2016年1月24日(日) №49 『 富山県から岡山市に導かれた《清美さん》へのインタビュー(礼拝)  』

手前が清美さん。右側がインタビューアーの安佐子さん。旭東教会ジュニアサークルでは、二月に一度位のペースでインタビュー礼拝の時間を持っています。
手前が清美さん。右側がインタビューアーの安佐子さん。旭東教会ジュニアサークルでは、二月に一度位のペースでインタビュー礼拝の時間を持っています。

朝9時に始まるジュニアサークル。

 

この日は〈清美さん〉をお迎えしての《インタビュー礼拝》の時間でした。

 

実は、子どもたちの姿はゼロ。

 

でも、そんなことは気にしない旭東教会です。

 

集ったおとなの方だけで、じっくりと清美さんのお話に心傾けました。

 

**************

 

清美さんは19歳の頃、東京のカトリック教会に通われ受洗。さまざまな導きを経て、旭東教会に辿り着かれてからは既に40年以上が経っています。

 

インタビューアーは安佐子さんでした。

 

**************

 

「地獄に落ちたらたいへん」

 

富山県の新湊(しんみなと)で育った清美さん。

 

いつもおばあちゃまと寝ていたそうで、おばあちゃまが「悪い子は地獄に落ちるのよ」と言われたかは定かではないにせよ、あることが幼い頃から、ずーっと恐かったと言われました。

 

それは「死ぬこと」だったそうです。

 

**************

 

そんな清美さん。

 

お友だちのお誘いを受けて、最初は東京のカトリック教会へ行かれたそうです。

 

そして、オーソドックスに【公教要理(カトリック版のカテキズム)】を学ばれ、受洗へと導かれたとのこと。

 

カトリック教会には多くの場合、十字架に磔(はりつけ)にされたイエスさまの像がおかれています。

 

そのイエスさまのお姿が洗礼を受けた頃にぴったりと重なってみえて、「このお方によって救われたのだと、少し安心しました」と言われました。

 

死の恐怖を乗り越えられたのですね。

 

**************

 

なるほどですねぇ。

 

ストン、と心の奥深くに届く言葉でした。

 

その後【告解】という、これまたカトリックならではの、罪のゆるしの秘蹟をめぐり、立ち止まって深く考えたい、と思う経験をされたそうです。

 

神さまのお導きにより、西大寺出身のすばらしい伴侶が与えられて岡山へ来られて、旭東教会での信仰生活がここまで続いています。

 

**************

 

好きなみ言葉は?の問いには、マタイによる福音書28章20節をあげられました。

 

【28:20 わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる】

 

「いつもあなたがたと共にいる、というのが、今振り返ると、ずーっとそうだったなぁ思っています」

 

と清美さん。

 

**************

 

実はわたくし(牧師のもりでございます)は、そのあとの言葉に打たれました。

 

と言いますか、わたしがいつも思っていることと同じことを語られたのです。

 

深く共感いたしました。

 

「マタイの28章20節のみ言葉を読んで頂きましたが、毎週教会に来て、礼拝の中でみ言葉が与えられますねぇ。それに思うことがあったり、気付きが与えられたりします」と。

 

わたしは牧師ですが、語る者としてもほとんど同じ気持ちです。

 

**************

 

「究極、主の十字架によって私たちの罪を贖(あがな)って下さった神さまから離れないようにということがいつもあります」

 

と語られた清美さん。

 

お好きな讃美歌は、お子さんと一緒に歌っていたという『こどもさんび』より、133番の「かなしいことがあっても」をまずあげられました。

 

そして、34番の「キリストのへいわ」も大好きとのこと。

 

**************

 

たくさんの笑顔と共に語ってくださった清美さんの信仰の旅路に、一同、心なごむめぐみを豊かに頂きました。

 

そして、なんだか、すごーくおおきな安心を頂いたように思います。

 

それはたぶん、わたしだけではなかったと思います。感謝でした。end