2016年2月7日(日) №51 『 この背中は何を語る 午後の旭東教会の日曜日  』


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2016年2月7日(日) №51 『 この背中は何を語る 午後の旭東教会の日曜日  』


 こんにちは!旭東教会牧師のもりでございます。

 

2016年も早くも12分の1ヶ月の時が流れて、2月に入りました。

 

今週のブログ・教会日記。

 

「写真の部屋」あらため「あの時の一枚!」に移行の作業などで手間取ってしまい、もうすぐ土曜日を迎えようという、金曜日の夜となってしまいました。

 

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さてさて、今年の「復活祭・イースター」は3月27日です。

 

そこからさかのぼって数えて行くと、2月7日が、今年最後の降誕節の礼拝となりました。

 

ブラジルのリオのカーニバル(謝肉祭)のニュースが伝わってくると同時に、教会の暦は「受難節・レント」がもうすぐそこに来ているということになります。

 

2月10日(水)は「灰の水曜日」。

 

ここから46日の間(6日間の日曜日を除けば40日)は、主の十字架への道行きを心に深くとめる季節です。

 

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この日の旭東教会。大きな行事がない静かな日曜日でした。

 

礼拝後に行われていた事と言えば、月に一度の『週報』等の発送作業。そして、『緑の牧場』という〈教会報〉の編集委員会打合せくらいです。

 

礼拝後の集会室のほっとタイムに残って居られた皆さん、それぞれに、のんびりとした様子で、話の花を咲かせていました。

 

ふと気がつくと、何だか、その背中で人生のオリジナルストーリーを物語っているように見える方が居られたりして、シャッターを続けて押してしまいました。

 

それが上のミニ写真館です。

 

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ヨハネによる福音書20章11節以下で、マグダラのマリアが身をかがめて墓の中を見ていた時、彼女の背中越しに復活のイエスは言われたのでした。

 

「女よ、なぜ泣いているのか」と。

 

するとマリアは、「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません」と答えるのです。

 

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実はわたくし、この聖書の場面が大好きです。

 

マリアの背中をイエスさまはしばらくの間、間違いなく見つめておられた。そしてそれからタイミングを見計らって「女よ…」と仰ったわけです。

 

マリアは、まさかイエスさまが自分の背中を見ておられるなんて、これっぽっちも思っていません。

 

もっとも無警戒かつ無防備な背中を見せているマリア。

 

彼女はこの時、偽善者(=演技する者)たり得るわけがなかったわけです。

 

正真正銘、ありのままの彼女をさらけ出していたのだなぁと思います。

 

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「はーい、撮りますよー」なんて掛け声も一切なしに、旭東教会集会室で話し込んでいた皆さんの背中、撮影してみました。

 

SDカードに記録された一枚一枚。

 

やはり一切演技なしのように思います。ありのまんまが映し出されました。

 

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背中で何かを伝えることが出来るようになったら映画俳優として一丁前などという話を聞いたことがあります。

 

日頃から、何かを演じる必要などない旭東教会の面々が、ますます、何かをごく自然に伝えてくれているように思った次第です。

 

小さな背中、少ーし丸くなり始めた背中、想像していたよりも遥かに細い背中がそこにあるように思います。

 

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牧師として教会の皆さんを送り出す瞬間というのは、何とも言えない気持ちになることがあります。

 

とりわけ、重荷を背負ってようやく教会に辿り着かれた方の足取りが、少しでも軽くなっているように見えたなら、こんなに嬉しいことはありません。

 

当然、その時、背筋が少しばかりぴーんと伸びているように見えることがあるのです。

 

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エマオ途上の旅人二人が描かれているルカによる福音書24章13節以下。

 

エルサレムからエマオという村に向かって歩きながら、話し合い論じ合っていたふたり。暗い顔をしていたわけです。

彼らの期待がすべて裏切られてしまった、と落胆していたのですから。

 

その時、イエスさまは二人にそーっと近づいて行かれたわけですけれども、その背中には、彼らの落胆した表情が映し出されていたに違いありません。

 

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【疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。】(マタイによる福音書11章28節)と言って下さるイエスさま。

 

耐えきれないなぁ、なんて思いながら教会に週毎に集うわたしたちの重荷を、全部、知っていて下さるのです。

ご出演の皆さま、どうもありがとうございました!

 

どうぞ、まだお目に掛かったことのない皆さまも、ご自分の十字架を背負って、旭東教会へお出かけになってみて下さい。

 

イエスさまは、必ずみ手を差し伸べてくださいます。その背中をいつくしみに満ちた眼差しでご覧になって。end