こちらのページ「Blog・教会日記」でも時々紹介してきましたが、旭東教会朝9時からの〈ジュニアサークル(JC)〉では、「インタビュー礼拝」なるものを行っています。
教会員の方を、二ヵ月に1度位のペースでお迎えし、JCスタッフが交替でインタビュアーとなって、ここまでの信仰の歩みについて伺う時間を持っているのです。
もちろん、あちらこちらに、脱線したりというわけで、とても豊かな恵みに遭遇する礼拝です。この日も、13名の方が礼拝堂に早朝~集っていました。
**************
10月の最初の日曜日(10/2)にお迎えしたのは亮子(りょうこ)さんでした。
旭東教会メンバーの平均年齢を下げる方向でその力をジワリジワリと発揮して下さっているおひとりです。
もの心というものが付いた頃から旭東教会を走りまわって?いた(多分)〈おてんばさん〉だったのではと想像します。
今は亡き、教会学校のH校長先生の説教を鮮明に記憶しておられるおひとりですから。
そのおてんばぶりは、今はすっかり変わってなのか、実は今も変わらずなのかは、わたくし(牧師のもりでございます)はコメントを控えさせて頂きます・・・・・・。
いずれにせよ、京都で美術を専攻した芸術家肌の賜物や、教会員であったお父さまのお仕事の関連で中国にご一緒について行ってあちらでお暮らしになり、あれやこれや、果敢に挑戦される等、ほんとうに素晴らしい賜物(秘めたるパワーは想像がつかぬ程)をお持ちの方です。
**************
インタビュアーの光代さんから、一週間前に、「亮子ちゃん、こんなことを聞かせて頂こうかしら」というメモが今回は渡っていたとのこと。
お話の中で、「いつくしみふかき」(1954年版)が愛唱賛美歌で、歌詞が「いつくしみふかい」に変わった『讃美歌21』に一抹の寂しさを感じる世代の亮子さんであることを語られていたのです。
ところが、ひょんなことから、「でも、讃美歌21の中にある『主よ、おいでください』(43-3)に触れた時に、深い感動を覚えました」という話に転がり始めました。
特に、主日礼拝で、『主よ、おいでください』(43-3)を歌った時に、光代さんかわたくしか、或いは泰さんが、人目をはばかることなくたたき始めた太鼓の音に触れた時、この讃美歌の持つ可能性というものに気付いて、深く大きな感動を覚えていた、と語られたのでした。
**************
不思議だなと思うときには既に神が働いている、と言いますが、この時も確実に神さまが働かれました。
な、な、何と、インタビュー礼拝後、その日の10時15分からの主日礼拝で、『主よ、おいでください』(43-3)を歌うということが分かった時に亮子さんはこう言われたのです。
「じゃぁ、わたし、きょうは太鼓を叩きます」と。
こういう偶然は偶然とは言いません。
み霊=聖霊の働きです。
**************
太鼓と言いますのは、下の写真で亮子さんが大事そうに抱えているものです。
残念ながら、この日の礼拝で亮子さんが叩いている時の写真は撮影できていません。
オルガニストでもある光代さんと打合せをし、歌詞に合わせて強弱を考え、西アフリカの太鼓ジャンベの準備を進めてくれました。
そして、礼拝の賛美の時に、旭東教会育ちの亮子さんは、何とも自然に、太鼓を叩く女になったのでした。
**************
そう、その姿は、まるでモーセとアロンのお姉さん、女預言者とも呼ばれるミリアムのようでした(想像です、太鼓の音は聞こえましたが、姿は見えませんでした)。
出エジプト記15章20節以下にこうあります。
【 アロンの姉である女預言者ミリアムが小太鼓を手に取ると、
他の女たちも小太鼓を手に持ち、
踊りながら彼女の後に続いた。
ミリアムは彼らの音頭を取って歌った。】
映画にもなった、紅海の奇跡、あるいは、葦の海の奇跡と呼ばれる名場面です。
**************
インタビュー礼拝の魅力。
それは、たとえ、わたしが人前でお話なんて、という方でも(亮子さんではありません)、いつしか笑顔で語り始めたり、神さまによってひらかれたとしか思えないようなお話を始めて下さることです。
午後のほっとタイムの時間に、わたしと立ち話をした亮子さん。とーっても生き生きとしておられました。
そして、何だかこれまでは全く見えなかった一本の道が備えられているかのような気持ちに、今ブログを記しているわたくしはなっているのです。
そうかぁ、この日、この時を神さまは準備して下さっていたんだ。あれこれと人が画策したり緻密な準備をしたのではない。自然発生的に、事は起こった!と。
**************
かつて、わたくしは新潟県内の教会に仕えておりました。
今振り返って見ますと、そちらの教会では、タンバリンやカスタネット、トライアングル、マラカスなんかもおもちゃ箱のような箱の中に入れていて、こどもたちと過ごす礼拝の前半では、じゃかすかと言うとオーバーですが、大人もこどもも関係なく、皆で鳴らしながら賛美したものです。
ひとりの(かつて小学校で先生をなさっていた60代の)ご婦人は、毎週、楽しそうに、タンバリンを華麗に鳴らしていました。その光景、ハッキリと脳裏に焼き付いています。
**************
中越沖地震が起きた翌日の礼拝に、現在、日本基督教団の総会議長を務めておられる石橋秀雄牧師が埼玉県越谷市から見舞いを兼ねて礼拝に来られたのです。
その日、礼拝が終わってから確かこう言われました。
「ずいぶん、元気な礼拝だねぇ」と。
かなり大きな地震の翌朝だったにもかかわらず、おそらく、礼拝堂ではタンバリンの音が響き渡っていたからでしょう。戸惑ったのかも知れません。でも、それが当時のその教会の礼拝の日常だったのです。
**************
もしかすると、旭東教会の礼拝は、あたらしい扉をいつの間にか開いて何かを始めたのかも知れません(希望的観測)。
どうぞ皆さん、旭東教会にお集まり下さい。
この日は、亮子さんが大事に抱えていたジャンベから素敵な太鼓の音が響き始めましたが、誰ひとり、驚く様子もなく、賛美がなされ、礼拝は続きました。
素敵な賛美の輪を豊かに広げる道、ぜひ、ご一緒いたしましょう。end