○ 森 言一郎 牧師 ご挨拶
旭東教会牧師の森 言一郎(もり げんいちろう)です。自己紹介的なことは、このページの下の方に記しています。
私が仕える旭東教会は互いの心の架け橋が架かる、ちょうど良い大きさの教会です。教会の様子は、このホームページのTOPページを時々ご覧下さると色々と感じられると思います。割とこまめに更新していますので、どうぞ、息抜きにご覧になってください。
わたしは日曜日の旭東教会へお出でくださることを先ずはお勧めします。そこに本当に一番大切なことが集約されているからです。一度ではわからないこともたくさんあります。
ぜひ、日曜日に何度かお出でになってみてください。じんわり、しっかり、旭東教会の豊かさにふれることが出来るはずです。木曜日に行っている、「賛美と聖書とお祈りの会」(祈祷会)もいい会だと思います。とくに旭東教会の祈祷会は楽しいですよ。
なにより、教会でなければ経験できない、人生で考えたり向き合うべき大切なここと、本質的なことをおろそかにしない教会作りに励んでいます。お目にかかれるのを楽しみにしています。どうぞ、お気軽に旭東教会へお出かけください。
〈 自己紹介 ほか 〉
【 なまえの由来 】
○森 言一郎(もり げんいちろう)の「げん」は、ヨハネによる福音書の第1章、「初めに言(ことば)があった」の「言」から、父が命名してくれました。
【 好きな聖句 】
コヘレトの言葉(伝道の書)3章1節~11節
何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時 植える時、植えたものを抜く時
殺す時、癒す時 破壊する時、建てる時
泣く時、笑う時 嘆く時、踊る時 石を放つ時、石を集める時 抱擁の時、抱擁を遠ざける時
求める時、失う時 保つ時、放つ時 裂く時、縫う時 黙する時、語る時
愛する時、憎む時 戦いの時、平和の時。
人が労苦してみたところで何になろう。私は、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。
神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。
それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。
【 好きな賛美歌】
○1954年版 讃美歌 532「ひとたびは死にしみも」
○讃美歌 21 403「聞けよ、愛と真理の」
【 産地と家族 】
○九州・大分県 1960年11月29日生まれ。でも、今振り返ってみると、何度も引っ越しをしたなぁ、と実感(20回は経験)。一番長く暮らしたのが幼少期を過ごした大分県大分市の大在という村の横塚地区(当時の地名です)。大分に帰ると友人たちとは大分弁で話しますが、NHKアナウンサーが使っている?標準語で話をすることが多いです。博多の近くに生まれ育った妻と二人暮らし。
【 牧師として努力していること 】
○生き生きとした礼拝を捧げられるように工夫し、力を尽くしてきましたし、今も続けています。
○共に生きる方々のよき聴き手でもありたい。グリーフケアの集いを旭東教会で行っています。
○説教=福音を、わかりやすく、明確に、身近な言葉で伝えること。
○聖書を私(たち)と一緒に読むと、たぶん楽しいと思います。むつかしいことは苦手です。
【 泣き所・短所 】
○聖書の文字や辞典類の文字が読みにくい。書斎では拡大鏡を手元に置いてます。
特に、愛用の「角川 類語辞典』が小さな文字なので困ってます。
○ほどほどに、という仕方がなかなか身につかないまま、64歳になります。
【 長 所 】
○賛美歌を歌う声が大きいこと。
○説教もかなり聴きやすいと思います。間(ま)について忘れた頃に褒められることがあります。
○コツコツと努力をして頑張るところ。
○気が付いてみれば、よき友、頼りになるあの方、この方とのつながりが与えられてきました。
○教会のためにリーダーシップをとれることかも知れません。いつも何か考えています。
○サラリーマンをしていたことは宝です。
○色々と病気をしてきました。入院生活も長かった。
○失敗、挫折、行き詰まり、心配。たくさん経験してきました。これも宝となっています。
【 弱さの経験から 】
誰しもが心のカゼをひくことがあります。わたしも経験しました。入院もしました。メンタルクリニックやいわゆる心療内科・精神科の病院とも、自分自身の経験も含め、かなりお付き合いしてきました。結果として、心の病や、ボーダー・境界に生きる方々の周辺のことを学んできました。
【牧師になった切っ掛けなど】
20代の頃は東京で一人暮らし。就職して一年ほどしてから、体調の異変に気づきました。お酒は全く関係なしで今も飲みませんし、飲めません。入退院生活が続き、仕事もなくし、気が付くと居場所がなくなっていました。
神さまは不思議な道を備えれるお方でした。
とある会社の営業マンとして働いていた頃、東京駅前の八重洲口から歩いて通える日本キリスト教団 銀座教会の「福音会英語学校・ビジネス英会話」のクラスに通っていたのです(今も銀座教会では福音会の様々な働きが継続されています。母教会は二つあります。大分県の1960年代に家族も一緒に開拓伝道した「大分東教会」と「銀座教会」です。)
それが切っ掛けで、いつの間にか教会という場に、ちっぽけな自分でも居られる場所と時間が与えられ、礼拝に通うようになります。本当のところ、その頃のわたしには、教会にしか行くところがなかったのです。もちろん、キリスト者であった両親や祖父の祈りが背後にはあったのは確かですが。
やがて、東京の浅草橋にある古びた薄暗い病院のベッドの上で、涙をぼろぼろと流しながら洗礼を受けました。病院。そこはわたしのクリスチャンとして、人としての原点です。当時は命に限りを覚えることが重なり、少し切羽詰まった思いを持ちながら「居場所を与えてくださった」イエス・キリストの福音を、少しでも病床にある方に届けたいと考えだしました。
恥ずかしながらその頃の私は、まだ「召命」なんていう言葉は知りません。相談した当時の牧師センセイの「それは召命です!」の言葉を聞いて、うなずきながらも「照明?」と考えていたのですから・・・・・・ 。それが牧師になる道のはじめの一歩でした。その後も、病気や弱さ(出会った方々、そして自分自身も)とかかわる出来事の繰り返しの中で、ゆるしと憐れみを受けながら、ひとりのキリスト者としての歩みが整えられてきたことを実感しています。神さまは、時々原点に引き戻されるのです。これは本当です。
福岡や新潟、最北の町稚内での伝道・牧会を経て、2015年4月から旭東教会に仕えています。私は西大寺が大好きです。風情があり、田舎具合がとてもよく、いい町です。岡山市内から決して遠くもありません。そして、こんなに暮らしやすい便利な町は岡山でも少ないと思います。
【 どんなご相談でも 】
心がカゼをひくこともあります。わたしも経験ありです!
入院もしました。メンタルクリニックやいわゆる心療内科・精神科の病院とも、自分自身の経験も含め、かなりお付き合いしてきましたし、心の病や、ボーダー・境界に生きる方々の周辺のことをだいぶ学んできたと思っています。
【 おおきさ】
○背丈 180㎝ より少し小さくなりました。若い頃は180㎝だった、はず。
○重さ ひみつ 母子手帳には4.1㎏で生まれたと記録あり。
【 楽しみ 】
○スロージョギング・ウォーキング・・・・・・ 朝にはスロージョギング、夕はウォーキングをしてます。
○ドライブ・自動車に関わるあれこれをしているとき・・・・・・ 両親は免許を持っておらず自動車に憧れて育ちました。『世界の名車100選』(正確には違う書名かもです。再会したいです、この本。)が小学生の頃の愛読書。今も自動車関連の何かをしていると夢中になれます。
○コーヒーを煎れること・・・・・・ 豆を選んで、挽いて、淹れること自体がたのしいです。珈琲談義も大好き。美味しい珈琲を淹れる自信がついてきました。2019年だったと思いますが、「ハリオ」の「無限・ドリッパー」に出会ったお陰です。
○聖書を味読して《分かち合うこと》がたのしいです。聖書ほど飽きず、奥深い書はありません。聖書は面白いです。が、独りで読んでもあまり、おもしろくないのも不思議な真理です。多読は必要ないと考えてます。宝物の本を幾度でも、がはるかに大事だと考える人間です。
【 好きな食べ物 】
○ご当地のお刺身が少しあると幸せ。岡山のお魚、何でも美味しいです!故郷大分の「関アジ」「関サバ」も旨いと思いますが、岡山には負けていると実感。前任地の最北の町・稚内(わっかない)では、甘エビ、帆立貝、ホッキ貝などに出会えました。お酒は飲めないですが、お刺身で先ず軽くご飯を食べることが楽しみです。
○お料理が上手になるちょっといい話? 前任地の稚内教会では、利尻昆布バザーという取を先頭にたって奉仕させて頂きました。利尻昆布で「こんぶ水(すい)」なるものを十㌘の利尻昆布と1リットルの水で作って、和洋中あらゆるお料理に使うと、ビックリするほど美味しい!と実感。旭東教会でときどきバザー品として取り寄せています。
※以上でひと区切りといたします。2024年10月28日に最終加筆しました。