵐の中でも必ず示されます。end
《 み言葉 余滴 》 NO.391
2023年1月22日
『 偶像を求めるこころ 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 32章1節~4節
1 モーセが山からなかなか下りて来ないのを見て、民がアロンのもとに集まって来て、「さあ、我々に先立って進む神々を造ってください。エジプトの国から我々を導き上った人、あのモーセがどうなってしまったのか分からないからです」と言うと、2 アロンは彼らに言った。「あなたたちの妻、息子、娘らが着けている金の耳輪をはずし、私のところに持って来なさい。」3 民は全員、着けていた金の耳輪をはずし、アロンのところに持って来た。4 彼はそれを受け取ると、のみで型を作り、若い雄牛の鋳像を造った。・・・・・・
シナイ山(ざん)での出来事が続きます。
時の流れを簡単に確認しておきましょう。シナイ山では何よりも先ず、モーセを通じて神の民イスラエルに対して「十戒」が与えられました。「十戒」に続いて与えられたのが「契約の書」と呼ばれる「律法」でした。
さらに神さまはイスラエルの民と契約を結ばれる宣言をし、人々は威勢よく「我らは主が語られたことをすべて行い、守ります」と応答したのです。
その後モーセは、「雲の中に入って行き、山に登った。モーセは40日40夜山にいた」と出エジプト記24章の最後に記録されています。
**************
モーセが上って行ったシナイ山は雲が山を覆い、燃える火のようなものが頂きに見えました。しかし、モーセの姿は麓(ふもと)で待つ人々には何も見えません。何も聞こえないのです。
モーセが神の言葉を受けていることなど知る由(よし)もない。モーセも「40日間、忍耐をもって待ちなさい」という約束をしていたわけではありませんでした。
人々は不安になります。頼みのリーダー・モーセは死んだ、と考えたのです。彼らはモーセの留守を守っていた兄アロンに詰め寄ります。
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アロンが民から求められたのは、「神々を造ること」でした。「我々をエジプトの国から導き上った人モーセがどうなったか分からないから」という理由です。
「あなたには、私をおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない」という「十戒」の根底にある教えに背くことを求めているのです。
アロンは、そのような背信の要求をする民に喝(かつ)を入れ、一蹴(いっしゅう)すべきでした。
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ところが、あろうことか、アロンは彼らの求めを受け入れて、「あなたたちの妻、息子、娘らが着けている金の耳輪をはずし、持って来なさい」と命じます。
彼は「のみ」を自ら手にし、若い雄牛の金の像を造ってしまうのです。それどころか、「金の子牛の像を祭壇にして明日は礼拝する」と宣言しました。
そこで始まったのは神さまのみ心を痛めるのに十分すぎる「偶像礼拝」です。
欲望に任せるままの愚かしい人間の姿が浮き彫りになっています。情けないことですが、後(のち)に祭司としての務めを負うようになるアロンも一緒に輪になって踊ったのです。
アロンは山から降りて来たモーセに詰め寄られると、罪の自覚など微塵(みじん)もなく、「金を火の中に投げ込むと、そこからあの若い雄牛が出て来たのです」(岩波訳)と他人事(ひとごと)のように答えました。
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目に見えるもの、触れられるものを力として欲し、主の教えをいとも簡単に捨て去る姿は、イエスさまを裏切って逃げ出し、「見ないで信ずる者になりなさい」と、復活の主イエスから穴のあいたみ手を差し伸べられる弟子たちと同じなのです。
讃美歌21-530番・「主よ、試み受くるおり、祈りたまえ 我がために。心おそれ 迷うときも、愛のみ顔 向けたまえ」を祈る心で歌わずには居れません。 end
《 み言葉 余滴 》 NO.390
2023年1月15日
『 扉をあけてみませんか 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 5章4節~8節
4 話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。5 シモンは、「先生、私たちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。6 そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。・・・・・・ 8 これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、私から離れてください。私は罪深い者なのです」と言った。
ルカによる福音書5章の初めにあるのはイエスさまによる弟子たちの「召命」の場面です。同じ時の様子を描いている記事がマタイ福音書4章18節以下、マルコ福音書1章16節以下にもありますが、ルカの描き方はずいぶん異なります。
湖畔で網の手入れをしている漁師たちに、イエスさまが「我に従い来たれ」と呼び掛け、漁師たちが網を捨ててすぐに従う所に一番の力点はないのです。果たして、ルカ福音書は、私たちに何を伝えようとしているのでしょう。
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各地にある諸会堂でのイエスさまの教え、癒しのみ業についてのうわさが広がり始めると、人々はガリラヤ湖畔にまで押し寄せてきました。
その騒動とも言えるような状況とは対照的に、シモン・ペトロとその仲間たちは、長年そうして来たように静かに網の手入れをしています。とりわけ、昨夜からの漁では、一匹の魚も網に掛からなかったため、漁師たちは肩を落としていたのではと想像します。彼らは人々が岸辺に押し寄せ、イエスさまの「教え」と「救い」を願う様子を直ぐそこに感じているのです。
でも、網を放り出すわけにもいかない。とりわけシモンは、イエスさまから姑(しゅうとめ)の高熱を癒して頂いてから間もない頃ですから複雑です。そんなペトロに対して、イエスさまはいつしか近付かれます。そして、ペトロの舟に乗り込み、「少し沖に出てくれないか」と頼まれたのです。
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この時、イエスさまの説教に誰よりも引き込まれ、聴き入ったのはペトロだったと思うのです。疲れも吹っ飛ぶほどにイエスさまのお言葉には力がありました。
群衆へのお話を切り上げられた直後に、イエスさまは「沖に出て、網を広げて漁をしてみなさい」と漁師の常識からするとあり得ないことを言われるのですが、シモンは、「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と応えたのです。
その結果シモンは驚くばかりの大漁を経験するのです。
これは、御使いの訪問を受けた、エルサレムの神殿に仕える祭司ザカリア、ヨセフのいいなずけのマリア、荒れ野で野宿をしながら羊の番をしていた羊飼いたちが、天使が告げた通りに行動したこと見事に重なります。
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私たちも信仰に生きる者として、主のお言葉を受け入れ、み言葉に聴き従う素朴な生き方が求められています。実際そうでありたいのです。
しかしここには、見落としてはならない大切な「福音の扉」が置かれているのです。それは、大漁という形での祝福に遭遇したペトロが、「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間なのです」と告白していることです。
ペトロは、イエスさまから、罪を指摘されたわけではありません。けれども彼は、「悔い改めて福音を信ずる」者として、イエスさまの足下(あしもと)にひれ伏しています。
この姿は、イエスさまを救い主=キリストとして「礼拝する人」のひな型なのです。
私たちの礼拝が「まことの礼拝」となるための扉がここにあります。救いのイエスは、いつも扉の外で待っておられるのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.389
2023年1月8日
『 パウロ その言葉には力があった』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 26章15節~17節 15・・・主は言われました。『私は、あなたが迫害しているイエスである。16起き上がれ。自分の足で立て。私があなたに現れたのは、あなたが私を見たこと、そして、これから私が示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人にするためである。17私は、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす。
使徒言行録はいよいよ最終盤に入り始めています。
26章にはローマ皇帝から派遣されているユダヤ地方の総督フェストゥスの本拠地・カイサリアに於いて、使徒パウロが「弁明」する姿が描かれます。
とりわけ、エルサレムからフェストゥスの元にやって来たヘロデ・アグリッパ王の前で「弁明」するパウロがここに居ります。
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この場面を読むときに注意したいことがあります。聖書の小見出しには「弁明」と書かれているのですが、パウロは決して言い訳をしているのではないのです。
パウロは福音の真理を、全身全霊で、もてるもの全てを注ぎ出すようにして語ります。これは「弁明」の枠組みを超えている「証し」であり、パウロによる「説教」なのです。
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注目したいのは、パウロがダマスコ途上における自らの「回心(かいしん)」を三度(みたび)語っているということです。同じダマスコ途上での「回心(かいしん)」の場面は、形を変えて、9章と22章にもありました。
パウロは「この道」というあだ名を付けられていた初期キリスト教会、とりわけ、「ユダヤ教徒ではない異邦人」への伝道を志すクリスチャンたちの息の根を止めようとする迫害者でした。自らの恥、罪を語り続けた人なのです。
パウロが迫害していたのはイエスさまだったことが天から呼び掛ける声から明らかになります。しかも「三回目」というのは、イエスさまの一番弟子であるペトロが、「私はあの人のことなど知らない」と三度否認して裏切った姿にピタリと重なるものです。
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回心するというのは、これまで生きてきた道を、器用に、ちょっとばかり変えるのとは異なります。「聖書的な悔い改め」とは、小手先だけ変えることではないのです。
古い自分が死に、新しい人として、新しい命を生きて行くことなのです。目から鱗が落とされ、人生の価値観が変えられる。さらに、これからの新たな目標が示され、使命、喜びが与えられることまで含まれます。
果たしてこの場面で、天からの光によって倒されたパウロは何を示されたのでしょう。
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パウロはイエスさまから、「あなたを異邦人のための奉仕者、また証人として遣わす」と言われています。しかも、「彼らの目を開き、闇から光に、神に立ち帰らせる」と語りかけられた。
私たちはこのみ言葉に慣れっこになってはいけないのです。なぜなら、ここでは、実におかしなこと、奇妙なことが言われているからです。パウロは最初のキリスト教の殉教者と呼ばれるステファノの殺害の首謀者でした。
イエスさまはそんな教会の迫害者パウロを必要とされるのです。ここには大きな驚きがあります。しかし、これこそ福音なのです。
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神さまは、不思議な道を備えて下さるお方です。このようにして、「とんでもないパウロ」を用いられるのです。
誰より、パウロ自身が、目を開かれ、闇から光に生きるように変えられた張本人でした。ゆるされた罪人(つみびと)であるパウロ。その言葉には力がありました。
これは、他人の物語ではありません。あなたと私の物語なのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.388
2022年12月25日
『 栄光神にあれと、今、歌う民 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 2章15節~18節 15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
ルカによる福音書の2章で、神さまからの良き知らせ、つまり、救いのみ子の誕生が告げられたのは、特別なことをしながら待っていた人々に対してではありませんでした。
むしろ、当たり前の日常を生きていた人々に対して、福音は「意外な形」で示されたのです。その様子が、ルカによる福音書2章には描かれています。
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福音を世に知らせるために選ばれたのは「羊飼いたち」でした。野原で重い責任を担って、夜通し働いていたのは、名前が特定できるような一人の羊飼いではありません。幾人かの羊飼いたちがそこに居りました。
福音の証人として、やがて、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と語り合って、大事な一歩を踏みだす羊飼いたちは何人も居たのです。
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彼らは「主の栄光が輝く」夜空を見あげたと聖書は告げます。「主の栄光が輝く」とは「闇」がそれだけ深かったことの裏返しです。
「闇」は単なる暗さを意味するのではないのです。「闇」は何かを象徴的に指しています。私たちは想像力を働かせて聖書を読むのです。
大きな視点で見るならば、人間に過ぎないローマ皇帝アウグストゥスが、力や武力による平和を宣言する時代だったのです。今の世界とどれほど違いがあるでしょう。ローマ皇帝にとって羊飼いたちは数の内に入っていませんでしたが、聖書の神は「羊飼いたち」を必要とされたのです。神の選びがそこにあります。
クリスマスを迎えている今、「羊飼いたち」とはどこにいる誰のことでしょう。
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羊飼いたちは「非常に恐れた」のです。この「恐れ」には驚きが伴いました。なぜなら、彼らが聞いたのは「民全体に告げられる大きな喜び」だったからです。
「民全体」には例外があるはずがありません。聖書の中の言葉でいうならば、そこには「異邦人」も含まれています。それどころか、当時の社会に於いては、安息日を守ることが出来ない仕事についている羊飼いたちも「異邦人」の一員でした。
「羊飼いたち」は律法の外に身を置かざるを得ない人だったのです。思い起こしてみるならば、マタイ福音書に登場する東方の博士たちも「異邦人」でした。「福音」とは「意外な知らせ」なのです。
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天使たちは、「み心に適う人に平和」と羊飼いたちに伝えました。
そこには「み心に適わない人には平和はない」という裏メッセージが込められています。
「皇帝アウグストゥス」の本名は「オクタヴィアヌス」でしたが、「神のように栄光に満ちた存在」という意味のある「アウグストゥス」と「世」に呼ばせたのです。み使いたちは、神さまからの「神を神とせよ、アウグストゥスは神ではない」との知らせを運んで来ていたのです。
二千年後の今、「栄光は神に」=「グローリア、インエクセルシスデオ」と賛美するみ使いたちはどこに居るのでしょうか。
教会での賛美の意味が問われています。end
《 み言葉 余滴 》 NO.387
2022年12月18日
『旅する人への招き』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マタイによる福音書 2章1節~3節 1 イエスがヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」3 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。※『聖書協会共同訳』より。
私たちは、一端目標を見失ってしまうと、どうしたらよいのか、途端にわからなくなってしまうような本当に弱い存在だと思います。
それに比べ、明確な「目標や目印」となるものがある人生は、とても幸せなことだと思うのです。いつの間にか、心の中でそのように決めていることもあるかも知れません。場合によっては、思いがけぬ形で、偶然、発見する場合もあるのです。
いずれにしても、「目標や目印」があると、そこに到達するにはどうすればよいのか、私たちはそれぞれに思い巡らしたり、努力することだって出来るはずです。
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きょうの聖書には「星」に導かれて歩き続けた博士たちが登場します。彼らを導いたのは「星」なのです。
もしも、聖書とは無関係に、「星に導かれる」などという表現をすると、ずいぶん恰好(かっこう)をつけた言葉に聞こえるかも知れませんし、怪しさも感じます。
でも、ここには2千年前、星を見上げながら、壮大なスケールの旅に出た人たちの姿が描かれているのです。はたして、今を生きる私たちは、その星に導かれる「旅」は無関係だと言い切れるのでしょうか。
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聖書には、大きく分けて、二つの人間像が描かれます。
ひとつは、神さまに導かれて、神さまと共に「旅に出る人」です。その人は変えられて行きます。イエスさまのお弟子さんたちもそうです。パウロも然(しか)りです。旧約聖書に出てくる、ノアも、アブラハムもモーセも「旅する人」だと言えると思うのです。
新約聖書ヘブライ人への手紙11章3節には、【これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。】(口語訳)とあります。
ここには、私たちの福音に関わる在り方について、極めて重要な情報が示されています。それは「旅人」として生きる者となるからこそ示される世界があるということです。
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もうひとつの人間像。それは「旅に出ない人」です。
イエスさまがお生まれになった時にイスラエルを治めていたのはヘロデ大王でした。博士たちの訪問を受けたヘロデは恐れを抱きます。あたふたします。日頃は無縁だった聖書の律法学者たちに調べさせるのです。
博士たちに、「行って・調べ・知らせてくれ」とは言いましたが、聖書にはヘロデが幼子イエスを礼拝する人になった、とは記されていません。
ヘロデという人物を反面教師とするならば、私たちは幼子イエスを拝む生き方を求めるようにという招きがあることに気が付きます。ヘロデのような礼拝する生き方が無い人生はつまりません。
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単刀直入に申し上げるならば、ヘロデ大王は生まれ変わろうとしない人の代表でした。反対に、東方の博士たちは、星を見て、一歩を踏みだした人でした。彼らは「別の道」を通って帰って行ったのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.386
2022年12月11日
『 ザカリア その危険な歌 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 1章67節~69節
67 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。68 「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し、69 我らのために救いの角を、/僕ダビデの家から起こされた。
洗礼者ヨハネの父となるのがザカリアです。ザカリアは祭司の一族であるアビヤ組に属している人でした。彼はエルサレム神殿に仕える祭司です。
「ザカリア」という名前の意味には、もともと「主は覚えていたもう」という意味があります。「神さまは、決してあなたのことを忘れたりはしないないよ」という意味があるということです。
実際そうだったのです。妻エリサベトも祭司の家系の出身でした。同じような境遇の者たちが夫婦となり、「祝された二人」というイメージが周囲にはあったと思います。しかし、彼らは「子どもが与えられる」という神さまの祝福を受けることがないまま老境に入っていたのです。
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ところが人生には思いも寄らぬことが起こるものです。神さまはザカリアを忘れていませんでした。
祭司としての一生のうちに、そう何度も巡って来ることがない神殿の聖所の務めに当たった時、彼は、み使いガブリエルに出会います。そして、「妻エリサベトを通して男の子が与えられる」という神さまからのお告げを受けました。しかし、それを即座に信じることが出来ませんでした。
それゆえに、口がきけなくなり、耳も聞こえなくなるというお仕置きを神さまから受けていた。そんな彼らの元に、ヨハネが生まれて来るのです。
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やがて男の子が生れた時、妻エリサベトがヨハネという名を主張し、口のきけないザカリアも書き板に「ヨハネ」と書いたあとに、ザカリアは口がきけるようになり、神をほめたたえます。それは単なる大声で歌を歌うことを超え、聖霊に満たされての「預言」であり「賛歌」でした。
「祭司」という務めを思いめぐらすときに、その大事な役割とは、定められたことを、言い伝えにしたがって、手順通り、落ち度なくこなすことだったはずです。
しかし、ここに居るザカリアは、教えられた通り、無難に歌っている〈つまらないおじいさん〉ではありません。
神さまから託されたことを、ほめ歌いつつ、世の人々に告知しているからです。息子ヨハネの役割、救い主が何をどのようになさろうとしているのかを、大胆に預言し歌うのです。
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これまでのザカリアを知っている人たちは驚いたことでしょう。
見たこともない姿で、若々しく生き生きと歌うザカリアがそこに居るからです。しかも、その言葉は、当時の権力者たちや律法学者・宗教者たちが聴くと、少なからずザカリアの身に危険が及ぶ可能性があるような言葉が幾つもあります。
「主は民を訪れて解放し」「主の民に罪の赦しによる救い」を、高らかに歌い、告知したのです。
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果たしてザカリアは、このあとどのような人生を歩んでいったのでしょう。ザカリアのその後の足跡について、聖書はひと言も告げていません。
ただし、ザカリアの息子ヨハネが、ザカリアをはるかに超える形で、救い主イエスの来臨の告知の務めを、荒れ野で果たしている姿を見るとき、背後には父ザカリアの祈りがあったことを思います。
ザカリアは「祭司」である自分の後継者として息子ヨハネを〈ちんまり〉と育てたりはしなかった。
神さまの大胆で自由な働きの中に、イエスの母となるマリアと同様、「お言葉どおり、この身に成りますように」と歩みだした新生の老人が浮かび上がります。end
《 み言葉 余滴 》 NO.385
2022年12月4日
『 神に顧みられた 二人の女(ひと)』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 1章25節 25 「主は今こそ、こうして、私に目を留め、人々の間から私の恥を取り去ってくださいました。」
◎ルカによる福音書 1章48節 48 身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人も私を幸いな者と言うでしょう
クリスマス、つまり、イエス・キリストの誕生を前にしての二人の女性を巡る出来事は、神さまのみ心がどこにあるのかについて、実に明確に示してくれています。その「二人」とは「エリサベト」と「マリア」です。
エリサベトはエルサレムの祭司ザカリアの妻でした。もう高齢であったと聖書は告げています。そして、もう一人がナザレに暮らすマリアでした。ハッキリとしたことは分かりませんが、エリサベトとマリアは親戚筋にあたることがうかがわれます。
**************
先に登場するのは「エリサベト」です。普通には妊娠などあり得ないエリサベトでしたが、夫のザカリアを通じてイエスさまの先駆けとなる洗礼者ヨハネの母となることが、ある日突然示されます。それは、まさに、彼女の人生における想像を超えた、意外な知らせでした。
「主の掟と定めを全て守り、ひのうちどころがない夫婦」がザカリアとエリサベトでしたが、律法を忠実に守るから与えられた祝福が示されているのではありません。人知を越えたご計画が動き始めています。
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新共同訳聖書には「不妊の女」とありますが、原意は「石女(うまずめ)」です。人には見えない涙を流し、悲しみを抱えていたことは、エリサベトの静かな感謝の祈りの中に明らかにされています。
「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」とあります。恥を抱え、苦悩があった。そのようなことを誰に話すことが出来たでしょう。
しかし、神の顧みが告知され、エリサベトは新しい道を生き始めます。人生には恥と悲しみを通じてしか開かない「門」があるのです。イエスは言われます。ヨハネによる福音書10章9節「私は門である。私を通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。」と。
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もう一人が、ヨセフのいいなずけであるナザレのマリアでした。マリアは主の母となることなど、1ミリたりとも考えたことがありませんでした。ただ、大工のヨセフさんとの「つましい暮らし」を思い描いていただけでしょう。そこに幸せがあると信じていました。
ところが、神の御使いガブリエルは確かにマリアを訪ねて伝えたのです。「恐れることはない。あなたは神から恵みを頂いた。あなたは身ごもって男のを産むが、その子をイエスと名付けなさい」と。
やがてエリサベト訪ねたマリアが歌い始めた賛美の中に、マリアの自意識を明らかにしてくれる言葉があります。それが、「身分の低い、この主のはしため」です。マリアは本当にこのように思っていたのです。
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待降節の今、神さまのお心がどこに向けられているのかが告げられています。それは周縁とも呼べるところなのです。
もしも、言葉で言いつくせるものが福音であると思い込んでいるならば、そんな寂しくもったいないことはありません。福音は言(ことば)としてこの世に来られますが、人の言葉をもって完全に語り尽くされることを欲してはいません。
やがて言(ことば)は、世の人々に躓(つまず)きをも引き起こすのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.384
2022年11月27日
『 ユダとタマルは生きて行った 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎創世記 38章14節~15節 14タマルはやもめの服を脱ぎ、ベールをかぶって身を覆い、ティムナへの街道沿いにあるエナイムの入り口に座った。・・・・・・15ユダは彼女を見て、顔を隠しているので遊女だと思った。
◎マタイによる福音書 1章1節~3節 1 アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図。3 ユダはタマルによってペレツとゼラをもうけ・・・・・・。 ※聖書は「聖書協会 共同訳」より
創世記38章とマタイによる福音書1章に共通して登場する人物がおります。それは「ユダ」と「タマル」です。聖書はこの二人を必要とします。二人は救いの道が示されるのに不可欠な人物なのです。
「ユダとタマル」のことが、なぜ、一緒の聖書箇所に出てくるのか。理由は二人の間に子どもが与えられるからです。でも、二人は夫婦ではありません。「ユダ」からすると「タマルは息子の嫁」です。「タマル」からすると「ユダは夫の義父(ちち)=舅(しゅうと)」なのです。
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ユダとタマルの二人から子どもが生まれてくるのは普通のことかと言えば、明確に「いいえ、それはちょっとまずいのでは」ということになります。しかし、聖書とはそのような赤裸々な書なのです。
マタイ福音書は新約聖書の最初の書です。旧約の歴史を引き継いで、イエスさまによる福音の出来事が語られ始める時に、「ここまでに記されてきた出来事を土台として、これから先、イエスさまの救いを語り始めますよ」という意志表示がなされているのです。
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タマルという女性が「やもめの服を脱ぎ、ベールをかぶって身を覆い、ティムナへの街道沿いにあるエナイムの入り口に座った」とある場面を私たちは軽く読み飛ばしてはなりません。絵画的であり、名画の一場面のように感じる切なさがあります。
彼女が服を脱ぎベールを被るのは、「娼婦」「遊女」として然(しか)るべき場所に座り義父(ちち)を待つためだからです。冷静に考えれば万が一の可能性もない道でした。
でも、彼女はそうせずには居れなかった。ユダの家の子どもを宿し、産み、育てることを祈り求め、道を踏み外した行動にでたのです。
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嫁いできたユダの家の長男である最初の夫が死に、次男である次の夫も死んで行ったタマル。彼女は義父(ちち)のユダから「三男のシェラが成人するまで、実家でやもめとして暮らしなさい。」と命じられました。時が来たら三男シェラの妻としてユダの家を継ぐ子孫を残す道を生きるはずだったのです。
でも、里に帰って待ち続けたにもかかわらず、いつまで経っても義父(ちち)から声が掛かりません。タマルは思い詰めたのです。
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一方ユダはユダで、父として二人の息子を先に失い、自身の妻を先に天に送った事情の中、友人から、「異邦人の祭(まつり)にでも行っておいで」と促され、出掛けた先で、ふっと戯(たわむ)れの夜を過ごそうかなという気持ちになった。
自分の家の嫁と通じることを願っていたのでもない。二人の間に子どもを宿らせたのは神さまでした。
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賞讃されるべき二人でしょうか。そんなことはありません。「倣いなさい」とも言われていない。
神さまは「ユダとタマルを必要とされた」のです。「ユダもタマル」も、キリストの系図から外すことが出来ない人だからです。
イエスさまがこの世にお出でになることの意味が、ほの暗さの中で浮かび上がってきます。「ユダとタマル」はいろいろあった人でしたし、説明のつかない事情を抱えている罪人なのです。辛酸(しんさん)があります。
でも、彼らは生きて行ったのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.383
2022年11月20日
『フェイス・トゥ・フェイスの幸い 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 24章2節 モーセだけは主に近づくことができる。その他の者は近づいてはならない。民は彼と共に登ることはできない。」
聖書の中の極めて重要な考え方であるにもかかわらず、忘れがちな言葉に「契約」があります。
「旧約聖書・新約聖書」の「約」は「契約」の「約」で「翻訳」の「訳」ではありません。モーセを通して与えられたもので一番大切なのは「十戒」だという考え方がありますが、実は「十戒」が与えられるのとほぼ同時に、ある意味一方的に与えられるのが「契約」なのです。
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シナイ山で結ばれるので「シナイ契約」と呼ばれます。確かに、出エジプト記24章の小見出しには、「契約の締結」とあります。
「シナイ契約」では、祭壇に動物の犠牲の血の半分が振りかけられ、残りの血の半分は民に振りかけられます。モーセは、「見よ、これは主があなたたちと結ばれた契約の血である」と宣言します。民は声を揃えて言うのです。「私たちは主が語られた言葉を全て行います」と二度答えています。
後に、イエスさまに対して、12弟子の代表格のペトロが、「他の者はどうであれ、私は最後まであなたにお従いします」と胸を張った姿とどこか重なります。
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出エジプトの民に対して神さまが大事なことを語られる時は、いつもモーセを通じて語られました。
雷鳴が轟(とどろ)き、稲妻が走り、角笛がなり、密雲の中で神さまの声が聞こえるのです。
出エジプト記24章には「サファイア」が神の足もとに見えたという描写がありますが、目も眩(くら)むような光を感じて、誰も近づけない状況をあらわす象徴的な表現です。
モーセに対して人々は、「あなたが私に語って下さい。そうしないと私たちは死にます」と言います。「神の顔を見ると生きていられない」(出エジプト記 33:20)という教えを既に彼らは知っていたのでしょう。民はいつも神さまから離れていました。
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シナイ山を登って行ったモーセは、そこで「教えと戒めが記された石の板」を二枚与えられるのです。そこには十戒と様々な教えが刻まれていました。
ところが、山の麓(ふもと)でモーセを待っていた民は、山から中々降りて来ないモーセを待ちきれません。
その間「40日40夜」だったありますが、出エジプト記32章まで読み進むと、契約への信頼の足りない民は、「金の子牛像」を刻み、拝み、戯(たわむ)れ始めていたのです。「いかなる像も自分のために造ってはならない」という「契約」の土台にあることを守れません。
神さまがもっとも怒り悲しまれる偶像を拝む罪の歴史の始まりでした。
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約束の地カナンに入った後(あと)、ダビデ・ソロモンに続く王たちが犯す罪も、根本的にはほぼ同じでした。歴史書と呼ばれる「列王記」には「王たち」の偶像礼拝の様子が「お前もか」と思うほどに繰り返されます。
やがて彼らは、神の裁きを受け、北王国イスラエルの民はアッシリアの捕囚、南王国ユダの民はバビロン捕囚となり、塗炭(とたん)の苦しみを経験するのです。
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預言者エレミヤは、「新しい契約」を紀元前600年頃神さまから託されました。彼はこの世の王を恐れず神を畏れます。
エレミヤ書31章の、「胸と心」に刻まれる「新しい契約」を命懸けで伝えました。
イエスさまは、その「新しい契約」の成就のために世にお出でになったのです。ガリラヤの風かおる丘に腰を下ろし、人々が安心して近付いて来る中、顔をみながら語られます。そして、極みまでの愛の成就のために、十字架の上で、「契約の血」を流されたのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.382
2022年11月13日
『 日曜日の祝宴を大切に 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 15章31節~32節 31 すると、父親は言った。『子よ、お前はいつも私と一緒にいる。私のものは全部お前のものだ。32 だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」
譬え話の冒頭、「ある人に息子が二人いた」とありました。ここを読むとき、イエスさまがこの譬え話を誰に聴かせたかったのかを忘れないようにすることが肝心です。少しさかのぼると15章の冒頭に、「徴税人や罪人」と「ファリサイ派の人々や律法学者たち」が居ます。
ここには二つのグループがあります。彼らは二人の息子に重ねられるのです。「弟」は「徴税人や罪人(つみびと)たち」のこと。そして、譬え話の後半に姿を見せる「兄」の方はイエスさまに不平不満を言うために近づいて来た「ファリサイ派の人々や律法学者たち」です。
**************
兄はこの日に至るまで、父の教えに忠実に生きて来たことが誇りでした。ですから「このとおり、私は何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません」と言っています。律法に忠実に生きていることが最大の誇りである「ファリサイ派の人々や律法学者」が口にしそうな言葉です。
兄は、いつものように畑に仕事に出掛けていたのですが、家に戻ってきてみると、父を捨て、家を捨て、音信不通になっていた弟が戻って来たことを召し使いが告げます。弟が「娼婦どもと一緒にあなたからの財産を食い潰してしまった」ことを知っていました。
帰って来た弟を受け入れることだけでもどうかと思うのに、父の命令なしにはあり得ない盛大な「祝宴」が開かれているではありませんか。「親馬鹿もいい加減にして下さい、父さん。おかしいじゃありませんか」とふて腐れ、腹を立てるのです。
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イエスさまが譬え話を用いて明らかにしようとされるのは何かを思い起こしましょう。それは「神の国」です。私たちはイエスさまが教えて下さった「主の祈り」を大事に祈り続けています。
礼拝でも、一人で祈る時にも、「主の祈り」を旗印のように祈るのです。「神の国が来ますように」「御心がなりますように」と。
ところが、そのように大事に「主の祈り」を祈っている者であるにもかかわらず、いざ、兄さん息子が経験するようなことが身近な所で起ころうものなら、顔色が変わります。イエスさまが喜ばれることを、素直に喜べない。愛の人になりきれない私たちであるのが現実なのです。兄に対して「私、本当はあなたに同情しているよ」と言う面があるのです。
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パウロは、イエスさまを通じて示された福音の真理を見抜きました。テモテへの手紙 第二の2章11節以下で、「次の言葉は真実です」と言ってこう記すのです。
「私たちはキリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きるようになる。・・・・・・私たちが誠実でなくても、キリストは常に真実であられる」と。
弟息子は決して「義なる人=正しい人」でありません。
しかし、父は弟息子のために「祝宴」を開くのです。死んでいた人を立ち上がらせたいからです。赦しの先行です。弟が新しい人として生きて行くことを願っておられる。そして、「兄も一緒にその宴(うたげ)に座り、一緒に喜んでくれ」と願われている。
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これは、主イエスによる十字架の死と復活の先取りです。その筋書きを誰も予想できなかった不思議な筋道なのです。
私たちの日曜日の「礼拝」も、その予想外の物語を引き継いでいる「祝宴」です。end
《 み言葉 余滴 》 NO.381
2022年11月6日
『その後、いかがお過ごしですか?』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 15章20節~21節
20・・・彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。21 息子は言った。『お父さん、私は天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
弟息子は、父親が生きているうちに受け取った財産をお金に換え、意気揚々、足取りも軽く、「遠い国に旅立ち」ました。ここでの「遠く」とは、単に距離的な意味を示すのではなく、神さまとの距離感の暗示です。
彼は自分の好きなように、思いのままにやれると思いました。解放感もありましたし、心配もなかった。しかし、ことは、そう上手(うま)くは進みません。彼の懐(ふところ)が寒くなり始めると同時に、仲良くしてくれていた者たちは、誰一人として姿を見せなくなります。
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飢饉が襲いかかった時、ついに困り果てるのです。身の寄せ場がなかった彼は、ある人のつてを頼りにして豚飼いのところに行きます。故郷のユダヤではあり得ないことですが、豚の世話をしてでも生きて行こうと願った。しかし、豚の餌にすら与(あずか)れず、死に直面するのです。
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どん底に落ち果てた弟息子は自分自身を見つめざるを得ません。己の愚かさに気付くのです。
そして一つの決心をします。それは、捨ててきた「故郷に帰る」という決断でした。その奥底にあるのは、それでもなお生きて行きたいという願いです。
結果としてこの決断は、その後の彼の人生を決定付けるのです。彼は特別扱いしてもらおう等とは微塵(みじん)も考えていません。
だからこそ、父に顔を合わせる時のことを思い描きながら準備したのです。放蕩の限りを尽くし、汚(けが)れに身を染め、神の教えに背いたことも正直に認め、さらには、息子と呼ばれる資格もないことも承知していること。「悔い改め」の印として、雇い人のひとりとしてやり直します、と告白する覚悟もしていました。ところが、思いもよらぬことが待ち受けていたのです。
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ルカによる福音書の重要なテーマに「悔い改め」があります。私は放蕩息子の譬え話も、当然、「悔い改め」がテーマだと疑うこともせずに決め込んでいました。
しかし、じっくりと読み直して見ると、この放蕩息子の譬え話は少しおもむきが異なります。誰もが「悔い改め」を認める状態になったからこの息子はゆるされたとは記されていない。あなたがたも反省すべきは反省して、真面目な人間になり、ちゃんとしなさいよ、とも言われていないのです。
ここにあるのは先行する神さまの愛の不思議です。人の思いを超えています。
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父親はボロボロになって戻ってきた息子を偶然見つけたのではありません。待ち続けていた。深く憐れみ、走り寄り、抱擁する姿からわかります。
仕事から戻って来た兄息子は怒り狂いますが、父親はひと財産である子牛を屠(ほふ)らせ、大宴会を始めたのです。
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放蕩息子がなしたことで良かったことは、帰って来た、ということだけしか見当たりません。それこそが必要なのだと聖書は告げています。
ここには、主イエスによる十字架と復活という前代未聞の福音の出来事のひな型があります。神の愛は深遠です。
問題はこの先です。それは、聴き手である私たちが、弟息子のことをわが事として認め、ゆるされた者として、いかに生きて行くのか、ということなのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.380
2022年10月30日
『 ほんとうに賢い備えを 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 12章18節~19節
18 やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、19 こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』
ルカによる福音書だけに収められる「愚かな金持ちの譬え話」から学びましょう。
イエスさまは「譬え話という鏡」をお使いになって私たちの人生を浮かび上がらせようとされます。譬え話を語り始める直前に、「貪欲にも注意を払い、用心しなさい」と言われていることは見逃せません。ここでの「貪欲」は自分のことしか考えない状況にしばしば陥ってしまう私たちへの警告です。
主人公の金持ちは小作農民ではなく地主です。彼は、かつて経験したことのない程の豊作の時を迎えているのですが、それは危険な誘惑でした。
**************
この譬え話の主人公の地主の語り口には大変興味深い特徴があります。
私たちが手にしている『聖書 新共同訳』では、残念ながら分かりにくい訳文となっているのですが、原文では「わたしの」とか「自分の」という言葉が繰り返し使われています。
イエスさまは、この人のことを語られる時に、とりわけ「わたしの」「自分の」ということを意識的に言葉にされたのです。おそらくこの主人公は、穀物や財産、そして、魂やいのちも、全てが自分の思うままに管理できるような錯覚に陥っていたのです。大いなる勘違いでした。
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果たして、主人公の地主に与えられていた収穫物は何のために用いられようとしていたのでしょう。
学問的に厳しい研鑽を続けられ、日本語への翻訳を原文に忠実に訳すことに力を注ぎ続けられた田川建三先生という方が居られます。田川先生は17節以下をこう訳されます。
先ず17節。「それで彼は自分の中で思いをめぐらせて言った、どうしようか、私の収穫を集め入れる場所がない。」とされました。「自分の中で」「私の収穫」が目をひきます。
続く18節はどうか。地主は「私の倉を壊して」「穀物全部、また私の良いものも集めることにしよう」と言います。「私の倉」「私の良いもの」が気になります。
次の19節では大金持ちの主人公は「そして自分の生命(いのち)に言おう」としたのです。新共同訳では単に「〈自分に〉言ってやる」ですが、田川先生は「〈自分の生命〉に」としました。
ふつう私たちは、「自分の生命(いのち)・魂」に語りかけたりしません。この譬え話の鍵がここにあるのです。
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私たち、新たに倉を建てる程の人生の豊作を経験する、ということは、これまでも、これからもないかも知れません。私たちが作るのはせいぜい物置です。
しかしながら、私たちは、きょう、スイッチの切り替えをいたしましょう。一人ひとりの人生に、「その人ならではの宝」というものを神さまは実に不思議な形で準備されていることに目を覚ましたい。そのような眼(まなこ)を持ちたいと思います。
イエスさまは、あなたに与えられている人生の宝・賜物を大事に倉庫にしまっておきなさいとはおっしゃらない。「自分の人生の安全保障」ばかりを優先するような生き方に対して、断固、否と言われるのです。自分のことばかり考えている者に対しては、「愚か者よ、今夜お前の生命(いのち)はお前から取り去られる」と突き放されます。
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私たちにとって「本当に必要な備え」はどこから始めればよいのでしょう。掛け替えのない大切な宝や賜物を自分だけのためにしまい込んで満足するのではなく、神さまの願われる働きのために捧げることを選びましょう。end
《 み言葉 余滴 》 NO.379
2022年10月16日
『 諸君、この男をご覧なさい』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 25章23節~24節
23 翌日、アグリッパ(王)と(その妹)ベルニケが盛装して到着し、千人隊長たちや町のおもだった人々と共に謁(えっ)見(けん)室(しつ)に入ると、(ユダヤ総督)フェストゥスの命令でパウロが引き出された。24 そこで、フェストゥスは言った。「アグリッパ王、ならびに列席の諸君、この男を御覧なさい。ユダヤ人がこぞってもう生かしておくべきではないと叫び、エルサレムでもこの地でもわたしに訴え出ているのは、この男のことです。
紆余曲折。
それが使徒パウロの人生だったかも知れません。でも、それだからこそ、私はパウロに親(ちか)しい思いを抱くのです。パウロの姿から学ぶべきことがあるのではと期待します。その断片のひとかけらでも拾うことが出来ればと願うのです。
『大修館四字熟語辞典』は「紆余曲折」を「事情がこみいっていて、複雑なこと」だと説明します。なるほどそのとおり。深くうなずき、納得します。人の人生、突き詰めて行くと様々な事情が折り重なっているからです。
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その一方で、パウロは極めて単純に生きていたのではないかと思うのです。ただひたすらに神の言葉を信じ、その召命に信頼して従って行こうとしていたのではないか。
二年前、エルサレムの兵営でパウロは聞きました。「その夜、主はパウロのそばに立って言われた。「勇気を出せ。エルサレムで私のことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」(使徒言行録23:11)という声を。パウロは自分の内なる力に依り頼んでいたわけではありません。
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三度にわたる異邦人伝道に区切りをつけてエルサレムに戻って来たパウロは、騒乱の中で群衆の前に立たされました。続いて最高法院で。そして総督フェリクスと次の総督フェストゥスの前で、主イエス・キリストを証ししました。
命懸けでしたが、悲壮感はありません。軟禁状態に置かれていても、十字架と復活の主を信じ、神の真実に立つ信仰によって贖(あがな)いを語り続けたパウロには落ち着きがありました。インマヌエルの主に守られていることを信じる人の幸いです。
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使徒言行録25章でもパウロは世の力の前に引き出されます。場所はカイサリア。
ユダヤ総督に着任してからというもの「フェストゥス」は精力的にパウロのことを調べ尽くしました。でも、パウロを訴追するための罪状を見出せません。
そこへ、パウロのことが気になって気になってしょうがない「アグリッパ王」がやって来ます。アグリッパは、イエスさま誕生当時のユダヤの大王ヘロデのひ孫です。
聖書には「色々あった人」が実に多く登場するのですが、彼はローマの宮廷で育ち、西暦54年~68年にローマ皇帝として君臨したネロと幼なじみだった人です。その事実は、使徒言行録25章以下でのアグリッパ王の態度の大きさに垣間みえます。フェストゥスの方が力を持っている立場なのに、ユダヤのアグリッパ王に気を遣(つか)っているのです。
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囚人服を着せられたまま引き出されたパウロ。きっと2年を超える監禁生活の疲れもあったことでしょう。
「大いに威儀を整え・盛装した人々」の中にあって、もっとも貧しい人として身を置くのです。しかしパウロにはキリストの光が差し込みます。
パウロが記した第2コリント書8章9節に「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだった」とあります。
キリストと一つになったパウロ。「真理の道」を最後まで生き抜こうとする人がここに居ります。end
《 み言葉 余滴 》 NO.378
2022年10月2日
『 にもかかわらず の 道』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マルコによる福音書 14章10節~11節
10 十二人の一人イスカリオテのユダは、イエスを引き渡そうとして、祭司長たちのところへ出かけて行った。11 彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすれば折よくイエスを引き渡せるかとねらっていた。
クリスチャンではない一般の方に聖書の中の有名人について質問したら、さて、誰の名前を口にするでしょう。
「イエス」とか「キリスト」に次いで有名なのは、イエスの母「マリア」のような気がします。「モーセ」も多いかも知れません。クリスチャンであれば「ペトロ」はかなり有力ですが、ノンクリスチャンの方は、「ペトロ」だって知らない可能性が十分あります。
その点「ユダ」は、広く知られており外(はず)せない人物だと思います。
国語辞典をひいてみました。
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例えば『大辞林』。
「イエスの弟子の一人。ヤコブの子ユダと区別して「イスカリオテのユダ」と呼ぶ。イエスを裏切り,イエスを殺そうとしていた祭司長たちに銀貨三〇枚で師を引き渡した。転じて、裏切り者の代名詞とされる」と解説されています。
もう一つ、『精選版 日本国語大辞典』では「十二使徒の一人。イスカリオテのユダと呼ばれ、イエスの集団の財務を司ったが、最後の晩餐のとき裏切りを決意。そのためイエスは捕えられた。のちに悔悟(かいご)し自殺」とあります。
「イスカリオテのユダ」の人物像が浮かび上がってきます。
国語辞典の、「裏切り」と「自殺」という言葉はかなり強烈です。
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主に選ばれ愛された12弟子の一人であるにもかかわらず、イスカリオテのユダは、イエスを殺そうと意気込んでいた祭司長たちにイエスを銀貨30枚で売り渡すのです。
旧約の律法「十戒」の教えの中に示される「殺してはならない」に明確に触れることになる「自ら命を絶つ=自殺」という行為も、決定的な「悪」に見えます。いずれも、罪深さを示すのに十分なのです。「ユダ」=「悪」であり、「このような人間には救いがない」という声が聞こえてきそうです。
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しかし、ユダ以外の弟子たちも、イエスが捕らえられるその時に我が身を守るために逃げ出します。ペトロも然(しか)り。「あんな男は知らない」と言ってしまう。
見過ごしに出来ない問題があります。「ユダには救いはないけれど、他(ほか)の弟子たちの裏切り程度ならば、ゆるされるのか」ということです。
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ユダは自らの行動の愚かしさに気付いたときに「後悔し」たのですが(マタイ27章3節)、戻るべき場所を失っていました。仲間である11人の居る場所に戻れなかった悲哀があります。ユダだけの責任とはとても思えません。
私たちは移ろいやすく、しばしば不安定で根無し草のようです。誰にも魔が差すことがある。神の言葉への畏れよりも人の言葉を恐れてしまう。それ程までに弱い私たちです。キリストの教会とはどのような共同体なのでしょう。
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そのような私たちに対して、聖書は「にもかかわらずの道」を示してくれます。「罪人よ、何時(いつ)いかなる時でも主に立ち帰れ」と促してくれるのです。
もう少し広くみるならば、「何が起ころうと、どんなに恥ずかしい自分であっても、十字架と復活の主イエスの招きにあずかる礼拝に帰って来なさい。ここには、あなたの居場所がある」と教えられる。
イエスさまは、過越しの食事を突き抜ける「新しい契約の秘儀」を示された「主の晩餐」にユダをも含む12弟子全員を招かれました。
毎日曜日、私たちも皆、その食卓に招かれています。end
《 み言葉 余滴 》 NO.377
2022年9月25日
『 パウロ フェストゥスの前で』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 25章10節~11節 「それよりも、ローマ皇帝に上訴する権利を要求いたします。私が無実であることは、あなた様もご存じのはずです。もし、何か死刑にあたるようなことをしているのなら、逃げも隠れもいたしません。しかし、私は潔白でございます。だれにも、私をこの人たちの手に渡して殺させる権利はありません。私はカイザル(皇帝)に上訴いたします。」 以上*『リビングバイブル』より
使徒言行録25章の冒頭の舞台はカイサリアです。ユダヤ州総督の官邸はローマとの往き来が便利な地中海沿岸の港町カイサリアにありました。そこに着任したのが新総督フェストゥスです。
フェストゥスにとって、8年間在任していた前任者フェリクスがその扱いに苦労していたパウロとどう向き合うのかが一番の課題でした。
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この時のパウロは、前任者フェリクスのどっちつかずの対応によってカイサリアに留置されて2年が過ぎていました。
新総督のフェストゥスは、そんなパウロをこの先どうするのかについて、速やかに対処しなければならない事情を知っていました。
当時、ユダヤの社会の中心に居たのは祭司長を中心とする最高法院の面々でしたが、彼らは新総督フェストゥスによるパウロに対する厳しい裁きを期待していたのです。
正統派を自認するユダヤ人にとって、パウロほど目障りな男はいません。「正しくない者もやがて復活する」などと、堂々と口にするパウロの息の根を止めないわけにはいかないのです。着任後わずか三日目にして、フェストゥスはエルサレム入りします。
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フェストゥスはパウロを応援していたわけではありませんが、結果として極めて重要な役割を果たしていきます。彼は役人として、ある種の誠実さを発揮しているだけなのです。パウロを訴え出るユダヤの人々をカイサリアへと招き、言いたいことを全部言わせました。
ユダヤ人たちはパウロの「重い罪状」を言いたてるのですが、新総督フェストゥスはパウロの罪を何一つ見出せません。
裁判終了後にやって来たアグリッパ王2世に対して、フェストゥスは「ユダヤ人の告発者は立ち上がりましたが、彼について、私が予想していたような罪状は何一つ指摘できませんでした」と報告している通りです。
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パウロにとって、カイサリアでの2年間の軟禁状態というのは、決して短い時間ではありません。しかしその月日は意味ある時だったのだと私は思います。
これまで福音伝道のために走り続けて来たパウロには静まる時が必要でした。祈ること、感謝すること、悔い改めること。それら全てがあいまって、霊的な備えの時となっていくのです。
「すべてに時あり」のみ言葉を思わずには居(お)れません。
パウロは、復活の主イエスとの出会いを思い起こしつつ、「望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認する」信仰を整えていったのです。
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私たちの人生にも、思うに任せない時が襲いかかるものです。計画通り、願うように、ことは進みません。時に神さまは、強制的にストップを掛けられることすらあるのです。
パウロはフェストゥスに、「私は皇帝に上訴します」とはっきり口にしました。それは、キリストのゆるしと復活の希望の福音を、終わりの日まで語り続けるという「信仰の言葉」でした。
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パウロは思うに任せない苦難の中で、待ち望む信仰を身につけていったのです。私たちはパウロの姿から学びましょう。
善き力に守られながら、来(き)たるべき時を待つのです。夜も朝も、インマヌエルの神は、私たちと共に居られるからです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.375
2022年9月4日
『 ぶどう園の譬え 神の愛が見える 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マルコによる福音書 12章6節~8節
6 まだ一人、愛する息子がいた。『私の息子なら敬ってくれるだろう』と言って、最後に息子を送った。7 農夫たちは話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』8 そして、息子を捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまった。
新約聖書の中で一番なじみのある「ぶどうの話」は、ヨハネによる福音書15章の「私はまことのぶどうの木、私の父は農夫である」から始まるイエスさまのお言葉です。
「人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ」と続き、一度読むと忘れられないほどです。
ただし、見過ごしに出来ない厳しいお言葉もあります。ヨハネ福音書がまとめられた当時の教会の人々への警告と読めますが、「私につながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。・・・集められ、火に投げ入れられて焼かれる。」と続いています。
心に留めておきましょう。
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旧約には「ぶどうの話」の代表格としてイザヤ書5章があります。そこでは一見、神さまに愛され、この上なく整えられた「ぶどう園」を舞台に「愛の物語」が歌い上げられているかのように見えます。
しかし「ぶどう園に譬えられるイスラエルの民」は神の愛に背き、腐った味のする実しか付けません。やがてその「ぶどう園」は見捨てられるのです。ところが今日の「マルコ福音書12章のぶどう園」の譬え話は、よく似た舞台設定のようですが展開が異なります。
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イエスさまが、まず誰よりも「ぶどう園の譬え話」を聞かせたかったのは、やがてイエスさまを十字架刑に処する「祭司長・律法学者・長老たち」でした。譬え話では「農夫」として描かれます。
彼らは、イエスさまが語られた「ぶどう園での血まみれの話」の中身が、自分たちへの当てつけであることに直ぐ気が付きます。
もう一つ、イエスさまがこの譬えを理解して欲しかったのは誰よりも12弟子たちなのです。彼らはイエスさまの受難予告を少なくとも三度は耳にしていたはずですが他人事(ひとごと)でした。真(ま)に受けていません。
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譬え話の中での「主人」とは「神さま」のことです。
主人は収穫期を迎えたユダヤでも選(え)りすぐりのぶどう畑に何人もの「僕(しもべ)」を送ります。しかしいずれの「僕(しもべ)」も酷い傷を受け、侮辱(ぶじょく)され、ついに殺されます。
この「僕(しもべ)たち」は旧約の「預言者たち」の暗(あん)喩(ゆ)です。預言者は忖度(そんたく)なしに神のみ心を語るがゆえに、世の王たちから追放されていきました。
ついに主人は意を決し、「跡取り息子」ならばと期待して送りますが、農夫たちはもっとも酷(ひど)い仕方で跡取り息子を殺害。さらに、主人が心を尽くして整えたぶどう園の外に放り投げたのです。
その息子こそがイエスであり、そこがゴルゴタの丘でした。
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ただしイエスさまは、ユダヤの人たちが、日々祈り、歌っていた詩篇118編を引用して大切なことを告げられます。そこには何とかあるのか目を開きましょう。
「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった」「これは私たちの目には不思議なこと」。
これは、主イエスによる「復活の預言」なのです。イエスさまはぶどう園の譬え話を通じて、どうしてもそこまで語らなければならなかった。
復活の言葉を命がけで紡ぎ出そうとされていたことに私たちは心を寄せましょう。
跡取り息子の無残な死は、その死のままで終わりません。深い闇の中に、「光あれ」との愛の言葉を私たちは聴くからです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.374
2022年8月28日
『 クリスチャンであるということ 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 24章14節~15節
14 ただ、このことははっきり申し上げます。私は、彼らが分派と呼んでいるこの道に従って、先祖の神に仕え、また、律法に則したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。15 さらに、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。*『聖書協会共同訳』より
私が神学校への入学を志し、福音宣教、特に病床伝道のため献身しようと志したのは1987年頃のことです。
当時の私はパウロが記した次の言葉が好きでした。神学校の入学試験を受ける際に提出する「召命に関する短文(1200字)」に引用したものです。
使徒言行録20章24節「しかし、自分の決められた道を走り通し、また、主イエスから頂いた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。」というみ言葉です。
パウロには死んでも構わないという覚悟があったのだと知り、闘病生活が続き、いつも死を意識していた私は燃えました。
**************
当時の私。パウロが異邦人への使徒としてどれほどの覚悟をもっているのかについて、正確にわかっていたはずがありません。今、改めて使徒言行録を読んでみますとパウロは本当に命懸けだったのだと理解できます。極めて危険な言葉を口にしているからです。
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果たしてパウロの何が危険なのか。
ここでのパウロは、当時の世界を支配していたローマ帝国から派遣されている、ユダヤ総督・フェリックスの前で弁明をしています。場所は港湾都市カイサリア。
パウロは、彼を訴え出ているユダヤ人の言うことを少しも恐れません。
彼らは、パウロがいかに悪人であるのかを伝えるために、総督フェリクスに対して、「①ローマ帝国を覆そうとする疫(えき)病(びょう)のような男で、世界各地のユダヤ教徒を混乱させています」「②キリスト教徒の中でも〈ナザレ人の異端〉と言うべき輩(やから)で、割礼も律法も軽んじ、神殿を穢(けが)しています」と申し立てました。
パウロは動じません。それどころか、極めつけの〈信仰の言葉〉をさらりと語った。見事です。
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特に、パウロはここで「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。」と言い切っています。「伝統的なユダヤ教徒もそう信じている」と語ったのです。
しかしそれは、事実ではありませんでした。パウロも元々はその一員であったファリサイ派の人々は、「正しい者だけが復活する」と信じていました。
ところがパウロは、世界各地での異邦人伝道を経て気が付いていたのです。だから、人を恐れず、神を畏れながら言い切りました。
十字架と復活のイエス・キリストによる「救いの道」とは、正真正銘、例外なしに、「この世で義人になれない者も天国に入り、永遠の命を与えられる」「悪人に対しても、罪人に対しても、復活の命は約束されている」と。
そのためには、神の憐れみを心から願い求める「罪人」であることを、先ず自分自身が認める必要がある、と。
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あなたは、自分の小ささや恥ずかしさ、罪深さを、素直に、神さまの前で認めることが出来ていますか?
「信じます。信仰のない私をお救い下さい」との告白を救い主イエスは待っておられます。
日曜日の教会。私たちはその告白のために招かれているのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.373
2022年8月21日
『 人は何によって生きるのか 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マルコによる福音書10章17節
イエスが道に出て行かれると、ある人が走り寄り、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」
*最新の翻訳『聖書協会共同訳』より
ひとりの人が、イエスさまの元に走り寄り、ひれ伏します。この人は演技をしているわけではありません。切実な思いからこういう態度をとっているのです。
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きょう読んでいるマルコによる福音書では「ある人」と紹介されますが、ルカによる福音書では「ある議員」・「指導者」となっています。そんな人物が、人目をはばかることもなく、イエスさまに教えを乞うのです。「永遠の命を受け継ぐには、(私は)何をすればよいでしょうか」。
この人がずーっと考え続けていた、人生の問いでした。この機会を逃したくない。必死です。
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物語を少し読み進めるとわかることですが、イエスさまの元に走り寄り、ひれ伏したこの人は「律法」を守ることについて自信がありました。後ろ指を指されるようなことは微塵(みじん)もありません。神の教えに対する真面目さも人一倍だったのです。
そして、この世的には困ることがなく、財を築くほどのお金持ちでした。
ところが、彼はいつも不安でした。自分には何かが足りないのではないかと思っていたのでしょう。だから、エルサレムに向かわれるイエスさまを見つけたとき、このチャンスを逃してはいけないと思ったのです。
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対照的な人たちの姿がこのお金持ちの登場の直前に描かれています。大人に連れて来られた「子供たち」です。ところが、弟子たちは子供たちを連れて来た人たちのことを、「お疲れになっている先生に、余計なことをするんじゃない!」とばかりに声を荒げます。
すると、その弟子たちの方がイエスさまから厳しく戒められたのです。「子供たちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」とイエスさまはおっしゃり、子供たちを次々に抱き上げられ、手を置いて祝福されるのです。
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結果として、イエスさまと共に旅を続けて来た弟子たちの無理解が浮かび上がります。
イエスさまは、「子供たちのように不完全で、誰かの助けなしには生きて生けない、乏(とぼ)しい者たち」こそが「神の国には欠かせない存在」だとお考えになっていたからです。
ここにはイエスさまの強いご意志があります。それは「罪人(つみびと)の友」となられることを進んでお選びになる、救い主イエスの「道」でした。
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イエスさまの宣教の第一声が「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」であったことを思い起こしましょう。
「罪人(つみびと)は神の国に入(はい)れない」というのが、イエス以前の常識でした。
ところが、イエスさまが明らかにされた神の国は違ったのです。十字架の死が待ち構えているエルサレムに近づいて来たイエスさまは、弟子たちに対して、「神の国の秘密」を明らかにされたのです。
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神の国の住人となることと、永遠の命を受け継ぐことは同じことなのだと教えられています。
イエスさまは、神の国の住人として、共に悩み、汗をかき、祈り、廻り道をしながら、時に恥をかくことをもいとわず、人生を捧げる人を欲しておられのです。
人が生きて行く力は何によって得られるのか。答えはここにあります。end
《 み言葉 余滴 》 NO.372
2022年8月14日
『 安息日(あんそくび)の真理を生きよう』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 20章8節~10節
8 安息日を心に留め、これを聖別せよ。9 六日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、10 七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。
十戒の第四のテーマは「安息日」です。
「安息日を心に留め、これを聖別する」ということは、「週に一度は、他(ほか)の日とはきっちりと区別してお休みするんですよ」、ということとは違います。
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出エジプト記において「安息日」という言葉が最初に使われているのは、「十戒」が与えられる20章ではなく16章です。
モーセに導かれ、ファラオの元から逃げ出して荒野へと進み出した民は、「食べることについて全く見通しが立たなくなってしまったではないか」とモーセに不平を言い募ります。
しかし神さまは、ご計画をもっておられました。「天からのマナ」を降らせる、という不思議な仕方で民を導かれるのです。だから、「聖なる安息を安心して過ごしなさい」と仰るのです。
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想起するという言葉があります。言い換えるならば、「忘れないように思い出し続ける」ということですが、これは信仰生活において極めて重要な言葉です。荒れ野の旅路は十戒の授与の後(あと)、40年間続くのですが、その最終盤になって「想起」することの大切さが語られる場面があります。申命記5章です。
面白いことに申命記5章はイスラエルに対する「十戒」の「再授与」の場面です。申命記5章15節に「あなたはかつてエジプトの国で奴隷であったが、あなたの神、主が力ある御手と御腕を伸ばしてあなたを導き出されたことを思い起こさねばならない。そのために、あなたの神、主は安息日を守るよう命じられた」とあります。
「安息日は何のためにあるのか」の「答え」があります。ズバリ、「想起することだ」というわけです。
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信仰に生きる民は、神の救いの恵みを忘れないように「想起」し続けることが必要です。クリスチャンはそのために、イエスさまが復活された日曜日ごとに礼拝を捧げるのです。
ユダヤ教徒の安息日である土曜日を新しく捉え直し、復活の日を選び取ったのです。これがキリスト教とユダヤ教の決定的な分岐点です。
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ただし、「私たちが礼拝を守る」のではありません。「私たちを礼拝が守ってくれる」のです。この真理を心に刻みましょう。
そして、私たちを守ってくれる礼拝の中心にあるのが「命のパンの出来事」なのです。
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ヨハネによる福音書6章を思い起こしましょう。そこには、5千人の給食の奇跡の物語のあと、上で触れた、出エジプト16章の天からのマナの出来事を土台とする、「イエス・キリストこそが命のパンである」という福音の真理が示されています。
イエスさまはこう教えられたのです。「朽ちる食べ物のためではなく、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」と。
すると人々は言いました。「主よ、そのパンをいつも私たちにください」と。それに応えられたイエスさまは仰るのです。「私が命のパンである。私のもとに来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者は決して渇くことがない。」と。
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私たちは日常を中断して神さまの前に進み出ます。み前に進み出る礼拝によって私たちは守られるからです。
「安息日を心に留め、これを聖別せよ。」。
これは救いへの招きの言葉だったのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.371
2022年8月7日
『 わたしは教会が大好きです』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎第一コリント書 12章12節、22節、27節
12 体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。・・・22 それどころか、体の中で他よりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。・・・27 あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
私は「教会が大好き」です。イエスさまを愛する、ということ以上に「教会が好き」です。
「教会のためにいのちを献げよう」と考えるようになり、伝道者になりたいと願い、人生が変わりました。真剣に勉強を始めました。35年程前のことです。B型肝炎の治療が難しい時代でした。
特効薬もなく、仕事も失い、婚約も解消。病院での入院生活、アパートでは血流を考えて、食後の安静を心掛ける孤独な日々でした。そんな中で、唯一、私が日曜日になると行くことができる場所がありました。それが当時通っていた銀座教会でした。「よく来たね」と温かく迎えて下さいました。私の信仰の原点です。
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旭東教会から直線距離で100㍍程の所に「PL教会」があります。岡山出身の小川洋子さんという作家がおられますが、彼女は「生家が教会の敷地内」だと新聞に記しておられました。
でもその「教会」とは「金光教の教会」です。西大寺にも「金光教の教会」があります。PLさんも、金光教さんも、誇りをもって「教会」として頑張っておられます。はたして、「イエス・キリストの教会」とはどんなところなのでしょう。どこに、キリスト教らしさを見出せるのでしょう。
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そもそも、イエスさまが目に見える所で活動された頃には「キリスト教会」は存在しませんでした。
聖霊降臨の後(のち)、イエスさまの12人の弟子たちがユダヤのエルサレム神殿周辺で活動したことで生まれたのも「教会」の始まりの一つですが、もっと広く異邦人の地で「キリスト教会」を立ち上げていったのが、「第一コリント書」などを記した「パウロ」という伝道者でした。西暦40年代頃になってから、「この道に従う者」(使徒言行録9:2)たちが心を合わせて目に見えて活動するようになります。
彼らは「クリスチャン」「キリスト者」(使徒言行録11:26)と「あだ名」で呼ばれるようになるのです。
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ところが、昔のパウロは、元の名前を「サウロ」と言い、「この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するため」(使徒言行録9:2)に息を弾ませて活動していた「キリスト教徒」の迫害者でした。
そんな人が、実に不思議なことに、「イエス・キリストの教会という所は、こういう所なんです」と教える人になったのです。驚くべきことです。
やがてパウロは「教会」を「キリストの体」と表現するようになりました。コリントの教会宛ての手紙のほかに、エフェソの教会宛ての手紙でも、「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。」(1:23)と確信をもって語る人となったのです。
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足りないところ、欠けと弱さのある人間、ご病気や障がいをもっている人々が集い、共に生きるようにとご計画されるのが聖書の神さまでありイエスさまなのです。
12弟子の筆頭のペトロもそれだからこそ弟子であれました。パウロもです。これは、私自身を支え続けてくれた聖書の真理でした。
「体の中で他よりも弱く見える部分がかえって必要です」は「必要」を少し補(おぎな)う「ひつよう」があります。
「不可欠・なくてはならない(*ある英語の聖書では「indispensable」)」ということなのです。感謝。(end)
《 み言葉 余滴 》 NO.370
2022年7月31日
『 罪深い誠実 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マルコによる福音書 9章23節~24節
23 イエスは言われた。「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできる。」24 その子の父親はすぐに叫んだ。「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」
幼い頃から引きつけを起こし苦しみ続けて来た息子の「父親」は、各地の医者の元を訪ね歩きました。
しかし、どうにもならなかった。
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やがてある答えに行き着きます。周囲の一致した声は、「お前さんの息子は、悪霊に取り憑かれているんだよ」ということでした。事実そのようにしか見えなかった。
けれども、「父親」はあきらめませんでした。何とかしたかった。苦しむ息子を少しでも楽にしてやりたいと祈り続け生きて来た。
そんな中で、ナザレのイエスの噂を聞きつけ、藁(わら)にもすがる思いで息子を連れてやって来たのです。
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ところが、イエスさまの姿はそこにはありません。
ペトロ・ヤコブ・ヨハネという12弟子を代表する者たちを連れて、「高い山」に登っておられたのです。
三人の弟子たちは「高い山」の上で、エリヤとモーセという旧約を代表する偉大な預言者の姿を見るという不思議な経験をします。舞い上がるような気持ちになっていたと思います。
浮かれたように、「先生、仮小屋を三つ準備しましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、一つはエリヤのために」と提案をしたのですが、イエスさまはそれにはお答えになりません。
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すると、その直後に、弟子たちは雲の中からの神の声を聴きます。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」と。三人は下山を始められるイエスさまに従うしかありません。
神さまが、「これに聞け」と仰っているのですから、他に選択肢はありません。主イエスは救いを携えて山を降ります。そこに待っていたのが市井(しせい)の人々=世の苦しみ、叫びでした。
同時並行的に露(あら)わになったのが、病気の子どもを助けることが出来なかった、弟子たちの無力だったのです。
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神の言葉としてのマルコ福音書は私たちに問い掛けます。
ここでイエスさまが問題になさっていることの本質は何だろうかと。
「奇跡を起こすための鍛錬が足りないとこうなるぞ」と伝えたいのか。
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いいえ違います。イエスさまは見抜いておられました。信じることの薄っぺらさ、信頼のなさ、軽さを。
物語の中には「なんと信仰のない時代なのか」というイエスさまの嘆きがあります。「時代」の中には、「私たちの不信仰」が含まれていることに目を向けましょう。
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イエスさまが向き合った「父親」は、弟子たちにはなかった「真実」を口にしています。それは、自らも苦しみ続けて来た父親が、自らの「不信仰」を認める言葉でした。
「信じます」という言葉に続けてあるのは、「不信仰な私をお助けください」(口語訳、フランシスコ会訳等)という真逆の告白でした。
我々に求められているのは、この言葉を、心の底からみ前に注ぎ出す、「罪深い 誠実」なのです。
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最近の私は、八木重吉の詩に心開かれ、「アーメン(*本当にそうです)」となることがあります。『神を呼ぼう』(*新教出版社)という詩集の初版本(*昭和二十五年発行)を手にしました。
まるで私たちの人生のように、藁半紙(わらばんし)の黄ばんだ紙に印刷され、〈しみ〉があります。
何の疑もなく
こんな者でも
たしかに救つて下さると信ずれば
ただあり難し
生きる張り合いがしぜんとわいてくる
(end)
《 み言葉 余滴 》 NO.369
2022年7月24日
『 馬の上のパウロ カイサリアへ 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◆徒言行録 23章31節~33節
※括弧内は、森牧師の補筆です。
31 さて、歩兵たちは、(千人隊長 クラウディウス・リシアの)命令どおりにパウロを引き取って、夜のうちに(エルサレムから西へ60㎞の)アンティパトリスまで連れて行き、32 翌日、騎兵たちに護送を任せて(エルサレムの)兵営へ戻った。33 騎兵たちは(パウロを連れて)カイサリアに到着すると、手紙を総督(フェリクス)に届け、パウロを引き渡した。
使徒言行録23章。まるで時代劇のような面白い箇所です。5年振り位にエルサレムに戻って来た〈パウロの身辺が激動する様子〉が克明に描かれます。
「風雲急を告げる」という言葉は、「ただごとではない情勢」とか「差し迫った状況」というような意味ですが、正に「風雲急を告げ」、緊迫した情勢が伝わって来るのです。時に、パウロがエルサレムに戻って来た西暦57年頃のことでありました。
**************
エルサレムには12弟子を中心とする教会がありましたが、彼らは十字架を掲げるキリスト教会を建てたわけではありません。まだまだ、ユダヤ教の一派、あるいは、異端と位置付けられていたに過ぎないのです。
ユダヤ教徒たちに相当気をつかっていましたし、上手に付き合って行く必要もありました。かれこれ20年以上に渡って異邦人への伝道を続けて来たパウロが、エルサレムでも「皆さんも、信仰さえあれば、律法や割礼なしでも大丈夫です」と正面切って説教しそうな空気を感じて、ヒヤヒヤしていたのです。
事実、もはや使徒言行録には彼らの姿は一切見えません。そんな中で事件が起こります。
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とりわけ、パウロがエルサレムの人々に語った「私は神殿で神さまから、キリストの福音を宣べ伝える異邦人伝道の召しを受けた」という言葉はユダヤ教徒たちに火をつけました。
神を冒涜(ぼうとく)する言葉だからです。その結果、最高法院の裁判が開かれるに至ったのですが、機転を利かしたパウロは一難を乗り越え、ローマ軍の兵舎での夜を迎えます。
昼間の喧噪(けんそう)がまるで嘘のように静まった夜、パウロはみ声を聴くのです。
「勇気を出せ。私はあなたと共に居る。エルサレムでなしたように、ローマに行って私のことを証しすることがあなたのつとめだ」と。パウロを生涯支え続けたお言葉に違いありません。
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とは言え、パウロは無力でした。
事実、パウロ抜きで事は急展開していくのです。翌朝、〈み使いのような役割を果たすパウロの甥っ子=若者〉が、「パウロを殺すまで、我らは決して飲み食いしない」との誓いを立てた40人のユダヤ人の陰謀を察知します。
この青年もまた、若き頃のパウロのようにエルサレムで律法を学んでいたのでしょうか。実に不思議な存在です。
パウロの指示を仰いだ甥っ子は、隠密裏(おんみつり)に(ローマ軍の)千人隊長の元に向かいます。話を聴いた千人隊長もまた、即断即決、命令を下すのです。
ユダヤ教徒にパウロの命を奪われることは、大事な出世に関わることでもありました。
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何もしない、いや、出来ないパウロがおりますが、彼の思いをはるかに越えた形で、エルサレムを脱出する手立てが準備されていくのです。
「今夜9時、歩兵、騎兵、補助兵を伴い、パウロを馬に乗せ速やかに(総督フェリクス閣下が居られる)カイサリアへ出発せよ」との命令が発せられます。
パウロの命を狙うユダヤ人たちの血眼(ちまなこ)の陰謀をかいくぐり、疾風(はやて)のように、しかし、実に静かに騎馬は進んだのです。
そんな中パウロは、泰然自若(たいぜんじゃく)、少しも動じることなく、ローマへと確かな一歩を進めたのです。
主人公は主なる神でした。end
《 み言葉 余滴 》 NO.368
2022年7月17日
『 〈みだり〉にならない「祈り」 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 20章7節
7 あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。
名前というものはとても大切なものです。正しく呼ばれないと、「えっ、ぼくのこと?」というような気持ちにもなります。
私が小学生の頃、悪がきの同級生たちが、私に「ゲンゴロウ」とふざけて言うことがありました。何とも悲しく、「ちゃんと名前を呼ばないヤツに、返事なんてするもんか」という気持ちになりました。
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神さまは苦しんでいる者たちに対して、見て見ぬ振りをするようなお方ではありません。だからこそ、出エジプトの出来事は始まったのです。
ただし、愛する者たちに対して、「その名をみだりに呼ぶようなことのないように」と教えられました。神さまに助けを求めるならば、「本来あるべき仕方で神を呼び求めよ」というわけです。
果たしてそれは、どのようなものなのでしょうか。
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十戒の三番目の「教え」では、「主の名を唱える」そのありようについて、私たちも立ち止まって、誠実に心を向けることが求められています。
「みだりに唱えてはならない」という教えが、うっかりすると、「神さまの名前を呼ぶのは、回数控えめにしようね」となってしまうのです。
しかし、結論を先に申し上げますが、神さまを呼び求めるときの回数制限が言われているのではありません。
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旧約の詩編の50篇15節には、「苦難の日には、私に呼びかけよ。私はあなたを助け出し、あなたは私を崇(あが)めるであろう」という「教え」があります。
イエスさまはこれを諳(そら)んじていたはずです。
そのイエスさまは、ヨハネによる福音書13章で、ご自身ひざまずいて弟子たちの足を洗われた後に、「互いに愛し合いなさい」という「新しい掟」を示されましたが、続く14章13節以下では、「私の名によって願うことは、何でもかなえてあげよう」とまで言われたのです。
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16世紀初頭のドイツで宗教改革の扉を開いたマルチン・ルターは「教理問答」というものを大切にした人でした。
一家の主人がその家族に教えるものだったと言われるのが「小教理問答」ですが、その中に、「みだりに唱えてはならない、とはどんな意味ですか」という問いがあります。
その答えの最後にはこう書かれているのです。「私たちは神を畏れ、愛すべきです。・・・・私たちは、困った時にはいつでも神を呼び求め、神に祈り、神をほめたたえ、感謝するのです」とあります。
しかし、その答えの前半には、「私たちは神のみ名を使って、呪ったり、魔術を行ったり、ウソをついたり、騙したりしないで」と書かれています。主の名の誤った呼び方があることを思います。
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日本語の「みだりに」という言葉に近い意味合いの言葉について調べるため、『類語辞典』を開いてみましたが、次の言葉が心に残りました。「筋違い」「もっての外」「言語道断」という言葉が並んでいたのです。
私たちが「主のみ名」によって祈る時、自己本位の祈りをしてしまう危険性があることを思います。
詩人でクリスチャンだった八木重吉(明治31年~昭和2年)は、「信仰」という題の詩で、「基督(キリスト)を信じて 救われるものだとおもい ほかのことは 何もかも忘れてしまおう」という切なる祈りを、全存在をかけて紡ぎ出しました。
「基督(キリスト)」の外に頼るものをもたない者の祈りが、「みだり」になるはずがありません。end
《 み言葉 余滴 》 NO.367
2022年7月10日
『 ヨハネ 神さまが必要とした人 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マルコによる福音書 6章17節~18節 17 実は、ヘロデは、自分の兄弟フィリポの妻ヘロディアと結婚しており、そのことで人をやってヨハネを捕らえさせ、牢につないでいた。18 ヨハネが、「自分の兄弟の妻と結婚することは、律法で許されていない」とヘロデに言ったからである。
洗礼者ヨハネは4つの福音書すべてに描かれる重要人物です。
イエスさまの誕生にさかのぼること半年程前に、エルサレム神殿に仕える祭司ザカリアとイエスの母マリアの親戚筋にあたるエリサベトという老夫婦の元に不思議な形で誕生する様子は、ルカによる福音書1章に克明に記されています。
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久しぶりに山谷省吾(せいご)先生(明治22年~昭和57年)の『新約聖書小辞典』を開きました。ヨハネのことが次のように紹介されます。
「旧約最後の預言者。西暦28年頃ユダヤの荒れ野にあらわれ、神の国の近づいたことを説き、悔い改めを迫り、ヨルダン川で群衆にバプテスマをほどこした。イエスも彼からバプテスマを受けた。福音書は彼をイエスの証人として描いている。」と。
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ヨハネは30歳の頃「荒れ野」におりました。このたび丁寧に調べましたが、元来「荒れ野」は「声のある所」という意味をもつ言葉だと知りました。
彼は神のみ心を聞いた人として、「荒れ野」に立ち、声を発する務めを生き抜こうとした人なのです。父ザカリアの務めを継いで生きていたのであれば、エルサレム神殿が本来の彼の居場所だったはずです、しかし、ヨハネは「荒れ野」に立ちました。
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福音書において、洗礼者ヨハネについての描写は多様です。例えば、ルカによる福音書3章18節以下には次のような記録があります。
「ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。ところで、領主ヘロデは、自分の兄弟の妻ヘロディアとのことについて、また、自分の行ったあらゆる悪事について、ヨハネに責められたので、 ヨハネを牢に閉じ込めた。こうしてヘロデは、それまでの悪事にもう一つの悪事を加えた。」と。
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世の権力者であったヘロデ・アンティパスに対しても恐れることなく声を発したヨハネには民衆の期待が寄せられました。
当時、ユダヤを苦しめ続けていたローマの権力にシッポを振り続けているヘロデに対して不満を抱いていた人々が、ヨハネの厳しさを喜んだのは理由のあることなのです。
領主ヘロデとその妻ヘロディアにとって、そんなヨハネは目ざわりでした。だからこそ投獄され、妻ヘロディアと娘サロメの求めによって、斬首(ざんしゅ)されることになったのです。
**************
とは言え、ヨハネはキリストではありません。彼の働きには限界がありました。
それでよかったのです。
ヨハネは荒れ野に押し寄せてくる群衆に向けて、「私は来たるべき方の履物の紐(ひも)を解く値打ちもない者です」と本心で語りました。
そして、イエスさまの前では、「私こそあなたから洗礼をうけるべきです」口にしていたのです。ヨハネは旧約時代の終わりを告げる預言者でした。
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彼が求めた悔い改めの先にある世界は、イエスさまが十字架の死と復活を通して示される「赦し・神の国・愛・永遠の命」とは別の次元のものでした。
マルコ福音書は、ヘロデが主催した、「世の権力にへつらう祝宴・パーティー」と、おどろおどろしいヨハネの惨殺(ざんさつ)に続いて、イエスさまによる5千人の給食という「平和の祝宴」の場面を対比して描きます。
真(まこと)の神の国の到来を知らずに指差した人、それがヨハネでした。end
《 み言葉 余滴 》 NO.366
2022年7月3日
『 ここも神の御国なれば 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎詩編 119篇 57節~64節より
57節 主は私に与えられた分(ぶん)です。御言葉を守ることを約束します。
59節 私は自分の道を思い返し、あなたの定めの方にきびすを返しました。 ※59節は『聖書協会共同訳』
64節 主よ、この地はあなたの慈しみに満ちています。あなたの掟を私に教えてください。
旧約聖書の中での「分(ぶん)」という言葉は、出エジプトの民が40年にわたる荒野の旅を終え、約束の地カナンに入った時に神の民イスラエルに対して与えられた「嗣業の地」「領土」を意味するものです。
けれども、私たちは今、どんなに熱心に信仰の旅路を歩んだとしても「土地」や「領土」を手にすることはありません。詩編119篇64節は「主は私に与えられた分」だと言うのですが、今の私たちに測り縄で測ることが出来るような「分(ぶん)」は用意されません。
神さまは、それに代わる「分(ぶん)」をイエスさまを通じて備えて下さったのです。
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少し回り道をしましょう。ユダヤ教の人々には「旧約聖書」という言葉がそもそも存在しません。ユダヤ人にとっての聖典は、私たちが「旧約聖書」と呼んでいるものだけなのです。
彼らはイエスさまを救い主とは信じませんので、「新約」とか「旧約」という考え方が存在しません。詩編119篇は「律法賛歌」として知られているとても大きな詩編ですが、ユダヤ人は「律法」を「神のみ言葉」として聴いているのであり、「律法」は「福音」とも言えます。
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では、私たちクリスチャンは「主はわたしの分」と言い切れるような「分(ぶん)」をどのようにして頂くことが出来るのでしょう。
そのためには、イエス・キリストを通じて旧約聖書を読むという方法をとることが必要になるのです。
イエスさまがガリラヤにて福音伝道を始められた時の第一声が糸口になります。マルコ福音書1章15節に、「時は満ち、神の国は近づいた、悔い改めて福音を信じなさい」とあります。
これはイエスさまが伝道を開始された時の最初の極めて重要なお言葉です。
そして、注意深く読むならば、イエスさまが備えられた「分(ぶん)」とは「神の国」なのだと気付かされるのです。その「神の国」に入るためにどうしても求められるのが「悔い改め」です。
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私たちはイエスさまが指し示される方向に向きを変えて生きて行くことが求められています。それが59節にありますように、「自分の道を思い返し、あなたの定めの方にきびすを返す」ことに他なりません。
いつかやがて、諸事情が整ったら、その時に考え直して方向転換するというのでは、いつまで経っても新しい人にはなれません。
パウロが語ったように、「今や恵みの時、今こそ救いの日」(第二コリント書 6:2)なのです。
ガリラヤ湖畔で漁師として生きていた者たちも、「われに従い来たれ」のイエスさまの招きの声に、網を置いてすぐに従いました。徴税人のレビも、座り続けていた収税所の席を立って、何もかも捨てて立ち上がったのです。
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律法には「方向指示」という意味があります。詩編119篇64節に「この地はあなたの慈しみに満ちています」とありますが、そのような慈しみに触れる道は、主のお言葉に愚直に従い続けて行く時に見えて来るはずです。
私たちは既に与えられた「この地」が「慈しみに満ちた」ものであることに目が開かれるはずです。「ここも神の御国なれば」とご一緒に賛美する人生を深めてまいりましょう。end
《 み言葉 余滴 》 NO.365
2022年6月26日
『向こう岸への旅から始まること』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マルコによる福音書 5章1節~2節 1 一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。2 イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。
マルコ福音書を少しさかのぼってみましょう。
聖書を読むときに大切なのは文脈、出来事の流れだからです。きょうの場面を読むときも、その意識をもつことが肝心です。
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3章13節以下をみますと、ある日、イエスさまは山に登られ、これと思う人々を呼び寄せられてこんなことをなさっています。「12人を任命し、使徒と名付けられた」とあるのです。
念のために「使徒」という言葉を国語辞典で引いてみました。例えば、新明解国語辞典には、《キリストが福音を伝えるために選んだ十二人の弟子。社会救済などの尊い使命に身命をなげうって努力する人の意にも用いられる。》とあります。
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イエスさまは12人を特別に「使徒」と名付けられた理由を明確にお話されたようです。そのことについては、「彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためだった」と書かれています。
12弟子たちはこのことを自覚していました。「使徒」である弟子たちは、イエスさまが「向こう岸に渡ろう」と言われて舟に乗り込まれた時に、ためらう思いを抱きながら顔を見合わせたのかも知れません。
でも、そんなそぶりを見せるわけにもいかなかった。彼らは燃える思いを抱くよりも、「向こう岸は異邦人の地。ろくな事は起こらんぞ」と感じていたのではないか。事実、ガリラヤ湖の上でも彼らはきりきり舞いの嵐に遭うのです。
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向こう岸で待っていたのは、墓場に暮らし、ローマの軍勢6000人を意味する程の恐ろしい力を現す「レギオン」に取り憑(つ)かれていた男でした。家族はもちろんのこと、地域の共同体からも見捨てられている人です。
誰も、この人を押さえ込むことなど出来ないため、やむを得ないこととは言え、鎖や足枷が用いられたのです。しかしそれを引き千切ってしまうような凶暴さをもっている。イエスさまは、このような人とどのように向き合うのか、その様子を弟子たちは沈黙の中で見守ります。
緊張が高まりました。そして彼らは聞いたのです。それは、イエスさまの力あるお言葉でした。「汚(けが)れた霊、この人から出て行け」のひと言です。悪霊はもんどり打って出ていきます。程なく弟子たちは、正気になった男を目(ま)の当たりにするのです。
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12人はこのことを人々に語り続けました。だからこそ、マルコによる福音書には、その様子が逐一記録されました。
それだけではありません。「向こう岸に渡ろう」と言われ、ご一緒したガリラヤ湖の舟の上で怖じ気付いていた弟子たちの前で、荒れ狂う波と吹き荒れる風に対して、「黙れ、静まれ」と命じられ、凪(なぎ)へと導かれたイエスさまのことを語り伝え、さらに、悪霊に取り憑(つ)かれたゲラサ人を癒されたイエスさまのことも証(あかし)したのです。
「使徒」である弟子たちは、イエスさまがなさったことを証言すると同時に、主のみ業をどのように引き継いで行くことが出来るのか、一所懸命に求め始めたのです。
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今を生きる私たちも、イエスさまのお言葉に従うことが求められています。
たとえそれが、気の進まない「向こう岸」に向かう旅路であったとしても、私たちは共に舟に乗り込むのです。福音書の続編を産み出すための旅路は、み声に従う所から始まります。end
《 み言葉 余滴 》 NO.364
2022年6月19日
『小さなパウロ達 勇気を出しなさい』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 23章11節
その夜、主はパウロの傍らに立ち、こう仰せになった、「勇気を出しなさい。エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証ししなければならない」。*フランシスコ会訳より
三度にわたる「異邦人伝道」の旅を終えて、何年ぶりかでエルサレムにたどり着いたパウロでした。
パウロがエルサレムに戻ってきた一番の理由は、使徒言行録24章17節によれば「(困窮するエルサレムの教会を支えるために)救援金を渡すため」でした。
しかしそこには、主イエスの兄弟ヤコブや12使徒たちからの温かな歓迎や労(ねぎら)い、あるいは、感謝の言葉もありません。かつて、ペトロが権力者たちからの迫害によって牢獄に入れられた時に、心を一つにしてささげられていた「教会の執り成しの祈り(使徒12:5)」もないのです。
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むしろ、エルサレムでは少数派に過ぎず、おそらくユダヤ教の異端の一派とみられていた教会の人々は、自分たちの身を守るため、パウロに対して、「律法を重んじ、割礼も重視する姿勢をかたく守って欲しい」という気持ちを伝えるありさまでした。
「余計なことは言うな。ましてや、律法を軽んじるようなことは御法度(ごはっと)だぞ」という空気が充満していたのです。
実に、パウロが闘わなければならなかったのは、目に見える形で激しく迫害するユダヤ教徒たちだけではなく、保守的なエルサレムのクリスチャンだったというわけです。
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まずパウロは、ユダヤ人の群衆によくわかるよう、ユダヤの人々が使う日常語である「ヘブライ語(*正確には「アラム語」)」で弁明しました。
彼は少しの隠し立てをすることもなく、主イエスに出会い、キリスト教会への迫害者から、キリスト教の伝道者になったこと、即ち、悔い改めを語りました。
中でも、ユダヤ人たちの気持ちを逆撫(さかな)でしたのは、神聖なる神殿で、神さまからのおぼし召しを受けた時の話だったと思うのです。「我(われ)ならぬ我(われ)=忘我(ぼうが)状態になったパウロに対して、あろうことか、エルサレム神殿に居られる神さまが、「行け、私はあなたを遠く異邦人のために遣わすと命じられた」と言い切ったからです。
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しかしパウロは、ルカ福音書12章11節以下に、イエスさまが「・・・役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配してはならない。言うべきことは、聖霊がその時に教えてくださる。」ということを、まさにそのとおりに経験するような形で、ローマ帝国の市民権を巧みにもちだして千人隊長を斥けます。
さらには、最高法院が招集された場面でも、機知に富む対応で、最高法院を内部分裂させるのです。
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危機があり、壁があり、行き詰まり、孤軍奮闘しているようでありながら、パウロは独りではありませんでした。
旧約聖書を知り尽くしているパウロは聴いたのです。モーセの後継者として立てられたヨシュアに対して神さまが語られた約束の言葉。
即ち、ヨシュア記1章5節の、「一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ。」にピタリと重なる主の言葉を。
それが、冒頭に掲げた、「勇気を出しなさい」だったのです。
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皆さんが「小さなパウロ」を自覚するならば、この言葉は、これからの人生に於いて、必ずや力を発揮し始めます。end
《 み言葉 余滴 》 NO.363
2022年6月12日
『〈奮闘努力〉もいたしましょう』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 20章3節~4節 3 あなたには、私をおいてほかに神があってはならない。4 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
神の民イスラエルは、「乳と蜜の流れる土地」と呼ばれることもある「カナンの地」での食糧危機を切っ掛けにして、世界有数の穀倉地帯であったエジプトに逃れて来ました。
神さまのなさることは不思議です。何と、族長ヤコブの愛息ヨセフが宰相(さいしょう)として生きている、という劇的な再会を経て、安全に過ごすことができたのです。
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ところが、出エジプト記12章40節に「イスラエルの人々が、エジプトに住んでいた期間は四百三十年であった。」とあるように、430年という時の流れの中で(日本の400年前は〈江戸時代の始まりの頃〉です!)、神の民は極めて過酷な奴隷民として過ごすようになっていきました。
しかし、主なる神さまは、わが子・わが民の苦しみ叫びを、見過ごしにはなさいません。エジプトからの脱出、自由への道を指し示されて、ついには、エジプト王ファラオの追跡からも逃れたのです。
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とは言え、食と住のいずれも不安定な状態のイスラエルの人々は、大きな不安を抱きながら約束の地に向けての旅を続けたのです。
出エジプトの旅はこれからが本番です。「荒れ野の40年」はまだ始まったばかりであることを思い出しましょう。直前の出エジプト記19章の冒頭に、「イスラエルの人々はエジプトの国を出て三月目のその日に、シナイの荒れ野に到着した。」とあります。つまり、まだエジプトを出発してから三ヶ月しか経っていないのです。
**************
ここで起こったのがシナイ山での「律法の授与」という出来事でした。その頂点にあり「律法」を代表するのが「十戒」です。「あなたには、私をおいてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない。」というお言葉、第一戒、第二戒にあたるものです。
これは有無を言わせない神さまからの「掟」ですし、神の民の生き方が端的に示されている「道」です。でも「十戒」は守らないと罰せられるこの世の「ほうりつ(法律)とは根本的に異質」のものです。
突きつめて言うならば、神さまからの「愛の言葉」なのです。しかもこれは、この先荒れ野の40年間だけのことを心配されて言われるのではないのです。
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神を信ずる者であっても、「偶像との〈たたかい〉」がつきまとい続けることを、神さまは見抜いておられることが大前提なのです。
さらに重要なことは、十戒をいのちの言葉として読んでいる私たちに対して「奮闘努力する備えをせよ」という促しとして読むことです。「世のたたかいは はげしくても 主が味方なら 恐れはない」(讃美歌21-510番)との約束を頂いているのです。
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世の誘惑の力は実に巧みに迫ってきます。これくらい大丈夫だろうと油断していると、いつの間にか私たちは「偶像の虜(とりこ)」になっているのです。
ある「信仰問答」に「偶像礼拝とは、唯一まことの神と並べて人が自分の信頼を置く何か他のものを考え出したり、所有することです」(「ハイデルベルク信仰問答」問95)とあります。
「神と並べてしまう」何かは、気付いた時には神さまより大きくなっているです。「お金」「肩書き」「学歴」「資格」「名誉」「過去の栄光」「武器」「家系」「ブランド」等々。そこには悪魔のシッポがしばしば見え隠れしています。
クリスチャンには、み言葉を盾として「世と闘う」強い覚悟も必要なのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.362
2022年6月5日
『 ペトロとコルネリウスの出会い 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 10章28節~29節 28(ペトロは)彼らに言った。「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。29 それで、お招きを受けたとき、すぐ来たのです。お尋ねしますが、なぜ招いてくださったのですか。」
ペンテコステの出来事は、キリスト教信仰に生きる人々を外へ外へと向かわせる力をもっています。天に昇っていかれたイエスさまが弟子たちの前から消えていくその時に、「聖霊が降るときに、地の果てに至るまで行きなさい」と、福音宣教を託されました。
使徒言行録2章冒頭の記録によれば、聖霊の降臨は「五旬祭(ごじゅんさい)」の時に起こったとあります。当時の「五旬祭」は、出エジプトをした民のために、シナイ山でモーセを通じて与えられた「律法授与」を想起することに重きを置く祭でした。
しかし神さまは、「律法」による選び、「律法」による救いにstopをかけます。「律法」抜きでも、神さまの救いにあずかることが出来るように、「聖霊」を準備されたのです。
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先ず、聖霊は、12人の弟子たちを代表するペトロに働き掛けました。ペトロは、聖霊に依らなければ出会うことが決してなかったであろう異邦人の代表的な存在とも言える百人隊長のコルネリウスと出会うのです。
このコルネリウスという人は、ただの異邦人ではありません。部下を深く思い、神さまに祈ることを抜きに過ごすことなど出来ない敬虔(けいけん)な人でした。部下を戦線に送り出さなければならない立場にあって、いつも神を探し、必要としていたのだと思います。
**************
実は、ほぼ時を同じくして、神さまはペトロとコルネリウスに働きかけておられました。ペトロは地中海沿岸にあるヤッファという町での伝道旅行中でしたが、ユダヤ人に与えられている律法では禁じられている食べ物を食べよ、という幻を三度見るのです。
「主よ、とんでもないことです」と言って拒否しますが、それを打ち消されます。そして、「あなたを探している者たちが来るから、ためらわずその招きに応えて、一緒に出発せよ」と命じられたのです。その神さまのお言葉どおりに、カイサリアに駐屯していたローマ皇帝の部隊長であるコルネリウスからの使いの者たちがやって来ます。
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ペトロは少しもためらうことなく、コルネリウスの待つカイサリアに出掛けます。そして、顔を合わせると直ぐに、「なぜ、あなたがたは、私を招いてくださったのですか?」と尋ねたのです。異邦人からの招きが何とも不思議だったからです。
ペトロはコルネリウスの言葉に驚きます。異邦人のコルネリウスに対しても、神さまが働いていることを知ったからです。そして、コルネリウスも「今、私たちは皆、主があなたにお命じになったことを、残らず聞こうとして神の前にいるのです」と信ずるままに口にしたのです。
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聖霊はペトロの説教を聴いていた一同の上に、再び降りました。肝心なことは、神さまの呼びかけを聴いたならば、ためらうことなく従うことです。それなくして、神さまからの聖霊の注ぎは起こりません。
約束の証人とされていったのは、異邦人のコルネリウスやその家族、部下たちも同じでした。私たちも、異邦人コルネリウスの仲間であるはずです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.361
2022年5月29日
『 何を祈っていたのだろう 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 1章14節
14 彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。
復活されたイエスさまは40日間にわたって弟子たちの前にお姿を顕(あらわ)されました。40日目にイエスさまは天に昇って行かれます。教会暦では「昇天日」呼んでいます。
その前にイエスさまは弟子たちに何を告げられたのかと言えば、使徒言行録の1章3節に大変興味深いことが記されています。「神の国について話された」とあるのです。なる程と思いました。
思い起こしてみるならば、イエスさまが宣教の生涯の最初に語られたのは、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」というお言葉でした。弟子たちと共に過ごされた日々の中で、「神の国」とはこのようなものであることを、様々な形で語り、教え、指し示されたのですから、お姿が見えなくなる昇天の前に「おさらい」をなさっても不思議ではありません。
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ルカによる福音書では12弟子のことが「使徒」と呼ばれます。しかし、イエスさまが昇天される前の彼らが果たしてどの程度成熟した「使徒」であったのかと言うと、実は「まだまだ」だったことが分かります。
とりわけ、まさに天に昇られる直前の「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」という彼らの言葉の中の「建て直す」は気になる言葉です。
幾つかの英語の聖書で、この語は「restore・レストア」が使われているのは象徴的です。これは端的に言えば「元に戻す」という意味の語です。使徒として約束されている聖霊を待つ彼らには、どこかズレがあるのです。
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復活の命を生きるとはどういうことなのか。私たちは「元に戻った」とか、「元に戻す」ということがキリスト教信仰の中での復活ではないことをハッキリと自覚する者になりたいと思います。
復活の命にあずかり、約束の聖霊を受け、〈新しい使命に生きる者〉になることが大事なのです。「あの日に帰ること」ではない。この先、何が準備されているのかは分からないけれど、神さまが命じられるどこへでも遣わされていく、という思いが必要です。
そのような覚悟をどこかでもつことが出来るときに、「聖霊によって、地の果てに至る」者になれます。「地の果て」とは地球の裏側ではありません。自分にとって、まさか、と思うような隣人との関わりの中に踏み込んで行くような暮らしも含まれていると考えるならば、身近なものとなります。
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ただし、一つの前提があります。教会を生み出す力をもつ聖霊は失意のどん底に落ちた者たちの〈祈りの輪〉の上に注がれるのです。ペンテコステに結び付く聖霊は、共同体という輪の上に、神さまからの約束として注がれることを心に留(と)めましょう。
弟子たちや母マリアが一緒になって「熱心に祈る」様子が描かれていますが、何も、彼らは徹夜祈祷を連日行っていたわけではないのです。
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彼らは、自らの至らなさ恥ずかしいことを仲間たちの前でそのままに告白することが出来る群れとして生き始めていたはずです。だからこそ一つになれるのです。
イエスさまが教えられた、「悔い改めて、福音を信ずる」ことの幸いを宣べ伝えようとする人々が、「自らの悔い改め」を抜きにして、福音を語れるはずがありません。end
《 み言葉 余滴 》 NO.360
2022年5月22日
『 Follow me(フォロー ミー)』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 21章17節 17 ・・・ペトロは、イエスが三度目も、「私を愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。私があなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「私の羊を飼いなさい。・・・」
ティベリアス湖畔での思いも寄らない朝食を、復活の主と共に囲んだ7人の弟子たち。パンと魚をイエスさまから分けて頂きほっとしました。おなかもですが、何より〈あの日〉以来、はじめてと言っても良いほど、心が落ち着いたのです。湖畔には光が溢れていました。
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その時、弟子たちの代表とも言えるペトロに対して、イエスさまはある問い掛けをなさったのです。しかもそれは、一度だけではありません。少しずつ言葉は違っているのですが、ほぼ同じ内容のことが、三度繰り返されたのです。
先ず、イエスさまが問われたのは、「私を、愛しているか」ということでした。「三度」というのは、大祭司の中庭で、「あなたのためなら命を捨てます」と言い切ったペトロが、イエスさまの予告どおりに、「あの人のことなど知らない」と三度否んだこと、に通ずるものです。
**************
三回とも、イエスさまは「ヨハネの子シモン」という呼び掛けをなさいました。「シモン」とはペトロの本名です。ペトロからすると、昔からの自分をよく知って居られるイエスさま、ということを思いを起こさせる呼び方だったかも知れません。
イエスさまは、敢えてそうなさったのだと思います。マタイによる福音書16章18節に、「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上に私の教会を建てる」と仰ったイエスさまのお言葉が記録されています。
「ペトロ」とは元来「岩」を意味していますが、何とも心もとなく、弱く、もろい岩であることか。誰よりも、ペトロ自身がその事実を知っていました。
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神さまの愛、イエスさまの慈しみが私たちの人生に沁みてくるのは、どのような時でしょうか。
今日のみ言葉には幾つかのヒントがあります。それは先ず、失敗して、逃げ出して、あいつはどうにもならん、という烙印を押されている人に対して、「もう一度、新しい人としてやりなおしてご覧」と言って下さるお方であることに気付く時です。
傷口があるからこそ、そこに沁みてくるものがある。人間、実に傷が大切なのです。イエスさまの愛は、傷のある生身の人間だからこそ身に沁みて来ます。ペトロは言いました。「主よ、あなたは何もかもご存じです」と。これはペトロの心からの告白です。
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イエスさまは「よき羊飼い」として、私たちを守り、養い、牧して下さるお方です。詩編23篇に「主はわが牧者なり、われ乏(とも)しきことあらじ。」とありますように、大牧者です。
そんなイエスさまが、ペトロに対して「お前さんに、任せたいんだよ」と三度繰り返された。それが、「私の小羊を飼いなさい」「私の羊の世話をしなさい」だったのです。
わたし流に大胆に言い換えるならば、これは「あなたが、今、共に生きている、隣り人を愛せよ」というご命令です。果たして、この主のご委託に応えることが私たちに出来るのでしょうか。
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ひと筋の「道」がこの物語の最後に示されています。「私に従いなさい・Follow me(フォロー ミー)」と言って下さるイエスさまのお言葉です。
主イエスへの愚直な信頼を生きる時、道は見えてくるのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.359
2022年5月15日
『 岸辺のイエス 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 21章3節~4節 3 シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。4 既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。
私はヨハネ福音書21章が大好きです。心なごむ風景が広がり、幾度読んでも飽きない。哀しいけれど嬉しい章です。あれこれと想像します。弟子たち、そして私たち、さらに、あなたはどこに身を置いているでしょう。
21章の冒頭にある「ティベリアス湖」という言い方はヨハネ特有の言い方で「ガリラヤ湖」のことです。ルカによる福音書5章1節では「ゲネサレト湖」となっています。旧約の聖書地図を見ると、同じ場所が全て「キネレト湖」と表記されます。
ヨハネ福音書21章が好きです。心なごむ風景が広がり幾度読んでも飽きません。あれこれと想像するのが楽しい。
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直前の20章までは、エルサレムが復活のイエスさまとの出会いの最初の場所となっていましたが、場面がガリラヤに変わります。
マルコによる福音書の復活の場面16章7節では、マグダラのマリアらに白い衣を着た若者(み使い)が、「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」告げています。
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ここから推測するならば、エルサレムのとある部屋で復活のイエスさまと再会し「平安、汝(なんじ)らにあり」と告げられ、息を吹き入れられた弟子たちは、都エルサレムを離れて故郷に戻ってきた。そして、ある晩、漁に出たのです。
止むに止まれぬ事情があったようにも感じます。「とにかく、食べなくてはいけない」というのが一番だったかも知れない。ペトロを中心とする7人の弟子たちは、この日、舟に乗って沖に出て行けば漁があるだろうとの期待も抱(いだ)いていたはずですし、自信もあったことでしょう。もちろん、過去の経験も思い出しながら網を入れた。
ところが、さっぱりなのです。少しの手応えもない。焦りを覚えながら、いつしか夜が明けてしまう。そこに、イエスさまが現れるのです。そして網が破れるかと思う程の大漁となる。
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ヨハネ福音書は「しるしの書」だと言われることがあります。
水がぶどう酒に変わる2章の「カナの婚礼の出来事」が「最初のしるし」でした。「命のパン」のお言葉につながって行く「5千人の給食(6章)」、「生まれつきの盲人の癒し(9章)」、「ラザロの甦り(11章)」等など。厚みのある「しるし」が収められています。
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私はこの21章がヨハネ福音書における最大の「しるし」だと思っています。西暦100年頃に完成したと言われるヨハネ福音書は、既に、初期のキリスト教会が困難に直面し始めていた時代背景が裏側に秘められていることに気づかされます。単なる不漁の物語ではないのです。
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肩を落とす弟子たちの姿が見えます。しかし、その一切をご存知の甦りのイエスが、三度(みたび)、顕(あらわ)れたのです。距離を保ちつつ、闇の中に身を置き、見守って下さっていた。「平安、汝(なんじ)らにあり」は空約束ではない。
主は、実に簡潔なお言葉を下さいました。「網を舟の右側に投げよ」と。それは弟子たちが思っていた方向とは違ったはずです。
空っぽの墓の前で立ち尽くし、途方に暮れ、涙していたマグダラのマリア。彼女が声の方向に振り向いた時、そこにはイエスさまが居られました。あの場面と、その本質は少しも変わらないのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.358
2022年5月8日
『 全員そろった時に語られたこと 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 20章27節
*『岩波書店訳』より
27 それから、トマスに言う、「あなたの指をここに持って来なさい。私の両手を見なさい。あなたの手を持って来て、私のわき腹にの中に突っ込んでみなさい。信じないままでいるのでなく、信じる者になりなさい。」
12弟子のひとり「ディディモと呼ばれるトマス」。彼はヨハネ福音書の復活の物語の中で重要な役割を担います。疑い深く不信仰な男、というレッテル貼りは、的外れではないかと思うのです。
なぜなら、他の10人の弟子たちも、一週間前に復活のイエスさまに出会ったとき、傷を見せられたからこそ安心し、喜んだのです。
**************
イエスさまとトマスのやり取りを見守っていた他の弟子たちも、どきどき・はらはらしながらそこに居合わせたのではないか。
イエスさまは、「私を見たから信じるようになったのか。見たことがないのに信じている人々は幸いだ」と語られますが、これを聞いていた弟子たちは、手に汗握りながら、自分にも問い掛けられていると直感したはずです。
**************
次の21章で、ティベリアス湖畔で漁をしに出掛けようとするシモン・ペトロが「俺は漁に往(い)く」(岩波書店訳)と舟に乗り込んだ時に、後を追っかけるようにして「俺たちも」と言った7人の中で、ペトロに次いで二番目にその名が紹介されます。
トマスは元々漁師だったのでしょう。使徒言行録4章では、ペトロやヨハネが「無学な普通の人」と言われていますが、トマスもそのような人だったのだと思います。
**************
トマスのイエスさまに対する信仰の熱さは人一倍であったことがヨハネ福音書11章の「ラザロの物語」の中に記録されています。
イエスさまが、危険が待ち受けていることが分かっているユダヤ地方に進んで行こうとされた時、弟子たちはみな逃げ腰でした。
ところが、トマスは言ったのです。「われわれも行こう。一緒に死ぬために」と。これはトマスの本心でした。
**************
その後、ヨハネ福音書14章で、「行ってあなたがたのために場所を準備したら、またやって来る。・・・・・・私が往(い)こうとしているその道が、あなたがたにはわかっている」と仰るイエスさまの言葉に触れた弟子たちでした。
しかしトマスは、わかったような顔などせずに、「主よ、あなたがどこへ往(い)こうとなさっているのか、私たちにはわかりません」と素直に口にしています。
**************
ゴルゴタの丘の上の十字架の上で、主が死んでしまったこと。その事実は、トマスにとって痛恨のきわみでした。
彼にとって、イエスさまと共に、じかに触れるようにしてお伴し続けることこそが価値のあることでした。
前の日曜日に部屋の真ん中にお出でになり、さらに8日目の日曜日、今度はトマスも居る家の中に再びお出でになったイエスさまは、全員揃った弟子たちに対して、これまでとは違った形での生き方、即ち、〈見えなくても信じ続けること〉によって生きる道を示されるのです。
それは、マグダラのマリアが「私にすがりつくのはよしなさい」と言われたことに通じていることが分かります。
**************
イエスさまは、一週前に仰らなかったことを弟子たち全員が揃った時、「私の傷にその指で触れよ」と語られました。傷口に触れることは、当然、見なければ出来ないことです。
つまり、「目を反らさないで、この傷の奥にある、あなたの闇を見つめよ」と語っているのです。この言葉は、弟子たちの後に続く全てのクリスチャンに言われていることです。
先週も、この日も、弟子たちは、「汝(なんじ)らに平安あり」の言葉を受けました。先に、ゆるされている愛に包まれていたのです。
キリスト・イエスの先んずる愛は、信じる人を何度でも新しくし、幾度でも立ち上がらせ、永遠に通ずる力をくださいます。end
《 み言葉 余滴 》 NO.357
2022年5月1日
『傷のあるイエスによって』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 20章19節~20節
19 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。20 そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。
ヨハネ福音書14章の終わりに、「さあ、立て。ここから出かけよう。」というイエスさまのお言葉があります。
弟子たちは思ったことでしょう。「わしら、どんなことがあっても、このお方に命がけで寄り添い続けるぞ」と。
にもかかわらず、彼らは一目散に逃げ出したのです。辛じて筆頭の弟子であるシモン・ペトロは、しばらくの間、踏みとどまる懸命の努力をしました。しかし、ペトロもまた泣きながら逃げ出しました。聖書の告げる人間像がここにあります。
**************
この場面、逃げ出した〈弟子たちのその後の姿〉が描かれています。日曜日の夕方のことです。
既に弟子たちは、マグダラのマリアからの甦りのイエスとの出会いの情報を得ていました。
けれども、彼らが甦りのイエスさまとの再会を望んでいたのかと言えば、否と申し上げるべきでしょう。
**************
マリアが告げたイエスさまのことは気にはなる。しかしそれどころではなかった。そんなことよりも、イエスさまを捕らえ、裁判に掛け、ついには磔刑(たっけい)に処した人々が、次は、自分たちの命を狙っているに違いない、という恐れに取り憑(つ)かれていたのです。
だから、弟子たちは、家中の戸口に鍵をして身を守り、安心しようとしていました。しかし、彼らに平安はなかったのです。
**************
甦りの主が弟子たちの元に姿を顕(あらわ)された時に携えて来られたのは、そのいずれもが、私たちに深く関連するものばかりです。
第一に告げられているのは「平和」でした。これは「戦争と平和」の「平和」というよりも、「無事で、穏やかで、大丈夫なのだ」という言葉に限りなく近い「安心」と言えるかも知れません。
否定ではなく、肯定されている自分たちを認めることができる「平和」です。
**************
聖書は間髪入れず、その「平和」を下さるイエスさまが「深い傷のあるお方」であることを告げています。イエスさまは「手とわき腹をお見せに」なりました。そこには深い傷があるのです。
ところが、弟子たちはその傷のあるイエスを見て、「本当に申し訳ないことをしました」と言ったりしません。
「喜んだ」とあるのです。
十字架の上で私たちの罪の故に深い傷を負って下さった、その主が甦って「喜びのある平和」を下さっている。ここには「真理」があります。
**************
もう一つは「聖霊」でした。
ヨハネ福音書14章は、今、私たちが読んでいるヨハネ福音書20章と密接に関連している箇所です。その14章の後半において約束されているのは「助け主」としての「聖霊」でした。
「私は、あなた方を孤児(みなしご)にはしない。あなた方のところに戻って来る」と、不思議な言葉を語られたイエスさまが、人知を越える形で「息=聖霊」を弟子たちに吹き入れられます。息を吹き込むイエスさまは、創造の主としてそこに居られたのです。
**************
弟子たちを「死のとりこ=罪」から解き放ち、甦らされて下さる力を与え、さらに、これから先、生きて行く目標となる使命を与えられた。
これは、過去の物語ではありません。今を生きる私たちの物語なのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.356
2022年4月24日
『すがりつく代わりに 必要なこと』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 20章16節~17節前半 16 イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。17 イエスは言われた。「私にすがりつくのはよしなさい。・・・
ひとり、墓の前に泣きながら立ち尽くしているのは、「マグダラのマリア」でした。イエスさまは復活されたのだ、という思いはマリアには微塵(みじん)もありません。
ただ、イエスさまが埋葬された墓が空っぽになっているのは、誰かが取り去ったからだと思い込んでいました。最初マリアは、み使いと言葉を交わします。涙で目を腫らしていたからでしょうか。程なく、後ろを振り向いて話をしているのが、イエスさまに変わっても彼女は気付きませんでした。
しかし、「マリア」と呼び掛けられた時に、忘れるはずのないイエスさまの「声」だと気付きます。マリアは、「ラボニ」=「(*親愛の情を込めて)先生っ!」と応えたのです。
**************
ヨハネによる福音書の中で、想い出しておきたいイエスさまの大切な教えの場面があります。それは「私は良い羊飼い」という宣言がなされる10章です。
なぜ大切なのか。復活の主イエス・キリストのお姿と重ねて読み直して見ますと、大変重要なメッセージが秘められていることに気がつくからです。「声」に注目して下さい。
**************
10章3節に「羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す」とあります。マリアはイエスさまに養われている「羊」でした。彼女は「声」を聞き分けたのです。
イエスさまはマリアだけのための羊飼いではありません。弟子たちも、福音書の読者である私たちも、イエスさまに呼び集められ、養われる「羊」であることを思い起こしましょう。
「主はわが牧者なり」(詩編23篇)なのです。
**************
進んで、ヨハネ福音書10章15節には「私は羊のために命を捨てる」とあって、「十字架の死」を語られたとしか思えないお言葉があることがわかります。
さらに、「私は命を、再び受けるために、捨てる。」「私は命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる」とまで約束されていたのです。これは「復活」の預言です。
**************
4つの福音書の全ての復活の場面に登場するのがマグダラのマリアなのですが、ヨハネ福音書には、マリアがイエスさまから突き放される言葉が独自に記されていることは見落とせません。
それが、「私にすがりつくのはよしなさい」という言葉です。「すがりつく」姿勢は、なぜ、イエスさまから戒(いまし)められることになったのでしょう。
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日本語辞典で、「すがりつく」という言葉について調べてみました。例えば、明鏡国語辞典には「頼りになるものとして、しっかりとつかまる」「ひたすら頼りにする」とあります。
広辞苑には「頼りに思って、離れまいとする。自分の支えとして、しっかりつかまえる」とあるのです。
「すがりつくこと」は、一見すると信仰的にも間違っていない姿勢なのでは、と思いそうになります。でも、注意が必要です。
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復活の主が教えて下さる生き方は、「すがりつくこと」ではなく、「信じる」ことでした。
見えるものは儚(はかな)く過ぎ去ります。しかし、「信じる」ことによって与えられるものは「永遠」なのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.355
2022年4月17日
『日曜日の朝 走りだした人』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 20章1節~4節 1 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。2 そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、私たちには分かりません。」3 そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。4 二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。
のちに「イースター」と呼ばれるようになるイエスさまの復活の出来事に最初にふれたのは「マグダラのマリア」でした。
他にも空っぽの墓を見た婦人たちは居たはずですが、福音書記者ヨハネはマグダラのマリアの名前だけを記します。七つの悪霊に取り憑(つ)かれていたと紹介されるマリアは、ここでも、何かに取り憑(つ)かれたように走りだすのです。そして、伝えます。
「(私の)主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、私たちには分かりません」と。
**************
この箇所を読んでいつも私は思うことがあります。
それは、マグダラのマリアが神さまに用いられていることだけでも既に福音だ、ということです。安息日が終わったばかりの日曜日の朝早く。大変なことが起こっていることに気が付いたマグダラのマリアは、イエスの復活について正しく理解していたわけではありません。
でも彼女は、とにかくイエスさまの弟子たちの元に「走った」のです。マグダラのマリアは自分自身では理解不能なこと、恐ろしくもあり、予定外であり、とんでもないことが起こっていることを伝える人として「走りだしている」のです。この「走り」がなければ何も始まらなかった。
**************
知らせ受けたのは弟子たちでした。イスカリオテのユダを除く11人、そして、イエスの愛する弟子もその知らせを受けます。息を潜め、身を隠してい人たちですが、マグダラのマリアは彼らの隠れ家を知っていました。その勢いに驚いたことでしょう。
「声が大きすぎるぞマリア、しっ、静かに。近くの者に聞こえたらどうなるのか、わかっているだろ」くらいのやり取りがあったかも知れない。
ルカによる福音書23章11節には「使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった」と書かれています。
**************
大切なイエスさまについての知らせが届いていても、それに応えることが出来なかった鈍い者たちがいる。これは逆説になりますが、私は福音だと思います。12弟子としてイエスの側にいつも居た者たちですらこんなレベルなのです。安心してはいけないけれど、ほっとします。
**************
ただし、ペトロとイエスの愛する弟子は飛び出して「走り」だします。他の者がどう考えようと構いません。キリストの復活の出来事の扉がじわりと開いていく「走り」です。
ペトロともう一人の弟子は必死に「走り」ました。しかし、やがて、二人の間に距離が生じます。ペトロは遅れた。ペトロの足は遅かったのかと言えば、私は「いいえ」と申し上げたい。何かがブレーキを掛けています。
**************
ペトロは恐ろしかった。何が起こっているのか確かめたい。近づきたい。でも走るスピードが鈍る。
自分が何者であるかを知っているからです。ここに、ここにも、福音が浮かび上がります。end
《 み言葉 余滴 》 NO.354
2022年4月10日
『 十字架の小羊の血によって 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 19章28節~29節 28 この後、イエスは、全てのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。29 そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。
ヨハネ福音書には十字架上のイエスさまが発せられた大切な言葉が幾つもあります。
母マリアにイエスさまはご自身の愛する弟子のことを委(ゆだ)ね、愛する弟子にはマリアを委(ゆだ)ねるために、「見なさい、あなたの母です」ということが言われた後に、こう記録されているのです。
「この後(のち)、イエスは全てのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した」と。
**************
十字架のもとで、血縁を超えた交わりの中に生きることを促されたイエスさまは、「この後(のち)」に、「全てのことが今や成し遂げられた」「聖書の言葉が実現した」ことを自覚されたのです。だからこそ、安心して死を迎えることが出来る。
立ち止まって注目したいことがあります。
**************
実は「成し遂げられた」(テレオー)と「実現した」(テレオオー)という言葉は、聖書の原文のギリシア語の根っこが同じ親戚の言葉です。「テレオー」・「テレオオー」とよく似ています。
いずれも「目的・目標」(テロス)という言葉から生まれた言葉です。
つまり、イエスさまは十字架の上で、世にお出でになったその「目的」を果たすことが出来たことを自覚された。だから、「成し遂げられた」「実現した」と仰ったのです。そしてイエスは息を引き取られました。
**************
直後に、「酸いぶどう酒がヒソプに付けられ」てイエスの口もとに差し出されたとあります。
福音書の中で「ヒソプ」が出てくるのはここだけです。一方、聖書の中で一番初めに「ヒソプ」が出てくるのは出エジプト記12章22節の「主の過ぎ越し(*パスオーバー)」の場面です。
「一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入り口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい」とあります。
イスラエルの民が「犠牲の小羊の血」を注ぎ出し、鴨居と柱に「ヒソプ」で「血を塗る」ことによって、神の裁きはイスラエルの民を「通り越して行った(*パスオーバー)」のです。
**************
出エジプト記の「鴨居・柱」に代わって、ゴルゴタの丘には「十字架」が立ち、イエスさまがそこに居られます。洗礼者ヨハネから、「見よ、神の小羊だ」(ヨハネ1:36)と呼ばれたイエスさまが磔(はりつけ)にされている。
その「神の小羊であるイエス」に対して、ここで「ヒソプ」によってぶどう酒が口に差し出されるのは、出エジプト記12章の過ぎ越しにまつわる描写とピタリと重なっています。
〈旧約の過ぎ越し〉は、今や〈新約の過ぎ越し〉として成就したのです。
**************
やがて、キリスト教会が「聖餐式」として引き継ぐようになっていった弟子たちとの「過ぎ越しの食事」の席で、イエスさまは「この杯から飲みなさい。これは罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」と語られました。
そこに居た弟子たちには意味不明の言葉でした。しかし福音書は、十字架の元に身を置き、イエスこそが救い主であることを信じる者に対して、罪の赦しの福音が明らかにされたことを告知しているのです。
この緻密(ちみつ)で不思議な出来事は、私たちへの招きに他なりません。end
《 み言葉 余滴 》 NO.353
2022年4月3日
『ゴルゴタであらわになるもの』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 19章19節~21節 19 ピラトは罪状書きを書いて十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。20 イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。
ゴルゴタの意味は「頭蓋骨(ずがいこつ)」です。何とも気味の悪い場所です。イエスさまはそのゴルゴタの丘へ、自ら、十字架の「横木」を背負って向かわれます。
ユダヤ人にとって神の言葉そのものである律法のひとつ、レビ記24章10節以下に、「神を冒涜する者は誰でも、その罪を負う」とあります。さらに続けて、「共同体全体が彼を石で打ち殺す」とまで明記されています。
しかし、祭司長たちは、イエスに対して「律法」による裁きを避けたのです。代わりに、ローマ帝国の極刑・十字架による処刑を、総督ピラトよって勝ち取りました。
**************
ヨハネ福音書には、イエスさまの罪状書きが詳しく記されます。19章19節に、「ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。」とあります。
ピラトは、彼自身の判断では、ナザレのイエスと呼ばれる男が死刑に価する者とは、どうしても思えませんでした。そのため、何とかイエスを釈放しようとしたのです。
しかし、結局はユダヤ人たちに押し切られます。内心穏やかではなかったはずです。
そこでピラトは、イエスを訴え、十字架につけよと叫び続けた祭司長やユダヤ人への腹いせも込めて、世界にあまねく伝わる三つの言葉を用いて、「ユダヤ人はこの男を王と認めていた」と宣言したのです。祭司長たちはこれを避けようとしましたが、ピラトはこれを認めません。
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十字架のもとに、見落としてはならない女性の姿があります。
「イエスの母マリア」です。イエスが与えられて間もない時に、ヨセフとマリアはエルサレム神殿に宮詣(みやもう)でをしました。そのときに出会った人に、「シメオン」という深い信仰をもつ老人がいたのです。
その老シメオンがその腕に幼子イエスをしっかりと抱きしめた時、マリアとヨセフは、不思議な言葉、否、不可解な言葉を聞いたのです。
シメオンは、「私はもう死んでもかまいません。神さま、あなたの救いを、私は今、確かにこの腕に抱いたからです」と口にしました。
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さらにマリアは、忘れ難い言葉を聞くのです。ルカ福音書2章34節です。
「御覧なさい。この子は、・・・・しるしとして定められています。―あなた自身も剣で心を刺し貫(つらぬ)かれます―多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」と。
マリアの心が「剣で刺し貫かれる」とは何を意味しているのか。
シメオンの預言がゴルゴタの丘で成就する時、マリアは悟りました。同時に、ヨハネ福音書2章のカナの婚礼の時に、「婦人よ、私の時はまだ来ていません」とイエスから語りかけられたことの意味も、すとんと胸に落ちたのです。
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実に、イエスさまの十字架の立つゴルゴタの丘であらわになり、さらけ出されているのは、恥多く、みじめで、情けない、裸の私たちの姿です。
十字架の主イエスは、ここでこそ、私たちと一体になって下さるのです。私たちの罪を解き放つために、イエスさまは血を流されている。
その血の意味を知り、その血が通うようになるとき、私たちは救われます。キリストの教会はそこに生まれるのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.351
2022年3月20日
『 永遠に噛み合わない人 ピラト』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 18章33節 33そこで、ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。
ポンティオ・ピラト。
彼は西暦26~36年にかけてローマから遣わされユダヤ地方を支配する立場に居た総督です。
普段はエルサレムに居らず、カイサリアという地中海沿岸の都市に暮らしていました。しかし、過越祭の頃には都エルサレムにやって来ざるを得ないのです。
エルサレム神殿での巡礼のために、世界各地のユダヤ人達がやって来てることを知っていましたし、何より、当時の慣例として、罪人の恩赦を行う必要があります。騒動が起こるような気配があることもユダヤ総督として心得ていました。それゆえ、この時期には、気が向かなくても、エルサレムに滞在している必要があったのです。
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大祭司のところからピラトの元にイエスさまが連れて来られたのは「明け方であった」と記録されています。
ゲッセマネの園で捕らえられ、最高法院の会議が深夜に召集されていたことは、ピラトにも報告が届いていました。それにしても、夜明け頃、総督の元に罪人(ざいにん)が連れて来られるというのは異常事態です。
さらにピラトを不愉快にしたのは、イエスを引き連れてやって来た人々が、総督官邸の玄関口にまで自分を呼び出す形でしか話をしないことでした。けがれを嫌うユダヤ人は、異邦人であるローマ人・ピラトとの接触を避けたいのです。
おくびにも出しませんが、内心ピラトは、「ふざけるな」と思っていたことでしょう。
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ピラトは、「ナザレのイエス」について、とっくに調査済みなのです。ありとあらゆる情報が集まっていたに違いありません。
もちろん、エルサレムに子ろばに乗って入場したイエスを、群衆が歓喜して迎えたことも、力ある言葉を語り、不思議な業をなし、人々がイエスを追っかけていることもです。さらに、来たるべきメシアではないか、と噂になっていることや、罪人たちの友であることもです。
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その一方で、律法学者たちがイエスとは対立関係にあり、命を狙っていることも知っていました。
だからこそ、ピラトは、イエスに対して迂闊(うかつ)なことは出来ない、と身構えます。万全を期す必要があったのです。
ピラトにとって、イエスが律法に違反をしているか、宗教的にどうなのか、ということ等、どうだってよいことです。ですから、「お前さんたちが大事にしている「律法」とやらに基づいて裁きをすればよいではないか」というのは心底の思いでした。
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ただ一点、ピラトは、目の前に居るイエスが、「ユダヤ人の王」であるのか、「国王」として振る舞おうとしているのかが気になりました。絶対であるローマ皇帝に対して、万が一でも、「反逆を企てるような〈王〉」なのかどうかを確かめたいのです。
ですからピラトは、イエスに問い掛けました。「お前がユダヤ人の王なのか」「やはり、王なのか」と。王であるならば、支配する者であるはずです。世に君臨しようとする権力者であるはずでした。
ところが、「神の国の王」あるイエスさまは、領土も、力も、軍備にも関心がありません。必要ないのです。ご自身を犠牲として捧げ尽くし、仕えられるお方ですから、ピラトとイエスさまの話は最後まで全く噛(か)み合わないのです。
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的外れなことをイエスさまに期待し、求め続けている人の話は、どこまでも噛み合いません。
あなたは大丈夫でしょうか?end
《 み言葉 余滴 》 NO.350
2022年3月13日
『 まことの大祭司 イエス 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 18章12節~13節 12 そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、13 まず、アンナスのところへ連れて行った。彼が、その年の大祭司カイアファのしゅうとだったからである。
過越の食事が守られた春の夜の遅く、キドロンの谷の向こう、ゲッセマネの園で祈られたイエスさまは、イスカリオテのユダに先導された一群によって捕らえられました。
イエスさまを待ち受けていたのは「大祭司のアンナスとカイアファ」でした。二人は身内同志でしたが、アンナスの方が立場が上にありました。アンナスの娘むこがカイアファだったからです。アンナスは老獪(かい)な人物だったようで、当時、その名を知らない人はいないような存在でした。
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ローマ皇帝の権力をかさにしていた総督ピラトが政治的な権力者であるのに対して、アンナスら大祭司は、律法の元で宗教的な判断を下す立場におり、最高法院の会議を召集し最終決定を下す権限をもっている人でした。ユダヤの社会において、律法の番人の役割を果たす大祭司は神さまに最も近い人たちだったのです。
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のちにキリスト教会は、「イエスは、まことに、永遠の大祭司となられたのだ」ということに気付きます。
そして、その事実を明確に言葉にしたのが、『ヘブライ人への手紙』(ヘブル書)でした。
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そのヘブル書5章1節に、「大祭司は全て人間の中から選ばれ、罪のための供え物やいけにえを献げるよう、人々のために神に仕える職に任命されています。」とあります。
これはレビ記16章の最後の、「(祭司アロンは)年に一度(贖罪の日に)、イスラエルの人々のためにそのすべての罪の贖いの儀式を行う」という律法に基づくものです。
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本来「大祭司」は、人の罪の赦しのために神殿でほふった動物の犠牲の血を注ぐ務めを果たすことが最大の務めでした。
しかし、イエスさまの時代の「大祭司」は、あるべき生き方からの踏み外し方があまりに酷い状態にありました。だからこそイエスさまは、ヨハネ福音書の2章の「宮清め」の場面で、大祭司の本陣・エルサレム神殿で、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直す」という激しい態度で臨まれたのです。
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一体、イエスさまは、どのような大祭司であられたのでしょう。
ヘブル書でたどってみますと、先ず、2章17節以下に、「イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかった。事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになる」とあります。
さらに進んで、4章15節には、「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われた」とあるのです。
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み神の座を捨てられ、人となられた主であるイエスさまは、飼い葉桶に眠るいと小さき御子として暗闇(くらやみ)の世に宿られ、全生涯を、病める者、罪人と共にあるために捧げられました。
その最後に、十字架の上で「大祭司として」救いを完成すべく、ご自身の血を注ぎ出されたのです。ほむべきかな。「極みまでの愛(*ヨハネ13章1節・文語訳)」がここにあります。end
《 み言葉 余滴 》 NO.349
2022年3月6日
『〈キドロン〉を通過する神』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書18章1節 1 こう話し終えると、イエスは弟子たちと一緒に、キドロンの谷の向こうへ出て行かれた。そこには園があり、イエスは弟子たちとその中に入られた。
ヨハネによる福音書において、イエスさまのご受難が目に見える形で一気に動き始めるのが18章です。12弟子の一人であるイスカリオテのユダに率いられたこの世の闇の勢力が、「キドロンの谷」の向う側のゲッセマネの園で祈っておられたイエスさまの元に大挙するのです。
ここでは、「キドロン」に集中して考えてみたいと思います。
「キドロン」には「黒い谷」という意味があり、場所はエルサレム神殿の建つ丘の下の、深く、暗い谷です。その地名の意味にぴったりの出来事が、その谷を抜けてやって来る一団に暗示されるこの世の力によって起こります。
ヨハネ福音書の冒頭1章5節に、この場面を予告するかのようなみ言葉があったことを思い起こします。「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」とあるのです。
**************
旧約聖書を丹念に読みますと、「キドロン」は忌(い)まわしさを伴う地であったことがわかります。
例えば、南王国ユダの王・ヨシヤ(前639-609年)は、「主の目にかなう正しいことを行い、右にも左にもそれない歩みをした(数少ない)王」ですが、そのヨシヤは、列王記下23章4節を読むと、「主の神殿からバアルやアシェラや天の万象のために造られた祭具類をすべて運び出させた。彼はそれをエルサレムの外、キドロンの野で焼き払わせ、その灰をベテルに持って行かせた。」と記録されています。
「キドロン」は、神への背きの偶像を焼き尽くすための場所として人々に知られていたのです。
**************
また、神の御心を取り次ぐ役割を担っていた預言者の言葉からも、「キドロン」がどのような場所であったかが知らされます。
悲しみの預言者として知られるエレミヤについて、『広辞苑』は、「古代イスラエルの大預言者。ユダ王国末期の紀元前626~586年頃、神への回心を説き、神の愛の成就を「新しい契約」として預言。旧約聖書エレミヤ書はその言行の集成。」と紹介しています。
エレミヤは、南王国ユダがその不信仰ゆえに滅亡(紀元前586年)する直前に、「新しい契約」が結ばれる日が来ることを預言してこう語りました。
「死体と灰の谷の全域、またキドロンの谷に至るまで・・・・の全域は、主のものとして聖別され、もはやとこしえに、抜かれることも破壊されることもない。」(エレミヤ書31:34)と。これは「キドロン」が「聖」から掛け離れた場所であったということです。そのような汚れた地が、主のものとして「聖別される日が来る」と預言していたのです。
**************
イエスさまが、エルサレム近郊にお出でになる度に、いつもその「キドロン」を通り抜け、弟子たちと共に、ゲッセマネの園でお祈りしておられたことは読み過ごしてはならないと思います。
主イエスは、そのような「キドロン」という深い谷底を通り、さらに低いゲッセマネの園という祈りの場を経て、この世の悪の諸力の集結するゴルゴタの丘の上で〈廃棄されるお方〉として、ひるむことなく、一団の前に自ら進み出られました。
そして「ナザレのイエス」としてご自身を世に現され、引き渡されます。これは、実に小さいけれど、確かな灯(ともしび)としての現れの瞬間なのです。
弟子たちは、「このとき、皆、イエスを見捨てて逃げ出してしまった」(マタイ福音書26:56)のです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.348
2022年2月27日
『 嵐の中で 主は言われた 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マルコによる福音書 4章37節~39節 37 激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。38 しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。39 イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。
住み慣れたガリラヤ湖畔の町から「向こう岸」を目指して漕ぎ出した舟が見えます。そこには12人の弟子たちとイエスさまが乗っています。
向こう岸とは「デカポリス地方」と呼ばれる「異邦人の地」のこと。「デカ」は「10」という意味があり、「ポリス」は「都市」です。そのように呼ばれる地方ですから、彼らはへんぴな所に向かうわけではありません。
しかしそこは、ユダヤ人からすると汚れに満ちた地でした。弟子たちにとって、気の進まない場所なのです。
**************
弟子たちの中には長年漁師として生きて来た者が何人か居りました。日が暮れてからの時間帯は、なおいっそう、声を合わせて舟を漕いだはずです。
すり鉢状の地形のガリラヤ湖は天候が急変しやすいことを、ペトロをはじめとする弟子たちは知っていました。案の定、舟は激しい嵐に見舞われます。嫌な予感が的中するのです。
**************
創世記6章から8章に「ノアの箱舟」の物語が記されていることを思い出します。私は、ノアの箱舟の物語と、向こう岸に向かう舟が嵐に飲み込まれる出来事を、無関係だとは思えません。
ノアは、神さまのお言葉に従って黙々と働き、建造した箱舟に家族と動物たちと共に乗り込みます。40日40夜降り続けた大雨の後、大洪水に見舞われた舟は、木の葉のように舞いながら150日間漂流しました。舟に乗り込んでいた者以外、全ての命が絶えてしまいます。
けれども神さまは、箱舟に乗り込んでいた者たちのことを、ちゃんと御心に留めておられたのです。やがて、神さまが地の上に風を吹かせられた時、洪水の水は減り始めます。神さまは、お言葉に責任をもって、共に居られました。お言葉に従って箱舟に乗った者たちは生き抜いたのです。
**************
向こう岸に向かう途中、嵐に見舞われ、風と波に飲み込まれた舟の上で、イエスさまは人ごとのような顔をして眠っておられました。
肝心なのは、その時、イエスさまは弟子たちの恐怖、叫びを知っておられたということです。共に居られるのです。イエスさまも激しい嵐のただ中に身を置かれている。全てをご存知でした。
やがて、弟子たちに起こされたイエスさまは、「黙れ。静まれ」と言われました。小声ではありません。嵐の中でもはっきりと聞こえるお声でした。
福音書記者マルコは、イエスさまが「黙れ。静まれ」と言われたのは「風と湖に対して」だったと告げていますが、弟子たちの何人かは、自分に対して発せられた「黙れ。静まれ」だと感じたはずです。
**************
この「舟」こそ、私たちにとって「教会」を意味するものです。どこにも助けを見いだすことが出来ない状況の中、弟子たちは命の危機を感じました。
しかし、イエスさまはこれを他人事(ひとごと)とはなさらず、乗組員の一人として共に居て下さるお方でした。
激しい荒波が襲い掛かる時にこそ、主は、お言葉を下さるお方なのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.347
2022年2月20日
『 パウロの原点 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 22章6節~8節
6 旅を続けてダマスコに近づいたときのこと、真昼ごろ、突然、天から強い光がわたしの周りを照らしました。7 わたしは地面に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と言う声を聞いたのです。8 『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』と答えがありました。
使徒言行録22章にはエルサレム神殿のすぐ近くのとある階段の上で語るパウロが居ます。聴いているのはユダヤの民衆です。
「この道の者=クリスチャン」の中でも、律法や割礼、選びの民としての誇りをけがしている者として、いわく付きの男が何を話し始めるのか、興味津々でした。驚くほどの静けさがその場を包んでいます。
**************
コリントやエフェソという、エルサレムでもその名前だけは広く知られている都市から舞い戻ってきた初老の男の言葉に、人々は驚き続けていました。そして、男の言葉に不思議な力があることを感じていたのです。
なぜなら、パウロがそこに立つことが出来ているのは、神さまの力に依るからです。
パウロが少し前に、ローマのキリスト教会の人々に向けて送った手紙の冒頭で、「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロ」と記していた言葉は真実でした。
ユダヤ民衆は、そんな力に巻き込まれるわけにはいかないのです。彼らは必死になって神に抗(あらが)います。
**************
聖書では「弁明」と表現されています。
しかし、この時のパウロの言葉の全てが、キリストの僕としての「証し」であり「説教」でした。パウロが回心し洗礼を受けて伝道者となって以来、異邦人に向けて語り続けて来たことの集大成のような言葉が、よどみなく紡がれて行きます。
ユダヤの人ならば誰もが聞き慣れているヘブライ語ですからよく聞こえるのです。
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姿は描かれていませんが、エルサレムでの初期キリスト教会を形作っていた「12弟子の一団」もそこに紛れていたはずです。彼らは彼らで、別の緊張感をもって立ち尽くしていました。
なぜなら、パウロの口から異邦の地での伝道の様子が明らかにされればされるほど、エルサレム近郊でユダヤ教の異端の一派としか見なされず、窮屈な思いをしながら、辛うじて生き延びてきた小さな群れに過ぎない自分たちの立場が、ますます危うくなるからです。
「余計なことは言ってくれるな」というような感じでしょうか。
**************
果たしてパウロが語ったこととは何だったのか。
それは、律法を誰よりも重んじていたと自負しユダヤ教に徹していた男の180度の方向転換の出来事でした。ユダヤの人々からすればスキャンダル以外の何ものでもありません。
しかも、アナニアという、ダマスコで律法を守ることに熱心で、信心深く、ユダヤ人からも評判の人であった男の話が語られ始めたと思いきや、その信心深い男がパウロを手助けしていた、というではありませんか。
聞くに堪えない話ばかりが続きました。おまけに、聖なる場所であるエルサレム神殿で、パウロは「私は神のお告げを受けた」とぬかした。聞き捨てならないことのオンパレード。それがパウロの口から出る呪(のろ)われるべき言葉でした。
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ここには、パウロにとって、いつも、どこにいても、何度でも立ち帰りたくなる信仰の原点がありました。「恐れるな、語り続けよ、黙っているな」の声がパウロには聞こえていたのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.345
2022年2月6日
『 イエスさまの種まき 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マルコによる福音書 4章13節~14節 13 イエスは言われた。「このたとえが分からないのか。では、どうしてほかのたとえが理解できるだろうか。14 種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである。
イエスさまが「たとえ話を語られる目的」は何でしょうか。その理由がわかると、たとえ話の理解の度合いが深まります。
**************
その理由とは、ひと言で言うならば「神の国の奥義(おくぎ)」を知らせるためでした。
ここで言う「神の国」とは、「米国・英国・韓国・日本国」というような「国」の概念とはまったく違うものです。神の独り子であるイエスさまがこの世にお出でになって、明らかにされる「世界」があり「領域」「支配」があるのですが、そのことを伝えようとされているのです。
一体どうすれば、私たちはその「神の国の奥義」を知り、生きることができるのでしょう。想い巡らしてみたいと思います。
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マルコによる福音書の4章で語られるのは「神の言葉という種まきのたとえ話」です。目の前で癒しが行われるわけでもないですし、奇跡が起こるわけではありません。
でも、ここで蒔かれる種は、あることがどんぴしゃで行われるならば、不思議な成長を見せるし、広がりがある、とイエスさま仰るのです。
それは「良い土地」に種が蒔かれることだと言います。私たちが「良い土地」の状態になることが重要な条件なのですが、なかなか、そうなれないのです。
**************
イエスさまはここで、律法学者やファリサイ派の人たちのことを厳しく突き放しておられます。イエスさまのお言葉に彼らは既に触れていました。彼らは驚いているのです。一応、聞いているのです。
ところが彼らの心はかたくなでした。いつも腕組みをして遠目に見守っているだけで、小さな一歩すら踏みだそうとしません。
ファリサイ派や律法学者たちが熟知しているイザヤ書を引用しながら、「彼らは、見るには見るが認めない」「聞くには聞くが、聞き従う者となる気持ちはない」。ましてや、これまでの生き方から「方向転換する・悔い改めを生きる心はない」と見抜いておられたのです。
**************
問題があるのは、実はファリサイ派や律法学者たちだけではありませんでした。イエスさまに期待して押し寄せてきた人々、召し出された12人の弟子たちも、五十歩百歩なのです。
たとえ話の中では、せっかくのイエスさまのお言葉も、「道端」のままでは育ないことが明らかにされます。喜んで聴いているように見えても、「石ころだらけ」の心の状態では、福音の種は成長しません。さらに、あれやこれやの理由をつけて種の成長を妨げる「茨(いばら)」を抱えている時が私たちは本当に多いのです。
そうしたことへの注意喚起がなされている。私たちは、いずれも、どこかに心当たりがあります。
**************
ところが、み言葉を聞いて受け入れる人は、「30倍、60倍、百倍の実を結ぶ」とイエスさまは仰るのです。
その受け入れ方とは、「少しだけためしてみよう」とか「都合のよい時だけ」ではないのは明らかです。
「信じてゆだね切る」という状態になった時に、私たちの人生はいつしか「良い土地」に変わっていくのです。それは神の恵みとしての「ひとりでに」(英語で「by itself」)の出来事です。
神の言葉である福音の種は、無から有を生み出す創造の力を持っています。「信じて従う人」は、その世界に入って生きる喜びを知ります。end
《 み言葉 余滴 》 NO.343
2022年1月16日
『 古いものは 皆うしろに 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マルコによる福音書 1章14節~15節 14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、15 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。
イエスさまの宣教の第一声は、「悔い改めて福音を信じなさい」でした。イエスさまが仰る「悔い改め」とは、「ごめんなさい、もうしません」という反省とは意味が異なります。
興味深いことに、イエスさまが「悔い改めて福音を信じなさい」と宣言されたその直後になさったのは、弟子を求めることでした。マルコ福音書では、ガリラヤ湖の漁師であるペトロらに声が掛かります。「われに従い来たれ」というお言葉でした。彼らは網を捨て家族もそのままに従うのです。
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これは、私たちのように聖書から、道・真理・命を求める者に対して、今も語りかけられているお言葉です。いいえそれどころか、「悔い改めて福音を信じること」は、聖書を読むときの通底音として、聖書全巻を貫き、響いているものだと言えます。
私たちは、み言葉を受け入れて、身を委ねることによって、日々新たにされながら生きて行くことが出来るということです。
そして、ここでの「悔い改めて福音を信じなさい」という主イエスのお言葉は、ガリラヤ湖畔での「われに従い来たれ」という漁師たちへの招きの言葉と不可分であり、切っても切れない関係にあるものだったのです。
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信仰の父と呼ばれるアブラハム。アブラハムは75歳のとき「生まれ故郷、父の家を離れて、私が示す地に行きなさい。そして祝福の源となれ」というみ声を聴きました。アブラハムはその言葉を信じ、自らの人生を委ねます。彼の新しい人生を歩み始めたのです。
(旭東教会の創立119周年記念礼拝・講演会に近くお迎えする)関田寛雄先生がアブラハムの生涯を語られた講演の最後でこう仰るのです。
「アブラハムの生涯から学んだライフスタイルを大事にしていきましょう。・・・・人生の終りに、何もかもなくなった、何にもならなかったとしても、いいじゃありませんか。プロセスを生き抜いたなら、それによって天において喜び大いなり。歩み続けていきましょう」(『目はかすまず 気力は失せず』新教出版社 2021年より)と。
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情報収集に奔走しているだけに留まって、従い始めることがなかったならば新しい人にはなれません。
「われに従い来たれ」と言って下さったそのお言葉に信頼して、数センチでも、半歩でも歩き出すために自分の力を抜いて身を委ねる時、人生は方向転換し始めるのです。
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ヨハネ福音書3章に、夜の訪問者として人目を避けてイエスさまを訪ねて来たニコデモという老議員が描かれます。
イエスさまは、「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」と仰るのですが、その時のニコデモは、いつの間にか姿を消してしまいます。
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そんなニコデモが、悔い改めを生き始める人として、再びイエスさまの元に姿を現す場面があるのです。
それは、ゴルゴタの丘の十字架の上で死を遂げられたイエスさまの葬りのために踏みだした時でした。この行動によって、ニコデモに約束されていた議員としての身分も、世の誉れも全て失います。
しかし、ニコデモには、彼が探し求めていた全てが与えられたはずです。「悔い改めて福音を信じる」とは何であるのか。ニコデモは十字架の元で知ることになるのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.342
2022年1月9日
『〈シナイ山〉でイエスと出会う 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 19章1節~3節
1 イスラエルの人々は、エジプトの国を出て三月目のその日に、シナイの荒れ野に到着した。2 彼らはレフィディムを出発して、シナイの荒れ野に着き、荒れ野に天幕を張った。イスラエルは、そこで、山に向かって宿営した。3 モーセが神のもとに登って行くと、山から主は彼に語りかけて言われた。
エジプトでの奴隷状態から神の民イスラエルが解放され、約束の地に向けての旅を始めることが出来たのは何の力によってだったのでしょう。
それは、神さまの「憐れみ」によるものでした。人間の努力の結果ではないのです。
**************
神さまは意を決してモーセをリーダーとしてお立てになりました。しかし、出エジプトの主導権をもっていたのはモーセではなく、いつも神さまだったのです。
十戒が示される出エジプト記20章の冒頭に、「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」とある通りです。
**************
エジプト記19章の舞台は「シナイ山」です。エジプト王ファラオの元から脱出して三ヶ月が経過した頃のことでした。
モーセ五書のひとつ民数記10章11節に依れば、イスラエルの民はシナイ山周辺に1年程宿営し続けるのです。それほどの長い時間が必要な程、大事なことがここで示されました。
彼らに与えられたのは、「律法」であり、神さまからの一方的な「契約」でしたが、実はその前に、神さまの愛が語られ、その愛に応答することが求められるのです。
**************
イスラエルの民に示された神の愛は、まず「鷲の翼で守る」という言葉で表現されます。
さらに「あながたは私にとって宝の民である」というのも神さまの思いでした。
**************
ただし、その中で、求められていることがありました。それは、「聖なる国民」としての使命に生きるための重要な要件です。
即ち、ひとつは「わたしの声に聞き従うこと」であり、二つ目は「わたしの契約を守ること」でした。
すると、イスラエルの民の長老たちは、勇ましく声をそろえたのです。「もちろんです。私たちは、主が語られたことをすべて行います」と。
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シナイ山を登ってみ前に進み出るモーセに語りかけられる神さまには際だった特徴があります。それは「聖なるお方であるがゆえに、人とは隔たりがある存在だ」ということです。
人間が近づきがたいお方であり、うかつに境界線を越えるようなことがあれば、命に係わるという警告がなされるのです。雷鳴と稲妻がとどろき、山は激しく揺れます。そのような神さまからの教えを受けるには、垢(あか)を落とし、身を清め、畏れを持って待つことが求められました。
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出エジプト記19章は「旧約の心臓部」と言われる箇所です。この19章を読む時に、しっかりと心に留めたいことがあります。
それはイエスさまの眼差しです。ここにはイエスさまの影も形もありません。でも私たちは、「独り子であるイエスを通じて示される愛、契約とは何か」について想い巡らすのです。
言い換えるなら、「契約を守りきれない罪人」に対してイエスさまが求められる「聖性」とは何であるのかを考えることが肝心です。
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罪深い過ちを犯したダビデ王は、詩編51篇19節で、「神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心」と認めました。
清くない者が聖なる者とされ、み足跡に従い始める場所が礼拝です。そのためにも、「自分が欠けのある罪人であることを素直に認める」ことから始めたいのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.339
2021年12月19日
『 そこには恵みが満ちていた 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 2章3節~4節 3 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。4 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。5 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
天使ガブリエルの訪問を受けたマリアは「おめでとう恵まれた方。主があなたと共に居られる」「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい」とのお告げを受けました。
本当に思いも寄らぬことでした。
田舎の娘・マリアに特別な能力があったわけではありません。そして、み使いの訪問の事情を全部理解できたのでもない。
ただ、なぜかマリアは「お言葉どおりこの身になりますように」の言葉を発したのです。信仰とは時にそのような形で生まれ出るものなのです。マリアはこの言葉を生涯の支えとします。
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程なく、マリアがとった行動。それは一人旅でした。み使いが伝えてくれた内容を訪ねて行って確かめたいと思ったのです。場所はエルサレムに近いユダの町に暮らすエリサベトおばさんところでした。既に歳をとったエリサベトおばさんにも子どもが宿っており、既に6ヶ月になるとみ使いが伝えたからです。
ナザレからエリサベトとザカリア夫妻が暮らす家までは120㎞を越えます。マリアは3ヶ月滞在したのちに、身重を実感しながらナザレへと戻ります。
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そして、半年の月日を経て、今度は彼女をいたわってくれるヨセフが共に居てくれる二人の旅が始まったのです。目的地は、エルサレムの南8キロのところにある「ベツレヘム」でした。ベツレヘムはダビデ王の故郷です。
しかし、ダビデの時代が終わると、もはやベツレヘムは「ユダの氏族の中で最も小さい」町に過ぎないところとなるのです。ローマ皇帝アウグストゥスの命令に従って住民登録をするならば、ヨセフはどうしても、そのベツレヘムに来る必要がありました。ナザレに、マリアを一人置いておくわけにいきません。
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泊まる場所を求めてベツレヘムを歩き廻った二人が辿(たど)り着いたのは宿屋の部屋ではなく家畜小屋でした。そして、マリアはそこで子どもを産むのです。イエスと名付けられるみどり子の居場所は家畜小屋の中の「飼い葉桶」でした。
神さまはイエスさまが「飼い葉桶」に生まれることをよしとされるのです。そうでなければならないご計画をもっておられた。それがみ心でした。
宿屋での受け入れを拒否される救い主の誕生の出来事は、十字架の上で辱(はずかし)めを受け、ないがしろにされるイエスの出来事と一致します。同質のものなのです。
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ヨハネによる福音書において、救い主イエス・キリストの来臨を告げるみ言葉をご紹介します。
1章14節に「言は肉となって、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」とあるのです。
「私たちの間に宿った」の「宿る」とは、元々「テント暮らしをする・仮小屋住まいをする」という意味の言葉です。低きに下られるイエスが、この世において、どこに向かおうとされるお方であるのかが浮き彫りにされます。
そこには「恵みと真理が充満し、少しの欠けもない」のです。何と不思議な備えでありましょうか。
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神さまの愛が溢れ出るためには、家畜小屋の「飼い葉桶」は必然だったのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.338
2021年12月12日
『 荒れ野 での 道 の 備え方』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マルコによる福音書 1章2節~4節
2 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、私はあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。3 荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、4 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。
新約聖書には、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの4つの福音書があります。
そのいずれの福音書にも登場するのが「洗礼者ヨハネ」です。4つの福音書のいずれにも「洗礼者ヨハネ」が描かれるということは、彼のことに触れないでは「福音書」というものを世に送り出せなかった、ということです。
4つの福音書のいずれにも記録されるお話というのは意外に少ないものです。クリスマスの出来事ですら、マタイによる福音書とルカによる福音書だけです。
もう少し言葉を添えるならば、主イエスの十字架と復活の出来事は4つの福音書におさめられています。この事実も心に留める意味があります。
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私が聖書や讃美歌を初めて自分で買って読み始めた25歳の頃です。当時、よくわからなかったのは「洗礼者ヨハネ」と「イエスさま」の関係でした。
聖書辞典という便利な本があることも知りませんでした。ましてや、1980年代の中頃には、インターネットで「洗礼者ヨハネ」を検索して調べる、等というすべもありません。
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実はヨハネとイエスさまがそっくりなところがあるのです。
それは二人共に、「悔い改めよ」「神の国を信じなさい」ということを、その時代の人たちに命がけで明らかにしようとしたことです。
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先ず、「洗礼者ヨハネ」について申し上げるならば、彼は祭司の家系に生まれた人であったにもかかわらず、エルサレム神殿での祭儀に仕える働きには進まなかったのです。
ヨハネは預言者イザヤが指し示した「救いの道」を、ユダヤの荒涼とした地としての「荒れ野」に求めたのです。
イザヤ書40章8節に「主のために、荒れ野に道を備え 私たちの神のために荒れ地に広い道を通せ」とあることを、そのまま実践しようとしました。禁欲的な生活をし、この世と距離をおきます。預言者としての自分に出来ることに限りはあることは承知していました。
だから、「私は自分のあとから来られる方の靴紐を解く値打ちもない人間だ」と言います。しかし、なお人々は、ヨハネの元に救いがあることを期待し、ユダヤの全土から押し寄せました。
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では、イエスさまはどうだったのか。
イエスさまはヨハネがしようとしていたことに対して深い敬意をあらわされます。その象徴として、イエスさまご自身、彼から洗礼を受けられたのです。罪人のひとりになられ、そこから、公の生涯を始められました。
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しかし、イエスさまは殺伐として乾ききった「荒れ野」が、別の所にあることをご存知でした。「荒れ野」が険しい山の中、谷底にあるとはお考えにならない。
律法厳守の誇りや、善い行いの先に「慰めの道」は見いだし得ないからです。
やがて、救いの御子としてこの世に送られたイエスさまの元に集まり始めたのは、中心に生きる人ではなく、周縁(しゅうへん)に追いやられ軽んじられていた人、罪人たちでした。
「洗礼者ヨハネ」。彼は旧約の終りを告げる預言者でした。end
《 み言葉 余滴 》 NO.335
2021年11月21日
『〈 エトロ 〉を遣わされた神』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 18章17節~18節 17 モーセのしゅうとは言った。「あなたのやり方は良くない。18 あなた自身も、あなたを訪ねて来る民も、きっと疲れ果ててしまうだろう。このやり方ではあなたの荷が重すぎて、一人では負いきれないからだ。19 わたしの言うことを聞きなさい。助言をしよう。神があなたと共におられるように。
エトロ。彼はモーセの妻ツィポラの父でミディアン人です。エトロが非常に大きな役割を果たすのが出エジプト記18章です。
聖書辞典を見るとその名は「豊か」「卓越している」という意味だと言います。
なる程、もしもエトロの豊かな経験、そして卓越した眼力がなかったならば。
モーセ率いる神の民イスラエルは、この先40年間続く、シナイ半島の荒れ野の旅を続けることはできなかっただろう、と想像されます。
果たして、エトロとは何者だったのでしょう。
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私たち、今回は出エジプト記18章をご一緒に読んでいます。
すぐ先の、続く19章の冒頭を見ると、モーセらは「エジプトを出立してから3ヶ月目に、シナイの荒れ野にたどり着いた」とあるのです。エジプトを出てからもっと時間が経っているかな、と思いましたがそうではない。まだ、100日に満たないのです。
直前の17章の後半の記事に依れば、アロンという兄の支え、将来はモーセを超えるほどの働きをしてくれるであろうことを予見させるような若者ヨシュアの姿がアマレクとの戦いの中にもありました。
しかし、既にモーセは青息吐息でした。神さまはそのことをよくご存知だったのです。
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誰にも「過去」があるものです。
モーセにも消せない過去がありました。モーセは殺人を犯した人です。逃亡者としてエジプトから姿を消した時、行き場を失い荒れ野の放浪の果てにたどり着いたのがミディアンでした。
何の当ても無いモーセは、偶然、井戸端でエトロの娘たちと出会い、やがて、エトロの「なぜその方を放っておくのだ。呼びに行って食事を差し上げなさい」のひと言が切っ掛けで命拾いします。そして、ツィポラと結婚。
モーセは事実上ミディアン人として40年に渡って暮らしを続けたのです。エトロの配慮、助けを受けながらです。
そんな中、モーセは神さまからの不思議な召しを受けます。エジプトに戻り、出エジプトのリーダーとなるのです。そこには、義父エトロの配慮とゆるし、祈りがありました。
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実に、「神のなされることは皆その時にかなって美しい」と再認識させてくれるのが出エジプト記18章なのです。
モーセのことをいつも祈り続けて居たエトロがやって来る。再会を喜び、モーセの苦労と神のみ業の素晴らしさをしっかりと聴いてくれる。どれ程安心したことか。
そして、モーセと長老たちと共にエトロは神を賛美する礼拝を捧げます。さらにモーセの仕事ぶりを見て、実に的確な指示を出したのです。
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先ず、エトロが伝えたのは、同胞との向き合い方に対するダメ出しでした。神さま以外にモーセに指示を出せるのはエトロしか居なかったのが本当の所です。
「孤軍奮闘は終わりにせよ」「有能な者たちが多く居るのだから、任せるべき事は任せよ」「あなたのなすべきは、神さまからの方向指示を端的に伝えることだ」。
エトロの言葉だからこそ、モーセはそれらを素直に受け入れることが出来たのです。
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エトロはモーセに具体的な助言を始める前に語りました。「どうか、神があなたと共におられるように」と。
やがてミディアンに戻って行く老父の後ろ姿に、モーセは神の愛を見るのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.334
2021年11月14日
『 担がれて 家に帰る 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 15章4節~6節 4 「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。5 そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、6 家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。
羊飼いが登場するたとえ話です。
ところが、目を凝らして読んでみても、「羊飼い」という言葉は見当たりません。「百匹の羊をもっている」とあるだけです。でも「この人」は明らかにイエスさまのことです。詩編23篇1節の「主はわが牧者なり」を想います。
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先ず第一に、この羊飼いは迷い出た羊に対して想像を超えた関心を持っていてくれるのです。
「愛すること」の反対は「無関心」です。この羊飼いは見失われた1匹の羊に対して決して無関心ではない。99匹をしばらく荒れ野に放って置いてでも、ただ一人のために捜しに来てくれるのです。
私たち、この神さまの眼差しに無頓着で、鈍感すぎるのではないでしょうか。「亡(うしな)はれたる羊のごとく」(文語訳・詩編119篇176節)となっている自分である自覚が足りません。
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2つ目。
ここには神さまの「熱情」(出エジプト記20章5節)が示されます。イエスさまはこう仰いました。
「見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか」と。羊にたとえられているのは、外でもない私たちです。
迷い出た者、道を見失ってしまった者を、居ても立ってもいられない思いで、捜し回って下さる方が居る。弱り果て、諦めてしまっていないか。渇きに苦しみ続けているのではないか。名を呼んで捜し回ってくれるのです。傷つくことを少しも厭(いと)わない。
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ふと気付いたことがあります。
それは、教会というのは、イエスさまに興味を持っている人が、その熱心に依って集まっている所ではない、ということです。
きょうのみ言葉は、神さま熱情と関心の方が、私たちの思いを遙かに超えていることを伝えてくれます。
そういう意味で教会とは、神さまの熱いみ心によって、神さまご自身に捜され見つけ出された一人ひとりの集まりだ、と教えられるのです。
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最後に、「悔い改め」ということについて考えてみましょう。ルカによる福音書は「悔い改め」に強い関心をもつ福音書です。
このたとえ話の最後にも「悔い改め」が触れられています。果たしてこの一匹の迷い出た羊は、どのようにして「悔い改め」へと導かれたのでしょう。
反省に反省を重ねたわけではありません。迷い出た羊は、自力では羊飼いの元に帰ってくることは出来なかった。
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この羊は、もはや自力ではどうにもならなかったのです。だから、イエスさまは、残されていたただ一つの道を明らかにされます。
この羊飼いは迷子の羊を「担ぐ」のです。まるで子どものように。「おぶる」でもよいのですが、主はその強い「腕(かいな)」によって愛を示されました。
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いい年をした大人が主イエスによって集められるのが教会です。「いい年をして、そんなことも分からないのか」の「いい年」です。「お年頃」というのではない。
そんなことも分かっとらん、恥ずかしい私を担いで連れ戻して下さった。ここに愛があるのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.333
2021年11月7日
『〈キリスト〉に
出会うということ 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マタイによる福音書 9章2節、9節 2 すると、人々が中風の人を床に寝かせたまま、イエスのところへ連れて来た。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、元気を出しなさい。あなたの罪は赦される」と言われた。・・・・・・・・9 イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「私に従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。
私の神学生時代、卒業年次・1992年のことです。「宣教論」を同級生7名程と共に学んだ時、マタイによる福音書4章23節以下にあるイエスさまの姿に注目することを教えられました。
担当は大沢務先生。沼津教会(*静岡県)で牧師をされ、週に一度、東京目白の夜間の神学校に教えに来て下さる方でした。
イエスさまがなされる宣教のひな型に「回る」「教える」「宣べ伝える」「いやし」があると語られたのです。私の伝道者としての根幹になったひとコマで、時々立ち帰ります。
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同志社大学神学部で「礼拝学」を教えておられる越川弘英(こしかわ ひろひで)先生という方が居られます。
先生は人気科目だった今橋朗先生による礼拝学ゼミを聴講して居られ、共に机を囲みました。時を経て、6年程前、岡山で講演された時、『讃美歌21』の「まえがき」に触れ、確信をもってこう語られたのです。
「賛美歌には教育・牧会・宣教の力がある」と。この言葉も忘れられません。事実「賛美歌」はしばしば「聖書」以上の力を発揮します。
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マタイ福音書では8章~9章にかけて、聖書の小見出しに注目するならば「いやし」が集中して語られていることに気が付きます。
そして、10章に入ると、12弟子として選ばれた者たちの名が紹介され、実際に一度、12人が伝道の旅に派遣される様子が記されます。
イエスさまに従い始めた弟子たち。本当に多くのことをワクワクしながら、学ぶことばかりの日々だったのだろうと思います。
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一方で、弟子たちは異邦人の地にイエスさまについて行く時など、躊躇(ちゅうちょ)もあったはずです。イエスさまのファリサイ派や律法学者たちとの激しい対決にも不安を抱いたに違いありません。
ただし彼らは、イエスさまとこれからもずーっと一緒なんだから、何とかなるだろうと、薄ぼんやり考えていただろうと思うのです。弟子たち、イエスとは何者であるか、まだまだ理解していませんでした。
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今回の聖書箇所。「中風の人のいやし」「マタイを弟子にする」という「小見出し」が聖書にはあります。
でも、小見出しにとらわれていると福音の核心にたどり着きません。
イエスさまは、単なる癒し手でも、善い先生でもないのです。
「キリスト=救い主」でなければなし得ない「言葉」と「行動」を明らかにし始めます。
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病のいやしを願っていた中風の人に対して、イエスさまはキリストであるがゆえに「罪のゆるし」を宣言します。
しかし敵対する律法学者は「神に対する冒涜(ぼうとく)」と考えます。イエスさまのなさることはスキャンダルでした。
続く場面、イエスさまは徴税人マタイを弟子として召し出され、その直後、徴税人や罪人たち穢れに満ちている人々と食卓を囲まれた。律法の教師としてあってはならないことでした。
でも、イエスさまは普通のこととして実行されます。
いずれも、「キリスト」としてこの世にお出でになったお方の必然でした。end
《 み言葉 余滴 》 NO.332
2021年10月31日
『 黙して仕えるパウロ そのわけ 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録21章23節、26節
23(エルサレムの教会のヤコブや皆は言った)だから、私たちの言うとおりにしてください。私たちの中に誓願を立てた者が四人います。・・・・・・26 そこで、パウロはその四人を連れて行って、翌日一緒に清めの式を受けて神殿に入り、いつ清めの期間が終わって、それぞれのために供え物を献げることができるかを告げた。
使徒言行録。今回は久し振りに「エルサレム」が舞台です。3回目の伝道の旅を終えてエルサレムに戻って来たパウロでした。
ところが、パウロがエルサレムに身を置くことが出来たのはわずか「12日間だけ」(使徒24:11)なのです。彼は2週もしないうちに地中海沿岸の港湾都市カイサリアに身を移され、2年間の軟禁の後、ローマへと移送されます。パウロは二度とエルサレムには戻ってくることはなかったのです。
私は、その現実の中に、「福音に関わる大事なお知らせ」が含まれていることを思わずには居れません。もはや、福音発信の中心地はエルサレムではないし、そうであってはならないのです。
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キリスト教にとってエルサレムという場所はなくてはならない重要な場所であったのは事実です。イエスさまが十字架の死を遂げ、復活されたのもエルサレムでした。
さらに、復活の主イエスが約束された「聖霊」が思いがけない形で降ってきたのも、五旬祭を祝うために世界各地からユダヤ人が集まっていたエルサレムでした。
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パウロが「異邦人伝道」を生涯の使命として行ったのに対して、12弟子と呼ばれた使徒たちを中心とするエルサレムの教会の人々は、「ユダヤ人への伝道」を自分たちの使命としていきました。言葉を変えるなら、パウロは旧約聖書、特に律法を知らない人たちへの福音宣教に取り組んだのです。
それに対して、エルサレムの教会の人々の伝道は前提が全く異なりました。エルサレムの使徒たちは、「旧約聖書を土台とする人々」=「ユダヤ人」=「ユダヤ教徒」=「律法を重んじる」=「割礼は当然」とする人々への宣教が使命でした。
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ゼロからの伝道に取り組んだパウロは、アカイア州、マケドニア州、アジア州というところで奮闘しました。パウロにしか分からない苦労もあったことでしょう。
でも、ゼロから、というのは、意外に楽な面もあったのだと思います。そして、割礼・律法というユダヤ人にとって絶対のもの抜きでも福音は伸展することを知っていました。各地に教会が生まれ、手応えを感じていたのです。
だからパウロは、当時の世界の中心ローマでの伝道に希望を持ち続けたのです。
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一方、エルサレムの教会の人たちはどうか。
彼らは、外国語など出来ませんから、外国人への伝道を積極的に取り組むことなど微塵も考えられませんでした。地域密着型の伝道をするしかありません。まだまだ、ユダヤ教の中の一派に過ぎない立ち位置の中を生きています。「異端」と見られていた可能性も大きいのです。
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もしも私たちが、パウロの立場ではない、エルサレムの教会の一員であるとしたら、悩み行き詰まりを抱えることになっていたことでしょう。
ユダヤの社会独特の風土・慣習・歴史の中に生まれたエルサレムの教会です。しがらみもあるのです。実に、福音伝道の在り方は、その時、その場所や地域、構成員によって多様です。
パウロは「いつまでもそんな古いことでは・・・」とは言いませんでした。分からず屋にはならず、黙って、ユダヤ人として振る舞ったのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.331
2021年10月24日
『 レフィディムの〈杖〉』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 17章10~12節
10 ヨシュアは、モーセの命じたとおりに実行しアマレクと戦った。モーセとアロンそしてフルは丘の頂に登った。11 モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になった。12 モーセの手が重くなったので、アロンとフルは石を持って来てモーセの下に置いた。モーセはその上に座り、アロンとフルはモーセの両側に立って、彼の手を支えた。その手は、日の沈むまで、しっかりと上げられていた。
出エジプト記17章の舞台は「レフィディム」に移ります。
しかし、「レフィディム」を聖書地図で探そうとしても、「ここですね」と場所の確定は出来ません。
でも、既にその事実に重要なメッセージが含まれます。端的に申し上げるならば、レフィディムでの出来事は、今を生きる私たちの暮らしの危機にそのまま当てはまると考えればよいのです。神の民イスラエルの危機は私たちの危機です。
レフィディムで起こったのは、またしても「水」に関わる問題でした。旅を続けるイスラエルの民にとっても水の欠乏は生き死にに関わることでした。財産である家畜も伴っていることも深く関係していました。
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不平不満を口にし押し迫ってくるイスラエルの民にモーセは苦しみ続けます。40年間、似たようなことでモーセは苦労することになります。
モーセとて人間に過ぎません。無力なのです。彼自身に力があるわけではない。足りないこともある生身の人間です。けれども、いいえ、だからこそ彼が一貫して取り続けたことがあります。
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それは、神さまの臨在を示し続ける象徴と考えられる「杖」を手にし続けることでした。神の言葉に対するモーセの一貫する信頼の姿と言い換えることが出来ます。
しかも、「モーセは、イスラエルの長老たちの前でそのとおりにした」とあります。「そのとおりにした」というところが肝心です。神さまは、このようなモーセの姿勢に応えて下さいます。決して見捨てたりはなさいません。
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困った時にさらに困ったことが起こることが人生です。水の確保の問題で民の間に混乱が起こっていた時に、足もとを見透かすようにして襲いかかってきたのが「アマレク」という遊牧民でした。
しかし「アマレク」に対しても、モーセは「杖」を手にして臨むのです。
モーセは、40年後に後継者としてイスラエルの民を委ねることになる若きヨシュアに対して、「明日、私は神の杖を手に持って、丘の頂きに立つ」と伝えました。モーセは、「丘の上から戦況を見守って必要に応じて指示を出す」と声掛けしたわけではありません。
モーセが頼りにし続けたのは「神の杖」に象徴される神の臨在でした。
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杖を手にするモーセは独りではありません。
兄の「アロン」、そして、ほとんどその存在が世に知られない「フル」という人が、モーセの両脇に立って、弱りそうになった「モーセの手を支え」続けたのです。
ここにあるのは人として出来る、その時の最善でした。私たちが人生の旅路をいかに生きるか。深く教えられる場面です。
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同時に、そんな彼ら三人を包み込むようにして支える力が働いていたことに我々は心を向けたいのです。
彼ら三人だって、手を降ろして休む必要がありました。約束に対して信頼をもって生きる、一所懸命な人間をいつも顧みてくださるのが私たちの神さまなのです。
目に見えるものはいつも一時的です。人に出来ることには限りがあります。end
《 み言葉 余滴 》 NO.330
2021年10月17日
『 扉の向こうの〈 婚宴 〉へ』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マタイによる福音書 25章1節~4節 1 「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人の乙女がそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。2 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。3 愚かな乙女たちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。4 賢い乙女たちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
私が子どもの頃、ご主人の帰りを夜遅くまで待っていた奥さんが、思いがけない客人を夫が連れて帰って来て、大慌てした、という実話を聞いたことがあります。
母の姉で、私の命の恩人とも言えるような伯母(おば)のぼやき話です。
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イエスさまが婚宴の花婿に譬えられる「十人の乙女(おとめ)のたとえ」。
もしかすると、花婿は婚宴の席に思いがけない人たちを連れて来たのではないか。そんな突拍子もないことを私は想像します。聖書にはそんな言葉はひと言もありませんが。
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先ず、思い出したいことがあります。イエスさまのたとえ話は、そもそも何を指し示すためのものなのか、という点です。
たとえ話の冒頭に「天の国は次のようにたとえられる」とあります。これは見逃せないことです。そもそも、イエスさまの公生涯の第一声も「悔い改めよ。天の国は近づいた」というお言葉でした。
主イエスがこの世にお出でになった、最重要テーマは、ずばり「天の国」の到来の告知なのです。
「天の国」は、決して、いつか私たちが迎えるであろう死んでから行く「天国」のことなどではありません。
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イエスさまは、ご自身のことを「花婿」に譬えられました。そうなると、私たちはつい単純に「花嫁」のことを考えがちですが、ここでは聴き手に対して、「よき花嫁になりなさい」等とは言われていません。
このたとえ話において、「花嫁」の存在には関心がないのです。妙なことですが事実です。
ここで大切なのは、婚宴の席に、「花婿と一緒に向かい、婚宴の席に着くことになる乙女たち」の生き方であり、心構え、そして備えです。
片や婚宴の席に入る「思慮深く賢い乙女5人」。
もう一方は、油の準備を忘れ、せっかくの時をのがし、婚宴の席を取り仕切る「主人」から、婚宴の席への参加が認められない「愚かな5人」です。
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双方とも、「花婿の到着時には眠り込んでいた」のです。ということは、このたとえ話の最後の「目を覚ましていなさい」という言葉は、睡眠という意味での「眠り」ではないことは明らかです。
それでは、何に対して目を覚ましておくことが求められているのでしょう。
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私はこの譬えを次のように読みました。
壺に油を入れて待つという行為も、実は、象徴的な教え・比喩的な言葉なのです。
私たちが究極的に大切にすべきは、「花婿であるイエスが中心にいる婚宴の席」で「皆と共に生きる者となるための善き備え」ではないだろうか、と。
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花婿イエスは、いつも遅れるお方だと思うのです。
なぜなら、あっちに行きこっちに出掛け、傷ついた人と出会い、打ちひしがれている人や病人も、「婚宴の席という名の神の国」に連れて来たいお方だからです。
「花婿の到着だ」という声が闇夜に響き渡り、乙女たちは大慌てで目を覚まします。
もうその時、主イエス・キリストは、思いも寄らない人々を婚宴の席に一緒に連れて、そこに来られていた。
我々もその婚宴の席から共に生きるために、日々励みたい。end
《 み言葉 余滴 》 NO.329
2021年10月10日
『パウロ エルサレムを前にして』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 21章13節 13 その時、パウロは答えた。「泣いたり、私の心を挫いたり、一体これはどういうことですか。私は、主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも覚悟しているのです。
*聖書協会 共同訳
パウロが生まれたのは「タルソス」という小アジアの町でした。現在のトルコ共和国の東南にあります。
当時、世界の各地には、既に、エルサレムから離散して行ったかなりの数のユダヤ人が存在していました。タルソスもそういう人々が暮らしていた地の一つです。
タルソスで生まれ育ったパウロは、さしたる努力も必要とせずに、当時の国際語であったギリシア語を話す人になりました。だからこそパウロは、少しも臆することなく、ローマ帝国内の支配下にある地方を訪れ、自信をもって伝道することが出来たのです。
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一方、パウロがユダヤ人であったということは、私たちが「旧約聖書」と呼ぶユダヤ教徒の聖典である律法や預言書も普通に読めたということを示すものです。
少し面倒なことを申しますと、旧約聖書は一部を除いて「ヘブル語」で記されていますが、イエスさまも12弟子も日常会話は「アラム語」を使っていました。
日常語の「アラム語」は、旧約聖書に使われている読み物としての「ヘブル語」と大変よく似ていますので、私たちにはその違いがわかりにくいのです。
「アラム語とヘブル語」は混同されてもおかしくないものでした。パウロはファリサイ派のユダヤ人でしたから、ヘブル語の読み書きが出来ました。そして、アラム語の会話も理解できたのです。パウロの抜きんでた語学力は、間違いなく神さまからの賜物でした。
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本日の聖書には、パウロが第3回目の大伝道旅行の終わりにあたり、12使徒たちを中心とするエルサレムの教会に献金を携えて戻って行こうとする頃の様子が書かれています。
一行は、エルサレムに入って行く直前に地中海沿岸の町カイサリアに立ち寄ります。そこでパウロは、キリスト教の迫害者であった、昔の恥ずかしい自分を知っているのに、受け入れてくれた人たちとの時間を過ごすのです。
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パウロと一行は、「エルサレムに行くのはよしなさい、大変なことになる」という預言も聞きます。
何しろ、エルサレムでのクリスチャンは、「この道に従う者」と呼ばれる異端であり少数派でした。ですから、パウロに同行していた弟子たちの不安も大きくなったのです。
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しかし、パウロはひるみません。
エルサレムに待ち構えているのは縄であり鎖であることも霊による知らせで承知していました。命も惜しくないと覚悟していた。それはぜなのかを考えてみました。
何よりパウロは、異邦人伝道はキリスト教の福音の根幹にかかわることだ、という確信を深めていたからだろうと私は思います。言葉を変えるならば、律法への忠実では救われない。信じる者に与えられる救いを、パウロは何としても伝えたかったのだと思うのです。同時に、福音を宣べ伝えるのは「罪人の頭」である自分のような者であることを明らかにしたかった。
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何よりパウロは、異邦人伝道はキリスト教の福音の根幹にかかわることだ、という確信を深めていたからだろうと私は思います。
言葉を変えるならば、律法への忠実では救われない。信じる者に与えられる救いを、パウロは何としても伝えたかったのだと思うのです。
同時に、福音を宣べ伝えるのは「罪人の頭」である自分のような者であることを明らかにしたかったのです。
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人生いかにいくべきか。
それは誰もがどこかで直面する問いです。
パウロはその答えを三度の伝道旅行の中で悟りました。
崩れ落ちそうになっても簡単には崩れない生き方が、私たちにも示されています。end
《 み言葉 余滴 》 NO.328
2021年10月3日
『 カナンの女の物語 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マタイによる福音書 15章26節~27節 26 イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、27 女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」
ここには、イエスさまから最後に「あなたの信仰は大きい」と言われる「カナンの女」が登場します。
当時「カナン」とは「異邦人」のことを意味しました。では、私たちが分かっているようでなかなか説明できない「異邦人」とはどのような存在なのでしょう。
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聖書巻末の「用語解説」を開き「異邦人」を見ました。
「ユダヤ人以外の人。・・・新約時代のユダヤ人は、神の約束によって選ばれ、そのしるしとして律法を与えられた神の民・イスラエルの子孫であることを誇り、他の民族を異邦人と呼んだ。」とあります。
続いて、『新約聖書小辞典』(山谷省吾著・新教出版社)でも「異邦人」を確認しました。
冒頭の二行に「非イスラエル人のこと。イスラエルは神に選ばれた民として自分を異邦人から区別した。」とあります。
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2つの「異邦人」についての解説を読んでみて分かるのは、「異邦人とは、神の選びから外れている存在」だ、と考えられていたことです。
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苦しんでいる娘の病気の事で悩み続けて来た「カナンの女」は、八方手を尽くしたのです。自分自身も苦しかった。けれども、どうにもならない。
そして、風の噂に聞いていたイエスさまが自分たちが暮らす地方にお出でになったことを知り、一歩踏みだします。この機を逃せないと、必死になって叫び、女はひれ伏しました。
優しさに満ちた言葉を、イエスさまは直ぐに語られたわけではありません。むしろ「異邦人の女であるあなたを優先してパンを与えることは、ユダヤ人である私には出来ない」と、少し突き放すような言い方をなさった。
当時の社会の常識と想われる言葉を投げかけたのです。
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女は言いました。
「主よ、あなたが仰ることはごもっともです。子犬に過ぎない私のような者は、パンを受けるに値しないことは重々承知しております。ですから、私はパン屑で結構です。」と。
彼女は、自分が主のみ前に進み出て、助けを求めることなど、本当は出来ない人間だと思っていました。
「私には、神さまの選びもございません」「立派な律法の先生がたのような信仰もありません」という心があったのです。
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けれども、主イエスは「カナンの女」の心のうちに、からし種一粒の信仰を見いだされました。「あなたは大きい」と受け止められたみ心を明らかにされたのです。
ここにあるのは、主イエス・キリスト通じての意外な知らせです。
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私たちの主は「パン屑」を大切にする生き方を喜んで下さるお方です。
ここには私たちにも開かれている可能性があります。
なぜなら、小さなものが大切にされる神の国があるからです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.327
2021年9月26日
『〈信仰〉による旅を続けよう』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 16章28節~30節 28 主はモーセに言われた。「あなたたちは、いつまでわたしの戒めと教えを拒み続けて、守らないのか。29 よくわきまえなさい、主があなたたちに安息日を与えたことを。そのために、六日目には、主はあなたたちに二日分のパンを与えている。七日目にはそれぞれ自分の所にとどまり、その場所から出てはならない。」30 民はこうして、七日目に休んだ。
エジプト王ファラオの元から脱出したイスラエルの民。大急ぎで出発した彼らが、背負っていた食べ物は初めから限られたものでした。
あっという間に食糧は底を突きます。今を生きる私たちは、聖書を読むことで、この先40年の荒れ野の旅路が続くことを知っています。でも彼らは、そのような見通しを持っていませんでした。
一体この先の旅路はどうなるのだろうか。不安の中を歩き続けていくのです。不平を口にする彼らのことは他人事(ひとごと)とは思えません。
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神の民イスラエルの源流にさかのぼって想い巡らすと、実は、神さまが告げて下さった「約束」に信頼して生きて行く事ができるかどうか。そのことが様々に形を変えながら、いつも問われていることに気付きます。
私が思い浮かべたのは「アブラハム」です。
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マタイによる福音書の第一行目にその名が出てくるのが「アブラハム」です。それは、イエスさまが生き抜かれた時代に、アブラハムを知らない人は居なかったということです。
アブラハムが75歳の時、彼はハランという地に暮らしていました。アブラハムには既に財産として受け継ぐ土地もあったのです。
けれども、創世記12章によれば、「あなたの生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい」と命じられ、「主の言葉に従って旅立った」のです。神の言葉に人生を委ねる生き方を選んだ。どこに行くのかについてもわからなかったにも関わらず、アブラハムは一歩を踏みだしました。
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アブラハムのことだけが記されているわけではありませんが、旧約聖書に登場する様々な人々を、新約聖書の中で「信仰によって」という言葉で紹介するのが、ヘブライ人への手紙の11章です。モーセのことも「信仰によって」生きた人として描かれます。
私たちがクリスチャンとして出エジプト記を読むときに大切にしたいのは、ヘブル書が語る「信仰によって生きる」ということなのです。
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出エジプト記16章には、荒れ野に放り出されている神の民が「明日のパン」について心配する姿が描かれます。これはある意味当然のことです。
しかし神さまは、先行き不透明なその時に「安息日」を通じて「信仰」を問われます。「天からのパンを降らせる。しかも、二日分のパンを」と。日常を中断して「安息日」を重んじ、「信じて待ちなさい」と言われる。
「安息日」は〈天地創造の神〉〈救いの神〉を想起する日です。そして、イスラエルの民を400年にわたる奴隷の身分から解き放ち、救い出された神さまを讃(たた)える日となったのです。
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讃美歌21-463に「我が行く道 いついかに なるべきかは つゆ知らねど 主はみ心 なしたまわん。備えたもう 主の道を 踏みて行かん ひと筋に」とあります。
賛美しながら、祈り、歩んで参りましょう。end
《 み言葉 余滴 》 NO.326
2021年9月19日
『 昔のことは問われない 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ヨハネによる福音書 4章9節 9 すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。
イエスさまは「ユダヤ人」としてお生まれになりました。ところが「お前はサマリア人だ」と敵対するユダヤ人から言われる場面があります。ヨハネによる福音書8章48節に「あなたはサマリア人で悪霊に取りつかれていると、我々が言うのも当然ではないか」とあるのです。妙な話です。
一体、どういうことなのでしょう。
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ヨハネによる福音書の4章によれば、イエスさまはわざわざ、サマリア地方を選び取る形で足を踏み入れられます。「サマリアを通らねばならなかった」と記録されているのです。
そこで出会った一人の女性のことを福音書記者ヨハネは「サマリアの女」と紹介します。この女の人にも、もちろん、名前があったに違いないのです。
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しかし福音書記者ヨハネは、この女性のことを「サマリアの女」として記すことが最も大事なことだ、と考えました。
「名前」よりも「サマリア」という言葉を優先させることに意味があると考えたのです。
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サマリアは、パレスチナ中央部の丘陵地帯にあった古代北イスラエル王国の首都です。大昔からの地名ではなく、紀元前887年頃、イスラエル王のオムリが建設した都をサマリアと名付けます。
一世紀以上が経過した紀元前722年、当時の大国アッシリア占領。異民族が移住して来て混血と宗教混合が起こります。その頃から、サマリアの孤立が始まったのです。いつしか、正統派のユダヤ人からするとサマリアは避けて通りたい地域となり、サマリア人を拒否することになります。サマリア人の方もユダヤ人を拒絶するようなったのです。
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主イエスの時代、さらに別の理由が加わってサマリアは拒否される地域となっていました。
ローマ皇帝の権力のもと、ユダヤの社会をおさめていたのがヘロデ大王ですが、ヘロデは当時すたれていた「サマリア」を「セバステ」という名で再興します。ヘロデの息が掛かったサマリアは、今も昔も、ろくなことの起こらない所となっていました。しかしそのサマリアに、イエスは進み行かれたのです。
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井戸端での会話を切っ掛けに始まった「サマリアの女の物語」は、この女性に五人の夫が居たこと、更に、現在一緒に暮らしている人も夫ではないことまでも言い当てられるイエスさまのお姿が描かれます。
これはとても意味深(しん)です。
イエスさまが、「五人の夫」に触れられたのは、単にこの一人の女性の過去を露わにすることが最終的な目的ではないはずです。私には、サマリア人が拝んできた神々、そしてその複雑な歴史が、暗に語られているように感じられるのです。
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こうして考えて見ると「サマリアの女の物語」は、もはや、一人の過去のある女性の物語などではありません。
イエスさまが、敢えて踏み込んで行かれたサマリアを通じて切り拓こうとされた一本の道が見えます。
私たちもその道を、既に歩いているのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.325
2021年9月12日
『パウロからの〈たすき〉』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 20章31節~32節 31 だから、私が三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。32 そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたを委ねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされた全ての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。
パウロの伝道旅行は3回行われましたが、その3回目の旅の最終幕に差しかかっているのが今日のみ言葉です。年代的には西暦56年頃のことだろうと言われます。パウロが3年間にわたって心血を注いで宣教したエフェソの長老・監督たちを50㌔は東に離れた「ミレトス」に呼んで、告別の説教をしている場面です。
パウロは直前まで、現在のヨーロッパに当たる、マケドニア州やアカイア州でのなすべきことを終えて、一定程度の達成感を感じていたのではないかと思います。
エルサレムの12使徒を中心とする教会に戻る前に、どうしても、伝えておかなければならないことを、彼はここで語り始めるのです。しかしこの説教は、エフェソの長老たちだけに語った内容かと言えば、そうではないでしょう。
**************
おそらく、マケドニア州のフィリピやテサロニケの教会。そして、アカイア州のコリントの教会などでも、同じ内容の遺言的な説教をしたと考える方がよいと思うのです。
そして、ここでのパウロのメッセージは、その時代の教会だけで語り継がれただけでなく、信仰の駅伝のひと幕と考えれば、2000年の時を経て、今を生きる私たちにも語られ、託されているものであると考える必要があります。
もう少し言葉を添えるならば、「信仰の駅伝のたすき」を受ける私たちはまた、その「たすき」を誰かに託していく使命を与えられている、ということが、この場面を読む上での大事な前提ではないでしょうか。
それが私たちの今の教会生活において、少しずつでも実践されていくこと、この時代に見合った形で整えていくことが期待されるのです。
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エルサレムでパウロに待ち受けているのは、縄目、そして裁判です。彼を理解しない人たちが手ぐすね引いて待っています。
聖霊がパウロにそのことを既に知らせていますから、死と直面する事態が起こることを自覚していました。だから、これは遺言なのです。
その中心メッセージは何であるのか。何が最重要なことだったのか。私はこう感じます。パウロは「み言葉」に全き信頼を寄せている。それも全幅の信頼です。ゆとりのような空気すら感じるのです。
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「今、神とその恵みの言葉とにあなたがたを委ねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされた全ての人々と共に恵みを受け継がせることが出来る」とありますが、「この言葉」の聖書の原文ギリシア語は単数形なのです。
あれやこれやの話でも言葉でもない。
突きつめて言うならば、ただひとつの「ことば」しかないとパウロは気付いていた。
そうです、「言(ことば)」としてこの世にお出で下さった、「主イエス・キリストに委ねること」が言われているのです。
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み言葉のたすきを繋(つな)いでいく人生は幸いです。ご一緒にその働きを喜び、生きて行きましょう。それが私たちの駅伝です。end
《 み言葉 余滴 》 NO.324
2021年9月5日
『 賛美して感謝する生き方を 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 17章15節~19節 15 その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。16 そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。・・・・・・ 19 それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」
賛美し、感謝する人が今日の聖書にはいます。息を弾ませながらでも歌いたいのです。スキップしていたかも知れない。賛美の声は大きく響き渡ります。町中に、そして、天にまで届くかのような賛美です。
「大声で神を賛美しながら」の「大声」という言葉は「メガホン」と親戚関係にある言葉です。「これ以上ないほどに大きな賛美」がここにあります。一体、何が起こっているのでしょう。
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この人は「サマリア人」でした。イスラエルの社会に於いて、サマリア人とユダヤ人の関係は、ある時期から、非常にぎくしゃくしていました。険悪だったと申し上げた方がよいでしょう。サマリア人は外国からの侵略の影響を受け、混血が進み、独自の神殿を建てて礼拝をするようになっていました。ユダヤ人からすると、さげすみの対象の代表とも言えるのが「サマリア人」だったのです。
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実は、イエスさまの時代の「サマリア」は「セバステ」という別名で呼ばれ始めます。「セバステ」の意味はローマ皇帝の称号「アウグストゥス」です。
時の権力者・ヘロデ大王が、ローマとの関係を自分に都合のよい形で守り続けるために、「セバステ」=「ローマ皇帝」と名付け、ローマのご機嫌を伺ったのです。
一時は、外国からの侵略で衰退していたサマリアでしたが、ヘロデによって再建されます。ヘロデのことを快く思わなかったユダヤの人々は、歴史的な背景もあいまって、「サマリア人」も「サマリア」も毛嫌いしました。
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もう一つ、この箇所を読む上で知っておきたいのは「重い皮膚病の人たち」の扱いです。当時の律法は、彼らを共同体から排除していました。
ここでは10人の人たちが、どこか特定の地域を想像させる所で救いを求めています。「私たちを憐れんで下さい」と叫んでいたのです。そんな彼らに対してイエスさまは、「祭司の所に行って、体を見せなさい」と言われました。これは不思議なお言葉です。
なぜなら、まだ、何も起こっていないのに、イエスさまは「祭司に見せに行きなさい」と言われたからです。10人は一斉に走りだします。そして、気がついた時には、もう、皆が清くされていたのです。
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しかし、その先に大きな違いが生じます。一人の「サマリア人」だけが、イエスさまの元に帰って来てひれ伏し感謝を捧げたのです。ここには奥深い意味が秘められています。
すなわち、遠くない将来、異邦人を含めたすべての人が神を賛美する場所が、エルサレム神殿ではなく、主イエスの元へと変えられていくことが暗示されているからです。
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ここには私たちの「礼拝の原型」があります。この「サマリア人」は、この世の人々との関係を取り戻す前に、イエスさまとの関係を選び取ったのです。
「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」というお言葉を胸に、これまでとは違う自分を確立していく確かな土台を得たのです。
主イエス・キリストを礼拝する喜び、私たちの新しい出発の場所がここにはあります。end
《 み言葉 余滴 》 NO.323
2021年8月29日
『 どんな食べ方 していますか?』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 15章24~26節 24 民はモーセに向かって、「何を飲んだらよいのか」と不平を言った。25・・・・・・その所で主は彼に掟と法とを与えられ、またその所で彼を試みて、26 言われた。「もしあなたが、あなたの神、主の声に必ず聞き従い、彼の目にかなう正しいことを行い、彼の命令に耳を傾け、すべての掟を守るならば、私がエジプト人に下した病をあなたには下さない。私はあなたをいやす主である。」
私たち、「あなたは、きょうから、自由にしていいのよ」と言われてしまうと意外に困ることが多いものです。「自由」になれば、好きなことを、好きな時に、自分の思い通りに出来るにもかかわらずです。「礼拝」だって、あなたがたの自由にしてご覧なさい、等と言われますと、戸惑ってしまうはずです。
何が必要で、何が要らないのか。自分の頭で考え、選び取らなければならないからです。念のため、「自由」という言葉について『新明解国語辞典』の最新版で引いてみました。そこには、「他から制限や束縛を受けず、自分の意志・感情に従って行動すること。」とあります。
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エジプト王・ファラオの元での奴隷状態からの解放を願ったイスラエルの民の苦しみと叫びは天に届きました。
神さまは、愛する者を見過ごしにはなさいません。実に不思議な形で、言い換えるならば、人の思いを越えた形で、神さまはイスラエルの民に自由を与えられたのです。「雲の柱 火の柱」という形で現れる神さまに導かれて進む彼らを追いかけて来て、追い詰めたかに見えたエジプトの軍勢は、海のもくずとなって消えて行きました。
万事休す、これで全てが終わった、と思った所に、進み行く道が備えられていたのです。
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ところがです。
自由を与えられたはずのイスラエルの民は、ほどなく水や食べ物に困り始め、一斉に不平を口にするのです。
と、その時、神さまが与えられたものがあった、と聖書には書かれています。あまり目立ちませんが私は大事だと思います。それが「掟と法」でした。
「掟と法」は「自由や解放」とは正反対のもののように見えます。いったい、神さまの真意はどこにあるのでしょう。
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聖書の中で「律法」という言葉が最初に出てくるのはどこかと言いますと、出エジプト記に続くレビ記26章46節です。
たいへん興味深いことですが、そこでは「掟と法と律法」がまとめて、並べられて記されています。
つまり、この3つは、同じように大事なものだ、ということです。私たち、「律法・掟・法を守りなさい」等と命じられますと不自由を感じますが、神さまの目から見ると、荒れ野の旅路に必要不可欠なものが、「律法・掟・法」だったのです。
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神さまは私たちに、ご自分の発せられた言葉に対する「全幅の信頼」を求めておられます。
この先に続く「荒れ野の40年」の旅路を歩き通すために、「私の言葉を、少し参考にしなさい」とはおっしゃいません。「聴きたい言葉だけ、かい摘(つ)まむこと」も喜ばれません。
これは食べても大丈夫かな?どんな味なのだろう等と、ビクビクしながら口にしても、何の力も得られませんし、おいしくない。
食べ物も飲み物も、信じて口にするときに、栄養も力を得られるものであるはずです。み言葉=神さまのお言葉もそれと同じなのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.322
2021年8月22日
『 聞こえる人 見える人への〈招き〉』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マルコによる福音書 7章32~34節 32 人々は耳が聞こえず口の利けない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。33 そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾を付けてその舌に触れられた。34 そして、天を仰いで呻き、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。 *『聖書協会共同訳 2018年』より
旧約聖書の中で最も大きな預言書・イザヤ書は、多くの御(み)言葉が福音書に引用される書です。それ程大事な書だということです。
イエスさまもルカによる福音書4章16節を見ますと、イザヤ書をお開きになって故郷ナザレの会堂で語り始めます。「預言者イザヤの巻物が手渡されたので、それを開いて、こう書いてある箇所を見つけられた。」とある通りです。
そして、イエスさまはその直後に、
「(今)あなた達が聞いたこの聖書の言葉は、今日(ここで)成就した」(塚本虎二訳)と宣言されるのです。
「聞いた」とあることに注目しましょう。
**************
イザヤ書を丁寧に読むと、「ろうあの人の癒し」「盲人の癒し」は幾度も取り上げられている出来事であることに気付きます。
人間の本質は、いつの時代もさして変わらないもの。
イザヤは、聞こえていない人が聞こえるようになる日、見えていない人が見えるようになる日が来ることを、神さまから託されて語り続けました。
**************
【イザヤ書 29章18節】
その日には耳の聞こえない者が巻物の言葉を聞き、目の見えない者の目が、暗黒の闇を解かれて見るようになる。
【イザヤ書 35章5節~6節】
その時、見えない人の目は開かれ、聞こえない人の耳は開けられる。その時、足の不自由な人が鹿のように跳ね、口のきけない人の舌が喜ぶ。
【イザヤ書 42章18節~20節】
耳の聞こえない者たちよ、聞け、盲目の者たちよ、顔を上げて見よ。私の僕ほど盲目の者がほかにあろうか、・・・・・・・・おまえは多くのことを見ているが、注意せず、耳を開いているが、聞きはしない。
【イザヤ書 43章8節】
目があっても見えず、耳があっても聞こえない民を連れ出せ。
**************
聞いているようで、聞いていない人。見えているようで、見ていない人たちは、イエスさまに敵対する「ファリサイ派や律法学者たち」がその筆頭です。彼らはいつも自信満々で、「我々はわかっている。聖書は暗記するほどに読み、聞いている」と思っていました。
実はイエスさまの側にいた「12人の弟子たち」も、自分たちは、見ている、聞いている、と思い込んでいる人たちでした。
**************
マルコは7章で「ろうあの人の癒し」、続く8章で「盲人の癒し」を描きました。
どちらもマルコ独自の記事です。
直後に主イエスの「十字架の死と復活」を予告する場面があるのです。福音書はイエスが奇跡をなさる驚くべき力をお持ちの方なのだ、ということを伝える書ではありません。
その先にある、大切なことを聞く人、見る人になるように、と導く書なのです。
イエスさまが深い息をつき、呻(うめ)きと共に発せられた「エッファタ」・「開き 解けよ」のお言葉は、時代を貫いて、主にお従いしようとする者のためにあるのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.321
2021年8月15日
『 本当に言えますか〈罪人〉の私と 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎ルカによる福音書 18章10節以下 10 「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。11 ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、私は・・・・・・・・・この徴税人のような者でもないことを感謝します。・・・・・・・・・14 言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。」
聖書の中の、とりわけ、ルカによる福音書の中に登場する「徴税人」でよく知られているのは19章の冒頭に登場するエリコというエルサレムに近い町に暮らす「ザアカイ」です。
彼は徴税人たちの中でも、とりわけよく知られている存在でした。「徴税人の頭で、金持ちであった」と紹介されています。徴税人組合のようなものの、顔役だったのかも知れません。
ザアカイの紹介の中で非常に興味深いのは、イエスさまがエリコに弟子たちと共にお出でになったときに、「背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった」とあることです。彼は、ただ小柄な、「小さい人」だったのでしょうか。それだけで、イエスさまとの出会うことが出来なかったのでしょうか。何か違う情報が秘められているのではないか、と思えてなりません。
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むしろ、お金持ちであるが故に、なにがしらの力をもっていたにもかかわらず、その力ではどうにもならないものがあることをザアカイは身に染みて知っていたのです。
それは、世にあって「存在の小ささ・軽さを象徴しているのではないか」と思います。ザアカイは、「どんなに善人になろうと努力しても、無理だ」と思っていました。
ところがイエスさまは、エリコにお入りになって、他にも知り合いが居たのかも知れないのに、木に登ってイエスさまを眺めようとしていたザアカイのところへまっしぐらに進まれます。他の人々を差し置いて、罪人のザアカイの家に泊まらなければならないと言われる。そしてついには、「今日、救いがこの家を訪れた」と宣言されたのです。
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他にも、ルカによる福音書をさかのぼると5章27節では、「レビという徴税人が収税所に座っているのを見て、「私に従いなさい」と言われた」とあります。
レビはイエスさまを自分の家に招き、宴席を設けるのです。罪人たちと共に飲んだり食べたりするイエスの姿は、ファリサイ派やファリサイ派の中の律法学者たちにとって、本当に面白くなく、断罪に値する姿にしか見えませんでした。
**************
こうした場面をつむぎ合わせて考える時に、イエスさまが、ご自身がたとえどんな目に遭おうとも、貫き通そうとされていたことがあることに気付きます。
イエスさまは、自分の正しさを誇ったり言い張る人ではなく、むしろ、罪人の自覚を持つ者を探しておられます。愛されるのです。罪から自力では脱し得ない者に対して救いを示される。
**************
神の国とはどのような所であるのか。
そのことを明らかにされるために、イエスさまは譬えを用いられました。
「神様、罪人の私を憐れんでください」とハッキリと言えることは重要です。その告白や自覚抜きには、主イエスの救いの出来事は起こりません。end
《 み言葉 余滴 》 NO.320
2021年8月8日
『〈つらなり〉という贈り物』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 20章1~3節 1 この騒動が収まった後、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げてからマケドニア州へと出発した。2 そして、この地方を巡り歩き、言葉を尽くして人々を励ましながら、ギリシアに来て、3 そこで三か月を過ごした。パウロは、シリア州に向かって船出しようとしていたとき、彼に対するユダヤ人の陰謀があったので、マケドニア州を通って帰ることにした。
パウロの第3回伝道旅行は西暦53年~58年までの約5年間だったと言われます。特に第3回伝道旅行で腰を据えて力を尽くしたのは、アジア州を代表する地中海に面する大都市エフェソでした。
エフェソでの奮闘の日々は、使徒言行録19章にくわしく描かれていました。そこで読んだのが「アルテミスの女神・神殿」をめぐる騒動でした。
エフェソでのパウロの伝道は使徒言行録20章31節によれば「三年間」です。その間にヨハネの黙示録2章以下にあるアジア州の「スミルナ」「ペルガモン」「ティアティラ」「サルディス」「フィラデルフィア」「ラオディキア」という教会も生み出して来たのです。
**************
けれどもパウロは、エフェソにずっと身を置き続けるわけにはいかない事情を抱えていました。
上に引用したみ言葉、使徒言行録20章3節に「シリア州に向かって船出しようとしていたとき」と書かれています。
実は「シリア州」が当面のパウロが向かわなければならない地なのです。ここでの「シリア州」とはエルサレムがある州のことです。
『聖書 新共同訳』の聖書地図『№9 パウロのローマへの旅』の地図が非常に見やすいので、ぜひ、この機会にご覧下さい。
パウロはそこに戻る必要がありました。ペトロら12弟子が生み出したエルサレムの教会を支えるために、援助金を携えて行く行く必要があったのです。
ただし、パウロにとっての最終的な目標地点はエルサレムではありません。ローマ書12章24節によれば、ローマの先にある、当時の「地の果て」である「イスパニア」でした。現在のスペインやポルトガル地方のことです。
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ところがパウロをめぐる事情は複雑でした。
第2回伝道旅行で教会を生み出した地域の中で、特にコリントの教会は心配の種でした。エフェソでの5年の間に、コリント教会に向けてパウロは幾度も手紙を送ったのです。
それを裏付けるように第2コリント書2章4節に「私は悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を記した」とあります。
パウロには、コリントの教会に対する牧会的な課題の取り組みと同時に、もう一つ、ローマ書15章26節にあるように「マケドニア州とアカイア州の人々が、エルサレムの聖なる者たちの中の貧しい人々を援助する」ための「献金集め」も必要でした。
その働きを支えたのが、コリントの教会のために走りまわったパウロ特愛の「テトス」という弟子でしたが、ここではご紹介する暇(いとま)がありません。
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使徒言行録20章4節以下には、パウロの頼もしい7人の弟子たちが紹介されます。彼らの出身地を見るだけでも「ベレア」「テサロニケ」「デルベ」「アジア州」と多様です。
パウロは彼らと共に献金を携え、襲いかかる苦難が待ち構えるエルサレムの教会に向かうのです。
しかし、実はここでお金以上に大切なのは、パウロが3回の伝道旅行で生み出してきた、各地の教会との「つらなり」でした。
その「つらなり」とは、単にエルサレムの教会の目前の経済的窮地を支援することを超え、既にもう、その後のキリスト教会の礎(いしずえ)となっていたのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.319
2021年8月1日
『賛美する姉弟(きょうだい)
モーセとミリアム』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記15章20~21節 20 そのとき、アロンの姉、女預言者ミリアムがタンバリンを手に取ると、女たちもみなタンバリンを持ち、踊りながら彼女について出て来た。21 ミリアムは人々に応えて歌った。「主に向かって歌え。主はご威光を極みまで現され、馬と乗り手を海の中に投げ込まれた。」*新改訳2017より
坂本九さんが歌い、昭和39年に大ヒットした曲に「幸せなら手をたたこう」があります。私もいつの間にか覚えました。
作詞された木村利人(りひと)さんは昭和9年生まれのクリスチャン。木村さん、学生時代にフィリピンでボランティア活動をしていた際に、戦時下に日本がフィリピンで侵したことの罪深さ、申し訳なさに打ちひしがれる経験をされました。
ボランティア活動終盤のある夜、フィリピン人のボランティア仲間の一人がこう語ったそうです。木村さんの人生を変えるひと言でした。
「日本人を殺してやろうと思っていたが間違っていた。過去をゆるし、共に戦争をしない世界をつくろう」と。
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一同、手を取り合って涙します。その夜、ボランティアの仲間たちと読んだのが詩編47篇でした。冒頭に「全ての民よ、手を打ち鳴らせ。喜びの歌声で、神に歓呼の叫びを上げよ。」とあります。帰国後の木村さん。このみ言葉を元に「幸せなら手をたたこう」を作詩されたのです。
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なぜ私は、このようなことを記したのでしょう。
実に〈聖書の民〉とは、感謝の時に、賛美歌を歌うことを大事にしてきたからです。きょうの出エジプト記15章には、そのことが記されています。出エジプトの旅路は始まったばかりです。これから40年続くのですが、大国エジプトの王ファラオとその軍勢が、馬車と共に海のもくずと消えていった直後、賛美の輪が広がります。
神さまのくすしきみ業を、我らは歌わずにはおられない。忘れてはならない。だから歌にして、踊り、記憶し続けようというわけです。私たちが聖餐式を大切に守り、記念し続けることと、根底において通じています。
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少し丁寧(ていねい)に申し上げるならば、ファラオに象徴される力と権力に対する勝利がここにあります。主の憐れみを土台に、み腕によって奴隷状態から導き出され、贖われ、主に伴われて解放されたことは、聖書の民にとって歌い続けるべき、絶対に忘れてはならない、永遠に記念すべき出来事なのです。
だからこそ、旧約の中でも、「イザヤ書や詩編」という、特に新約に深く関係する書に、この「葦の海の救いの場面」は、表現を変えながら、何度も何度も描かれます。
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15章の冒頭にはモーセとイスラエルの民が姿を見せて歌い始めます。しかしこの歌の最後はモーセの姉ミリアムが替わって姿を見せ、多くの女性たちを生き生きとリードするのです。
「さあ、歌いましょう 小太鼓をもって踊ろう」と。若々しい賛美の指導者ミリアムが居ます。しかし、モーセが出エジプトのリーダとして歩み始めたのは80歳の時でしたから、生後三ヶ月のモーセを川から拾い上げたミリアムを思うと、何と彼女は、この時既に90歳を超えていたのです。
出エジプト記4章に、召しを受けたモーセが「自分は弁も立たず、舌の重い人間です」とグズグズ言っていたことも思い出します。
モーセは歌うことが得意だった人とは思えません。しかし、ミリアムもモーセも、高らかに賛美を捧げたのです。
さあ、私たちも歌いましょう。end
《 み言葉 余滴 》 NO.318
2021年7月25日
『 もの忘れの はげしい人へ 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マタイによる福音書9章9節 イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「私に従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。
12弟子の一人となる徴税人マタイ。
彼が召し出される時の場面をご一緒に読みます。注目したいのは、イエスさまが収税所に座っていたマタイに呼びかけられたお言葉です。
マタイが聴いたのは、たった〈ふた言〉でした。文語訳聖書では「我に従へ」と訳されていました。
英語の聖書は「Follow me」となっています。徴税人マタイは、この〈ふた言〉によって新しい人に変えられて行ったのです。
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マタイによる福音書では「私に従いなさい」というイエスさまのお言葉が3度出てきます。
2回目は16章、フィリポ・カイサリアというユダヤ地方の最北の町でのことです。そこは一番弟子のペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」と信仰告白をする場所でもあります。
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ところが、そのペトロがイエスさまから雷を落とされます。ペトロは、イエスさまがエルサレムでの受難予告を初めてなさった直後に、「先生、そんな馬鹿なことを言っては駄目じゃないですか」と脇へ引き寄せていさめたのです。
するとイエスさまは、ペトロに対して、「サタン、引き下がれ。あなたは私の邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている」と厳しく叱責されたのです。
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もしかすると、他の11人の弟子たちは、日頃のペトロの鼻高々振りが気になっていて、「いい気味だ」位のことを思ったかも知れません。
ところがです。
イエスさまは、間髪入れず、今度は〈弟子たち全員に対して〉こう仰ったのです。「私について来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」と。
11人の弟子たちの中にはもちろん、徴税人であったマタイもおりました。
マタイは、〈はっとした〉のではないでしょうか。あの日、イエスさまが呼びかけて下さったお言葉、「我に従へ」・「Follow me」を忘れるはずがありません。
マタイは覚悟を新たにさせられたのです。
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3度目の「我に従へ」はどこにあるのでしょう。
それは、十字架が待つエルサレム入場が間近となった19章16節以下です。金持ちの青年が肩を落として立ち去る場面として心に残っています。
彼は「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょう」と言って進み出ます。するとイエスさまは、「行って持ち物を売り払い貧しい人々に施せ。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、私に従いなさい」と仰った。
一見すると、金持ちの青年だけが諭(さと)されているように見えます。しかし直後に「それでは、だれが救われるのだろう」と声を上げ、顔を見合わせたのは弟子たちでした。
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シモン・ペトロも、「私について来なさい」というお言葉を聴き、網を捨て、従った人でした。
信仰生活において、大切なことは、何度だって学ぶ必要があるのです。3度繰り返されるのは、「徹底してそのようになさい」ということです。
私たち、お互い、よくもの忘れをいたします。
「あれれ、何しにここに来たんだっけ」ということが実に多いのです。
あなたは、何しに教会に来ているのですか?end
《 み言葉 余滴 》 NO.317
2021年7月18日
『 聖書の基本テーマと私 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マタイによる福音書 8章5節~7節 5 さて、イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、6 「主よ、私の僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」と言った。7 そこでイエスは、「私が行って、いやしてあげよう」と言われた。
心に残る「百人隊長」が聖書の中には大事な場面で登場します。彼らはいずれも「異邦人」なのです。国語辞典を調べてみると、2018年発行の『広辞苑』第七版には「百人隊長」の項目がありました。「百人の兵士から成る古代ローマ軍部隊の長。十字架で死んだイエスを神の子と認めた百人隊長は有名。」と説明されています。
この「百人隊長」はマタイ・マルコ・ルカ福音書に姿が見える人です。例えば、ルカ福音書23章47節に「百人隊長はこの出来事を見て、「本当に、この人は正しい人だった」と言って、神を賛美した。」とあります。
イエスの十字架の死を目の前にした「異邦人の百人隊長」のことが、多少表現の違いがあるにせよ、三つの福音書に彼の姿が記録されるのは偶然ではありません。そこには遍(あまね)く「良き知らせ」を告げるために記されている「福音書」の〈福音書たるゆえん〉があるのです。
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使徒言行録10章にカイサリアという地中海沿岸の港町に暮らす「百人隊長」が出てきます。名を「コルネリウス」と言います。
彼は、神を畏れ敬う人として家族と共にユダヤ教の礼拝に加わる人でした。彼は「イタリア隊」と呼ばれる隊の指揮をとる人間だと最初に紹介されているような、ローマ皇帝に仕える人でした。カイサリアには、ポンテオ・ピラトらユダヤの総督が身を置いていました。
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コルネリウスもまた「異邦人」でした。
「コルネリウス」という人物が居たからこそ、まだまだ、ユダヤ教的なクリスチャンの域を脱し切れていない〈ペトロ〉の目が開かれていくのです。その頃のペトロは、律法にとらわれるが故に、食べられないものが多くありました。
ところが、「異邦人であるコルネリウス」を神さまは用いられます。初代キリスト教会を代表するペトロが変えられて行くのです。福音の広がりを示す上で、必然とも言える出来事だったのです。
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きょうのマタイ福音書は『旧約聖書』からの引用がもっとも多い福音書として知られています。「旧約」を引っぱって来ては何かを記すという仕方は、ユダ人たちが「だったら、イエスとやらの話を一度聞いてみるか」という気持ちになりやすかったからです。
ところが、ここでのイエスの言葉と行動は、ユダヤ人の気持ちを逆撫でします。なぜなら、異邦人との接点があるだけでも汚れが生じる、と考えていた彼らにとって、実に不愉快なことが起こるのです。
百人隊長は「私の僕が中風で苦しんでいます。助けて下さい」と願い出ますが、イエスさまは「じゃあ、私が出掛けて癒そう」と口にしたからです。実際には、イエスさまは出向いて行かれませんでしたが、当時、律法の教師が異邦人の元に行くことはスキャンダルでした。
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実に「福音」と「異邦人」は聖書理解の鍵となる「基本テーマ」です。
何より、異邦人の代表の一人が、私たちだからです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.316
2021年7月11日
『 パウロが語った本当のこと 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 19章26節
諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなど神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、改宗させている。
※聖書協会共同訳より
パウロがエフェソに3年にわたって滞在した頃は、彼の人生の中で大変充実していた時期でした。
そのエフェソで、様々な問題が目まぐるしく起こっていたことを告げる資料があります。それはパウロ自身が記した手紙、つまり『聖書』です。
パウロは、エフェソにやって来る直前の1年半を過ごしたコリントの教会にエフェソから手紙を送っており、エフェソでの労苦をさり気なく伝えています。
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第一コリント書の最終章にあたる16章8節には、「しかし、五旬祭まではエフェソに滞在します。私の働きのために大きな門が開かれているだけでなく、反対者もたくさんいる」とあります。
パウロは間違いなく、「エフェソ」に居ながらコリントの教会宛てに手紙を書いているのです。
「大きな門」という言葉は希望を感じますが「反対者もたくさんいる」というのは差し迫った何かを感じます。
**************
もう一箇所、パウロがコリントの教会へ宛てた手紙の中の言葉に目を向けましょう。「最も大切なこととして私が伝えた」と明言している箇所です。
それは、第一コリント書15章3節~5節にかけて記される、「十字架の上で死を遂げられ、復活されたイエスこそがメシア、すなわちキリストである」ということです。
私は先ほど、「コリントの教会あてにパウロが手紙を記したのは、エフェソに滞在していた時です」と記しました。パウロが〈アジア州最大の都市エフェソ〉で伝道していたことと、〈アカイア州の首都コリント〉の教会宛てに記した「最も大切なこと」に、違いがあるはずがありません。
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エフェソの人々の誇りであるアルテミス神殿のもと、神殿の模型を銀細工で作って金儲けをしていた組合の親分・デメトリオが口にした言葉に、パウロが『手で造ったものなど神ではない』と言っている、というものがあります。
本当にパウロは『手で造ったものなど神ではない』等という、人々の感情を逆撫でするようなことを口にしたのでしょうか。
私は否だと考えます。
パウロはエフェソの人々を馬鹿にするような言葉は語らなかったはずです。
ただ、パウロが「最も大切なこと」を力説すればするほど、「じゃあ、わしらの神殿に居られる豊穣の女神(めがみ)さまを一体何だと言うのだ」ということにおのずとなったのではないか。
デメトリオは、パウロから『手で造ったものなど神ではない』と言われているような気持ちになっていたのです。
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幼い頃から聖書を丸暗記する程に信じ育ってきたパウロは、モーセ・イザヤ・エレミヤ・エゼキエルら預言者たちが闘ってきたのは、一面に於いて「偶像」であったことを承知していました。
詩編115篇8節に「偶像を造り、それに依り頼む者は、皆、偶像と同じようになる」とあります。
パウロは、口があっても話せず、目があっても見えず、耳があっても聞こえず、鼻があっても嗅げず、手も足も動かないアルテミスを思わない日はなかったでしょう。
時空を超え、今を生きる私たちも「偶像」との戦いの中にあることを自覚しましょう。
「あなたの神は何?あなたは大丈夫?」と静かに問われているからです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.315
2021年7月4日
『 わが魂よ 静まれ 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 14章21節~22節
21 モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。22 イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。
ファラオのもとでの奴隷状態から脱出し、約束の地に向けて、出エジプトの旅が始まったばかりのイスラエルの民。彼らは神さまから近道を禁じられました。昼は雲の柱、夜は火の柱に導かれて移動します。目の前には海が広がり行き止まり状態となります。
**************
道を失ってしまったイスラエルのうしろには、「エジプトから出て行け」と言っていた態度を翻(ひるがえ)したファラオが迫ります。エジプトの戦車部隊がすぐそこまで迫っているのです。
対抗のすべを持たないイスラエルの民は絶体絶命の危機に陥りました。彼らは、エジプトでの奴隷暮らしの時の方がましだった、と不平不満をモーセにぶちまけます。
**************
この時のモーセが、考えることもなく、ただちに言葉にして、イスラエルの民を励ましたことがありました。
それは、要約して申し上げるならば、「恐れるな」「主の救いを見よ」「主が戦われる」「静かにしていなさい」ということでした。とっさの時に語ることができる言葉というのは、既にそれが、その人の血となり肉となり、自分自身のものになっていたということを意味しています。
**************
思い出しておきたいことがあります。出エジプト記の3章以下に記されていますが、モーセは最初から〈よく出来た信仰者〉であったわけではなかった、ということです。
神さまからの召しを受けた時にこう言っていました。
「私は一体何者でしょう」「どうして私が、イスラエルの人々を導きだすために、今さらファラオの元に行かなければならないのですか」「私は舌が重く、弁も立ちません。リーダーなんてとても無理です」
言い訳のオンパレードでした。
しかしモーセは、いつしか忍耐を学び、錬り清められました。自らの限界を知り、主のみ業に直面し、主を信じる人として成長していったのです。言葉を変えましょう。モーセは神さまに変えられた人でした。
**************
こんなモーセに神さまが命じられたことがあります。「イスラエルの人々に命じて出発させなさい。杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。そうすれば、イスラエルの民は海の中の乾いた所を通ることができる。」と言われたのです。
皆さんがモーセの立場だったらどうするでしょう。モーセは、「杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい」という主のお言葉に従うのです。迷いはありませんでした。
**************
実に、モーセは神さまのお言葉に単純に従う人でした。彼は特別な能力をもつ人ではありません。私たちが学ぶべき、信仰に生きる人のあり方がここにあるのです。
信じるということは、神の言葉を聴き、静まって受け入れ、信じて従い抜くことです。共にいますインマヌエルは、とこしえまで、私たちを支え続けて下さいます。end
《 み言葉 余滴 》 NO.312
2021年6月13日
『 エフェソにて パウロの伝道 』
牧師 森 言一郎
◎使徒言行録 19章11節~12節、20節 11 神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた。12 彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気はいやされ、悪霊どもも出て行くほどであった。・・・・・・20 このようにして、主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していった。
パウロの第3回の伝道旅行の中心地は「エフェソ」でした。
エフェソでの伝道の日々が使徒言行録19章にあります。
岡山県北にある久世教会が出身の伝道者に山谷省吾(やまや せいご、1889年 ~1982年)先生という方が居られました。山谷先生の『新約聖書小辞典』(新教出版社)には、「エフェソ」についてこう記されています。
「小アジアの大都市。ローマ帝国アジア州の首都。古くから開けた政治、商業、ギリシア文化の中心地として非常に栄えた。パウロはこの都市に3年間とどまって有力な教会を造り、その附近に伝道した。この教会は黙示録2章以下にある7つの教会の一つ。」(一部略)と。
**************
それならば、パウロがエフェソにおいて、偉ぶった大先生として伝道を続けていたのか、というと私は明確に違うと思うのです。
常にお金の苦労をしていたし、迫害も多かった。
使徒言行録20章31節では「だから、私が3年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい」とエフェソ伝道を振り返ります。パウロには艱難辛苦がありました。
私はパウロの伝道の日々において、不思議な癒しの力を発揮することになった「手ぬぐいと前掛け」(使徒言行録20:12)は、彼のトレードマークになっていたと考えています。
「手ぬぐいと前掛け」は、彼が日々、天幕作りをして働きながら伝道していたことの証しです。パウロは、実に泥臭い伝道を、汗水流しながら続けていたのです。
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使徒言行録を記したルカは、「このようにして、主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していった。」とエフェソでの日々をまとめていますが、注意したいのは、「このようにして」とは「どのようにして」なのかという点です。
一見すると、神さまがパウロを通じてなされた「目覚ましい奇跡」があったから、それによって人々は驚きと畏敬の念を抱き、悔い改めが次々と起こり、福音はエフェソから順調に進展しているかのように感じますが、実際は違ったのです。
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エフェソの長老たちに別れを告げるパウロの言葉を吟味して読むととても励まされます。
パウロは、エフェソでの伝道の日々をこう振り返った、その冒頭でこう口にしたのです。
「アジア州に来た最初の日以来、私があなたがたと共にどのように過ごしてきたかは、よくご存じです。すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。」(使徒言行録20章18節以下)。
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私同労の仲間たちの苦労話を聴くとほっとすることがよくあります。師と仰ぐ先生の失敗談も忘れ難く心に刻まれています。
変な話ですが本当です。
どうやら福音の力はそういう所に秘められていると感じるのです。
主イエスも十字架にかけられました。end
《 み言葉 余滴 》 NO.311
2021年6月6日
『 荒れ野の40年の始まり』
牧師 森 言一郎
◎出エジプト記 13章17節~19節 17 さて、ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。18 神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。イスラエルの人々は、隊伍を整えてエジプトの国から上った。
エジプトで430年間にわたって奴隷状態で苦しみ続けていたイスラエルの民の、約束の地・カナンに向けての脱出の旅路は、神さまによって「遠回り」を強いられることになります。
何とここから先、「40年」もの年月をかけて、イスラエルの民のために、ぐるりぐるりと回り道を準備されているのです。
「40年」という年月は、出エジプト記では16章35節に最初に出て来ます。「こうしてイスラエルの人々は、四十年の間、人の住む地に入るまでマナを食べた。すなわち、彼らはマナを、カナンの地の境に至るまで食べた。」と。
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約束の地カナンへは、地中海の海岸づたいに「ペリシテ街道」を進むのが普通でした。「ペリシテ街道」商売をする人たちが往き来するだけでなく、エジプトの軍用路、国際的な幹線でもありました。
直線距離で300㎞程です。頑張って歩いて一日10㎞位ずつでも前進すれば、一ヶ月余りで、目的地カナンに到着することだって可能なはずなのです。しかし、神さまはそれをよしとされなかった。
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40年前、皆さんはどこで何をなさっていたでしょうか。その時からここまで、何の悩みもなく、問題にもぶつからず、大きな挫折も経験しないで過ごしてきた方がおられるでしょうか。目標に向かって、ひたすら真っ直ぐな道を進むことができたでしょうか。
神さまは私たちに対して、時に、回り道を強いることがあるお方のようなのです。なぜ、もっと早く旭東教会に辿り着けなかったのだろうか、と思ったりすることがあるかも知れません。
これが自分の仕事だなぁ、と思えるものが見つかるまで、紆余曲折ということもあります。様々な別れや、苦しい闘病生活をしたことも含まれると思うのです。
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神さまが示されたのは南に向かう道でした。
13章18節に「神は民を、葦の海に、荒れ野の道に迂回させられた。イスラエルの人々は、隊伍を整えてエジプトの国から上った。」とあります。
ここで、神さまが迂回するように命じられたのは「荒れ野の道」であったということは重要です。
「荒れ野」とは想像を絶する厳しさ、艱難辛苦が予想される場所です。馴染みのものは皆無に等しいのです。
だからこそ、問われていることが浮き彫りになります。人生の荒れ野を乗り切っていくには何が必要か、ということです。
リーダーとして立てられたモーセが、40年前に、荒れ野を逃亡した経験をもっている人であったことも偶然ではありません。そこに主の備えがあります。
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私たちの人生にも、しばしば遠回りがあります。それは、神さまのご計画された訓練の場に他なりません。人知を越えた神の愛に信頼しましょう。
同じ神さまが、み子イエス・キリストを賜るのです。
私たちは、今も、これからも「荒れ野」の中に放り出されることがあるかも知れません。
そのどれをとっても、自分の人生なのです。むしろ、その回り道こそが、必要な歳月、わが人生なのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.308
2021年5月16日
『 神の御心を生きるということ 』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎使徒言行録 18章19節~23節 19 一行がエフェソに到着したとき、パウロは二人をそこに残して自分だけ会堂に入り、ユダヤ人と論じ合った。20 人々はもうしばらく滞在するように願ったが、パウロはそれを断り、21 「神の御心ならば、また戻って来ます」と言って別れを告げ、エフェソから船出した。22 カイサリアに到着して、教会に挨拶をするためにエルサレムへ上り、アンティオキアに下った。23 パウロはしばらくここで過ごした後、また旅に出て、ガラテヤやフリギアの地方を次々に巡回し、すべての弟子たちを力づけた。
今号はまず、パウロの第2回目の伝道旅行が終わり、第3回目の伝道旅行が始まろうとする箇所を、私が独自に言葉を補った聖書を読んで頂きます。以下、括弧の中の文字が私の補足です。
*
19 一行が(アカイア州のコリントから、アジア州の州都で、当時、地中海世界を支配していたローマにとっても重要で、政治、文化、商業でも広く知られていた都市である)エフェソに到着したとき、パウロは(コリントで出会い、天幕作りを共にし、福音伝道のために労苦を共にしていた同労者であるプリスキラとアキラの夫婦)二人をそこに残して自分だけ(ユダヤ教徒の)会堂に入り、ユダヤ人と論じ合った。
20 人々はもうしばらく滞在(して、イエス・キリストによる神の国の福音を説教)するように願ったが、パウロはそれを(うなずかないで)断り、
21 「神の御心ならば、また(必ずエフェソに)戻って来ます」と言って別れを告げ、エフェソから船出し(エルサレムの教会へと向かっ)た。
22 (パウロはローマの総督が駐在する港町)カイサリアに到着して、(ペトロら12使徒を中心とする)教会に挨拶をするためにエルサレムへ上り、(その後、用件を済ませると、急ぎ足でシリア州の)アンティオキアに下った。
23 パウロはしばらくここ(シリアのアンティオキア)で過ごした後、また(第三回目の福音宣教の)旅に出て、(現在のトルコの内陸に位置する)ガラテヤやフリギアの地方を次々に巡回し、すべての弟子たち(即ち、各地のキリスト教徒たち)を力づけ(御心ならば戻って来ると言って別れたエフェソに向かっ)た。
*
キリスト教界(教会ではありません)には、似ているけれど、役割が確かに違っている二種類の人がいます。「宣教師」と「牧師」の二つです。
その区別は厳密ではありませんが、その負っている使命は明確に異なると思います。
「宣教師」は自分の所属している教会や伝道的な働きを担っている組織から離れて、多くの場合、外国に遣わされます。
教会を生み出すための働きに専念する人もいますが、「学校」や「病院」、「福祉」の分野で労する方の方が多いはずです。
*
パウロは「牧師」と言うよりは、「宣教師」でした。
彼は直前まで、教会が独り立ち出来そうになるまでの基礎を築く働きを「アカイア州のコリント」でしていました。少なくとも一年半は居たのです。
その前は「マケドニア州の州都テサロニケ」、「ローマの植民都市フィリピ」が特にあげられます。
ここでのパウロは、ついに時が満ち、自分を送り出してくれた人たちの元へ戻るのです。それがエルサレムの教会でありシリア州のアンティオキアの教会でした。
*
しかし実に興味深いことに、ここでのパウロは、自分の立ち位置にしっかりと目を開かれた「キリストの使徒」として描かれています。
もはや「エルサレムの教会」の人々と必要以上の交わりの時は持ちません。あっさりとエルサレムを通り抜けます。パウロの信仰の故郷とも言える「アンティオキアの教会」に立ち寄るのもこれが最後です。
イエス・キリストの福音宣教者とは、実にそのような存在なのではないかと思うのです。
私も、母教会を深く愛し思いながらも、いつしか、一定の距離を保ちながら歩むようになった人間です。
*
示されていることがあります。
今、ここでの「神の御心」が最優先だということです。
「人の心には多くの計らいがある。主の御旨のみが実現する」(箴言19章21節)を求めて参りましょう。end
《 み言葉 余滴 》 NO.307
2021年5月9日
『「参りました」と言ったファラオ』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎出エジプト記 12章31節 31 ファラオは、モーセとアロンを夜のうちに呼び出して言った。「さあ、私の民の中から出て行くがよい、あなたたちもイスラエルの人々も。あなたたちが願っていたように、行って、主に仕えるがよい。
ファラオ。彼は当時のエジプトで神としてあがめられていた王であり絶対的な権力者でした。
ここに描かれるファラオが新しい王として登場した時、既に恐れていたものがあったのです。それがイスラエルの民です。
イスラエルの民はヘブライ人とも呼ばれますが、大飢饉がきっかけで、食糧を求め、カナンの地からエジプトにやって来た時には、小さな集団に過ぎませんでした。
しかし、およそ400年の時を経て、ファラオからこのように恐れられるようになっていたのです。
「イスラエル人という民は、今や、我々にとってあまりに数多く、強力になりすぎた。抜かりなく取り扱い、これ以上の増加を食い止めよう。ひとたび戦争が起これば、敵に付いて我々と戦い、この国を取るかもしれない。」(1章9節~10節)と。
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やがて、聖書の神はモーセを召し出して言われたのです。出エジプト記3章7節以下です。
「私はエジプトにいる私の民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞きその痛みを知った。エジプト人の手から彼らを救い出し、乳と蜜の流れる土地カナンへ彼らを導き上る。行けモーセ、私はあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルをエジプトから連れ出せ。」と。
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時に、私たちはこんな言葉を使います。「一筋縄ではいかない」。まさに、ファラオは一筋縄ではいかない王でした。
モーセを通じて予告され、主のみ業としてエジプトに襲いかかる災いは「血」「蛙」「ぶよ」「あぶ」「疫病」「はれ物」「雹(ひょう)」「いなご」「暗闇」と9つ続きました。
しかし、エジプトを統治するのに必要な労力であるイスラエルを手放そうとはしません。
ファラオは回心したかのようなポーズは幾度か取りましたが、10番目の「初子の災い」が真夜中に、それも、王家の初子も含めて少しの容赦もなく、襲いかかるまで変わらなかったのです。ファラオの頑迷が、神による審きを呼んだのです。
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ファラオが「初子の災い」の背後に感じて恐れたものがありました。
それは「主」という名のイスラエルの民が信じる神でした。モーセが最後まで頼みとする神でした。
ファラオはこの「主なる神」と対等に向き合うことができると信じていたのです。魔術師を使い、脅しの言葉を口にすれば、思うままに国を動かすことができる、と考えていた。
我が身に不幸が襲いかからなければ目が覚めなかった。ファラオとは、鈍く、かたくなで、愚かしい人間を象徴しています。
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これに対して、救いの道を指し示す器として用いられているのがモーセでした。
聖書が伝えるモーセは彼自身に力が満ちているのではありません。ただ、モーセにできたことが一つあったのです。それは、神の言葉をそのまま伝えることでした。
モーセがその務めを簡単になせたわけではないのです。祈りと信頼、すなわち、信仰が必要でした。
そこに、私たちの自由への旅の扉があるのです。end
《 み言葉 余滴 》 NO.306
2021年5月2日
『献金 から 献身へ』
牧師 森 言一郎(モリ ゲンイチロウ)
◎マルコによる福音書 12章41節~44節
41 イエスは賽銭箱の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。42 ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。43 イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。44 皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」
宗教改革者として知られるマルティン・ルター(1483-1546年)は、説教者・神学者・聖書研究者でもありましたし、賛美歌作家としての賜物も豊かな人でした。
讃美歌21の246番・「天のかなたから」という小曲では、「天使」のお告げに応えて、「こどもたち」が歌う場面でこんな言葉を紡ぎ出しました。
④
ようこそイェスさま、お入りください。
わたしのまずしい 心の部屋にも。
⑤
何をささげましょう、愛する主イェスに。
小さな祈りか、喜びの歌か。
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ルターの時代も、そして今も、子どもたちの本質は変わらないはずです。沢山のお金をもっているはずがありません。
子どもたちには、東の国の博士たちのような、「黄金・乳香・没薬」もないのです。だからこそ、救い主イエスにおささげする最も善きものは、「小さな祈り、喜びの歌」でした。それで十分であり最善でした。
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イエスさまの時代のエルサレム神殿には、今ではちょっと想像がしにくいのですが、真鍮(しんちゅう)製のラッパ形の投入口が13もある賽銭箱が、参拝者の献げ物を受けるために備えられていたそうです。
ところがこの日、賽銭箱の向かいにはイエスさまがおられました。人々がお金を入れる様子を、見守っていたのです。果たしてこの場面でイエスさまが確かめたかったものは何だったのでしょう。私たちはその行動の根底にあるイエスさまのみ心を知る必要があります。
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ここでイエスさまが弟子たちをわざわざ呼び寄せて伝えたかったのは、ひとりの「貧しいやもめ」の献げ物の重みでした。
「この人は・・・生活費全部を入れた」と弟子たちに伝えたのです。
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やもめが献げたのは、「レプトン銅貨二枚」でした。当時の通貨でもっとも小さな価値しかないものです。
しかし、ハッキリしているのは、イエスさまが彼女の人生を全てご存知だということです。そして、やもめにとっての「レプトン銅貨二枚」は少しも軽いものではなく、「生活費全部」として受け止められるものでした。
「生活費」という語には、「人生、一生、生涯」という意味があります。やもめが献げたものは「賽銭箱」によって受け止められたのではありません。〈彼女自身が献げられている〉ことが、主イエスによって受け止められていたのです。
私たちの「献金」を、自分を神と隣人にささげる「献身」としていくようにとの教えがここにはあります。end
《 み言葉 余滴 》 NO.304
2021年4月18日
『 疑わなかった人 出てこい 』
牧師 森 言一郎
◎ヨハネによる福音書 20章24節~25節 24 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。25 そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」
12弟子の一人「トマス」。
この人には少し可哀想なレッテルが貼られていると思うのです。それは「疑い深い人」というものです。
私たちも、つい、そんな風に考えがちですが本当にそうでしょうか。
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『リビングバイブル』では甦りの主との出会いを次のように訳します。
【それで皆が、(トマスに)「本当だよ。主にお会いしたんだよ」と口を酸っぱくして話しましたが、本気にしません。頑(がん)としてこう言い張るばかりです。「主の御手に釘あとを見、この指をそこに差し入れ、この手を主のわき腹に差し入れてみなきゃ、信じるもんか。」】と。
弟子たちが「口を酸っぱくした」とか、トマスが「頑として言い張った」というのは、原文にはない意訳ですが、臨場感も真実味も感じます。
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トマスは熱心さに欠けていたわけでもありません。
主イエスがエルサレムに入場される直前に、一行がヨルダン川の向う側に滞在中のことです。ユダヤ地方に戻る決意を明らかにされた主イエスに対して、勇気と忠実さとをもって、主と共に死ぬ覚悟で、仲間の弟子たちに呼びかけたのです。
「私たちも行って、一緒に死のうではないか」(ヨハネ福音書11:16)と。
これをペトロが口にするのならば、私たちはすぐに納得できますが、そう言ったのはトマスでした。
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さらにもう一つ。
イエスさまが「私がどこへ行くのか、その道をあなたがは知っている」(ヨハネ福音書14:4)と言われたときのことです。
弟子ならば、「イエスさまが進んで行こうとされている道」「天と地を結ぶ道」に対する認識をもっていると見られる状況にあって、トマスは、自分自身の無知を率直に認めました。
「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか」(ヨハネ福音書14:5)と。
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顔を見合わせながら、「本当だ。わしらの前にお出でになったのは、間違いなくイエスさまだった」とトマスに言った〈10人の弟子たち〉には、少しズルイ面があるのではないでしょうか。
なぜなら、彼らの前にお立ちになったイエスさまは、「汝等(なんじら)に平安あれ」と言われた直後、「手とわき腹とをお見せになった」からです。
トマス以外の弟子たちは、見ないで信じた人ではなかった。彼らは明確に見ていた人たちでした。既に、当人たちも気付いていたはずです。
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8日目に、復活の主が再び隠れ家にいた弟子たちの前に姿を顕(あらわ)されたのは、週の初めの日に居合わせなかったトマスだけのためだったのかと言えば、私は違うと思います。
主イエスはトマスに対して「手のひらとわき腹の深い傷」をお見せになることを通じて、全員に念押しされたのです。
「あなたがたは皆、ゆるされた罪人である」と。
弟子たちは、やがて、見ないで信じる者に変えられて行くのです。end