感慨深い洗礼式でした。勤労感謝の日、高松のとあるお部屋でのことです。
奥さまの史生(あき)さんが仰いました。
「62年待ちました」
と。
ご結婚されてからの年月でしょう。
そして、文彦さんのための手作りの大切なカードを額に入れて準備されていたものを紹介して下さったあと、ご主人に手渡しました。
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奥さまの史生さんの献身あっての文彦さんの洗礼式、それは間違いありません。
けれども、一番スゴいのは、神さまの緻密なご計画でしょうか。不思議です。
不思議と感じる所に、既に、神働き給う、をこの日あらためて実感です。
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昭和4年・1929年の2月生まれの文彦さんは現在86歳。思うように体を動かす元気は今はありません。
「人生の終末を、罪贖われて、生きて行きたい」
そう仰る言葉に、だれもが静かにうなずき、噛み締めました。
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洗礼式直後、文彦さんは言われました。
「みんなぁ、きょうは遠くから、よお来てくれたぁ」と。
洗礼式の後、正さん仰いました。
「わしはなぁ、あんたが言う通り、偽善者なんじゃ」と。
これにも言葉がありません。
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その日の朝、出発は午前11時。
その10分前、教会の玄関前に、出かけることは出来ないけれど、と見送りに来てくれた一子さんと幸子さんも祈りの輪に加わりました。
わたくし(牧師のもりでございます)、皆さんにお願いしました。
「旅行気分でわたしたち高松にこれから出かけるのではありません。誰もそんなことは思っていないでいしょうが、あえて申します。これから私たちは伝道の旅に行きます。神さまのみ業に参与するために一緒に出掛けましょう。・・・・・・自己紹介するときには、今、自分が一番困っていること、悩んでいることを語る準備をしてお話下さい。どんな形かは分かりませんが、覚悟して出かけましょう」
と。
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洗礼式後、集った一人ひとりが手を取っておめでとうございますの挨拶しました。
文彦さんには、わたしがお願いしました。
「文彦さんの大切な務めは、みんなのことをお祈りすることですよ。ベッドの上で動けなくても、これを続けて下さい」と。
旭東教会の一員としてのたいせつな宣教の使命を託しました。
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高速を使って、瀬戸大橋を渡っての片道約1時間40分程の道。
あの20世紀の壮大な構築物とも言える瀬戸大橋が存在しなければ、一泊二日の旅になるような所です。
でも幸い、90数キロで辿り着きます。
この距離、少なくとも今の時代にあっては、遠いとは言えません。教会には車いすの幸子さんが二ヵ月に一度位のペースでJRを乗り継いでお出でになるのです。
努力は必要ですが、乗り越えられない距離ではないのです。
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洗礼式。
素晴らしいなぁといつも思います。
聖礼典は恵みの想起の出来事として一同を激しく揺さぶります。
この日、喜びに与ったのは、文彦さんと史生さんご夫妻だけではありません。
みんなが、みんなが、確かに力を受けたのです。
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旭東教会前に帰り着いたのは18時過ぎでした。
光代さんが笑顔で仰いました。
「わたしねぇ、森先生が、病床で洗礼を受けられた方で、その森先生の旭東教会での最初の授洗者が病床の文彦さんだっていうことがスゴいと思うんよぉー!」
と。
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忘れておりました、わたくし。
そうなのです。神さまは、そのようにして弱さを持つ伝道者を用いて下さる。いつもグイッと原点に引き戻されるのです。立ち帰れ、忘れてはいかんよ、と
さて、文彦さんを一員に加えた旭東教会は、どんな旅が始まっているのでしょう。
キリスト・イエスのみ足跡を見失わないように、覚悟をもって従いたいと願います。end
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