2017年1月14日(土) № 98 『 大工のイエス 続編? 』

1月8日(日)のこどもメッセージで高久眞一著・『キリスト教名画の楽しみ方』から「大工の仕事場」を紹介中。絵画の大判は下の方に準備しています。
1月8日(日)のこどもメッセージで高久眞一著・『キリスト教名画の楽しみ方』から「大工の仕事場」を紹介中。絵画の大判は下の方に準備しています。

タイトルを見ても、何が〈続編〉だかお分かりにならない方がほとんどかも知れません。

 

新年2回目の日曜日となった1月8日の主日礼拝。成人祝福の日としての祈祷(対象者は今年は居られませんでした)を捧げた後。いつものように、こどもメッセージの時間がありました。

 

そこに、H理一郎兄と章子さんご一家が広島から帰省され、お二人のお子さん、小学生の遙花ちゃんと保育園の花乃子ちゃんも礼拝堂に居りましたので「前に出ておいで」と招き、お話をしたのです。

 

ちなみに、「西大寺の風」(http://kyokuto-words.seesaa.net/)というメッセージブログでその時のお話もお聞きになれます。

 

今号は、その延長線のとある出来事のご紹介です。なお、理一郎さんご一家の写真は、下の方で礼拝報告時に一家揃って挨拶されているところをupしています。

 

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1月8日の主日礼拝。

 

マタイによる福音書3章13節以下から説教では、洗礼者ヨハネによるイエスさまへの洗礼の場面を語りました。

 

が、その直前に、こどもメッセージで、イエスさまの幼年時代について語ることにして、その際、一枚の絵を見ながらお話しました。

 

その時手にしていたのが、『キリスト教名画の楽しみ方 イエスの生涯』(高久眞一著・日本キリスト教団出版局)シリーズの『イエスの生涯』です。

 

高久眞一先生は、わたしたち夫婦のこころの中での恩師的な札幌在住の方です。その14㌻にあるのが、『大工の仕事場』という、ジョン・エバレット・ミレイというイギリスのヴィクトリア朝絵画を代表するという方の作品でした。

 

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イエスさまのことを、まだ、ほとんど知らない二人のお子さんに、わたしも、どうしたら聖書のお話が伝わるだろうか、としどろもどろになりそう?なのをひた隠しにして、「この絵の中で、イエスさまはどれかなぁ」等と言いながら。何とかメッセージを語り、その後、祝福をしました。

  

当然、この時、ご両親のみならず、会衆席の皆さんもじーっと聴いておられたのですが、どんな風に心傾けておられるかは、全くわかりません。子どもたちのことで手一杯、頭もいっぱいでした。

 

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さてさて、ここからが本論です。

 

それから数日経った、1月12日(木)の夜の定例祈祷会でのこと。

 

詩編48篇を学び、一同での祈りの時間も無事終了。解散の時間になった時に、こころの美しい一人の女性が(今週の3枚!でJC説教を担当のご婦人です)あるものを一枚、取り出されたのです。

 

それが、ジョン・エバレット・ミレイの『大工の仕事場』の絵でした。

 

どうやら、朝日新聞社が2008年か2009年頃、定期購読者へのプレゼントで、「ミレイとイギリス絵画の至宝」というシリーズの中に、この度の『大工の仕事場』が含まれていたというのです。

 

「先生、家に帰って引っぱり出してみたら、やっぱりこれだったわぁ」と画用紙ほどの大きさの絵を見せて下さり、『大工の仕事場』に隠されている隠喩・メタファーというのでしょうか。ご自身で学ばれたことも含めて、たのしく、美しく解説して下さいました。

 

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そこでわたくし、牧師館にいったんお借りして、撮影した次第です。それが下にある大判のものです。じっくりとご覧いただければと思いますが、いろいろと秘められたことがあります。

 

高久眞一先生の解説も含め、少しご紹介しようと思います。画家というのは、色々と考えて絵を描くものです。

 

ちなみに、画用紙ほどの大きさの絵の裏には、さいごこうかかれていました。

 

「モデルを理想かすることこそ宗教画の本質とされていた当時、本作品のあまりに現実的な描写は、多くの批評家によって酷評の嵐にさらされた」

 

わたしたちにとってはそんな批評は全く無縁です。

 

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右側の少年は、水の入った〈たらい〉?を持っています。腰に巻いているのはラクダの毛衣。つまり、イエスよりも少しだけ年上の洗礼者ヨハネです。

 

その左隣のおじさんが、イエスの父の役割を果たした大工のヨセフ。

 

真ん中の少年がイエスさまですが、既にこの時、イエスの手のひらには十字架の磔刑で打ち抜かれる傷跡が見えて、十字架での受難が預言されています。たらりと落ちた血は足にまで落ちているのです。

 

「坊や、どうしたの」と近づく母マリアの左後ろには、釘抜きも見えます。

 

そして、テーブルからは大きな木槌がぶら下がっています。イエスの手のひらを打ち抜くのには十分な大きさの木槌です。

 

その他、右端には、十字架が作られるための木材が並びます。梯子の上には聖霊の象徴としてのハト。三角形の道具は三位一体を意味するとのこと。

 

さらに、扉の後ろには、道に迷う人々を象徴する羊たちの姿、という具合です。

 

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わたしが嬉しいなぁ、と思うこと。

 

それは、こどもメッセージがおとなの方にまで確実に届いていて、語らせて頂いたことが余韻となり、お宅でもう一度礼拝でのことを思い起こされていた、という、正にその出来事です。

 

教会生活・礼拝の恵みとは、教会だけのことに留まらず、帰路、あるいは、週日の暮らしの中で、礼拝の力が広がって行くことなのだ、と常々考えているからです。

 

こんな恵み、皆さんにも分かち合わずには居れません。聖書を開きなおしたり、讃美歌を口ずさむことが出来るようなことにも通じる余韻のある日曜日が、旭東教会にはこの日、確かにあったに違いありません。教会としての大きな喜びです。

 

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この日も、主日礼拝説教で別の場面・『人々の前に現れるイエス』という絵をカラーコピーして皆さんには配布していました。

 

キリスト教絵画の力というのは、誠にあなどれないものです。

 

それは、数年前まで経験していた、キリスト教に全く興味のない大学生たちとの交流のなかで気付かされていたことです。今回は、こころ美しい信仰生活の長いご婦人からの応答に、大いに元気を頂いたのであります。

 

どうぞ、旭東教会の礼拝へ、皆さまもいつでもお出かけ下さい。

 

巡り合わせがよいと?絵画のコピー配布も行われるかも知れません。end

 

下の写真をお楽しみ下さい。ミレーの絵を大写しにしました。一番下は、Clickで大きくなりますよ。左はミレイの別の作品です。


これが、朝日新聞社が読者へのプレゼントとして準備していた絵です。
これが、朝日新聞社が読者へのプレゼントとして準備していた絵です。