「大掃除」というと年末って思う方が多いかも知れません。
われら旭東教会では、だいたい年に二度、一度は本格的な夏を迎えようとする今頃、そして、クリスマスに備えるアドヴェント入りの頃、大掃除をいたします。
6月25日の日曜日。
ミニバザーでもある「カレーを食べる会」のお昼ご飯で腹ごしらえをして、時間の都合がつけることができた皆で大掃除をいたしました。
以下、ご報告は、いつもながら、牧師のもりでございます。
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神学生時代、東京都文京区の歴史ある教会の掃除を仕事にしていたわたくし。
今考えてみると、お世話になったK教会。
神学生にお仕事を提供して下さって感謝なのですが、考えようによっては、またとない、教会のみんなの交わりの絶好の機会を失っていたのかも知れない。
と思ったりします。
それ位、旭東教会の大掃除、充実感のある、とーってもたのしい時間でもあるからです。
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力仕事は男性陣にお願い、と言う時代は、旭東教会ではとうの昔過ぎ去っております。
男も女もない。できる人がする。そんな感じです。
恥ずかしながら、わたくしは、大掃除が始まった頃に、なぜかふらふらとし始めて(決して仮病ではありません)、小一時間の休息(いわゆる昼寝のようなもの)をとっていたりする〈ていたらく〉でございました。
説教の取り組みが深夜までだったのが効いたのか、はたまた、四捨五入するとそろそろ還暦、という所あたりが問題なのか、今のところ解明されておりません。
とまぁ、敢えて正直にざんげいたしまして、引き続きご報告を。
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あー、大掃除して、ほんとガッカリした。
とか
もう、大掃除なんてこりごり。
とか
大掃除、二度としたくない。
という声が、世界中の大掃除の歴史史上、どこからも聞こえてこないというのは不思議でしょうか。
いえいえ、ちゃんと理由があるのだろうと思います。
そう、大掃除って、ある種の精神浄化作用=カタルシスというのだと思いますが、確実にあるのは間違いありません。
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この日、先に懺悔いたしました通り、一時、某所で休息していた所から戻って来たわたくしを、誰一人として怪しむ方はおられませんでした。
牧師はどこに行ってしまったんだぁ。
森先生はひとりサボっているんじゃないか、なんて思われた方は居なかった、というよりも、そんなことに気を回している暇もなかったのだろうと思います。
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皆さん
せっせ、せっせと、それぞれの賜物を活かしたり、普段は言葉を交わすことも少ない者同士が小さな出会いを経験しながら、汗をかいたり、磨いたり、しまったり、洗ったり、片付けたりしているのです。
ちなみに、この日姿を見せることができなかった方も、先に草を引いて下さったりもしていました。
わたくしめも、裏の方で、冬の間使っていた石油ストーブの片付けなどしておりました。
そして、ちょっとひと息いれるとき、何だか、すでに不思議な一体感。
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お掃除が終わって、お疲れさまでしたー、の声が聞こえ、アイスコーヒーを飲んで、あれやこれやのおしゃべりをしていた午後4時過ぎ。
うーん、ほんとうに皆さん、いいお顔していたと思います。
充実感だけではない。
自分たちの教会を、自分たちの手できれいにする。当たり前のようで、もしかしたら当たり前ではない時間。
傷ついている床を見て、何かを思い起こしたり。女性陣の活躍に元気をもらったり。それぞれに何かしらの気付きが与えられるからこれもまた素晴らしいことです。
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洗礼を受けて間もないHさん。
「二回目だけど、大掃除、ほんとうに楽しかったです。みなさんと一緒に掃除できてしあわせだった」という意味のことを言われてました。
嬉しいですね、ほんとうに。
いやぁ、こうやって、教会生活というものが深まって行くのだなぁ、ってしみじみ感じます。
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大掃除っていいな。
あらためて教えられたことであります。
やっぱり、小学生の頃、初めて手にした、野球のグローブにワセリンを塗り込んで手入れをしたのと同じように(文脈が違うかな)、たいせつなものを、みんなで手を入れて行くってことは、大事なことなんですねぇ。
感謝でいっぱいの日曜日の夜を過ごしたのは、たぶん、わたしたけではなかったはず。
皆さん、ぐっすり、しあわせな心でお休みになったこと、太鼓判でございます。end