2017年1月27日(金) № 100 『 天国はここにあります 』

1/22(日)「天国に居ると思いました」という思いを抱かれた正さんの横顔と背中。カナダから(一年ぶりくらいですが)帰国された弘美さんを歓迎の場面。
1/22(日)「天国に居ると思いました」という思いを抱かれた正さんの横顔と背中。カナダから(一年ぶりくらいですが)帰国された弘美さんを歓迎の場面。

こんにちは。

 

ほぼ、毎週お届けしている旭東教会の「Blog・教会日記」。

 

何気なくナンバーリングを続けておりましたが、めでたく、100号に今号で到達しました。

 

2015年4月の新・ホームページ開設以来、わたしたち旭東教会の平凡ではありますが何かしらをお届けし、神さまの福音の香りのちいさな分かち合いができれば、と願いつつブログの更新も続けて来ました。

 

遠方の教会のメンバーはもちろん、そのご家族。そして元教会員の方、さらに東中国教区のお交わりの中で出会った皆さん。

 

その他、思いがけない形でお訪ね下さっている皆さまにも、旭東教会の今をお知らせできる幸いを思います。

 

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そう遠くない以前に、ある方とわたくし(牧師のもりでございます)、こんなお話をしたことを思い出します。

 

「旭東教会のホームページ、神秘的なところがないよねぇ」と。

 

互いに深く納得しながら、わたしたち大笑いしました。このホームページを時々お訪ね下さっている皆さんであれば、大笑いの理由はお分かりになると思います。

 

世の教会に一つぐらいこんなホームページがあってもよろしいのではと信じて、これからもコツコツと発信をしたいと思っています。

 

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さて、ルカによる福音書17章にこんなみ言葉があります。

 

【20 ファリサイ派の人々が、神の国はいつ来るのかと尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見える形では来ない。21 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」】

 

このブログを記す直前に念のためにコンコルダンスで調べて見ましたが、実は「天国」という言葉は、聖書『新共同訳』・『新改訳』では使われていません。

 

聖書『口語訳』では、マタイによる福音書だけに32回「天国」は出てきます。実は、先だっての1月22日(日)、旭東教会で思いがけない形で、その「天国」に触れたのです。

 

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上の写真では後ろ姿が見える、正さん。礼拝後の集会室、幾人かも同席していたほっとタイムのテーブルの片隅に座ったまま、わたしにはっきりとこう言われました。

 

「なんだか、ぽーっとしとってねぇ。頭がオカシクなったのか、勘違いして、今、天国に居るんだと思っていました」と。

 

旭東教会のホームページでもそのお元気な姿を見かけることも多い正さん。

 

わたくしが太鼓判を押して申し上げますが、〈オカシクなる〉なんてことが起きたことは一度たりともありません。

 

もちろん、ご自身の中では、お歳を重ねられて、「最近は忘れることが多くなって」というようなことを口にされることがあります。

 

でも、間もなく93歳とはとても思えないお元気ぶりで、わたしも含めて、教会のみんな頼りにしていることが今もなおたくさんありますし、きっとこれからもご一緒して下さることと思います。

 

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「今、ここは天国じゃないかと思いました」

 

そのお言葉が正さんから発せられる切っ掛けかなぁと思うこともありました。

 

それはまず、カナダ・バンクーバーから帰国して故郷の教会の礼拝に出席された弘美姉のご主人の言葉でした。

 

弘美さん経由ですが、「主人が、日本に帰って来た時は、旭東教会に出席しなさい。とても雰囲気がいいよ」と言っている、と伝えて下さったのです。

 

それを、お茶の席にお座りになった正さんにお伝えして暫くしてから口にされたのでした。

 

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九州のキリスト教系の病院で長年ホスピス・終末期医療の働きのために仕えて来られた貴いお働きを続けて来られたドクター(牧師でもあります)の口癖があります。

 

かつて、その病院の協力牧師会でご一緒させて頂く機会がだいぶ長い間ありましたので、はっきりと記憶しています。

 

「わたくしが出会ってきた患者さま皆さんが、わたくしの先生です。わたし自身が患者さまと同じような、終末期の状態で死と向き合うことは経験したことがないのですから・・・」と。

 

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このドクターのお言葉の延長線で「天国」について考えますと、「まだ、わたしは死んだことがないですし、ましてや天国には行ったことがないのでわからないけれど・・・」ということになります。

 

でも、イエスさまがファリサイ派の人たち、そして弟子たちにも語られた「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」というお言葉は、正さんが何の気なしに口にされた言葉とハッキリと結び付くように思わずには居られません。

 

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時に、牧師のわたくしに正さんはこう仰ることがあります。

 

「きょうの礼拝、豊かでしたねぇ」と。

 

実は、これ以上に幸せを感じる言葉は、わたしにはありません。

 

豊かだなぁと感じられる礼拝のひととき、礼拝をささげる教会の交わりこそ、天の国・神の国を実感できる場所なのではないでしょうか。そこには、メジャーでは測ることができない奥深さ、そして、もしかすると本物の神秘というような出来事が秘められているのかも知れません。

 

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たいせつなもの、うつくしいものは、わたしたちが遠くどこかに行かなくても見いだせる。むしろ平凡な日常の中にこそ、備えられているのでしょう。

 

その恵みに気付かせて頂いた日曜日が旭東教会にありました。感謝です。

 

どうぞ皆さま、機会がありましたら、わたしたち旭東教会にお出かけ下さい。ご一緒に、神の国・天の国の恵みにあずかりましょう。end

 

※追伸
これが天国です、というお写真は残念ながらありません(笑)でも、多分、ホームページのTOP「今週の3枚!」を丁寧にご覧いただければ、その扉がいくつも見え隠れしているのではないかと思います。是非、さがしてみて下さい。

 

あの時の一枚のお部屋や、グリーフケアの集いのお部屋にも、隠されている何かがあるかもと思います(^^♪