岡山  グリーフケア Cafe とまり木

ご案内

            10年間続けてきた〈岡山グリーフケアの集い〉を2024年8月より、模様替え

       お茶を飲みながらの「とまり木」

       だれもが、心安らぐ場、自分らしく安心できる時を、参加者の皆さんで創ります


次回予定 

2024年8月28日(水)朝 :10時~12時・夜:7時半~9時15分

☆ 参加費:300円(旭東教会の会員は100円)です。

  お替わり自由のセルフのフリードリンク付き 参加費は会場の維持や資料代です

☆ 初めての出席、あるいは、久しぶりの参加を希望の方は、前日夜までに、お電話を頂けると有難く存じます。ご協力ください。



人は生きていくとき、様々な時を歩んでいきます。誰もが孤独を感じます。でも、孤立でなければ大丈夫。

 

生まれる時、死ぬ時、植える時、植えたものを抜く時、癒す時、破壊する時、建てる時、泣く時、笑う時、嘆く時、踊る時、石を放つ時、石を集める時、抱擁の時、抱擁を遠ざける時、求める時、失う時、保つ時、放つ時、裂く時、縫う時、黙する時、語る時、愛する時、憎む時、戦いの時、平和の時。 

そして、「あなたの」今の時




誰もが抱えることがある、悲嘆や痛みの置き場所を、「とまり木」でご一緒に創りませんか。悲嘆は、時の流れの中に身を任せるだけでは解決できないものです。



「とまり木」は、生きて来た道の違いを超えて、お互いを尊重しながら、語り、聴き、黙し、ほっと一息お茶を飲み、ゆっくりと歩みだすことを願う集いです。



「とまり木」で分かち合うのは、死別だけではありません。ご自身のご病気、がんとの闘い、看病や寄り添いの苦しみ、逃亡、様々な喪失による悲嘆に、参加者同士が良識をもって心を傾け合うことを通じて、グリーフワークをしています。



「とまり木」では、参加者のさまざまな内なる、うめき、涙に出会います。隣り人の悲しみに共感して行く中で、混乱している自分を肯定できるようになるのです。



「とまり木」でわたしたちは不思議な経験をします。ここでは、日常では語ることができなかった、言葉を口にすることができ、安心して家路に着けるのです。




「 とまり木 」 開催予定日 


 

 次回の予定は以下の通りです。

 8月28日(水) 午前10時~12時

 8月28日(水) 午後 7時30分~9時15分 

☆ 初めての出席、あるいは、久しぶりの参加を希望する方は、前日夜までに、お電話を頂けると有難く存じます。

    

お電話での問い合わせ、お気軽に

 今は参加が無理な方 かつておいでになった方も

いつか ご都合のつく日に どうぞ

  

 さらにその次は  2024年  10月30日(水)に行います。

  時間は 毎回

   午前の部:10時~12時

   午後の部:7時30分~9時15分 

 




「 岡山 グリーフケア Cafe とまり木 」

大切にしているもの


 

 「生と死を見つめ」、「生と死を語り合い」ながら、

ぼちぼちと、岡山の地で、グリーフワークを行っています 

ふと気が付いてみると、グリーフワークが出来る場所を目指しています

 

「いつまでも、あなたがそんな哀しい顔をしていたら、

天国の○○さんが悲しむよ」等ということは

「とまり木」では 誰も 言いません

 

何度でも同じ話をして下さい。ぼやいて下さい。嘆いて下さい。

我慢することなく 涙して下さい

「本当は、早く死にたい」「迎えに来てほしい」「消えてしまいたい」

を聴かせて下さい

 

「とまり木」は、漢方薬のように やさしい効き目

だから みんなが安心 ゆっくりと 時が流れます

 

「生きること」と「死ぬこと」は対極ではなく 隣同士にあるもの

 

わたしたちは 共通の悲嘆を経験したわけではありません

でも、ここには、とっても強いコミュニティがあります

独りじゃない  We are not alone. 

 



「とまり木」あんなこと・こんなこと その ①




 【参加費】

一回につき300円です。セルフサービス形式のフリードリンクでくつろいだ空気の中で会を進めます。教会の方は100円です。

 

【会の進め方】

その日のメンバーによって自然に変わっていきます。講座形式で、3回とか5回で終了というような会ではありません。タイムリーな題材、例えば、目に留まった新聞記事などをファシリテーターの森牧師が提供することも多いです。

 

 

【集った方の負担感が小さい  全員参加型】

負担の無い形での近況を分かち合う時間をもちます。「きょうは遠慮します」「皆さんのお話を聴かせて下さい」から始めて下さっても構いません。初参加の方に、最初から沢山のことをいきなりお話頂くことは、決して致しません。

 

【 朝の部 と 夜の部の違い ?】

通常、お仕事でお忙しい方が夜の部に参加されることが多いです。 

 

【カンパ・献金】

正直、とても助かります。働きが持続され、深まり、「とまり木」があってよかった、の思いがじわっと広がるように、教会への支援のカンパ・ご支援を頂けましたら有難いです。教会入口の机の端っこに自由に使える献金袋が置いてあります。 



「とまり木」あんなこと・こんなこと その ②


 「岡山 グリーフケア Cafe とまり木」を行っている会場は教会の中の快適な集会室です。そこでは、布教・宣教活動はいたしません。仏教徒の方、その他の信仰・信心を大事にしている方はもちろん、自覚的な信仰を持たない方(無宗教)も参加されています。

 

同時に、クリスチャンやキリスト教に親しい思いを抱かれる方々も集われます。旭東教会の会員も自由に参加しています。ノンクリスチャンの方6割~7割という感じです。キリスト教徒の方も歓迎します。

 

また、キリスト教に興味を持ちつつの参加の方で、キリスト教関連のご相談があれば、別の時間帯にゆっくりとお話を伺いますのでお声掛け下さい。これもまた歓迎いたします。

 

わたしたち「岡山 グリーフケア Cafe とまり木」は、けっして大人数の集いではありません。2名~10名程度までを想定し、コツコツと続けていきます。

 

岡山近郊の方(遠方の方もお出でになります)で、「グリーフケア」・「グリーフワーク(悲嘆の消化作業)」の場を求めて居られる方が居られましたら、ぜひ一度、ご参加くだされば幸いです。倉敷、笠岡、井原方面の方々、赤磐市、瀬戸内市、備前市の方々の参加もあります。

 

※1 危機のただ中にある方やご家族へ 今現在、耐えられない程の深い悲しみや、命の危機をご自身で感じるような場合は、早めに教会にお電話ください。「とまり木」以外の時に個別に傾聴し、お話を伺いご助言いたします。遠慮なくご相談ください。

 

※2 どんな感じの会なのだろう?とご心配な方 事前にお電話下さい。20分ほどでしたら、できる限り丁寧にお話いたします。それ以上のことは電話では無理があります。お互いのために、一度、「とまり木」開催以外の時間に、電話で約束をとって教会にお出かけ下さい。



さらに 「とまり木」 あれや これや


★人生途上の様々な喪失・悲嘆の中にある方々の自主参加型のつどいが「岡山 グリーフケア Cafe とまり木」です。信仰の有無に関わらずご参加いただけます。

 

☆「とまり木」では、参加された方に、無理にお話をして頂くことは一切ございません。初めて参加される方が居られる場合は、参加者同士が互いの配慮の原則を確認して、心を傾け合うことを心掛けています。

 

★「岡山 グリーフケア Cafe とまり木」の開催場所は教会ですが、お祈りも聖書のお話や説教もありません。グリーフケアに長年関わってきた森牧師が導き手(=ファシリテーター)となっています。

 

☆わたしたちの人生の中には多くの別れの経験があります。大切な方の召天・突然死、自分自身の病、ペツトロス、定年や人生の転機、介護・看護、自身の病気(特に何かを失っていく病との闘い)などによる環境の変化で元気を失っている方、お疲れの方、悲嘆の中に居られる方、そのような方々はみな「グリーフケア」・「グリーフワーク(悲嘆の消化作業)」を必要としている可能性があるのです。

 

★シェークスピアは「口に出して嘆きなさい」と語ったと言われます。実は何よりもそのことが癒しの機会となり、こころの支え、安心となっていくのです。悲嘆を乗り越える上で、最も大切な要素は、悲しみの感情を十分に安心できる環境の中で発露させることなのです。

 

☆感情を抑圧してしまうと、人はいつしか、心病む状態を生みだしてしまいます。

 

★ファシリテーターである牧師は時に、専門的な医療の場での診察を一対一のお話の場でご助言することもあります。

 

☆「とまり木」では、参加者の様子や、その日の話の流れに応じて、グリーフケアにつながる「絵本」の読み聞かせの時間も持ちます。

 

★「とまり木」は、学習の場ではありませんが、グリーフケアのための基礎知識をいつしか身に付けることが出来ます。

 

☆「とまり木」の出入りは自由です。かれこれ10年近く参加し続けて居る方も居られます。或いは、毎回参加できなくても心配は無用です。一回切りでも構いません。

 

わたしたちには、大きなことはできません。でも、コツコツと、ちいさな会を続けてまいります。

  

☆あなたのご参加をお待ちしていますし、ぜひ、グリーフケア・グリーフワーク(悲嘆の消化作業)を必要としている、あなたの大切な方にもご紹介下さい。決して大きな力はなく、万能でもありませんが、何かの足がかりにはなるかも知れない、と信じて「とまり木」はこれからも在り続けます。

 


「グリーフケア Cafe とまり木」に準備し、朗読することがある絵本の一部です



下の写真集は、ぜひ、Clickして大きくしてご覧下さい



上の写真集はClickして ゆっくり お過ごし下さい


日本キリスト教団旭東教会「グリーフケアの集い」のお部屋へようこそ。宗教に関わりなく、安心して集える場です。

 

 

よくよく あなたがたに 言っておく。

一粒の麦は

地に落ちて死ななければ 一粒のままである。

だが

死ねば、多くの実を結ぶ。

 

(新約聖書・ヨハネによる福音書より)

 




以下、2022年秋頃、ファシリテーターを務める森牧師が旭東教会会報・『緑の牧場』に記した「グリーフケア」についての小論です。


※「グリーフケア Cafe とまり木」に改変前の「グリーフケアの集い」時代の文章です。

  グリーフケアの集い

    知っていますか?

旭東教会  牧師  森 言一郎(もり げんいちろう)

 

沈黙はやがて 歌に変えられ、

深い闇の中 夜明け近づく。

過ぎ去った時が 未来を拓く。

その日、その時を ただ神が知る

                       『讃美歌 21』575番「球根の中には」 2節より

 1 グリーフケアってなーに?

 旭東教会がこつこつと続けてきている「グリーフケアの集い」ですが、そもそも「グリーフケア」とはどういうものなのでしょう。

 「グリーフ」とは英語で「Grief」。日本語にすると「悲嘆」「深い悲しみ」の意味です。その「ケア」、英語で「Care」ですが、本当にそんなことができるのかというと、答えは簡単ではありません。

 「グリーフケアの集い」は、先ず第一に、愛する人との死別を経験し、誰にもお話できず、どこにも持って行けないような人生途上の様々な悲嘆・深い悲しみの中にある方が安心して集う場を想定しています。

 毎日新聞で「みんなのなやみ ぼくのこたえ」と題して人生相談をなさっている、作家の高橋源一郎さんの近著は『居場所がないのがつらいです』『誰にも相談できません』(毎日新聞出版)です。そのタイトルだけでもぐっと惹かれるのは私だけではないはずです。 

 

2 グリーフケアの対象は思いのほか広いもの

 いみじくも、高橋源一郎さんが本のタイトルにされた「居場所がなくてつらい」、「誰にも相談できない」という現実は、愛する人との死別だけに限られるものではありません。グリーフケアが必要とされるのは様々な方々だと考えられますし、事実、私たちの身の回りには、思いのほか多くの悲嘆があるのです。

 私がグリーフケアの集いでのためにつくってお配りしている基本的なプリントには「入学」「病気」「転職」「定年」「失恋」「離婚」「死別」「ペットロス」が悲嘆の一因であるとメモしています。ペットは現代では、「同伴家族・異種家族」と考えるとよいと思います。他にも、「子どもの成長」「子どもの結婚」「様々な依存症」もグリーフケアの対象と考えています。

 私たちの人生途上には、実に複雑な事情や感情が生じるのです。「あなた、そんなことで落ちこんでいるの!」と言われるようなことが日常的に色々と起こるわけです。 

 

3 沈黙の時間にも 私たちは話し続けている

私たちが行っている「グリーフケアの集い」。力は乏しいですし、うまく行かないことも当然しばしば起こっています。力不足だったなと感じることも多いです。悩ましいこともあるのです。

 心が通い合う時間、沈黙がゆるされる時間、涙することができる時間を過ごせる。それが、私たちの「グリーフケアの集い」のような気がしています。ふた月に一度、こつこつと続けています。暑い夏の日でも、大晦日に近い年末でも、偶数月に最後の水曜日の午前と夜に開いています。

 なぜ、教会で?と思われるかも知れません。でも、決してキリスト教を信じる人のためだけの会ではありません。場所は教会ですが、キリスト教らしさを感じるとしたら、「グリーフケアの集い」を行う20畳ほどのお部屋に、最後の晩餐のステンドグラスがある位ではないかと思います。

 ただし、司会進行は牧師の私が担当しますので、もちろん根っこにキリスト教があることは大前提となっています。 

 

4 日本国内でのグリーフケアの始まりについて

 広く知られていることかも知れませんが、日本において死生学であるとか、グリーフケアを先頭に立って引っぱって来たのはクリスチャンでした。

 上智大学で日本で初めてとなった「死生学」という講義を担当され、深め、浸透させて行かれたアルフォンス・デーケン先生はイエズス会の司祭です。多くのご著書があって、日本での死生学のパイオニアとなって下さいました。

 2005年4月のJR福知山線脱線事故のあと、グリーフケアの働きに仕えられたのは、カトリックのシスターである高木慶子さんだったことも知られているところです。 

 

5 私とグリーフケア

 私自身の関わりを少しご紹介します。20代の半ば頃ですから、もう40年近く前なのですが、東京の「生と死を考える会」に何度か出かけていました。そこで前述のデーケン神父さまの存在を知ったのです。当時は、かなりやっかいな病気であった慢性化したB型肝炎との闘病生活、長期にわたる入退院が切っ掛けでした。

 その頃、もっと知りたい、考えたい、と思って読み始めていたのは「死」に関わることでした。「死」を考える心の裏腹にあった思いは、「何とか生きて行きたい」「与えられた命を生き抜きたい」という願いだったと思います。その頃のことが、私自身が今、「グリーフケアの集い」を大切にし、ライフワークとしている土台にあります。

 さかのぼれば、厳しい闘病を経て召されていったわたしの母のことを抜きには考えられません。病室で父に抱きかかえられる母の姿を受けとめきれないままの何年かがあったことは深い所で影響していたと思います。

 

 

6 参加者の〈断片〉こそが最大の力

 私たちの「グリーフケアの集い」では、こちらが一方的に何かを提供するわけではありません。毎回メンバーがどうなるのかも分かりません。市民講座でもありませんし、単なる勉強会でもありませんから、手探りの、出会い頭のライブ感があることが最大の長所かも知れません。

 最善を尽くす努力も日頃から続けています。関連の絵本情報はいつもアンテナを張って探していますし、新聞記事にも目を配り、これは役立ちそうだ、と感じると直ぐに切り抜いて新鮮なうちに「グリーフケアの集い」の時に資料として用います。

 ハッキリと言えることは、私が癒しや救いをお届けするのではないということです。むしろ、他の参加者で悲しんでおられる方の言葉、横顔、後ろ姿、涙。それらの断片すべてが不思議な力となるのです。 

 

 

7 やがて、いつか、気がついてみたらの希望

 「グリーフケアの集い」に参加されて、何かのひとかけらでも見つけることが出来れば、痛みや悲しみは少し和らぐものです。例えて言うならばですが、あまりに効き目のよい即効薬が準備されているような会であるとしたら、むしろ危ない思っています。不思議なことに、しばらくお出でにならなかった方が、何年か経ってから戻って来られることもあります。結果として、必要とされていたのだ気付かされて感謝しています。

 集いを卒業される方が起こされることは望ましいことです。もう必要なくなるのですから嬉しいことなのです。そして、やがていつか完全には癒されていないけれど、悲しみは消えないけれど、誰かのために新しく生きていきたい、生きて行けると感じるようになって下さっていたら、本当に嬉しいことです。 

 もしかすると、この集いから、グリーフケアを新たに必要とする方々に寄り添う新しいお一人が生まれることが、ささやかであるけれど、真実な喜びかも知れないと考えています。 

 

8 おわりに

 肩の力を抜いて記させて頂きました。誰にも「ホーム」つまり「戻って来る場所」が必要です。悲嘆の中にある方は、居場所、安心してお話できるところを探しておられます。そして、悲しんでいる方のお話を静かに聴きたいと思っておられます。

 そのひとつが旭東教会の「グリーフケアの集い」であるとしたら幸いなことです。「じゃあまたね」と言葉を交わしながら、人生の旅路を共に歩んでいきたいものです。(end)  

 

★ その後の〈補記〉

あらためて申し上げます。「グリーフケア Cafe とまり木」は大切な人や、大切な何か、そして、自分自身の大切なものを失った経験や体験をおもちの方たちの集まりであり、その思いを語り合い、聴き合う場である、ということです。

 

最初のうちは、話ができないことがしばしばあります。でも、ここでは、上手に語ろうとする必要は少しもありません。たどたどしくてもよいのです。自分のことばで自分のいたみや悲しみをお話ください。出席者は互いにしずかに心傾けます。

 

心の奥深い所にあるものを、一度きりの参加で語りきることができることなどありえません。だからこそ、何回も参加してください。そして、同じ内容のことを同じようにお話くださっても構わないのです。安心してお話ください。

 

ファシリテーター(導き手・司会進行役)を務める私が、「今日はこのあたりまでにした方がよいかな」と気付いた時は、ちいさな助言のことばを、お話をさえぎってでも、必ずお伝えします。

 

もう一つ、他の参加者の方のお話を聴くということも、自分が話す以上に慰めになったり、希望になったりすることがあることを知っておくことも一方で大事なことかも知れません。「きょうは他の方のお話を聴くために参加いたしました」ということもよい切っ掛けになります。 

 

なお、悲しみの大きさや嘆きを、他の方と比べてしまうことがありますが、一人ひとりの生きて来た文脈をすべて理解できることなどはわたしたちにはできません。

 

そのような「比較」からの解放・自由は、すこしの努力を続けることが必要かも知れません。

(以上です)


「とまり木」を行うお部屋です。奥の方の席で行っています。手前の机の上にはグリーフケア関連の絵本をご紹介。
「グリーフケア Cafe とまり木」を開くお部屋です。手前の机ではグリーフケアの絵本をご紹介。


旭東教会への「地図」はこちら


◇駐車場について 教会に駐車場があります。教会正面向かって左側の方(「旭電業さん」側)に「とまり木」のある日には、3台はゆったりと駐められます。もしも、教会までお出でになって困った場合も遠慮なく電話をどうぞ。コインパーキング等は近くにはありません。なお、水曜日の夜(つまり、「とまり木」を行う日)は、栗原医院さんに駐車できます。

◇岡山市の中心地からも遠くありません JR赤穂線で岡山駅から18分。下車して7分ほどの距離です。バスセンターからも、同じ位です。お車でも、岡山市内の中心地各方面から、25分位とお考えください。


「グリーフケア Cafe とまり木」についてのご相談や質問はこちらに電話でどうぞ


※「とまり木」についての問い合わせはメールはご遠慮ください。お答えが出来ないことが多いからです。

 岡山 グリーフケア Cafe とまり木

  日本キリスト教団 旭東教会

牧師・ファシリテーター 森    言一郎(もり  げんいちろう)

 電話 086 (942)2369   *9時~20時 *礼拝のある日曜日を除く

岡山市東区 西大寺中 2-25-18