教会から直線距離だと300㍍程の、高野山真言宗別格本院西大寺「会陽(えよう)」。
室町時代の1510年より続くとお聞きしましたが、2016年は、2月20日(土)の夜行われました。
「西大寺会陽」の由来などについては以下をお訪ねになるとよくわかります。
【http://www.saidaiji.jp/website/greeting】(左をclick!)
わたくし(牧師のもりでございます)、〈裸祭〉として知られるだけでなく、日本の〈三大奇祭〉と言われることもある「会陽(えよう)」がどのようなものか楽しみにしていました。
高い所から投げ込まれる護符である「宝木」(しんぎ)の争奪戦がチームで参加して行われるものですが、この地に立つ我らプロテスタントの教会と全く無縁とは思えません。
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当日、旭東教会から2時間程の所にある、新見市の新見教会献堂式が午後1時半から行われ、そちらに出席することもあり、夜10時過ぎ迄続く「会陽(えよう)」をぜーんぶを観る元気はとてもありませんでした。
でも、「会陽(えよう)」を包む熱気は十二分に感じることができました。
とりわけ、旭東教会のすぐお隣にある、旭電業(株)の皆さんが、社長さんをはじめとして、会社や関係の皆さんあげての相当な力の入れようで祭りを盛り上げる様子に触れられたのは幸いでした。
これから先、時間をかけてゆっくりと、旭電業(株)さんとも親しくさせて頂きたいなぁと願っています。
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めでたくも、国の重要無形民俗文化財に指定されることが2016年1月に決定した「西大寺会陽(えよう)」という名の〈お祭り〉。
ある神父さまのお言葉が記されたご本の一場面を思い起こしましたのでご紹介します。
そして、その神父さまのセンスを、わたしたちも倣う心持ちを、心のどこかに抱いておくことは大切かなぁと思っています。
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以下、『弱さの祝福』(井口貴志・サンパウロ 1997年)の「共同体というもの」からの抜粋です。
井口貴志さんは1940年生まれの方で、カトリックの信者さんです。
心理学、社会福祉学、カウンセリング、グループワーク等の世界に触れ、「精神保健上の様々な課題を持つ人々や家族の治療的リハビリテーション」を専門にするようになった方。
特に、キリスト教信仰に至る重要な切っ掛けを、パリ・ミッション会のジャン・ワレ神父さまとの出会いの中で与えられたそうで、神父さまは井口氏を洗礼へと導き、井口氏は神父さまを兄と慕い、師と尊敬されている、という関係にありますが、その最初期の出会いの場面です。
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氷川神社という神社に、その神父(ジャン ワレ)と出かける機会があった。私は困ったなと思った。
私は、日本の文化とカトリックの信仰とがどう交わるのかをテーマに持ち続けていた。
つまり、日本の文化は日本人一人ひとり、そして私自身でもあるのだから、その尊厳がどう保証されていくのかということは真に重大なことであった。対し方によっては、自分の人生が左右されかねない恐さがあった。
ところが私の危惧とは裏腹に、彼は、賽銭箱にさい銭を入れて手を合わせて拝みだしたのである。
聞くと「文化財の保護です」という答えが返ってきた。
私はホッとした。日本人の、つまり日本の共同体の歴史や文化が、尊いものとして感動をもって評価されていると感じたのである。
今思えば「あなたは美しい。傷一つない」(雅歌)という共同体建設の道のあることを、私はそのとき感じさせていただいたように思う。そして洗礼を受けた。
(引用おしまい)
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関連の写真を何枚もとって、牧師館で整理していてようやく気付いたことがあります。
観音院さんの境内と言ってよいと思いますが、そこには、なんと立派な鳥居があり、「垢離取場」(こりとりば)と呼ばれ、身を清めるために男たちは冷水を浴びてから、「宝木(しんぎ)」の争奪に参加するのです。
いやいや、それ抜きでは参加はゆるされていないのです。
神仏習合が見事にそのまま残っていること、ある意味、感動しました。
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そんな街にある、わたしたち日本キリスト教団旭東教会です。
どのようにして共に在ることが出来るか、ゆーっくりと考えて行きます。
パリ・ミッションの「文化財の保護です」とジャン・ワレ神父さまが仰ったお心に余裕のある、含蓄あるお言葉。
本を通してですが、心から感謝いたします。end
以下、ミニ写真館をどうぞ。解説は略しますが、clickすると大きくなって、だいぶ臨場感が違います。